第8話 女剣士と女魔導士

 ナムリア達がホロゴンの町に着いた直後のアルテナ祭司長執務室。


 祭司長は燭台の明かりの中、職務をこなしているかに見えた。


 が、その姿はよく見ると額の汗を拭ったり、溜め息をついたり、意味もなく壁の書架に並んだ本の題名を追ったり、心労のほどが見て取れた。


 その時、執務室の扉を激しく叩くものがあった。


「どなたです?お入りなさい。」

 祭司長は努めて感情を押し殺して言った。


「ソルフィアです。たった今、ナムリアの所在がわかりました。」

「まあ、何ですって?・・・確かなのですか?場所は?」

 祭司長の口調は知らず知らずうわずっていた。


「ホロゴンです。つい先刻突然現れました。まだ交信は出来てはいませんが・・・」

「そう、良かった。ソルフィア、遠感での呼びかけを続けてください。」


(ナムリア、聞こえますか?)

 深夜、ナムリアは見知らぬ部屋で目を覚ました。


 ザクト達が選んだ宿の一室であろう。

 

ナムリアが目覚めたのは誰かに呼ばれたからだった。


「ソルフィア様?」

ナムリアは直感した。


(私は無事、帰路を急いでいるところです。訳あって私の力は衰弱しているようで、詳しいことはお話しできませんが、仲間が守ってくれていますのでご安心ください。祭司長様によろしく。)

 ナムリアは念を凝らしてソルフィアに送った。


 やはり「魔法の剣」を胸に刺されて以来、自分の魔法力は低下している、とナムリアは感じた。遠感が働いたのは、交信相手がナルーシャ・ターナとソルフィアという、強力な遠感能力者だったからだ。

(わかりました。アルテナ女神の加護のあらんことを。)

 ソルフィアはそう答えた。


 それで交信は途切れ、ナムリアは再び眠りに就いた。


 翌早朝、一行は宿を出た。


 ナムリアはひとりで起きてきたが、顔色は昨日の夕方、ナルーシャ・ターナと交信した後よりも悪かった。


 それでもナムリアは笑顔を浮かべ、

「昨日の夜、アルテニアと連絡が取れました。ソルフィア様という、遠感の達人でしたけれど・・・」

 と、説明した。


「ヒュペルボレアス領内を出た途端に連絡が出来たのは、やはり、結界のためか?」

 ザクトが訊いた。


「ええ、私もそう思います。にわかには信じにくいことですけれど。アルテナ巫女千人を動員しても、こんなに広い結界は張れないでしょう。ヒュペルボレアスの魔法力は想像をはるかに超えているようです。」

 ナムリアは祭司長と同じ言葉を口にした。


「あるいは女帝クセノフォセスが、だ。」

 ルグレンが付け加えるように言った。


「アルテナ巫女でも最高位に近い一級神女のナムリア殿に呪いをかけるほどの魔力だ。結界の規模も想像を超えていても驚くにはあたらぬかもしれぬ。」

 シグノーが感想を漏らした。


「いずれにせよ、ヒュペルボレアスとわが陣営が戦争になれば、敵の魔法力は脅威となりましょう。」

 テミストが憂鬱そうに言った。


「戦争になれば、女帝が言ったとおり、敵軍はまずマラト陣営を攻撃目標とすることでしょう。各個撃破の愚はもとよりなるべくさけるに越したことはありませんが、マラトと同盟が結べない以上、開戦当初はマラトとの戦いを傍観するしかないでしょう。その間に敵の戦術や戦力なども偵察する機会もありましょう。」

