第一章「あたしたちのはじまり」

シーン1「あたしのある日」


 ドラゴンがグローニャの町に現れたのは十月二十五日。この日から、約二週間後のことだった。

 それまでドラゴンは、遥か昔に世界を凌駕した伝説の存在と思われていた。

 パーシアの働く『ロマーシカ縫製工場』の若き工員達も、ドラゴンが実在したのかどうかを話題にのんびり昼食をとっていた。


「あら、じゃあ赤ちゃんが作れなかったってことなのね」


 午後の温かい日差しを浴びて、パーシアが言った。百人以上は働く中で、パーシアがいつも一緒に食事をとっているのは、仲良しのユリア、タチアナ、リズの三人である。

 四人は、一本の木の下で芝生に昼食を広げていた。そんな中で、さっさと食事をとり終えた『ドラゴンはいた派』のタチアナは、まっすぐに伸びた黒髪を背中で揺らし、大人びた顔と声で言った。


「まあ、そうは言ってみたものの、何故繁殖機能を失ったのかまではわからないのだけどね。ただまあ一つ言えることは、私達が教えられてきた歴史は、うやむやにされたまま今に伝えられた可能性がある、ということね」

「確かにそれは否めないわ」


 と、タチアナの隣のユリアが頷いた。ユリアはこのロマーシカ縫製工場の社長――ロマーシカの孫娘。首元で揺れるふんわりとした亜麻色の髪は、しっかり祖母から受け継いでいる。


「よく考えてみたら可笑しな話。八百年前の竜人戦争で勝利したのは人類。『世界を脅かすドラゴンを我々人類が根絶やしにした』なんて通説がある割に、それを記録した書物が一つもないもの」

「言われてみればそーね。じゃあ、捨てられちゃったのかしら?」

 パーシアは食事の手を止めて、素早く考えを巡らせた。

「きっといいことが書かれていないから捨てちゃったのよ。そうね……絶滅させられたことを恨んだドラゴンが、とか」


 言って、あれ? と首を傾げる。そんなパーシアに苦笑しつつ、ユリアは続けた。


「こういう話をしていると、マルキーナ先生を思い出すわ」

「『マルキーナ先生』?」

「女学院のときにいたのよ。『史実は教科書通り』、『人類が最後のドラゴンを打ち倒した』って頑なに言っていた先生。リズも知ってるでしょ?」


 ユリアに呼ばれ、それまで静かに話を聞いていた少女が顔を上げた。ユリアとタチアナと対照的に、背の低い小柄な女の子。リズは短く切り揃えた金の髪を風に靡かせ、こくんと頷いた。


「えっと……歴史の先生、だったよね? 『恩師が言ってた』が口癖になってた人」

「そう。悪い人ではないのだけど、とても頭が固い先生だったわ。だから、『ドラゴンは天災の象徴で実在してなかった』という私達の意見は聞き入れてもらえなかったの」

「ええっー! ユリア、どういうこと?」


 包みのこぶに苦戦していたパーシアが、大げさに眉を歪めた。


「じゃあユリアは、昔一緒にお勉強したこと否定しちゃうの? 折角いい点が取れて、ユリアのお母さんからケーキをもらったのに」


 ユリアはどう答えていいかわからず微妙な顔をした。そうは言っても、それが現時点での意見なのだから仕方がない。


「確かにそうだけど、今……というより当時の考えはそうだったの。ドラゴンは実在しなかった。その理由も簡単。『漆黒竜の愛娘』シリーズに影響されたから。だからマルキーナ先生も反発したのよ」


 パーシアは納得したようにうんうん頷いた。『漆黒竜の愛娘』……んもぅ、聞くたびに懐かしい気分になる名前だわ。今も続刊が出版されている大人気ベストセラー小説だが、これをまだ七歳だった自分に教えてくれたのは、他でもない幼馴染のユリアである。

 パーシアはとうとうこぶを解くのを諦めて、包みの隙間から指を突っ込み、潰れかけのザクロを引っ張り出した。


「あんなにワクワクしちゃうお話だもの。入り込んじゃう気持ちもわかるわ。そういえば新刊はまだ買ってなかったわね。この間舞台を観に行ったきり、すっかりご無沙汰しているわ」

「パーシアも観に行ったの? あの舞台」

「ええ。小説のプラトニックなラブもいいけど、舞台の情熱的なラブも素敵だったわ。あたしもいつかお相手を見つけて……あっ!」


 と突然、パーシアが包みを落として立ち上がった。おもむろにパンを口に咥え、スカートのポケットに両手を突っ込む。


「あはひ、はほはへはっはあっ!」


 放心するユリアと目を合わせると、パーシアは勢いよくパンを吸い込み、ごくんと飲み込んだ。


「頼まれごとがあったのよ!」

「た、頼まれごと……?」

「ええ。ロマーシカおばあちゃ……じゃなくて、社長からユリアにってメモを渡されたの。ちょっと待ってて」


 パーシアはポケットの中身を取り出して、うーんと唸り声を上げた。そして、少し悩んだ後でポケットの底を摘まみ、一気に外まで引っ張り上げた。

 しかし、出てきたのはお菓子の殻と糸くずだけだ。紙らしきものは見当たらない。何かに挟まっちゃったのかしら? そう思って折り畳んだハンカチを広げると、そこには虫の死骸が眠っていた。


「もおっ! あなたのお家はここじゃないわよっ」


 芝生に指を突っ込んで、パーシアは出来たその穴に死骸を入れた。


「さ、あなたの帰る場所はここよ」


 穴を埋めて地をならす。

 指に付着した泥を拭き取ると、パーシアはため息をついた。


「ごめんなさい、ユリア。ポッケにはなかったみたいだわ」

「そう。ならあとで……」

「でも大丈夫っ。あたし見当がついてるの。取りに行ってくるわ」

 

 そう言うと、パーシアはキョロキョロ辺りを見渡した。もともと女性の多い職場だ。辺りに男性はいない。

 それを確かめると、パーシアは腰を屈め、スカートの長い裾をグイッと腰までたくし上げた。真っ白なタイツに覆われた見事に逞しい脚を、ユリア、タチアナ、リズ、その他大勢の目に堂々と晒して見せる。何が始まるのだろうか、と隣のユリアは不安な様子で眺めていた。パーシアの凛々しくもらんらんと輝く目は、遠くにある工場の入口を見つめている。


「あ……い、いいのよパーシア。急がなくても」

「へーきよっ。これならあっという間に帰って来れるわ!」


 それじゃっ、と止める間もなく、パーシアは工場の入口目掛けて駆け出した。

 土を掘る勢いで走り去る勇ましい姿が、人参の大きさに変わり、卵に変わり、最終的には豆粒のようになって三人の目から消えていく。突風で髪が靡く中で、三人はさらさらと葉の擦れる音、そして鳥のさえずりの、のどかな音を聞いていた。


「はい、ユリア」


 ユリアの目の前に、突然ハンカチが差し出された。振り返ると、そこにはおでこを出してニッと笑う、赤毛の少女がいた。


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