第14話 激戦
一月二十三日 七時 アルテニア平原
夜明けと共に両軍は動き出した。
アルテニア連合軍の布陣は一部変更が加えられていた。
すなわち、中央から右翼にアルテニア本国軍五万。
左翼にラステニア軍二万五千。
アルテニア軍とラステニア軍の間に「暁の星」三百。
左翼後方に再編を終えたルテニア軍二万。
最右翼にコンタクシア軍三千とキヤノニオン軍千。
最左翼にニコノス軍四千とアレフベト軍七百。
アケメニア軍二千とヴェスタリア軍千五百は、損害が甚大のため、城内に予備兵力としてとどまる。
以上アルテニア連合軍の総数、現時点で十万七千五百。
総指揮官は執政官ドミニスが陣頭指揮を執る。
籠城戦を避けたのは、敵の魔法攻撃で一方的に消耗するのを怖れたからだった。
それも「白い霧」が解呪された今は杞憂となったが、参謀本部は当初の作戦計画を変更しなかった。
それはナムリアからの進言に寄っていた。
一方、アルテニア軍の斥候偵察によるヒュペルボレアス軍の布陣は、左翼、中央、右翼の三集団に別れ、中央は厚く、両翼に騎兵を多く配している。敵を包み込もうとする鶴翼の陣形である。総兵力は推定約十五万。総兵力ではヒュペルボレアス軍の方が約三割勝っている。女帝クセノフォセスの所在は判明していない。
「いるわ。『白い霧』が晴れれば戦場の隅まで見渡せます。クセノフォセスは中央奥で陣頭指揮を執っています。」
ナムリアは傍らに騎竜で寄ってきた、執政官ドミニスに言った。
「本当ですか?、ナムリア殿、失礼、祭司長様。」
「ナムリアで結構です。ヒュペルボレアスの魔法団もクセノフォセスと一緒にいるようです。そこで作戦ですが、我々はあえて中央突破を謀ります。主力は最精鋭部隊を巫女団の前面に展開し、両翼は左右からの攻撃を撃退して敵の包囲攻撃を防いでください。」
「結界の解除には成功されたようですが、また張り直されると言うことはないのですか?」
執政官は不安げに言った。
「それはないでしょう。アルテナ巫女二百人で丸一夜がかりで解除した結界です。張り直すのには少なくとも一日以上はかかるでしょう。」
「わかりました、我々もやれるだけのことをやりましょう。では、お先に。」
執政官は幕僚を連れて城壁の門を出ていった。
「では私たちも参りましょう。」
ナムリアは頭上で宝杖を振り、叫んだ。
「開門!」
城門が重々しく左右に開いた。
アルテナ巫女団は粛々として門をくぐった。
一月二十三日 七時半 アルテニア軍港
港には大船団が入港してきていた。ドメツからのマラト軍二万とドメツ軍五千が到着したのである。
「戦闘はもう始まっているのか?この会戦に遅参したとあってはこのノベイ十七世一生の恥辱。ええい、騎兵を先に降ろせ、歩兵は後から来ればよい。皆の者、急げ!」
マラト王はいらだち、兵員の下船を急がせた。
一月二十三日 八時 アルテニア平原
ついに両軍は激突した。アルテニア軍左翼、すなわち全軍の中央が突出してヒュペルボレアス軍中央と交戦に入った。これに呼応して、ヒュペルボレアス軍は左右両翼を進めた。かくして全戦線において両軍は激しい戦闘状態に入ったのである。
「遠当ての術を右翼の騎兵に!」
註 この場合、アルテニア軍から見ての右翼で、ヒュペルボレアス軍から見れば左翼となる。
ナムリアは宝杖を右に振るい、叫んだ。
「はあっ!」
巫女達が叫び、両手を突き出すようにした。すると、敵の左翼の騎兵が巨大な槌で殴られたような衝撃を受け、ばらばらと落馬した。
「同じく左に!」
ナムリアは今度は左に杖を振るい、叫んだ。
今度は左翼の騎兵が崩れる。
敵の中央はさすがに重厚な布陣を敷いていて、突破は困難と見られた。
しかし、先頭に立った執政官ドミニスは、部下をこう言って督励した。
「我らにはアルテナ女神と千人のアルテナ巫女団の加護がある。怖れるものは何もない。進め!」
「しかし、執政官様、我々は突出しすぎています。両翼が追いつくまで自重した方がよいのではありませんか?」