 ナムリアは一気に喋ったせいか、激しく咳き込み、よろけてテミストの腕につかまった。


「テミスト、ナムリア殿を、荷台に乗せてやってくれ。」

 ザクトが言った。


「ああ、わかっている。」

 テミストは短く応え、荷竜車に作りつけた寝台にナムリアを運んだ。


 テミストは再び荷台から降りてきた。


「さすがアルテナ巫女の中でも聡明を誇るナムリア殿だな。病に冒されていてもその明晰さは少しも損なわれていない。」

 テミストは誇らしげに言った。


「まあな。俺達も出かけるとしよう。」

 ザクトの号令で、全員は竜車に乗り、出発した。


 最初、竜車は市場の近くの路地に入り、昨日ルグレンが薬を頼んだ薬屋で粉にした薬を受け取り、一行はそれから街道を南に向かった。


二日後の夕刻、一行はアーゴンの首都ディスタゴンに着いた。


 ディスタゴンでは城では衛兵に追い返され、酒場ではザクトと近衛兵の喧嘩に居合わせと、あまり良い思い出はない。


 もっともそれがザクトと知り合うきっかけとなり、今また、そのザクトの知り合いの魔導師のおかげで、ナムリアは助けられようとしている。


「この町は物騒だ。またあの近衛兵にでも出くわしたら無事には済まないからな。さっさと寝るとしよう。」

 ルグレンが言った。


「俺とシグノー、二人いればこんな辺境国の近衛兵なんざ、ざっと百人くらいは片づけられるんだが、それで凶状持ちになってもつまらん。ここはルグレンの言うとおりにしよう。」

 ザクトが冗談交じりに言った。


「ナルーシャ・ターナ様から連絡です。今朝ラステノワを出て最初の宿場に着いたそうです。」

 ナムリアがむっくりと起きあがり、それだけ言うとまた寝込んでしまった。


 結局ナムリアはテミストとシグノーに抱えられて宿に入った。


 それから二日で一行はマラト領内に入り、一行はさらに宿場を継いで街道を南下した。


 マラトに入って二日目、ディストートまで後一日の行程という時、ルグレンは、

「街道をはずれよう。」

 と、言い出した。

「そうか、ディストートはここから西に向いている。南に向かって近道する訳か。」

 ザクトはすぐに理解した。


「ああ、今日一日でディストートとハストカを結ぶ街道に出るはずだ。一日くらいの時間の短縮にはなるはずだ・・・ただし、悪路が続くから、テミスト、シグノー、ナムリアがひっくり返らないように注意していてくれよ。」

