第13話 出陣

「ナムリア殿ではありませんか?」


 声を掛けられて振り向くと、外套をまとったテミストが騎竜で立っていた。


「テミスト殿・・・どうしてここに?」

「あなたがお帰りになるのを待っていました。さあ、参りましょう。祭司長様とナルーシャ様が神殿でお待ちです。」


 ナムリアは名状しがたい違和感を感じつつもテミストの騎竜の背にまたがり、アルテナ神殿まで送ってもらった。


 神殿に着くと、ナムリアは一目散に地階への通路を駆け下りた。後をテミストも追ってくる。


 祭司長執務室の前でナムリアは止まり、扉を叩いた。


「ナムリア参りました。」


 すぐに扉が内側から開けられ、ソルフィアが顔を出した。


「静かに。ナルーシャ様が『白い霧』の解呪に当たっておられるわ。」

「ナルーシャ様が・・・」


 二人はそっと中に入った。


 ナルーシャがナムリアに気が付き、声を掛けてきた。

「あ、ナムリア、もう戻ったの?ちょうど良かった、あんたがいたらなぁって、思ってたとこなんだ。」


 ナルーシャはナムリアに机の上の紙に描かれた膨大な記号を指し示した。

「これは、『白い霧』の解呪の魔法図式・・・よくこれだけのものをたった一日で。」


「あたし一人でじゃないよ、だいぶ助手に手伝ってもらったけど。」

「助手?」

 ナムリアは怪訝そうに聞いた。


「私のことですわ。けれどもう年ですね。一番重要な中心が埋められないようでは。」

 祭司長は無念そうに言った。


「おばさん・・・じゃない、サマリアが残念がることないよ。あたしだって出来ないんだから。そう言うわけでナムリアあとよろしくね。じゃあ、あたしらは晩飯にしようか。」

 ナルーシャはさばさばした表情で言った。


「わかりました。やってみます。」

 そう言ってナムリアは魔法図式を凝視した。


 確かに中心に六コマほど埋められていない記号があった。


 ナムリアは五分ほど図式に見入っていたが、おもむろに鉛筆を手にするや、空白のコマを埋めていった。


「終わりました。検算をお願いします。」

 ナムリアは、魔法図式をソルフィアに渡した。


 数分後、ソルフィアは言った。

「合っていると思います。祭司長様、どうでしょうか。」


 ソルフィアは図式を祭司長に手渡した。


「合って・・・いるわね。これで、アルテナ巫女団が動ければ、我が国も、うぐぅ・・・」

 祭司長はいきなりうめき声を上げて、床にうつぶせに倒れた。


 背中にはテミストの短剣が突き刺さっていた。


「テミスト殿、何を!」

 ナムリアは驚愕の叫びを挙げた。


「テミスト殿、血迷われたか?」


「ふん、血迷ってなどいないさ。これで、アルテナ巫女団も動きが取れまい。あばよ。」

 テミストは扉を開けると駆け去った。


「ナムリア、後を追いかけて!」

 ナルーシャが鋭い叫びを挙げた。


「は、はい。」

 ナムリアは一瞬呆然としたが、我に返るとテミストの後を追った。


 狭い地階の階段を駆け上がり、出入り口でようやくテミストに追いついた。


 一瞬振り向いたテミストに側面から飛び付き、二人は、前庭の芝生の上に転がった。


 テミストは体をねじってナムリアの胴に蹴りを入れ、ナムリアを蹴りはがして立ち上がった。


 雨が再び激しくなり、二人はびしょぬれである。


 テミストは長剣を抜いた。ナムリアは両手を構えて間合いを計っている。


 ナルーシャや異変を察知した巫女達が、正面出入り口で様子をうかがっている。


 ナムリアが飛び込もうとすると、長剣の切っ先がかすめ、なかなかナムリアは自分の間合いに入ることが出来ない。


「強い・・・これほど強かったのか・・・そう言えば一緒に旅をしていながら、私はこの男の実力を見たことがなかった・・・」

 ナムリアはつぶやいた。


 テミストの剣の実力はシグノーにすら拮抗している。しかも、今の自分は魔法が使えないのだ。状況はシグノーと対した時よりも不利といえた。


「ひとつだけ教えてください。なぜ裏切ったのですか?」

「裏切ったわけではない。俺はもともとヒュペルボレアスの人間だ。幼い頃、アルテナ巫女にさえ見破られない魔法を施されてこのアルテニアに孤児として送り込まれた。俺自身記憶を失ったまま、成長し、軍の高級士官になっていた。そして、結界解呪の図式が完成した瞬間、記憶を取り戻して使命を果たしたのだ。親の形見の魔法を施された短剣でな。」


