第11話 兆し

 十二月二八日、アルテナ軍港の桟橋。数人の人物が小舟の前に立っていた。


「大変お世話になりました。祭司長様、執政官様、ナムリア様。ナルーシャ様、テミスト殿、ルグレン殿、ザクト殿にもよろしく。」

 クレイアが深々とお辞儀した。


「出来ればもう少し逗留していたかったのですが、ヒュペルボレアスの脅威が迫っている現在、一刻も早くルテニアとアルテニアの軍事同盟を結ぶ必要がありますから。」

 シグノーが言った。


「その同盟のことだが、ルテニアのお二人だけで行かせて良いものだろうか?」

 執政官ドミニスが皆に訊ねた。


「執政官様、どういう意味でしょうか。」

 ナムリアが聞き返した。


「ルテニアとの同盟締結に、アルテナ人の名代が加わらなくて良いのか、と言うことだが。」


「それなら心配はありますまい。」

 祭司長が微笑んで言った。


「祭司長様には何か根拠でも?」

 執政官が問い返した。


「いえ・・・ただの私の勘に過ぎませんけど。」

 祭司長は答えた。


「祭司長様の勘が外れたことはありません。交渉はきっと成功するでしょう。問題はその時期です。ルテニアの船団が来援するまでアルテニア本国が持ちこたえられるかと言うことです。」

 ナムリアが言った。


「出来る限り早く同盟を締結して、出来るだけ多くの兵力で戻るように努力いたします。」

 クレイアは答えた。


「では、失礼します・・・必ず戻って参ります。」

 シグノーの挨拶を最後に二人は小舟に乗り、沖合の三段櫂船に向かった。


 ルテニアは「中の海」北岸の最西端に位置する海運国で、戦神ルテナを崇める。


 夜、シグノーは甲板上に寝そべってひとり、空を見上げていた。


「あの、シグノー様。」

 クレイアはシグノーの傍に座り、シグノーに語りかけた。


「ん・・・何ですか?、王女様。」

 シグノーは訊ねた。


「あの、私、シグノー様と二人だけになったら、どうしても申し上げたい、いえ、申し上げなければならないことがあったのです。」

 クレイアは切迫した口調で言った。


 シグノーはクレイアが真剣らしいと気付き、上体を起こした。


「シグノー様、実は私はシグノー様のことをずっと以前よりお慕いしておりました・・・けれど・・・」


「お待ちください、あいにく私には母国に妻子が・・・」


「・・・いらっしゃらないのです。」

 クレイアは、シグノーに抱きつき、涙を溢れさせた。


「いない?」

 シグノーは体に霜が降りるのを感じた。


「シグノー様の・・・奥方とお子様は・・・シグノー様が出奔された後・・・心中なさいました。私がシグノー様のことを・・・出奔される前からお慕いしていたのは本当です・・・私がシグノー様の後を追ったのは、兄上の仇を討つためと偽って、シグノー様に討たれようと思っていたのです。」

 そう言い終わると、クレイアは泣き崩れた。


「そうか・・・」

 シグノーはそれだけ言うと、クレイアの背中に手を当てた。シグノーの目からも涙がこぼれていた。


十二月三十日 アルテナ陸軍総司令部


 マラト方面の斥候よりの報告。


 十二月十日、マラト軍約五万とヒュペルボレアス軍約十二万はディストート前面で激突、交戦は朝七時から夕五時頃までに及んだが、マラト軍はついに敗走し、ドメツ方面に退却した。  


「予想通りの展開だな。」

 参謀次長が口火を切った。


「しかし、マラトがもうあと何日か持ちこたえていたなら、わが軍としてはもう少し、準備の時間が取れたんですがね。」

 主席参謀が言った。


「ともかく、本国の防備を急がせることじゃな。」

 参謀総長が言った。


 その時、扉が開いて、巫女姿のナムリアが入ってきた。


「アルテナ巫女団、一級神女、ナムリアです。祭司長サマリア様の代理として参りました。」


「おお、そなたがナムリア殿か、活躍のほどは、テミストに聞いておる。ところで今日は何の用かな?」

 参謀総長は相好を崩して上機嫌で言った。


「はい。伝え聞くところによると、軍の情報収集は騎竜斥候に寄っているそうですが、情報の伝達には発信場所からこの参謀本部まで数日から数週間掛かるとか。今日のディストート陥落の報も二十日も前の知らせとか。」