参謀次長が進言した。
ちなみに総参謀長は老齢のため、参謀本部に居残っている。
「今言っただろう、窮地に陥れば、ナムリア殿、いや、祭司長様が何とかしてくれるさ。」
そう言った途端、ドミニスは太股に矢を受けて落馬した。
「執政官様負傷、矢を受けたようです。太股の動脈を破っています。すぐに処置が必要でしょう。魔法反応があります。昨日の毒矢と同じ蠱毒によるものかと。」
遠目の効くソルフィアが近づいてきて言った。
「わかりました。巫女団、一時停止。前方のアルテニア軍に魔法障壁を張ります!それから、執政官様を運んできて。この場で処置をします。」
「了解!」
前列にいた若い巫女達が答え、前方のアルテニア軍に向かった。
同時刻、アルテニア軍病院。昨夜毒矢を受けたシグノーや、雷撃を受けたクレイアが収容されている。
シグノーが目を覚ますと、老巫女が覗き込んでいた。
「あなたは・・・」
「見ての通り、アルテナの巫女ですじゃ。」
「あなたほど老齢の巫女もアルテニアにはおられたのですか?」
「それよりあんたの傷じゃが、蠱毒が体内に取り込まれていて取り除くのに苦労したよ。」
「と言うと、まさか一晩中?」
「いやいやほんの十五分ほどじゃが。」
「たった十五分で?もう、何の痛みも感じませんが。」
「うむ、もう完治しておる・・・ところで、先ほど昨夜雷で火傷したクレイアというおなごを見てきたのじゃが・・・」
「クレイアがどうしました、まさか重態?」
「いやそんなことはない。ただあんたの名をうわごとで繰り返していたのでな。」
「それで、容態は?」
「先ほど皮膚再生施術を終えたから、もうすぐ気が付くじゃろ。」
「ありがとう、巫女様。」
シグノーは掛布をはいで立ち上がり、半裸のまま駆け足で病室を出ていった。
「ほっほっほ、若いというのはよいもんじゃな。」
老巫女はひとり笑った。実を言えば、この治癒術の名人の老巫女に頼んで、ナムリアがシグノーとクレイアを診てもらったのである。彼女の他にも年輩の巫女五十名あまりが治療のために軍病院や野戦病院に派遣されている。
ところで、自称大陸一の大魔導師、ナルーシャはその頃何をしていたかというと・・・昨夜の徹夜の解呪の指揮を執ったため、睡眠不足と疲労のあまり、解呪が終わった後朝飯を食べた途端、広間の安楽椅子にもたれて眠ってしまっていたのであった。
一月二十三日 九時 アルテニア平野
巫女団による執政官の治療はわずか五分で終わった。ナムリアが周囲の巫女数百人の気を集めて治療したからである。
「前衛部隊の前面には魔法障壁を張りました。こちらの魔法力を上回る魔法力が敵にない限り、遠隔攻撃を受けるおそれはありません。」
「かたじけない。では、私は持ち場に戻ります。」
そう言って、執政官は騎竜で最前線に戻っていった。
しかし、前方に魔法障壁を集中したために、巫女団は左右からの攻撃の危険にさらされることとなった。
巫女団は散発的な遠当てなどでこれに対抗したが、敵軍両翼の勢いは止まらなかった。
左翼には「暁の星」が立ちふさがったが、いかんせん数が少なすぎた。
その時、一軍の騎兵が、戦場に突入してきた。
マラト軍であった。マラト軍はアルテニア軍とラステニア軍の間に空いた間隙に割り込み、敵の右翼部隊を押し返し始めた。
「どうじゃ、間に合ったぞ。」
マラト王がナムリアに近づいてきていった。
「ありがとうございます。危ないところでした。」
「時に、ナムリア殿、その紫衣は確か・・・」
「ええ、祭司長の衣です。」
「・・・そうか。」
マラト王はナムリアの言葉の意味するところを即座に理解した。
「では、また後でな。」
「マラティア神のご加護のあらんことを。」
「かたじけない。」
この間に右翼も精強なルテニア兵の増援を得て、巫女団はひとまず敵の攻撃からは安泰となった。
その後まもなく戦場に再び大きな動きがあった。
アルテニア軍右翼後方に予備として置かれていたルテニア軍が最右翼の「中の海」南部諸国軍を迂回してヒュペルボレアス軍左翼を半包囲しにかかったのであった。