「あなただけは許さない。」

「ほう、どう許さない?」

 ナムリアは思い切って飛び込み、振り下ろしたてきたテミストの拳を蹴り砕いた。


 剣はテミストの手を放れて飛んだ。


「うっ!」

 と、呻いて右手を押さえたテミストの隙を突いてナムリアは、大きく跳び上がり、テミストを跳び越す瞬間、テミストの首を首締めに決めた。そのまま倒れ込んで、テミストの体を押さえ込み、首を極めた。


「降参しなさい。でないと首を折るわよ。」

「やれるものならやってみるがいい。」


「・・・テミスト・・・」


「ナムリア、ためらうな、折れ!」


 グォキッ!


 鈍い音が響いた。テミストの首の骨が折れた音だった。


 ナムリアはゆっくりと起きあがり、動かないテミストの亡骸に一瞥をくれた。

「最後の言葉だけが私の知っているテミストの声だったわ。」


 ナムリアはずぶ濡れで戻ってきた。


「初めて人を手にかけました。多分、これからはもっと・・・」


 観戦していた巫女達の顔はあまりに凄惨な幕切れに皆蒼白だった。


 神殿に戻ってきたナムリアは、若手の巫女に言った。

「竜車で死体安置所に運んであげて・・・」


 体を簡単に布巾で拭き、巫女の装束を新しいものに着替えると、ナムリアは地下三階の祭司長執務室に急いだ。


「ナムリアです。」

 そっと扉を開け、ナムリアは室内に入った。


 ソルフィアとナルーシャが祭司長の応急手当をしているところだった。


「ナムリア、テミストはどうしました?」

 ソルフィアが訊ねた。


「死にました。いえ、殺しました、私が・・・」

「そう・・・」

 ソルフィアはそう言ったきりだった。


「祭司長を刺した短剣は、蠱毒—魔法の毒が塗られていました。普通の治療法ではなす術がありません。ここはまず、『白い霧』の解呪を急ぐしか・・・」

 ナムリアは沈痛な面持ちで言った。


「ナムリア・・・いるのですか?」

 か細い声が室内に響いた。


「祭司長様!」

 ナムリアは即座に叫んだ。


「ナムリア、傍に寄ってください。目が見えないのです。」

 祭司長はゆらゆらと両手を宙に動かしていた。


「祭司長様、ここに。」

 ナムリアは祭司長の手を取って、自分の顔に持っていった。祭司長の手はナムリアの涙で濡れた。


「ああ、ナムリア、あなたに伝えておくことがあるのです。」

「な、何でしょう。おっしゃってください。何でも仰せに従います。」

 祭司長はほっとしてわずかに微笑んだように見えた。


「私の衣装入れに祭司長の正装の紫衣が入っています。あれをあなたに譲ります。」

「え、紫衣を・・・それは・・・」


「そうです。ナムリア、あなたを次期アルテナ祭司長に指名します。」

「そんな、私はまだ若く未熟者ですし、もっと優秀で経験を積んだ方が大勢—例えばソルフィア様がいらっしゃるではありませんか!」


「私も祭司長様の意見に賛成します。」

 ソルフィアが言った。


「ソルフィア様まで・・・」

「年輩の巫女が若い巫女に勝る部分があるのは当然のこと。いつでも新たな祭司長には新たな才能が求められてきたのです。」

 ソルフィアが毅然としていった。


「もう観念して引き受けなって、あたしだって魔導師総代なんて、カオだけでやってんだから。」

 ナルーシャまでもが賛成に回る。


「わかりました。他に候補者がいないのなら、僭越ながら私が引き受けさせていただきます。」

 ナムリアが言うと、祭司長は穏やかな笑顔で応えた。


「もう、思い残すことはありません。ナムリア、試練の時ですが、あなたなら乗り切れると信じています。あなたの下にアルテナ女神の祝福あらんことを・・・」

 それきり祭司長サマリアの息は途絶えた。


 ナムリアとソルフィアは拝跪の姿勢を取り、両腕を組んで祈った。


 ナルーシャまでもが、祈りを捧げていた。


 誰の目からも涙が止めどもなく溢れていた。


 ナムリアはソルフィアと共に白衣のまま、地下一階の広間に行き、前祭司長が死亡したことと、ナムリアが新祭司長に指名されたことを布告した。広間には二百人あまりの巫女が詰めていたが、既に祭司長危篤の報は知らされていたし、ナムリアが祭司長に指名されたことにも抵抗を感じるものは少なかったようだ。