 ナムリアは事務的な口調で言った。


「それでは、巫女団には、この時間差を短縮する妙案がおありなのか?」

 主席参謀が訊ねた。この世界に伝書鳩などはいないのだ。


「はい。」

 ナムリアはきっぱりと言った。


「あ、まさか・・・」

 次席参謀のテミストが気が付き、言いかけた。


 「斥候隊一隊に一人ずつ、巫女を同行させます。アルテナ神殿で遠感能力に優れた巫女数人が待機し、斥候に同行した巫女と遠感で交信します。アルテナ神殿からここまでは騎竜で十分と掛かりますまい。」

 ナムリアが説明した。


「あい、わかった。アルテナ巫女の能力は、テミストとナムリア殿の探索行でよくわかっている。遠感に優れて運動神経も良い巫女の候補を十名ほど選んでおいてもらおう。執政官の裁可があり次第、明日より順次発進させる。」

 参謀総長は了承した。


「ところでナムリア殿も斥候にお出になるのですか?」

 テミストが訊ねた。


「いえ、私も出たかったのですけれど、祭司長様が神殿にとどまるようにおっしゃいましたので。」

 ナムリアは少し恥ずかしそうに答えた。


「では、これで、私は失礼します。」

 そう言ってナムリアは参謀本部を立ち去った。


「しかし、ナムリアっていい女だよな、お前、よく我慢できたな。」

 主席参謀がテミストに囁きかけた。


「が、我慢って・・・な、何を・・・」

 テミストは顔を赤くした。


「いや、冗談事ではありませんな。こちらの斥候の編成も、人格を考慮して選ぶ必要がありましょう。」

 参謀次長が溜め息をついていった。


翌一月三日


 アケメネス山頂付近。


 南向きの斜面には、小さいが畑が作られ、小麦が植えられている。


 辺り一面には雪が積もり、畑にも雪が厚く積もっている。


「なあ、親爺さん、こんなに雪に埋もれて麦は枯れてしまわないもんかね?」

 そう言って訊ねたのはサマルド・ルグレンであった。


「枯れるものもあるよ。特に南で取れた種はな。だが、北で取れた種は、雪に埋もれても滅多に枯れない。」

 そう答えたのはアルテニア農業局の技師長、ガリア・ファルマだった。


「すると、ヒュペルボレアスで手に入れた、この種はどんな種よりも寒さに強いってことかい?」

 ルグレンは種を入れた袋をぶらぶらさせながら言った。


「まあ、多分そうだろう。」

「こんなに色々な種を集めて何の役に立つのかね?」


「今はまだ、役には立たない。だが、いずれ役に立つことがあるかも知れない。」

「へー、こんな高い山の上に段々畑を作って、どれだけ金儲けになるのかと思ったら、こりゃ、親爺さんの道楽かい?」

 ルグレンがあきれたように言った。


「道楽—まあ、そう言われればその通りだが。それより、あんたの種を買っておこう。」

 そう言って老技師ファルマは金貨一枚を出し、ルグレンの袋を受け取った。


「今後も、辺境に旅したときには、頼むぜ。」

「まあ、俺も一年中旅している訳じゃないから、機会があったらな。」

 ルグレンはそう答えた。


「儲け話と言えば、例の春に播く小麦、ものになりそうだぜ。」

「何、あったのか、どこに?」


「一昨年、お宅が『中の海』の南部のコンタクシアの奥地の市場で買ってきた種だ。平地に播いてみたら、見事に実ったよ。今年はこの斜面で実験して見るつもりだ。」

「南?北に播くための種がなぜ南に?」


「小麦は普通秋に播いて初夏までに収穫する。なぜかと言えば、冬の寒さに遭わないと、穂が実らないからだ。ただし、適当な寒さの程度は種の取れる場所によって違う。」

「どうしてだい?」


「寒さが弱ければ、実らない。寒すぎては、春が来る前に穂が出て枯れてしまう。その場所の気候に適した性質の種が必要だってことだな。」

「何のことか俺の頭ではわからんよ。」

 ルグレンは、首を左右に振った。


「これは失敬。そろそろ昼飯時だな。山頂に行って食わないか?」

「そう言えば、この山の山頂に行ってみたことはなかったな。」


 二人は山道を登って山頂に着いた。老技師長ファルマは湯を沸かし、昼食の準備を始めた。


「北の平原がマラトの方まで見て取れるじゃないか!」

 ルグレンが感嘆の叫びを上げた。


「冬は空気が澄んでおるからのう。ほれ、これを使ってみい。」

 ファルマは望遠鏡を渡した。


「親爺さん、いいもん持ってるなあ・・・おお、よく見える・・・なんだ、あれは、霞か?いや、あれは軍隊だ。アケメニアとの国境方面に向かっている!マラト軍はドメツ方面に退却したはずだから、あれはヒュペルボレアス軍か!」