 ルグレンはそう言って騎竜に鞭をくれた。


 ルグレンの選んだ道は、山道で、想像以上の悪路続きだった。


 雪は三日前からやんでいたが、積もった雪は残っていた。


 竜車はしばしば雪の上で車輪を滑らせた。


 テミストとシグノーはナムリアが転げそうになるのを、左右から必死に支えなければならなかった。


 しかし、ルグレンの言ったとおり、一行は夕刻には街道に出た。


「しかし、近隣には宿場はないぞ。」

 ザクトが竜車を止め、地図を見ながら言った。


「野営しよう、今は少しでも時間を稼ぎたい。」

 ルグレンが答えた。


「だが、ナムリア殿のご様子がどうか・・・」

 幌を開けて顔を出したテミストが言った。


「どうなのだ?」

 ザクトが尋ねた。


「朝からずっと咳き込んでいる。顔色も悪い。日に日に消耗しているようだ。」

「咳はここからも聞こえていたが、心配するな。あと七日以内でナルーシャ・ターナの待つはずのハストカに着く。それまで持てば、必ずナルーシャが治してくれる。」

 半ば希望を込めてザクトは言った。


「病は体の抵抗力の弱い人間につく。ナムリアの体力と精神力の強さは、テミスト殿も良く知っているだろう?今回はただの病気ではなく、呪術だが、基本的には同じだろう。」

 ルグレンがテミストを諭すように言った。


「そうか・・・そうだな。」

 テミストは自身を納得させるように頷いた。


「その通りです。ナルーシャ様がシュロステの首都ラケニスに入ったと連絡がありました。向こうも後七日くらいでハストカに入れるだろうと。」

 幌の隙間から頭を出してそう言ったナムリアは顔色も良くなっていた。咳も出ていない。


 どうやら、ホロゴンの時と同様、魔導師ナルーシャから力を分け与えられたらしい。


「でも、魔法治療を遠感を通じて行うと、施術者は非常に消耗するそうです。ですから、毎日してもらうわけには行きません。」

 ナムリアは言った。


「ともあれ、ナルーシャ様のおかげでナムリア殿も最悪の事態は避けられそうですな。」


 ナムリアとナルーシャの遠感での交信を傍で見ていたシグノーは、交信前と交信後の病状の劇的な変化に興奮して言った。


 その夜、一行は結局竜車の中で野営した。


 そして翌早朝、南下を再開した。その後四日でリトブカ国境を越えた。


  国境を越える少し前から積もった雪はなくなっていた。


 さらにそれから三日目の昼過ぎ、リトブカの首都、ハストカまであと半日の所まで至ったとき、テミストが幌を開けて現れ、ルグレンとザクトに伝えた。


「ナムリア殿だ。ナルーシャ殿の伝言で、『自分たちはハストカ市内に既に着いているので、これから迎えに出る』と。」


「自分たち?ナルーシャ様ひとりじゃなかったのか?」

 ルグレンが意外そうに聞き返した。


「連れがひとりいるらしい。」

「助手の魔導師じゃないのか?多分、だが。」

 ザクトがさほど気にとめた様子もなく、言った。


「さあ、そこまでは聞いていないが、ともかく前方に注意してくれ。」

「わかった、騎竜二頭だな。」

 ルグレンはそう言うと、騎竜に鞭を当てた。


 一刻も進んだ頃、ルグレンは、二頭の騎竜に乗った人物二人が連れ立ってこちらの方に向かってくるのを見つけた。


 向こうもほとんど同時に気が付いたらしい。体格のいい方が前に出て小柄な方が下がった。


 前の人物は確かに顔つきは気品があり、波打った赤髪を肩に垂らし、どう見ても女に見えるが、長身に加え筋肉質で腰に長剣を差している。


 防具としては鎖帷子の上に皮鎧をしている。どこから見ても剣士である。


「イラム・シグノー殿に用があって参った。私はルテニア王国第一王女、クレイア・ソル・ルテニア。シグノー殿に一対一の真剣勝負を、申し込みたい。」

 長身の女剣士は朗々とした声でのたまった。


「ルテニアの王女がシグノーに一騎打ちの申し込みだって?いったいどういうことだ?」

 ルグレンは驚嘆して叫んだ。


 その間にも幌の中では話し合いが始まっているようだった。


「あ、いや、しばし待たれよ。わが名はクレジ・ザクト。そちらにおわす魔導師ナルーシャ・ターナ様と縁浅からぬものだ。確かにイラム・シグノー殿はこの中におるが、勝負をいたすにはいささか準備に時間を要す。それまで、しばし待たれよ。」


「わかった。性急な申し出、失礼いたした。万全の準備を整えるが良い。」

 クレイア王女は礼儀正しく、古風でもあった。


 取り合えず時間を稼ぐと、ザクトとルグレンは幌の中に潜り込んでいった。


「俺達にも、最初から聞かせてくれ、シグノー、ルテニアのクレイア王女って人物に心当たりがあるのか?」

 ザクトは単刀直入に切り出した。


「・・・ある。おそらく俺を兄の仇として大陸中捜し回り、やっとここで巡り会ったと言うわけだろう。」

 シグノーは淡々と話し出した。


「兄の仇?そう言えば、ルテニアの第一王子が事故死したって噂を聞いたことがあったが、まさかそのことじゃないだろうな?」


「クレイアの兄、グリース王子は確かに俺がこの手にかけた・・・」

 シグノーはなお感情を押し殺して語った。


「子細がありそうですね。詳しく話してくれませんか。」

 ナムリアが半身を起こし、シグノーに尋ねた。


「私は六年前までルテニア王国の剣術指南役を務めていた。王族も私に剣術を習われた。中でもグリース王子、クレイア王女は筋が良く、私も目をかけていた・・・父王も大陸に名を馳せた剣士であったから、さもありなん、であったが、特にグリース王子の才能は群を抜いており、二十歳を迎える頃には私と対等に近く打ち合えるまでになっていた・・・」

シグノーは一端言葉を切り、溜め息をついた。


 全員がシグノーを注視していた。

「六年前、グリース王子が二十一歳の時だった。国王は私と試合して勝ったら王位を譲ると、王子に言った。そして我々は対局した。その時の王子は私が想像していた以上に強かった。私と互角の打ち合いをしてきた。その時、私がわざと負けていれば、悲劇は起こらなかったろうが、国王も王子もそれを見抜けぬほどの素人ではなかった。それに戦いとなれば体は自然に動く・・・木刀での試合であったが、私の剣は気が付くと王子の頭頂を叩き割っていた・・・即死だった。国王は私をとがめたりはしなかったが、私は剣術指南役の職を辞し、ルテニアを去った。その後ルテニアに戻ったことはないが、風の噂では、私が去った後、クレイア王女はルテニアを出奔し、兄の仇をとるために私を捜し求めていると聞いていた・・・よもやこんなところで出会うとはな。」

 シグノーは再び溜め息をついた。


「ここで会ったのは多分偶然ではありませんよ。クレイア王女はシグノー殿の居場所を突き止めるのに、魔導師ナルーシャ・ターナ様の力を借りたのです。それが私の居場所と一緒だっただけで。」

 ナムリアは憂鬱そうな声で言った。


「それで、どうするんだ。闘うのか?」

 テミストが尋ねた。


「会ってしまった以上闘わぬ訳には行くまい・・・しかし・・・」

 シグノーは口ごもった。


「私が教えていた頃は、まだ若かったこともあり、クレイア王女は剣の腕ではグリース王子に及ばなかったが、修行の旅で剣を磨いたのだろう。二年前、マラトの武術大会でクレイア王女が出場すると聞いて、私は出場を取りやめ逃げ出したことがある。結果は王女の優勝だったそうだ・・・いずれにせよいつまでも待たせるわけには行くまい。試合って来る。」

 シグノーは立ち上がり、竜車を降りようとした。


「お待ちください、シグノー殿、出来れば誰も傷つけずに終わらせてください—あなた自身も、クレイア王女も。」

 ナムリアはシグノーの背に呼びかけた。


「わかっています・・・いるつもりです。」

 シグノーは背中で言って、竜車を降りた。


 ザクトが傍に寄ってきて耳打ちした。

「ナムリアはああ言ったが、相手は強い。しかも真剣だ。傷つけずに勝とうと思ったら、逆にやられるぞ。」


「わかっている・・・いるつもりだ。」

 ナムリアに言ったのと同じ言葉を口にしてから、シグノーはクレイア王女の前に立った。


「クレイア王女。久しいな。イラム・シグノーだ。そなたの試合の申し込み、受けて立とう。」


「試合ではない。仇討ちだ。大陸を旅して貴様を捜し求めること六年間、ようやく貴様を相手にする機会に恵まれた。」


「待てクレイア、そなたの兄上の死は、事故だったのだ、それ故、父王様も私を裁かなかった。」


「ならば、なぜ姿を消した?私の前から。」

「・・・」

 シグノーは返す言葉に窮した。


「もはや問答は無用、遠慮も無用だ。参るぞ!」

 クレイア王女は騎竜から下りて長剣を抜いて構えた。シグノーも長剣を抜く。


「この果たし合い、受けてもらうぞ!」


 クレイア王女は一気に間合いに踏み込み、その剣がいきなり跳ね上がりシグノーの頬をかすめた。が、シグノーは紙一重でかわしている。


「やれやれ、始まっちまった。しかしこの結末、どう着くのかね?」

 遠巻きにしていた仲間のうち、ルグレンがつぶやいた。


「そうだな。双方の実力は拮抗している。まあ、正確にはシグノーの方がほんの少し上を行っていると思うがね。真剣勝負だ。双方無傷のまま終わるとは考え難いな。俺なら無手でも取り押さえられるんだが。ただし手足の二、三本はへし折ることになるがね。」

