シーン6「あたしの幼馴染」
終業を知らせるベルが鳴ると、パーシアはすぐさまトイレへと駆けこんだ。
仕事はあの後もスイスイ進み、お昼のベルラの件も解決したからか、気分は爽快そのものだった。あとはこの生理現象さえ解消されれば何の問題もない、素晴らしい一日だった。
その頃、ユリア達三人は、帰り支度を終えて話をしていた。ユリアのちょっとした一言に、リズとタチアナは驚きながらも納得の表情を浮かべていた。
「よくよく考えてみれば可笑しなことではないわね。ロマーシカ社長は、今ではこの町の象徴と言っていい存在だもの」
『日曜日に来客がある』……ユリアからすればそれだけの話だったのだが、二人の反応は大きかった。客は有名なドレスデザイナーで、先々週訪れた画家の紹介らしい。画家はその前の週に訪れた隣町の町長の紹介で、町長はその更に前の週に訪れた宝石商の紹介だという。歯科医のリズの家にも客は来るが、それほど頻繁に訪れることはない。
「確かに昔と比べたら、おばあ様への来客は多くなっているわね……。昔はお客様が来るなんて、お祭りのような感覚だったもの」
「そうでしょうね。見たことない人もやってくるわけだし」
「それもあるけど、来客のたびにパーシアの家に預けられていたのよ。両親も同席していて退屈だったし、そのたびにパーシアのところへ遊びに行ってたわ」
ユリアは懐かしい情景を頭の中に巡らせた。ナナカマドの並ぶ庭、レースの揺れるテーブル。門扉の前で馬車を降りると、庭仕事をしていたアンヌが優しく出迎えてくれた。
すると家の中から無邪気にパーシアが飛び出してきて、遊びに来た自分を激しく歓迎してくれた。そして、ままごとやかくれんぼをしたり、絵を描いたり下手くそな編み物をしたり……おやつに出されたケーキと紅茶は美味しくて、そうして過ごす一日はとても有意義だった。
あのとき過ごしたパーシアの家は、今でも鮮明に覚えている。息を吸い込めば、自然豊かなあの匂いが思い出されるようだ。程よく湿り気のある空気が気分を落ち着かせ、台所の窓から差し込む夕日はカーネリアンのように美しかった。
「パーシアの家か……懐かしいわね」
「あら何? 何の話?」
びくっと肩を震わせて、ユリアは振り返った。そこには用を足し終えて、晴れやかな笑顔を浮かべるパーシアがいた。
「ああ、パーシア……ちょっと、昔のことを思い出していたの」
「あらそうなの? あたしの家って聞こえたわ。何? どうしたの?」
「あ、今度の日曜日にね」
「今度の日曜日?」
「今度の日曜、屋敷にお客様が来ることになって……」
「まあっ」
ユリアが話し終える前に、パーシアは驚いて声を上げた。『お客様が来る』……んもぉ、何て素敵な響きなんでしょ!
だけど、どうしてそう思うのかしら? パーシアは一瞬考えようとして、すぐに思い出した。あ、そうだわ。昔ユリアがうちに遊びに来たのよ。ユリアの家にお客様が来ると、もれなくあたしの家にお友達が来るのよ。
「懐かしいわねー。そういえばいつもユリアが遊びに来てたわ」
「そう。ちょうどその話をしていたの」
「あっ、もしかして、またあたしのお家に遊びに来てくれるのかしら?」
「え? そうね……暇ができたら行きたいとは思っているけど」
「そうなのね。いいわっ! じゃああたし準備しておくっ」
ユリアはキョトンと目を丸めた。何故だろう、不安を覚える。
「日曜日ならあたしも大丈夫よ! ちょうど暇してたの」
やはり思っていた通りだ。ユリアは慌てて言った。
「あっ、パーシア。日曜日にどうしてもってことじゃなくて……」
「あら、心配ならいらないわ。おばあちゃんもいいって言ってくれるわよ。久々にユリアが来るんだもの。……そうだわっ!」
と、ユリアの弁明を聞く間もなく、パーシアはパチンと両手を合わせた。
「折角だからリズとタチアナも来てちょうだい! 大勢の方がきっと楽しいわ。あ、予定があるならいいのよ? また日を改めてご招待するから。じゃあ、今日はこれでお暇するわね。早速おばあちゃんに報告しなきゃっ。それじゃ今度の日曜日、楽しみにしているわっ!」
説明する隙もなかった。パーシアはそう言うと、笑顔を振りまいて家へと帰ってしまった。
取り残された三人は、激しい嵐をただ茫然と見届けるだけだった。
流れた沈黙を破ったのは、ぴくりとも表情を動かさなかったタチアナだった。
「私、パーシアの家がどこなのか、知らないけど」
「私も……」
隣でリズも呟く。
「どうするの?」
ユリアは苦笑しながら振り向いた。とそこで、タチアナの向こうから、こちらへと近づいてくるベルラの姿を発見した。ケティと並んで歩きながら、ベルラは同情の眼差しを向けてくる。ユリアは、タチアナとその背後を見つめて言った。
「今度来るお客様は多忙な人だから、そう長居はしないと思うの。用があるのもおばあ様だし、私も顔見せ程度に挨拶するだけだから、時間が許せば行ってみるつもりよ」
「ホント、羨ましい限りよねぇ」
やれやれ、と両手を浮かせて、ベルラがタチアナの隣に歩み出た。
「自分が嬉しいことイコール相手もそうだ、って平然と思えるんだからあの子。私も見習いたいくらい」
「ベルラ……」
「大好きなおばあちゃんに許可を取る前に、まずユリアじゃない?」
「パーシアは私が日曜日に来ると思ったんだもの。仕方がないわ」
ベルラは大きく肩を上下させ、長い長いため息をついた。寛容で慈悲深いユリアには、毎度のことながら恐れ入る。だがそれだけに、先ほどのユリアのたじろぐ姿には胸が痛んで仕方がない。
「ユリア。私ときどき、あなたが勿体無く思える」
「どういうこと?」
「お人好し過ぎるのよ。それを心ない人にていよく使われていると思うと、不憫で不憫で仕方がないの」
「大げさね。パーシアは私を都合よく使おうなんて考えてない。さっきのを見れば、特にそう思う」
「けどいいの? あの子、ユリアが日曜日に来るって本気で信じてるみたいだけど」
ユリアは力なく微笑した。ベルラが自分を心配してくれる気持ちはわかる。けど、ベルラとパーシアの話をしていると、どうしてか一言付け足さなければいけない気持ちになるのだ。
「勿論私も、最初は行こうなんて思ってなかったわ。でも、今は別にいいの。遊びに行きたいのは事実だったし。ただ、ちょっとそれが早まったってだけ」
ベルラは、ふぅ、と観念したように息を漏らした。ユリアがそうしたかったのであれば、あとは言うことがない。ただ、一つ分かったことがある。
「やっぱり、ユリアは聖人ね」
「もう何? 急に」
「ロマーシカ社長の教育がいいのよ。だってどんな子だろうと、ユリアは一人の人間として丁重に接しているもの」
ユリアは思わず笑ってしまった。ベルラはどうやら、肝心なことを忘れているらしい。
「違うわ。私とパーシアは幼馴染なの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます