第10話 嵐の前

 以下はアルテニア軍の斥候偵察の報告を要約したものである。


 なお、「マラト軍」にはマラト同盟国軍が含まれている。


 また、括弧内は伝令のアルテノワに到着した日付である。



 十二月一日、ヒュペルボレアス軍はマラト軍とアーゴン・マラト国境の、ビオゴン・アーラト間で最初の交戦を行った(十二月二十三日着)。


 ヒュペルボレアス軍は総兵力推定十万、マラト軍は一万五千。


 マラト軍は兵力に劣り、準備も整っていなかったため、あっさりと敗走、ディストート方面に退却した。ヒュペルボレアス軍は全面追撃に移った。


 マラト王はディストート前面で野戦をもって迎撃することを決断、兵約五万を集結。


 一方ヒュペルボレアス軍は約十二万。


 十二月十日、朝から夕方からまでの激戦の末、マラト軍は敗走し(十二月三十日着)、ディストートを放棄して、追撃を逃れ、約二万は一月七日ドメツに逃げ込んで、籠城戦に備えた。(一月十五日着)


 ヒュペルボレアス軍は攻城戦をせず、約三万で包囲するにとどめて、(一月三十一日着)一月初旬より主力をアケメニア国境に集結しつつある(一月十九日着)。


 東方のリトブカ、西方のガレム、ムサ、トリドの方面には攻勢はなし。


 ヒュペルボレアス—マラト戦の経緯は、十二月下旬より斥候の報告を通じて逐一アルテニア参謀本部に伝えられ、その対処が検討されたのだが、ここではナムリア達が帰還した十二月下旬に話を遡って述べることにする。