 ザクトが論評した。


 その間にも二人の剣戟は続いていた。最初のうちこそクレイアの攻撃をかわしていたシグノーだったが、その余裕はもうなかった。しかし、クレイアの剣には自分の剣を合わせて確実に防いでいる。


「強くおなりですね、クレイア王女。」

「黙れ、貴様に誉められてもうれしくはないわ! 喜ぶのはお前を殺したときだ。」


「試合中に無駄口は禁物ですぞ」

 そう言うやいなや、シグノーは跳び上がり、大きく振りかぶった。頭頂から唐竹割に振り下ろそうとする。


 クレイアは自分の剣を頭の上に掲げて防ごうとしたが、観念したのか目をつぶってしまった。


「あれは、シグノーがナムリアにかけて破れた技・・・」

 テミストがつぶやいた。


 シグノーの剣はクレイアの剣をへし折り、頭頂に振り下ろされた・・・が、頭に食い込むその寸前で剣は止められていた。


 クレイアはしばらく目をつぶっていたが、おずおずと目を開けて頭上を見た。自分が唐竹割になっていないことがわかると、へなへなとその場に座り込んでしまった。


「これまでです。王女。」

 シグノーが試合の終わりを告げるように言った。


「こ、殺せ、私の負けだ。その剣で殺せ。」

「殺せませぬ。いやしくももと主君の娘子、そして私の愛弟子。」


「どうしても殺せぬと言うなら、生き恥を晒すより・・・」

 クレイアは短剣を抜くと、胸に突き刺した。


 鋭利なその先端は皮鎧と鎖帷子の隙間を貫き、心臓に突き刺さった。


 クレイアはおびただしい血を流して、横たわった。


「なんと言うことを・・・おい、ルグレン、手当できないのか?」

 テミストの問いにザクトが代わりに答えた。


「心臓を一突きだ。まず普通は助からないが、治せる人間がここには二人いる。まあ、ひとりは自分が病気で寝込んでいるが、もうひとりは騎竜に乗ってのうのうと見物している・・・おい、ナルーシャ、聞いているんだろう?」

 ザクトはナルーシャを呼ばわった。


 ナルーシャはクレイアの倒れている傍で騎竜を下り、外套を脱いだ。その姿にナルーシャと直接面識のあるザクトを除いた一同は驚愕した。


 彼女が十七、八歳の小柄な少女だったからだ。ついでに言えば金髪碧眼の美少女だった。


「初めまして、魔導師連盟総代、ナルーシャ・ターナでーす。」


「おい、ザクト、この子が本当にナルーシャ・ターナ本人か?」


「本人だ。そんなことより早く手当をしないと手遅れになるぞ。おい、ナルーシャ、あんたの連れを早く見てやれ。」


「この人はラステニアで一緒になって、あんた達の仲間に用があるって言うから連れてきてやっただけなんだけどなぁ・・・報酬は貰えるんだろうねぇ?」


「そんなものはルテニアに請求しろ。」

「現金でしか仕事はしない主義なんだけど。」


「赤い紅玉のブローチをしているぞ。これなら結構な金になるんじゃないか?それと懐に金貨が三十枚ほど。」


 冷たくなりつつあるクレイアの体を調べていたルグレンが言った。ナルーシャの手元に放って寄こす。


「うん、さすが王女様。このブローチで金貨五十枚にはなるかな。よし、いいよ。仕事してあげる。」


「どうでもいいからさっさとやれ。手遅れになるぞ。」

 ザクトが急かした。


 ナルーシャはクレイアの体を仰向けにして、自分の持っていた短剣で皮鎧を切り裂き、鎖帷子と下着も脱がし、クレイアが自ら刺した短剣を引き抜き、乳房の間の傷口に手を当てた。