 次ぎにナムリアが取りかかった仕事は「白い霧」の解呪であった。


「ナルーシャ様、解呪にはどのくらいかかるでしょうか?」

「そうねぁ、今ここに詰めているざっと二百人で十二時間くらいかなぁ。」


「では早速。陸軍も明日はおそらく決戦になります。それから、アルテナ巫女全員へ非常召集を。明朝六時までに神殿前まで集合のこと。」


「了解しました。」

 マリセ、アリナを始め、伝令役の若い巫女達が一斉に叫んだ。


 その間にソルフィアは地下二階で古株の巫女達を動員して、ナルーシャ達が解読した魔法図式を書き写させていた。


一月二十二日 十九時 アルテニア平野


 山麓出口付近を守っていたルテニア軍の半数は敗走し、残り半数と「暁の星」は撤退し、ヒュペルボレアス軍の追撃は夜の訪れと共に終わりを告げた。ルテニア軍の損害は総兵力約三万中約一万にも達し、指揮官が負傷したこともあり、予備兵力として右翼後方に置かれた。


 「暁の星」は初日からの累計で総兵力五百のうち二百(死傷者の総数で、死者の数は戦闘が終わってみないとわからない。)を失うという壊滅的損害を受けていたが、なおも士気は旺盛で、団長ザクトはなお最前線で闘うことを望み、中央のアルテニア軍とラステニア軍の間に布陣した。


 各部隊では夜襲への警戒が行われた。将兵の誰もが明日は決戦になることを覚悟していた。


同時刻 アルテナ神殿


 広間では、解呪の詠唱が始まっていた。


 それに先立ち、ナムリアは次のように訓示した。


「決戦は明日です。けれど、今夜この仕事を完遂しなければ、私たちに明日はありません。全力を尽くしてください、でも、無理はしないように、疲れたものは交代しなさい。」


 そして詠唱が始まった。それはいつ果てるとも知れぬ異様な旋律の繰り返しだった・・・


—そして、朝が来た。


一月二十三日 六時 アルテナ神殿


 雨は上がっていた。


 新祭司長ナムリアの布告通り、神殿前には様々な任務についていた者、老齢で予備役扱いだった者など、数百名のアルテナ巫女が集まってきていた。


「ああ、意識が澄んでいる!」

「本当、『白い霧』が晴れてる。」

巫女達は口々に喜び合った。


 そこへアルテナ神殿の中から徹夜で解呪の詠唱を続けていた巫女達や今日の作戦を練っていた巫女達が駆け出して来た。


「お疲れさま」

「そちらこそ。」


「はしゃぐのは今日の戦いが終わってからにしなさい。早く整列しなさい。」

 ソルフィアが口やかましく言った。


 ナムリアはその時祭司長執務室にいた。前祭司長の遺体は別の部屋に移されている。血だまりの跡もきれいに拭き取られている。


 しかし、ナムリアにとって、祭司長がいた場所とは、今はこの場所しかない。幼い頃—五歳で母を亡くし修道院に引き取られたとき、院長を務めていたのは、祭司長だった。だがその建物はもうない。


 祭司長は母とさほど代わらぬ年齢だったという。若い頃の母はナムリアによく似ていたとも聞いた。


 祭司長と母は、親友であり、競争相手でもあったと言う。


 母が陸軍士官と恋に落ち、結婚して巫女を辞めなかったら、祭司長になっていたのは母だったかも知れないと聞いた。


 その代わり、その場合はナムリアがこの世に生を受けることもなかったであろうことも。


 祭司長とは自分にとって何だったのだろう?師匠。先輩。母親の代理。では、祭司長にとっての自分は?弟子、後輩、娘の代理—自分にとっての裏返し?


