シーン2「あたしの仲間」


「ベルラ」

「ホント酷い嵐。ユリアのハンカチも吹き飛んだ」


 綺麗に畳まれたハンカチを受け取って、ユリアはそっと微笑んだ。確かに、嵐のような慌ただしさである。


「昔馴染みっていうのも大変ねぇ。小さいときからの知り合いなんでしょ?」

「知り合いじゃなくて友達。おばあ様同士が親友なの。だから、パーシアとは本当に小さい時から遊んでたわ」

「あの子のおばあさんってあれでしょ? なんでも、社長が会社を立ち上げるきっかけになったっていう」

「ええ、アンヌおばあ様。かなりの腕利きだったのよ。パーシアの服も、ほとんどアンヌおばあ様が仕立てたの」


 とすると、あのタイツもそうなのだろうか。ベルラは先ほど目に入ってしまった、あの太ももに描かれたバラの刺繍を思い出した。


「私はてっきりあの子の嘘だと思ってた」

「嘘じゃないわ。信じてあげて」

「だってあの子、少し大げさなところがあるじゃない? だから今走っていったんだし」


 と、工場の方を見やる。パーシアはまだ、帰ってくる気配はなさそうだ。


「ベルラはパーシアが嫌いなのね」


 その言葉に、ベルラは一瞬当惑の表情を浮かべた。彼女は以前、パーシアに恥をかかされたと聞く。 

 何でも一緒にカフェに行った際、ベルラが楽しみにしていたケーキの苺が道路に落ちてしまい、遠慮するのも聞かずに「楽しみにしてたじゃない」と言って取りに走っていったのだという。それもすぐに拾えたならまだしも思いの外遠くへ転がってしまい、そのたびに「もう少しだからねベルラ!」、「待っててねベルラ!」と叫んで大勢の注目を浴びてしまったそうだ。

 その後無事に苺を取り戻し、店長にもお詫びにと苺を分けてもらった。だが、それも余計に目立ってしまい、恥ずかしい思いをしたようだ。


 そのとき同席していたタチアナもしていた話だったから、決してベルラの作り話というわけではない。とにかくそれ以来、ベルラはパーシアと距離を置いている。パーシアも一応反省していたが、露骨なベルラの態度に腹を立てていた。そうしたこともあって、ベルラはますますパーシアを毛嫌いしていた。寛容なユリアの目から見ても明らかだ。


「別に? 嫌いなわけじゃないけど?」


 白々しくベルラが言った。


「ただあの子、ちょっとねぇ……私には合わないというか、疲れるというか。もう少し控えてくれたっていいと思うのよ。ケティだって言ってたわ。『自己中だ』って」

「自己中じゃなくて正直なのよ。裏表がないっていうか……」

「どちらかというとないのはデリカシーね。とても同じ十八歳には思えない。ユリアの幼馴染だってこともね」


 ユリアは複雑な面持ちで聞いていた。ベルラの言わんとすることが、何となく理解できるからだ。それほど何度も言われている。二人は性格が違いすぎる、本当に友達なのか、と。

 確かにパーシアの性格は独特だ。自分、いや、他の人とも壁一枚は違っている。

 正直者ではつらつ、それでいて自由奔放……。女学院へ行く為に六年離れて再会した際も、開放的な性格は何一つ変わってなくて、時の流れを疑ったぐらいだ。

 しかし、だからと言って非難する気にはなれない。他人からは理解されないかもしれないが、それが昔からよく知るパーシアの良いところなのだ。


「でも、私は時々パーシアが羨ましくなるわ。私はだって、厳しく育てられた方だもの。だから、あれはパーシアの自然で美しいところ」


 ベルラは深いため息をついた。呆れているのではない、感嘆の息だ。


「ユリア……あなたってホント聖人。あなた達と話していると自分がちっぽけに見えてくる。タチアナは成熟してるし、リズちゃんは淑女の鏡。私もまだ子供ね。広い心が持てないもの」

「ふぅん、『成熟』ねぇ……」


 頬杖を突いて、タチアナが言った。


「成熟かどうか知らないけど、私はそんなのどうでもいいと思うわ。何を言ってどう受け取られようが結局相手次第じゃない。入れ込みすぎず、適当に付き合っていけばいいのよ」


 ベルラはぽかんと口を開けた後で、納得したように頷いた。


「うん、やっぱりそう。タチアナは成熟してる。同期で一緒に入って三年。それでもまだ平然と付き合ってあげれるなんて只者じゃないわ。普通ならあんな子お手上げよ。迷惑被るもの。私は絶対無理。あの子と同類なんて思われた日には、とてもじゃないけど外に出歩けないわ」

「あらそお?」


 ベルラの背後から、不機嫌な声が聞こえてきた。驚いて振り返ると、パーシアが腕を組んで立っていた。


「ぱ、パーシア……もう帰ってきたの?」

「ええ。『あっという間だ』って言ったもの。ベルラがここであたしの悪口言ってなきゃ、もっと早かったと思うわ」

「わ、悪口なんてそんな……。そ、それにしても流石よね。工場まで結構距離があるでしょうに、もう帰って来るなんて」

「あたし、足には自信あるの。ねえ、どうだった? ユリア。あたしの俊足」

「え……そうね、確かに早かったわ」

「本当? タチアナは?」

「まあそうね、いいんじゃない?」

「リズは? どうだった?」

「わ、私も……でも、急だったからよく見れなかった」


 隣に立っていたベルラは、一人呆れ顔を浮かべていた。みんないい加減に答えている。本当、羨ましくなる娘だ。ますますユリアが不憫になる。


「あ、そうだパーシア。社長からのメモってどうなったの?」

「やっぱりおトイレにあったわ。これよ。はい、おまちどうさまっ」


 目の前に差し出されていたベルラの手に、何の気なしにメモを乗せる。受け取るや否や、ベルラはすぐに紙を開いた。


「これ、急ぎの用ね」


 えっ、とパーシアとユリア、二人の声が揃った。


「早めに工場に戻らなきゃ。食べ終わったなら行った方がいいわよ」


 ユリアは渡されたメモをそっと開いた。しかし何度読み返してみても、そこに急ぎの用件は書かれていない。奇妙に思ってベルラを見上げると、ベルラは片目を瞑って見せた。


「パーシアが急いでくれなきゃ大変だったわ。ユリアも大助かりよ」

「まあそうなの? 良かったわ。ところで、急ぎの用って何かしら?」


 ベルラはそれには答えず、すぐさまユリアの手を引いた。ユリアは唖然とするばかりで何も言い出せず、ただただベルラにされるがまま、立ち上がってその場を離れた。

 ユリアと二人、いそいそ工場へ向かいながら、ベルラは開放感溢れる顔で言った。


「ふう、何とか誤魔化せた。あんな子供じみた娘と付き合う必要ないわよ。ユリアは洗礼された大人なんだから」


 ユリアはこっそり振り返り、だんだんと遠ざかっていくパーシアを見つめた。パーシアは芝生にすとんと腰を下ろして、昼食の続きを取っている。

 そこで、ふとパーシアと目が合い、ユリアは思わず顔を逸らした。

 指に着いたジャムを舐めながら、パーシアは二人の後姿を不思議そうに眺めていた。


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