 十二月二十日、ナムリア達が帰還した翌日。


 アルテナ神殿の前庭。アルテナ巫女達が体術の訓練に励んでいる。


「へーえ、結構迫力あるじゃん。」

 ナルーシャは感心して言った。


「でも、剣とか槍は使わないんだ?」

 ナルーシャが質問した。


「アルテナ巫女は刃物を使わないのです。棒術などはたしなみますが。」

 ナムリアが答えた。


「ナムリア殿はこの程度よりはるかに上だ。私が負けたのも納得できるだろう。」

 シグノーが言った。


「シグノー様は体術に負けたのですか?」

 クレイアが驚いて聞き返した。


「いえ、あれは体術ではなく・・・」

 ナムリアは言い淀んだが、その時突然、ナルーシャが叫んだ。


「あたしも試合してみたい!」


「え?・・・そうですね、それでは・・・アリナ!」

 ナムリアは若い巫女を呼ばわった。

「私をナルーシャ様のお相手に?」


 ナムリアが言う前からアリナと呼ばれた若い巫女は承知していた。


 練習をしながらもナムリアとナルーシャの会話を聴いていたらしい。


「相手は大陸一の大魔導師、心して掛かりなさい。」

 ナムリアはアリナに注意した。


「きまりは何でもありでいいでしょ?」

 ナルーシャが言った。


「それでいいですね?アリナ。」

 ナムリアが確認した。


「結構です。」

 アリナは頷いた。


「本当はナムリアとやりたいんだけど、死んじゃったら生き返らせるのが面倒くさいし。」

 ナルーシャは自信満々で言った。


「このアリナも若手の中では傑出した使い手ですよ。ナルーシャ様こそ大怪我して私の手を煩わさないでくださいね。」

 ナムリアはナルーシャを挑発するように言った。


「ふーんだ、あたしがそんなドジ踏む訳ないじゃん。アリナって子が死んじゃったら、ナムリア治してよね。」

 ナルーシャは本気で怒ったようだった。


 アリナ以外の巫女は庭の脇に下がって観戦する構えだった。

 ナルーシャとアリナは庭の中央で対峙した。


「行きます!」

 そう叫んでアリナは前に出た。


 ナルーシャは、アリナの間合いに入る前に、アリナの額を指さし、

「どん!」

 と、叫んだ。


 アリナの体は数米宙を飛び、頭から地面に落ちた。


 気功波である。


「卑怯だわ、魔法じゃない!」

 クレイアが抗議をならした。


「卑怯ではありません。『何でもあり』とお互いが承知で試合ったのですから。それが魔法戦士の戦いです。」

 シグノーは厳しい表情で言った。


「では、シグノー様はナムリア様以外にも魔法戦士と試合ったことがおありなのですか?」

 クレイアが問うた。


「ええ、まあ、何度かは。」

 シグノーは曖昧に答えた。


 試合場となった芝生の上では、倒れて動かないアリナをナムリアが治療していた。


「ねえ、ナムリアぁ、もっと強いやついないのぉ、何ならあんたでもいいけどさぁ。」

 ナルーシャは自信満々にナムリアに呼びかけた。


 練習に参加していた、若手の巫女達は色めき立った。


「私にやらせてください。」

「いえ私に。」

 次々と名乗りを上げた。


「みんな、落ち着きなさい。これは交流試合なのですよ。勝ち負けは結果に過ぎません。経過を各々が修行に生かせばよいのです。」

 ナムリアはそう言って後輩達を諭した。


「さっすがナムリア、カッコイイ!」

 ナルーシャはなおもナムリアを挑発した。


 ナムリアが、もはや自分が出るしか収まりがつくまい、と思いかけた時、気が付いたアリナが言った。


「もう一度・・・もう一度私にやらせてください。」


 今いる二十歳前後の若手の中で、アリナは体術では抜きんでているが、魔法ではそれほどでもない。しかし、不本意な敗北に納得のいかない、アリナの気持ちはナムリアにも痛いほど分かった。


「アリナが、もう一度試合したいそうです。お受けになりますか?」

 ナムリアはナルーシャに言った。


「その試合に勝ったら、次はナムリアが相手してくれるならやってもいいよ。」

 ナルーシャは答えた。


「結構です。お相手しましょう。あなたが勝ったならば。」

 ナムリアは頷いた。


 ナルーシャとアリナの二人は芝生の試合場の中央に出た。


 しかし、ナルーシャが余裕しゃくしゃくという感じなのに対し、アリナはナムリアの応急処置を受けたとはいえ、頭部の負傷は完治にはほど遠く、顔色は蒼く、頭を左右にふらつかせ、かろうじて両手で胸の前に構えを取るのがやっとだった。


 今度はナルーシャが先に出た。アリナの間合いに入る前に、


「どん!」

 と、気功波を放った。


 しかし、アリナは両腕を顔面の前に組み、

「はっ!」

 と、気合いを発した。


 直後、二人は共に数米吹き飛び、頭から落ちて、共に立ち上がらなかった。


「みんな、アリナの手当をしてやって。」

 ナムリアは巫女達に向けて叫び、自分はナルーシャに駆け寄った。


 シグノーとクレイアもナルーシャに駆け寄ってきた。


「ナルーシャ殿は大丈夫なのですか?」

 クレイアが訊ねた。


「軽い打撲と脳震盪だけです。今気を入れていますから、まもなく気が付くでしょう。」

 ナムリアはそう説明した。


「そうですか、良かった。」

 シグノーはほっとして言った。


「でも、術を受けたアリナ殿が飛ばされたのはともかく、術をかけたナルーシャ様が飛ばされたのは、どういうことですの?」

 クレイアがナムリアに訊いた。


「応じ返しの術—敵の攻撃を逆に打ち返す術です。ご覧のように術者の力量が足りなければ、すべて打ち返せずに、自分もある程度打撃を受けることもありますが。アリナにあの術を使わせたのは、アルテナ巫女の意地がそうさせたのでしょう・・・シグノー殿は覚えておいでと思いますが。」