 過去を振り返るばかりではなく未来に目を向けよう。自分は祭司長様のような(いや、現在既に自分は祭司長であり、幼い頃には先々代の祭司長がいたはずだがあまり記憶に残っていない。結局今の自分にとって「祭司長」とは前祭司長サマリア様だけなのだ。)そう、そのサマリア様のような祭司長に自分はなれるだろうか?


 いや、何でも先輩を頼ってばかりではだめだ。アルテナ巫女団が出陣するのは二十五年ぶり、つまり父が戦死した対マラト戦以来なのだ。サマリア様も若い時にしか経験していない。自分で考えて、行動するしかないんだ・・・


 その時扉が叩かれた。


「アリナです。アルテナ巫女団総勢九百九十四名全員揃っております。」


「ありがとう。アリナ、着替えを手伝ってくれる。」

「はい、祭司長様。」

 アリナは元気よく応えた。


 ナムリアはサマリアの衣装棚から紫衣を取り出し、袖を通した。


 まもなく紫衣のナムリアが正面出入り口から現れると、方陣に整列した巫女達の間から拍手と歓声が湧き起こった。


 最前列中央に達したナムリアは、片手で合図して、集団を静まらせた。


「新祭司長のナムリアです。今日は二十五年ぶりのアルテナ巫女団出陣の日です。思えば私は奇しくも二十五年前の対マラト防衛戦の時に生まれました。私たちアルテナ巫女は人の子の親になることは出来ませんが、我々の業と志は次の世代に受け継がせねばなりません。我々も決して命を粗末にすることなく・・・」

 ナムリアは緊張のあまり絶句してしまった。


 涙がにじむのが自分でもわかった。


「ごめんなさい。演説なんて、慣れないことをするものではありませんね。」


「ナムリア様ー、がんばってー!」

 などという歓声が若い巫女達から飛んだ。


 巫女集団全体から拍手が巻き起こった。


「ありがとう、皆さん。じゃあ、少し私の得意なことをしましょう。まず手を繋いでください。最前列左の端から右の端まで、あ、私はこの間に入るわね。右端から後ろの右端まで、そこから左端へ、そこから前二列目まで、そこから右へ・・・」


 ナムリアは結局、巨大な人の渦—螺旋を完成させたのだった。

「じゃあ、みんなで治癒魔法をしましょう。」

 ナムリアはそう言って両手を高く差し上げた。


 少し遅れて周囲の巫女達も手を挙げ、息を吸ってゆく。


 吸いきったら今度は手を下げ息を吐いていく。


 最初のうちはぎこちなく同調しなかった集団治癒であったが回を重ねるごとに調子が合ってきた。同時に集団による相乗効果も大きくなっていった。


 アルテナ巫女に自身を治癒する術はない。しかし複数になれば互いを治癒することが出来るのである。


 ナムリアがしているものは、それ自体は極めて初歩的なものに過ぎないが、かつてこれほど大規模な集団治癒は行われたことはなかったであろう。その相乗効果は絶大であった。


「もういいでしょう。」

 ナムリアに声を掛けられて、一団は我に返ったように直立した。


「どう、徹夜組、徹夜の疲れはとれた?」

 ナムリアが呼びかけると、

「はーい。あと七十二時間でもがんばれます!」

 元気のいい声が帰ってきた。


「うしろのおばあちゃんたちは?」

 最後列には軍で言えば予備役に当たる、老齢の巫女達がいる。


「こっただ魔法治療は初めてだだよ。十歳は若返ったみてぇだ。」

 地方出身の八十歳を過ぎている老婆は、地元からいざ鎌倉、とばかりに駆けつけてきたのであった。


「それじゃあ、みんな行くわよ!」

ナムリアはラステニア王から賜った、ナルーシャ作の宝杖を手にして号令をかけた。


 巫女団はナムリアを先頭に一団は丘を下り始めた。


同時刻 アルテナ陸軍参謀本部


「おい、あれを見ろ、巫女団が丘を降りる!」

 執政官ドミニスが最初に気づいて南の窓を指さした。


「アルテナ巫女団の出陣じゃ!二十五年ぶりのことじゃぞ!」

 参謀総長が声を震わせて叫んだ。


                          第十三話了

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