「ちょっと、オジさん達、やらしー目で見てるんじゃないわよぅ」

 ナルーシャは振り向いて男達を叱りつけた、


 程なくして、ナルーシャは言った。

「出血は止まったわ。心臓も動いてる。ただし、出血がひどくて血を足してやる必要があるわね。あんた達にも協力してもらうわよ。」


「出血が多くなったのは、お前がぐずぐずしてたからじゃないのか?」

「うっさいわねぇ、この人、助けたいんでしょ。だったらがたがた言わない。と、言っても誰でもいいって訳じゃないのよね。合う人がいればいいけど・・・」

 そう言うと、ナルーシャは男達の間を回り、順番に耳たぶに触れて「だめ」とか「よし」とか言った。


「よし」と言われたのはテミストとシグノーの二人で、二人はナルーシャの指示でクレイアの横たわった傍に連れていかれ、クレイアの右手の肘の内側に片手の手のひらを重ね、その上にナルーシャが手を置き、呪文らしきものを唱えた。


 二人が同様のことを済ますと治療は終わりとなった。


「はい、終わり終わり、精力絶倫の男二人の血を注入したんだから、これで大丈夫。後はしばらく安静にして、って言ってもしばらく起きないようにしといたけど、栄養のあるものを食べれば大丈夫。血が滴る和竜の焼き肉とかね。ところで晩まで起きないと思うけど、あんた達の竜車に乗せといてくれない?」


「わかった。」

 そう言ったのはシグノーだった。


「さて、いよいよ本番ね。」

 ナルーシャが気合いを込めて言った。


「本番?」

 ルグレンが問い返した。


「馬鹿か、お前、ナムリア殿の治療のことに決まってるだろう!」

 ザクトがルグレンの頭を軽く小突いていった。


 ナルーシャを先頭に一行は幌をくぐって荷台の寝台の前に集まった。


「あなたがナルーシャ・ターナ様?ずいぶんお若いのですね。でも、確かにあなたがナルーシャ様であることはわかります。遠感を通じてずっと、心に触れていてくださるのがわかりましたから。」