 ナムリアは言いながら、シグノーを横目で見た。


「私が敗れた術ですね—マラト武術大会の特別試合で。あの時、ナムリア殿は私を守るためにわざと手加減されたのです。」

 シグノーは答えた。


「シグノー様、先ほど言いかけたのはそう言う意味だったのですか。だとすると、シグノー様は純粋な武術では一度も負けたことがないと言うことになるではありませんか?」

 クレイアは驚いて訊ねた。


「まあ、良いではありませんか。勝っただの、負けただのと。ナムリア殿に負けてから、私は個人の勝敗など天下国家の存亡に比べれば、卑小なことと思うようになりました。」

 シグノーは淡々として語った。


 クレイアはまだ何か言いかけたが、その時、ナルーシャが目を覚まし、頭を押さえながら上体を起こした。ほぼ同時にアリナも起きあがろうとしていた。


「あいたた、あれ、どうしてあたしが寝っ転がってるんだ。気功波一発で勝負をつけたはずなのに・・・」


「ナルーシャ様、あなたはアリナの応じ返しと相打ちになったのですよ。アリナの術は未熟ですから、あなたの術をすべて打ち返せず、結果的に相打ちになったのですけれど。」

 ナムリアは説明した。


「うーん、あっちの立ち上がる方が遅かったじゃない。やっぱ、あたしの勝ちだな。拳闘のきまりでもそうだろ?」

 ナルーシャはなおも勝敗にこだわった。


「でも、ナルーシャ様を手当したのははばかりながら私。アリナには人数は多いとはいえ、未熟な若手の巫女、それに、アリナよりナルーシャ様の方が遠くまで飛ばされていましたよ。」

 ナムリアは反論した。


 これには、ナルーシャも根負けしたようだった。


「わーたよ、第二試合は引き分けね。でも第一試合はあたしの勝ちだったから、一勝一引き分けであたしの勝ちね。」


「さすがは魔導師総代、見事な裁定ですね。」

 ナムリアが賞賛する中、ナルーシャは自らアリナに近寄り、手を取って固く握手した。


「今日は面白かったよ。あんた筋が良いね。ナムリア以上の巫女になれるかもね。今日の試合を見るとさぁ。」

 ナルーシャはアリナをたたえた。


「あ、ありがとうございます。今日、魔導師総代様が見学にいらっしゃると聞いて、緊張していたんですけど、ナルーシャ様ご本人を見て、あんまり若くて、魔導師らしくないんで意外だったんですけど、最初の試合、いきなり負けてしまって、やっぱり才能には勝てないのかなあって思って、でも負けたのがすごく悔しくて、二度目の試合、本当のことを言うと、ナムリア様に作戦を授けてもらったんです。」

 アリナは真情を吐露した。


「才能なんて、やれるとこまでやって見なきゃわかんないわよ。あたしだって、赤ん坊の時からおじいちゃんにどれだけしごかれたことか・・・ところで、ナムリア、あんたやっぱりズルやってたわね。あたしと勝負しなさいよ!」

 ナルーシャが珍しくまじめなことを言った、と思いきや、今度はナムリアを追いかけ始めた。


「勝負って何の勝負ですか?大食い競争なんかだといいんですけど。」

 ナムリアは逃げ回りながら言った。


「よし受けた。今晩のメシ、覚悟しなさいよ。負けた方は葡萄酒一本イッキ飲みだからね!」


「おあいにく様、アルテナ巫女はお酒を飲めないんですよ、あははは・・・」

 ナムリアとナルーシャが追いかけっこをするのを、若い巫女達は笑い声で見送っていた・・・


 十二月二十三日 アルテニア陸軍参謀本部


「十二月一日、ヒュペルボレアス—マラト開戦す。」の報を受けて、参謀本部は色めき立っていた。


 ついに来る日が来たか、という感が参謀本部付きの高級将校達の間には多かった。


 前日、ヒュペルボレアス探索行の功により、中佐に進級したファエリス・テミストの姿もあった。


「地勢上、ヒュペルボレアスが大陸中原を征服するに当たって、マラトと交戦するのは自明の理だ。北原から、中原に出るのはアーゴン—マラトの回廊しかないのだから。問題はこれからだ。ヒュペルボレアスがどのような戦略を取るのか、我々がそれにいかにして対処すべきなのか。諸君の忌憚のない意見を出してもらいたい。」

