シーン5「あたしのモーニング」
金曜日の今日は、週の仕事の最終日だ。この日パーシアは、朝早くに起きて工場へ行く支度を始めていた。
昨日の晩は、珍しくぐっすり熟睡することができた。パーシアの不安を払拭してくれたアンヌのおかげだろう。そのため、朝食をとるパーシアはご機嫌だった。頭に陽気なメロディでも思い浮かべているのか、妙なリズムを身体で刻みながら、にこにこパンを食している。
「ま、朝から元気だこと」
「そーお?」
「ええ。こんなにおかずもあるのに、パンも三つは食べているもの」
テーブルにはサラダとスープと、それから牛肉の乗った皿がずらりと並んでいる。パーシアは色とりどりの食べかすを挟めた歯で、ニッと笑って見せた。
「あたし、今なら何でもできそうな気分よっ。おばあちゃんのおかげだわ」
「まあ、それは良かった。けど、はりきりすぎて迷惑にならないよう気を付けるのですよ」
アンヌは手に掴んだ水差しを傾けて、二つのグラスに水を注いだ。
「あなたのその素直なところは十分魅力的です。でもたまには誰かを思いやらなくては。ただの横暴になって曇ってしまうわ」
いつもならすぐに、んもぉ、と不満を漏らしただろうが、パーシアは素直に頷いていた。厳しいことを言いつつも、おばあちゃんは自分を理解し、尊重してくれている。そう思うと安心して、真剣な気持ちで応えたくなった。
「わかったわ、おばあちゃん。あたし、よーく覚えとくっ」
パーシアは一気に水を飲み干すと、席を立って鞄を掴んだ。
「それじゃ、行ってくるわね!」
元気よく玄関を飛び出していく。外は、雲間から差し込む朝陽で、道も草木も金色に輝いていた。
◇
気持ちの良い朝を迎えるだけで、仕事も捗るようになるらしい。いつものように鼻歌を鳴らし、かたかたかたかたミシンの音を響かせたパーシアは、今日はいつも以上に調子よく仕事を進めていた。
ジリリーッ、と休憩を知らせるベルが鳴ると、パーシアは思い切り背伸びをした。仕事の疲れなど何のその。勢いよく席から立ち上がり、傍に置いた鞄を掴む。
とそのとき、ケティと歩くベルラの姿が目に映った。あ、あれはベルラだわ。昨日あたしに嘘ついた意地悪ベルラよ。パーシアは知らん顔で通り過ぎようとする彼女に、腕を組んで声をかけた。
「ちょっとちょっとぉ」
丁度耳元で言ったからか、ベルラは驚いて立ち止まった。白々しくも見えるその顔に、思わず眉を顰める。何よベルラさんったら、とぼけた顔しちゃって。
「ねえベルラ、ひどいじゃない。昨日あたしに嘘ついたでしょ? あたし、とってもショックだったわ」
「『嘘』?」
「そーよ、『嘘』よ。昨日ロマーシカおばあちゃんから預かったユリアへの伝言っ。あれ、全然急ぎの用なんかじゃなかったじゃない」
あー、とベルラは気まずそうに目をそらした。顔が引きつっているところを見ると、どうやら図星らしい。
「あら……あれって急ぎの用じゃないの?」
「全然違うわよ! 『ステッチが変更になりました』って、それだけだもの。ロマーシカおばあちゃ……ううん、社長もはっきり言ったわ。別に急ぎの用じゃありません、って」
「ええっ! そうなの?」
ベルラは大げさに目を見開いて、額に手を当てた。
「あちゃあ……じゃあ私、勘違いしてたわ。てっきり急ぎの用だと思ったのよ」
「『勘違い』?」
「そう、勘違い。今取り掛かってる分のだと思ったの。そうだったら大変でしょ? 嘘ついたつもりはなかったんだけど……うっかりしてたわ」
パーシアは訝しげな顔で彼女を見ていた。ふーん、なるほど、勘違いね。けど、ベルラのことだから信用ならないわ。
と、最初は思っていたのだが、少し考え直した。ベルラの目が泳いでいる。これはつまり、本当にただの勘違いだった、ということを示唆しているのだろうか。
……いや、それはない。だって、あのベルラよ? まんまとあたしを騙した奇跡の大女優ベルラ。これもきっと演技だわ。
でもそう思ってしまうのは、あたしが単にベルラに偏見を持っているからなのかしら? ベルラは悪役。それが当たり前。あたしの悪い癖だわ……今朝おばあちゃんも言ってたじゃない。『誰かを思いやらなければ、あなたの魅力は曇ってしまう』って。
確かにそうね、とパーシアは心の中で頷いた。それに何だかもう面倒くさい。嘘だろうが何だろうがどうでもいいわ。あたしはおばあちゃんの自慢の孫娘。がっかりさせないためにも、大人の対応しなくては。
「そう、勘違いだったのね」
「誤解させたわ……」
「あたし、てっきりベルラが意地悪してると思ったのよ。勘違いはあたしの方だったわね。ごめんなさい」
いつもと違う態度だったからか、ベルラは少し呆気に取られていた。そんなベルラのぎこちない謝罪を聞くと、パーシアはユリア達を追いかけてその場を立ち去った。
工場の出口にパーシアが消えていく。ベルラは安堵と嘲りの混ざった嫌みな顔で、ケティに囁いた。
「あんなので大人になった気でいるなら大したものよね」
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