ルテニア軍は司令官の不在から予備に置かれていたのだが、司令官二人—シグノー、クレイアが共に復帰したのである。
マラト軍も騎兵の後に歩兵が続き、さらにその後にドメツ軍が続き、ヒュペルボレアス軍の右翼に殺到した。
右翼のアルテニア軍、左翼のラステニア軍も両翼の「中の海」南部諸国軍までもこれを勝機とばかり一斉に攻勢に出た。
それでもヒュペルボレアス軍中央だけは、アルテニア軍の攻勢に耐えて下がらなかった。
「敵も魔法障壁を張っているようですね。」
ナムリアが思念を凝らしていった。
「そうですね、クセノフォセスの本陣の回りに。でも規模はわが軍より小さいようです。やはり、力押しで突破するしかないでしょうか。」
ソルフィアが訊ねた。
「それでは、敵味方に損害が大きくなります。戦いの趨勢が決まったこの時こそ、用意してきたものが役に立つかも知れません・・・アリナ、マリセ、例のものを。」
アリナは袋から弓と鏃の付いていない矢を、マリセは短剣と水の入った硝子の筒を取り出した。
「ナムリア様、何を?」
ソルフィアが訊ねた。
「まあ見ていてください。」
ナムリアは、短剣の柄を外し、矢の先に鏃の代わりに取り付けた。
「あっ、その短剣はもしや・・・」
「そうです。昨夜祭司長様を害した呪いの短剣です・・・それとこれはおまけです。」
そう言うと、ナムリアは硝子の筒を開け、透明に近い半透明の紡錘形の物体を掴み出すと、短剣に突き刺した。
「アルテナ巫女全員にお願いします。この矢にすべての思念を注いでください、この矢の先に。」
馬上でナムリアは弓を引き絞った・・・そして、弦から放たれた矢は味方前衛の頭上を越えて飛翔し、ヒュペルボレアス軍本陣に達した。
ナムリアには、それが誰の、どこに刺さったかも確認できた。
「終わりました、たぶん・・・」
ナムリアは頭巾を跳ね上げ、額に浮いた汗を拭った。体の火照りがしばらく収まりそうもなかった。
「クセノフォセスの反応が弱まっていきます・・・消えました。」
ソルフィアが報告した。
「祭司長様、あの矢は何だったのですか?いかにアルテナ巫女の念を結集したとはいえ、数百米を飛んで、女帝クセノフォセスに過たず当たるとは・・・」
アリナが訊ねた。
「一種の返し矢・・・あの矢の先端に着けたのは、昨夜、ファエリス・テミストが祭司長様を亡き者にした剣と、クセノフォセスが私を苦しめた剣です。『人を呪わば穴二つ』と言うでしょう。呪いは結局かけたものに帰っていくのです・・・それよりも、戦争はまだ終わっていません。決着を早くつけましょう、ソルフィア様、指揮をしばらく頼みます。私は執政官様のところに行ってきます。」
ナムリアはそう言い残すと、騎竜を跳ばして最前線でなお指揮をとり続けている執政官に駆け寄った。
「執政官様、お願いがあって参りました。」
「これは祭司長様、おかげさまで味方は優勢、このまま行けば勝てますな。」
「勝敗は既に決しております。」
「なんですと?」
「女帝クセノフォセスは死にました。敵味方ともこれ以上無益な血を流す必要はありますまい。敵の本陣に降伏勧告を申し入れていただきたいのです。」
「で、ですが、確かなんでしょうな、女帝が死んだというのは?」
「間違いありません。その証拠に敵の魔法障壁は消滅しています。」
「わかりました、そうおっしゃるならば。」
執政官ドミニスは数枚の書状を書き、鏑矢に着けて敵陣に投げ込ませた。
三十分後、敵陣に白旗が翻り、敵の軍使が全面降伏を知らせにやってきた。
ナムリア達アルテナ巫女団はほぼ全員生還した。失われたのは、行方不明になった斥候に随伴していた若い巫女三名、軍病院で重症の患者を一日に二十八名救って自分は往生を遂げた、八十六歳の老巫女の四名であった。
第十四話了
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