シーン10「あたしの失望」


 この日の少女は静かだった。いつになく静かだった。けたたましく響くミシンの音も川のせせらぎに思えるくらい、今日の少女はやけに大人しかった。

 プラトークをした頭を陽気に揺らすでもなく、フンフン鼻歌を歌うでもなく、石像のように表情一つ変えないで、激しい針の一突き一突きを黙って見つめている。

 リズは、そんな少女をちらちら不安げに見つめていた。そして工場の時計を見上げると、布を掴んで少女の傍のアイロン台に向かった。


「……ねぇ、パーシア」


 布にアイロンを当てて、リズは小声で尋ねた。


「今日はどうしたの? 朝からずっとそんな調子だけど」

「別に」


 こちらに振り返りもせず、少女は素っ気なく答えた。


「でも、挨拶しても全然返してくれなかったし……何かあったのかなって思って」

「あったわ」

「何?」

「来なかった」


 リズは慌てて俯いた。やはり思った通りだ。


「ご、ごめんね。私、本当は行こうとしていたんだけど……」

「違うわ。リズのことじゃないわよ。よく考えてみたら、あたしの家がどこなのか、リズ知らないのよね」

「え……じゃあ?」

「……リアよ」

「え?」

「……リアよユリアっ! ユリアが来なかったの!」


 パーシアが立ち上がると同時に、昼休みの鐘がジリリーッ、と鳴った。工員達が不審な目で二人を見やる中、パーシアは事務所に繋がるドアを見て、今朝からそこに引きこもったままのユリアをキッと睨みつけた。


「あたし昨日、ユリアが来るのを待ってたのよ。ユリアが家に遊びに来るの、ずうっとずうっと待ってたの」

「う、うん」

「だけどユリアは来なかった。待っても待っても来なかった。あたし、ずっと待ってたわ。おばあちゃんと二人、ケーキを囲んで待ってたの。それでもユリアは来なかった。待ちくたびれて疲れたわ。だからボーっと鏡を見たの。あたしのこの眉毛の毛、何本あるか数えたわ」

 少し離れたところから、プッと笑いを吹き出す声が聞こえてきた。けれどパーシアは気にする様子もなく話を続けた。


「ユリアは可笑しいわよ。あたしの家に来るって言ったのに、全然来なかった」

「お、可笑しいかはわからないけど……でも確かに私も、パーシアの家に行くって聞いたような……」

「そーよねそうよねっ! 確かにそう言っていたわよね! なのに来ないなんて変じゃないっ。ユリアったらあたしをからかっているのかしら?」


 とそこで、パーシアはようやく誰かが自分を笑っていることに気が付いた。声のする方を向くと、そこには案の定クスクス笑うベルラがいた。


「ねぇケティ、ホント傑作よね。あんなに稀有な人間、私他に見たことない。あれじゃ毎日が愉快で仕方ないでしょうね。ホント羨ましい才能だわ」


 こちらが身体ごとベルラを向くと、ベルラはそれに気づいてハッと口を閉ざした。ただでさえユリアのことで気が立っていたパーシアは、ベルラのその笑い声に眉を顰めた。


(んまっ、ベルラさんったら健気だこと。たかだかあたしを愚弄するために言葉の限りを尽くしちゃってまあっ)


「なあに? ベルラさん。こそこそと。言いたいことがあるんなら正直に言ったらいいじゃない」


 真顔を装ってもなお、笑いを堪えられないようだ。ベルラはむずむずミミズみたいに動いていた口を解いて、適当に誤魔化した。


「べ、別に? ただ、あんまり大声を出しちゃうと、工場長に怒られちゃうんじゃない? お客様が来てるかもしれないし」


 そのとき、ちょうど廊下のドアが開いてユリアがやってきた。ベルラは二人の様子を気にしつつも、そそくさとパーシアの傍を離れていった。

 パーシアは、自分の持ち場に向かっていくユリアを黙って見ていた。こちらに気づく様子はまるでない。どういうつもりなのかしら? パーシアは右五五一本、左五一四本、合わせて一〇六五本ある眉の毛をギュギュっと真ん中に寄せて、隣のアイロンと同じくらいの熱い視線をジーッとユリアに送りつけた。


 すると、ミシン台に着いたところでユリアがこちらを向いた。

 と思いきや、すぐさま目線が落ちてしまった。

 パーシアを見て挨拶することもなければ、気まずく思う様子もない。しっかり目が合ってもあまりに素っ気ないその態度に、パーシアは思わず面を食らった。えっ、無視?


「ね……ねぇ、ユリア」


 慎重な声音で話しかける。ユリアはまるで、初めてパーシアを見たかのような反応をした。


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