 ルグレンは叫んだ。


「こうしちゃいられない、アルテナの参謀本部に知らせなけりゃ、親爺さん、悪いが失敬するぜ!」

 ルグレンはそう言い放つと、山道を駆け下りていった。


 しかし、ルグレンの努力は徒労に終わった。二日前の一月一日から、アルテニア軍は偵察部隊をヴェスタル山頂に置き、観測を開始していたのである。


 また、この日、アケメネス峠に前日アルテニアに到着したばかりの「暁の星」が配属された。


 山を下りてきたルグレンは、この一行と遭遇した。


「ルグレンじゃないか。どうしてこんなところにいる?」

 先頭を歩いてきたザクトが声をかけた。


「お前こそ・・・あ、『暁の星』の連中か。」

「そうさ、執政官と契約を結んで、この峠を守備することになった。」


「やはりアルテニア軍もヒュペルボレアスがこの峠から侵攻してくると考えているのか・・・しかし、いくら精兵揃いでも、十万以上の敵に対しては、少なすぎるんじゃないのか?」


「ここを守備するのは俺達だけじゃない。アケメニア軍主力も近々合流する予定だ。」


「平野部を放棄してか?・・・いや、また取り返せばいいってことか。マラトとの長い戦いでも似たようなことは繰り返されてきたと言うな。」


「ヴェスタル峠にも、ヴェスタリア軍とノマニア軍が布陣する予定だ。」


「そうかい、じゃあ、俺は新しい仕事を探しに行くんでな。あばよ。」


「あんまり危ない橋を渡るなよ。」

「危ない橋はナムリアの時で懲りてるさ。」

 そういうと、ルグレンは山を下りていった。


一月六日 ルテニア王宮


「ルテニア王家第一王女、クレイア・ソル・ルテニアただいま帰還いたしました。」

 クレイア王女が朗々としてのたまった。


「よくぞ帰った。」

 クレイアの父、ルテニア王が答えた。


「お帰りなさい、クレイア、この六年、あなたの便りだけを待ち続けていましたよ。」

 クレイアの母である王妃は、母親らしく、慈愛に満ちた口調で言った。


 ところがクレイアは、

「親不孝を重ねて申し訳ありません。」

 と、かしこまって言った。


 六年間、本国に宛てた書簡のほとんどは路銀の送金を請求するものだったからだ。


 身のやり場に困って、クレイアはシグノーの背中に隠れた。


 シグノーは有無を言わさず挨拶をせざるを得なくなった。


 今度は、シグノーが拝跪の姿勢を取ったので、クレイアは隠れるところがなくなり、シグノーと並んで自分も拝跪した。


「元剣術指南、イラム・シグノーでございます。大罪を犯し祖国を追われた身でありながら、恥を忍んでこうしてまかり越しましたのは・・・」


「アルテニアとの同盟の名代を務めるためであろう。」

 国王は、あっさりと言った。


 アルテニア執政官とアルテナ祭司長の書簡を既に読んでいたのだ。


「神話によれば、アルテナ女神とルテナ男神は姉弟の戦神であったという。アルテニアとルテニアはそれぞれの神を崇拝している。いわば姉弟国だ。これまでは諸々の事情があったとはいえ、長きにわたり、独自の道を歩んできた。しかし、此度の大戦、ことは大陸全土の命運が掛かっている・・・」