 ナムリアは蒼い顔に精一杯の無邪気な笑顔を見せていった。


「そんな、気にしないで、あたしはラステニア王に頼まれたからやっただけだからさぁ。」

 ナルーシャは小柄な体を反り返らせて照れ笑いした。


「おい、ザクト、この大魔導師さん、遠感でもこの調子で喋ってたのかな?」

 ルグレンがザクトに囁いた。


「多分な。何しろ大魔導師だからな。」

 ザクトが皮肉を込めていった。


「ザクトォ、なんか言ったぁ?」

 ナルーシャがいきなり振り向いて訊ねた。


「あ、いや、先ほどの治癒術の手並みを話していたのさ。さすが大魔導師だと。」

 ザクトは適当に言いつくろった。


「それならよっろしいぃ。」

 ナルーシャは頷いた。


「さて、いよいよお待ちかねのナムリアちゃんの治療を始めるよん。まず服を全部脱がせてぇ、下着も・・・」


「ちょ、ちょっと待ってください。ナルーシャ様、アルテナ巫女は異性に裸体を曝すことを禁じられているのです。」

 テミストが慌てて言った。


「じゃ、あんた達、外で待ってて。ウヒヒヒ、ほんとは見たかったんだろ。ザマミロ。」

 そう言うわけで男四人は竜車の外に追い出された。中に残るのはナムリアとナルーシャ、そして昏睡状態のクレイアの三人の女性である。


「まさかあんな女の子だったとはなあ、大魔導師ナルーシャ・ターナが」

 車輪に寄りかかってルグレンが言った。


「だが、先ほどのクレイアを治した手並み、やはり並の魔導師ではあるまい。」

 シグノーが言った。


「年齢や容姿はともかく、あのしゃべり方はなあ。調子狂うな。」

テミストが嘆いた。


「おっと、あの子は遠感能力者だったよな。俺達の会話も聴かれているんじゃないのか?」

 ルグレンが慌てて言った。


「今はナムリアの治療に専念している。そんな余裕はあるまい。」

 ザクトが言った。


 その時、ナムリアの声が竜車から漏れてきた。


「うう、い、痛い・・・はあ、ああん・・・」

「我慢して、痛いのは最初だけだから、峠を過ぎれば・・・」

 などというナムリアの苦悶の声とそれを励ますナルーシャの声とがしばらくの間続いた。


「俺はナムリアのこんなに色っぽい声、はじめて聴いたぜ。旅の間はずっと女って意識が希薄だったからな。」

 ルグレンがしみじみと言った。


「俺は、妻が初めて赤ん坊を産んだときの声を思い出したよ。」

 そう言ったのは意外にもシグノーだった。


「お前、子供がいたのか、いや、結婚していたのか?」

 テミストが訊ねた。


「ああ、結婚している、いや、していたと言うべきだろうな。」

 シグノーが苦笑を浮かべながら答えた。


「妻子と別れたのはルテニアでか?」

 ザクトが訊ねた。


「さすがザクト、察しがいいな。そうだ。六年前、ルテニアを出奔するとき、置いてきた。」

 シグノーは空を見上げながら答えた。


「もう一度会いたいと思ったことは?」

 テミストが訊ねた。


「それは・・・」

 ルグレンが答えかけたとき、ナルーシャの声が響いた。


「抜けたよー、・・・ええと、剣を封印して、・・・服を着せて、・・・はい、みんな入って来ていいよん。」

 男達はどやどやと竜車の中に入ってきた。


「ナムリア無事か?」

「本当に直ったのか?」

「治ってなかったら貴様生かしておかんぞ!」

「ナルーシャのことだ。心配あるまい。」


 四人はほとんど同時に口を開いた。

「あーもーうるさい。四人も同時に喋ったら何言ってるかわかんないよ!」

 ナルーシャが癇癪を起こしていった。


「皆さん、お静かに。私でしたら、ナルーシャ様の治療で魔法の剣を抜いてもらってすっかり元気になりました。」

 そう言うナムリアは顔色も元気なときに戻っていた。


「ちょっと失礼。」

 そう断ってルグレンはナムリアの額に手を当てた。


「熱は下がったようだな。」

 次いで口を開けさせ、喉の炎症を確認した。


「喉の赤みも引いている・・・咳は出るか」

「いいえ、先ほどから一度も。」


「これまでの症状が皆消えている。これが魔法医術というものか。にわかには信じがたいが、目の前で見せつけられると信じないわけにも行くまいな。」

 ルグレンは半ばあきれ、半ばほっとして言った。


「みんな、これを見て。」

 ナルーシャはそう言って円筒形の容器を差し出した。中には水の中に仄白くわずかに光る紡錘形のものが入っていた。大きさは十糎くらいであろうか。


「これがナムリアの胸に刺さっていた『魔法の剣』よ。捨ててしまってももう構わないけれど、取っておけば役に立つこともあるかも知れないから、はい、ナムリア、あなたにあげる。」


 そう言ってナルーシャはナムリアに容器を手渡した。ナムリアは何事か考えていたが、結局頷いて容器を受け取った。


「シグノー殿。」

 突然女の声に声をかけられて、シグノーは振り返った。そこには先ほどまで竜車の隅で寝ていたクレイアが立っていた。


「夢で兄に会いました。いえ、あれが冥界と言うところかも知れません。」

 クレイアの声は震えていた。顔色はやや青白いが、ナルーシャが言ったとおり出血のためだろう。ただ、先ほどまでの敵意はない。


「それで、兄上—グリース王子とは話されたのですか。」

 シグノーは優しく語りかけた。


「はい。『これ以上己を偽って貴重な人生を無駄に使うな。』と。」

 クレイアは翠の瞳からなみだを噴きこぼれさせた。


「シグノー殿、申し訳ありませんでした。今日まであなたを追い回し、奥様、お子さまとも離ればなれで六年間も逃亡生活を強いて。」

 クレイアはシグノーにしがみつき、声をあげて泣き続けた。シグノーの服は涙で濡れた。

                          第八話了

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