 参謀次長が口火を切った。


「私は、ヒュペルボレアスはまず、マラトの攻略を優先すると思います。二正面作戦の愚は犯すまいと思いますし、アルテナ巫女のナムリア殿とこの次席参謀テミスト少佐、もとい、中佐が聞いたという、女帝クセノフォセスの言葉、ヒュペルボレアスはマラトとその同盟国のみを目標にしているという言葉、にわかには信じられませんが、ともかく、こちらから手を出さない限り、彼らはマラト攻略に専念しているのではないでしょうか。その間に、わが軍も同盟国の戦力をこのアルテニアに結集して敵に備えるべきでしょう。」

 主任参謀が言った。


「マラト王が今になって同盟の申し入れをしてきたらどうしましょう?」

 参謀のひとりが発言した。


「馬鹿な、マラト王は同盟の申し出をはっきり断ったのであろう?その返事の書簡はここにも届いている。今さら、翻意するはずがない!」

 参謀次長が激昂して叫んだ。


「まあ、落ち着きたまえ、参謀次長。マラト王がもし同盟を申し入れてきてももう間に合わぬかも知れぬ。」

 参謀総長が反マラト派の参謀次長をなだめて言った。


「参謀総長閣下、『もう間に合わぬ』とおっしゃいましたが、なぜマラトがそんなにあっさりとヒュペルボレアスに膝を屈するとお考えですか?」

 テミストは総参謀長に訊ねた。


「マラトには籠城戦の経験がほとんどない。それは、これまでわが軍が勝っていても攻城戦をする前に講和を結んできたからじゃが。斥候の報告では、ヒュペルボレアスの兵力は十万以上、同盟国の兵力を動員する時間はないから、自国の兵力だけで闘うしかない・・・集められたとしても五万か六万、それだけで倍かそれ以上の敵と戦わねばならぬことになろう・・・マラト王は三倍までならくい止めてみせると吹聴していたそうじゃがな。時にアーラトからディストートまで大軍が移動するのに何日ぐらい掛かるかね?」

 総参謀長は情報担当将校に訊ねた。


「は、八日ないし九日です。」


「ではもう、帰趨は決しているかもしれんな・・・」

 そう言って総参謀長は窓の外を見た。


「アルテニア連合各国で兵の動員を進めること。兵力は、ヴェスタリア、ノマニア、アケメニアの三国との国境地帯とアルテニア本国、ラステニアに集中して配備すること。」

 総参謀長は命じた。


「あの、総参謀長、シュロステはどうなさいますか?」

 先任参謀がおずおずと聞いた。


「守っても守りきれんよ、あそこは。第一兵力が惜しい・・・それから先ほどの命令に付け加えよ。ルテニアとの同盟締結を急がせよと。以上で会議を終える。」

 参謀総長が言い終わった直後、会議室に執政官が駆け込んで来た。


 全員が立ち上がり、敬礼した。執政官は軍の最高司令官を兼ねているのだ。


「で、話はどうなった、ふんふん、ルテニアアとの同盟?よし、わかった。では、時間がないので失礼する。」


 参謀次長から会議のあらましを聞いた執政官はそれだけでまた風のように去っていった。


 その夜、アルテノワ市内の高級酒場の中の個室。


 二人の男が安楽椅子に腰掛け、対面して座っていた。


 ひとりは傭兵団「暁の星」の団長、クレジ・ザクト。もうひとりはこの国の政治・軍事の最高権力者、現執政官アエリト・ドミニス。


「ザクト殿、ここは私の奢りだ。遠慮せずやってくれ、いける口なんだろう?」

 執政官が言った。


「まあね。しかし、まさか、契約交渉の場にこんな場所を選ぶとは思いませんでしたよ。執政官殿。」

 ザクトが答えた。


「執政官はよしてくれ、こんな席だ。ドミニスで結構だよ。それより気に入ってもらえたかね?」

 ドミニスはザクトに訊ねた。


「この酒場がですか?確かに金と手間が掛かっているのはわかりますが、俺は、うまい酒が飲めれば場所はどこでもいい方で、この酒は相当な年代物のようですが、たしかにこの酒には惹かれますね。」