 ルテニア王は大きく深呼吸して息を整えた。


「条件が二つある。」

 国王は老獪な笑みを浮かべて切り出した。


「は、条件とは何でございましょう?」


「まず、ひとつは、平和が回復したときには、我が国の剣術指南役に復職すること。」

「は、身に余る光栄、ですが・・・」


「もうひとつは、同じく、平和になった後には、このクレイアの婿となることだ。」

 王はそう言ってまたにこりと笑った。


「まあ・・・お父様・・・」

 それを聞いて、クレイアは頬を赤らめた。


「ですが、私は練習試合とは言え、グリース王子殿下のお命を奪った大逆の罪人です。それも不問に伏すとおっしゃるのですか?」

 シグノーが国王に反問した。


「はて、私がそちを罪に問うた覚えはないが、あるとすれば、六年間も勝手に出奔したまま帰らなかったことだけだが、それも不問に伏そう、おかげで娘に広い世界を見せてやることが出来た。グリースは事故で死んだのじゃ、誰も恨みはすまいぞ。」

 国王は終始穏やかな口調で答えた。


「・・・ありがたく拝命いたします。」

 深々と頭を下げてシグノーは言った。


 拍手と歓声がシグノーとクレイアの周りを取り巻いた。


「さて、めでたく話も決まったところで、祝宴と行きたいところだが、我が友邦国に危機が迫っている。陸海軍の準備を急げ。陸軍の動員は最大何人まで可能だ?」

 一転して厳しい顔に戻った国王は陸軍大臣に尋ねた。


「は、本国防衛に割く兵力が必要ですが、周辺のマラト同盟国にはヒュペルボレアス軍は侵攻してくる気配がありません。国内には一万だけ残せば大丈夫かと。残り約三万はすぐにも集め送り出せましょう。」

 陸軍大臣が答えた。


「海軍はどうか、三万の兵力を運ぶ軍船をすぐ準備できるか?航海には何日かかる?」

 海軍大臣が答えた。


「はい。三日いただければ、三万を乗せる軍船は用意できましょう。航海は、この季節は追い風ですから、七日あればアルテニアに着けるでしょう。」


「わかった。後はお前達に任せる・・・それから、シグノー、クレイア。」


「は、はい、何でしょうか国王陛下。」

 シグノーが答えた。


「シグノー、ルテニア全軍の指揮はお前に任せる。総大将だ。それに、クレイア。お前は副将としてシグノーを補佐せよ。二名とも六年の修行の成果を遺憾なく発揮するが良い。」


「ありがたき幸せ、武人の本懐ここに極まれり、です。」

 シグノーはうつむき、涙を流した。


 それにしてもこの男、良く泣く男だった。


 拍手と歓声が二人を包み込んだ。それは先ほどの婚約発表の時よりも熱狂的なものであった。戦神を崇める者の血は争えない。


 一月初旬から中旬、アルテニア本国へ同盟各国からの援軍が相次いで到着した。


 その先陣を切ったのはラステニアから来た傭兵団「暁の星」で、兵五百をもって、アケメネス峠の守備についた。


 続いて一月五~七日、アケメニア軍五千が同じくアケメネス峠に、ヴェスタリア軍四千とノマニア軍三千がヴェスタル峠のそれぞれ守備についた。


「中の海」南部からは、コンタクシア軍二千、ニコノス軍三千、キヤノニオン軍一千、アレフベト軍七百などが相次いで到着した。


 ただしこれら南の国々は今まで自国が戦場になったことがないためもあり、士気は低く、戦力としてはあまり期待できない。


 それよりこれらの国が重要だったのは、民間人の疎開先としてであって、やはり一月上旬からアルテニアの海運能力を挙げて、大規模な疎開が開始されていた。帰りの便には、前述のような兵員の他、武器、食糧などが積まれて戻ってきた。


 疎開する者には、峠を越えてきた、アケメネア、ノマニア、ヴェスタリアの難民も多数含まれていた。長い、マラトとの戦乱を通して彼らは略奪や陵辱の恐ろしさをよく知っていた。


 一月十七日、待望の大増援として、ルテニア軍三万が到着した。兵力ももちろん、ルテニア兵は精強とうたわれていたからである。そして、それを率いるのは剣豪イラム・シグノーと女剣士クレイア王女であった。


 アルテニア、マラト、いずれの陣営にも組みせず、過去五百年間、単独で独立を維持し続けたのは、大陸でヒュペルボレアスとこのルテニアだけだったのである。そのルテニアがアルテニアに組みするのは大英断であった。


 シグノーとクレイアは、港まで出迎えた執政官、祭司長、ナムリア、テミスト、ナルーシャ、ルグレンらの歓迎を受けた。

                         第十一話了

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