 ザクトが答えた。


「では、接客係はどうかな。男と女とどちらがいい?」

 ドミニスは再び訊ねた。


「そりゃまあ、むくつけき男に酌してもらうよりは、若くて別嬪の娘にしてもらう方が気分はいいですがね。」

 ザクトは答えた。すると、ドミニスがにたりと笑った。


「そう言ってもらうと私も趣向を凝らした甲斐があるよ。」

 そういうと、ドミニスはパチンと指を鳴らした。


「失礼します。」

「失礼いたします。」

 入ってきたのは芸姑などではなく、巫女の正装に身を固めたアルテナ巫女二人であった。


「本物か?まさか・・・いや・・・」

 ザクトは二人の巫女姿の娘の視線や発する雰囲気から二人を正真正銘のアルテナ巫女と断じた。


「あんた達、若いが確かにアルテナ巫女だな。それにしても、祭司長様がよくお許しになったものだな・・・」

 ザクトはあきれて言った。


「これこれ、二人とも黙ってないで、とりあえず名前でも名乗ったらどうだ。」

 ドミニスが二人の巫女に言った。


「はい、アルテナ二級神女、アリナと申します。」

「同じくアルテナ二級神女、マリセと申します。」

 二人は挨拶を済ませると、アリナはザクトの横に、マリセはドミニスの横にそれぞれ座った。


「そう言えば、俺はアルテナ巫女のお酌を受けたことがあったな。それも超一流の。」

 ザクトは思いだしたように言った。


「ナムリア殿のことであろう。私も彼女から受けてみたいと思ったが、帰還祝いの宴席は延期したままだからな。」

 ドミニスは残念そうに言った。


「あら、ナムリア様ではなくこの私達では不服でございますか、執政官様?」

 アリナが不平を鳴らす。


「そうですわ。ナムリア様には巫女としての実力では及びもつきませんが、若さと容姿では負けているとは思いませんよ。」

 マリセも同調する。


「二人とも済まなかった。実を言えば、今日二人を選んだのは、ナムリア殿の推薦なのだ。『この二人なら、執政官様のお眼鏡に適いましょう』とな。」


「それにしても、気が強いのも先輩のナムリアそっくりだな。」

 ザクトは思わず苦笑混じりに言った。


 二人は機嫌を直して不器用な手さばきで二人にそれぞれ逸品の麦芽蒸留酒で水割りをつくった。


「お前達は飲まぬのか?」

 と、ドミニスが聞くと、


「アルテナ巫女は酒精を摂ってはいけないんですのよ。執政官様、ご存じなかったんですか?」

 と、マリセが答えた。


「あ、ああ、そうだったな。何か酒精の入っていない飲料を頼むがよい。それと、この席で執政官と呼ぶのはよせ。」

 ドミニスは冷や汗を拭きながら言った。


「では、私は蜜柑果汁を。」

 と、アリナが注文した。


「私は林檎果汁を。」

 と、マリセが言った。


 程なくして、二人の前に飲み物が並べられた。


「では、アルテニアと大陸全土の平和を願って、乾杯!」

 ドミニスが音頭をとり、残る三人も唱和して杯をぶつけ合った。


 しばらく、ドミニスは上機嫌で飲み、巫女達と話していた。


 一方、ザクトの方は黙ってのみ、杯が空になると、アリナに水割りをつくらせる繰り返しだった。


「ねえ、ザクトさんって、『暁の星』の団長さんなんでしょ?」

 などとアリナが話しかけても、


「ああ」とか「まあな。」

 などと素っ気なく答えるだけだった。


「どうなされた、ザクト殿、騒がしいのはお嫌いか?」


 ようやくザクトの様子がおかしいのに気付いたドミニスが声をかけた。


「酒はひとりで飲むのが好きだが、大勢も嫌いじゃない。それより、俺が腹を立てているのは、契約を交わしに呼んでおいて、芸者ごっこに付き合わされている馬鹿らしさからだ!」

 ザクトは堪えきれず怒りをドミニスにぶつけた。


「ザ、ザクト殿、お許しください。公務にかこつけて長年の願望だった、巫女姿の本物のアルテナ巫女にお酌を受けてみたいという思いを叶えられたうれしさに、うかれてザクト殿の気持ちなど考えてもおりませんでした。」

 ドミニスは絨毯の上に手を付き深々と頭を下げた。


 二人の巫女はあまりの意外な展開に、震え上がって部屋の隅にかしこまっていた。


 いやしくも執政官が異邦人に土下座をする所など、まず目にするものではない。


「いや、俺も言い過ぎた。あんたが、俺を歓待したくてこの趣向を用意したことはよくわかった。ただ、どうも俺の趣味じゃないんだ、さあ、顔を上げてくれ、仕事の話をしよう。」

 ザクトは語調を弱めてドミニスを諭した。


「この私をお許しくださるか、かたじけない、ザクト殿、では、この箱を・・・いや、お前達、今日はご苦労だった。もう帰ってよい、褒美をやるぞ。」

 そう言うとドミニスは二人に金貨一枚ずつを渡した。


 しかし、二人は受け取った金貨を呆然として見ていた。


「どうした、不服か?」

 ドミニスは訊ねた。


「いえ、お金って使ったことがないので、どうやって使ったらいいのかわからなくって。」

 このせりふには、ドミニスもザクトもあきれて開いた口が塞がらなかった。


「では、そのお金は祭司長様にお礼と言って渡してくれ、それから、今日ここで見聞きしたことはくれぐれも内密にな。」

 ドミニスが言うと、まだ腑に落ちないような顔つきながら、巫女二人は部屋を辞去した。


「さて、約束の報酬ですが、いかほど差し上げたら良いでしょうか?」

「契約期間は?」


「とりあえず今から一ヶ月。」

「では、ひとり一日銀貨二枚として一ヶ月で、六十枚、金貨なら、十二枚、五百人で六千枚。どうだ、払えるかね。」


「よろしい。金貨七千五百枚分払いましょう。この箱をおあらためください。白金貨千五百枚入っています。」

 ドミニスは丁重に言った。


 中原での貨幣交換比率は、白金貨一枚で金貨五枚と決められている。


 箱を受け取り、箱を開けたザクトは白金の輝きに見とれ、溜め息をついた。


「さすが、経済大国アルテニアだな、だが、これだけの金があれば、もっと雇える傭兵はいくらでもいるぜ、一日銀貨一枚とか、歩合制とかさ。俺達はたった五百人しかいないんだぜ。」


「存じています。その戦歴も。ですから白金貨千五百枚出すのですよ。」

 ドミニス、いや、執政官は、ザクトの目を見つめて言った。


「まあ、期待されただけのことはやるとしよう。とりあえず、ラステニアにいる仲間を呼ばなけりゃな。」

 ザクトは言った。


「その船、わが海軍が用意しましょう。」

 執政官がすかさず言った。


「その前に早舟で知らせを送ってくれ。」

 ザクトが付け足す。


「承知しました。」

 執政官がすかさず答える。


「それと、俺達は、どこに配備される予定なんだ?」

 ザクトが訊ねた。


「それはまだ正式決定ではありませんが、山岳部に行っていただく予定です。」

「やまぁ?」


「そう、山。」

「やまねぇ・・・」

                               第十話了

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