第6話 雪の都にて

ナムリアがアルテノワを旅立ってから四十日目、そのアルテノワのアルテナ神殿の地下の祭司長の執務室。


 昼でも日の射し込まない部屋は蝋燭で照らされ、祭司長と年輩の巫女が差し向かいで中央の机の上に拡げられた大陸全体を描いた大きな地図に見入っていた。


「やはりだめですね。ヒュペルボレアス領内に入ってから、ナムリア達の足取りが読みとれません・・・」

 祭司長は地図から手を離し、ため息をついた。


 手には銀の鎖に繋がれた水晶が握られている。


「ナムリア達は結界の中に取り込まれているのではないかしら?」

 祭司長は年輩の巫女にそう言った。


「結界の中に・・・?」

 年輩の巫女が問い返した。


「ソルフィア、あなたはアルテナ巫女の中でもナムリアの次に遠目が利きます。もう一度あなたが占ってみてくれませんか。」

 祭司長はソルフィアと呼んだ年輩の巫女に言った。


「祭司長様でもおわかりにならないものが私にわかるとも思えませんが。」

 ソルフィアはそう答えた。


「私の力はもう衰え始めています。それにあなたはナムリアと浅からぬ仲、どうかもう一度ナムリアを探してみてください。」

 祭司長は重ねて言った。


「・・・わかりました。では・・・」

 ソルフィアは水晶を銀の鎖に繋いだものを指でつまんで、地図の上に垂らした。


 水晶のおもりは小刻みに揺れながら、アルテノワから北東に海を渡り、ラステノワに達して、そこから陸路シュロステ、リトブカ、マラトを経てアーゴンに入り、ヒュペルボレアスとの国境の町ホロゴンにまで達したが、そこでおもりは大きく揺れ始め、先に進まなくなった。


 ソルフィアは額に汗を浮かべた顔を上げ、祭司長に言った。

「これはもしかすると、ナムリア達がヒュペルボレアスに入国できずに立ち往生していることを示しているのではないでしょうか?」


「そうは思えません。もしそうなら、振り子はナムリア達のいる位置で止まるはずです。」

 祭司長は首を振ってソルフィアの言葉を否定した。


「ですが、アーゴンとヒュペルボレアスの国境に沿って端から端まで振り子を辿ってみても、ナムリアの居場所はつかめないのですよ、祭司長様。」

 ソルフィアはそう言って反論した。


「やはり、国境に沿って魔法を遮断する結界が張り巡らされているとしか・・・」

 祭司長はつぶやくように言った。


「まさか、アーゴンとの国境すべてに結界を施すなどと言うことが可能とはとても・・・」

 ソルフィアは問い返した。


「アルテナ巫女団千人を総動員しても、不可能でしょうね。しかし、ヒュペルボレアスの魔法団ならば、あるいは・・・」

 祭司長は悩ましげな顔つきで言った。


「ヒュペルボレアスの魔法団の力はわれらアルテナ巫女団に勝るとおっしゃるのですか?」

「そうではないことを信じたいですね。」

 祭司長はまたため息をついた。


「アルテナ女神に祈り願い奉ります。ナムリア達の行く手にアルテナ女神の加護の多からんことを・・・」

 祭司長は屹立し、胸の前で両手を合わせて祈った。


 それを見たソルフィアは威儀を正し、祭司長に倣った・・・


 同時刻、ヒュペルボレアス、クセノフォス近郊。


 ナムリア達は雪に覆われた街道の上に竜車を走らせていた。


「おい、この道で確かなのか、皇宮クセノフォンに行く道は?」

 テミストが御者席のルグレンとザクトに尋ねた。


 竜車は早朝農家を発って、街道を一路北に進んでいたが、そろそろ正午が近づいているのにまだ皇宮らしきものは前方に見えてこなかった。


 しかし、建物は確実に増えていた。


「ああ、ヒュペルボレアスを縦断する街道でクセノフォスを通る大きなものはこの一本しかない。」

「俺の記憶とこの地図が正しければ、昼過ぎには着くはずだ。」

 ルグレンとザクトがそれぞれ答えた。


 ザクトの言う地図とは、ホロゴンで鑑札証を手に入れたとき、鑑札証と一緒に袋に入れられていたものだ。ルグレンはその地図を自分で書き写して持っていた。


 竜車は丘にさしかかった。


 そして、その丘を越えたとき、荷台から目を凝らして前方を見ていたナムリアが叫んだ。


「み、皆さん、前を見てください!」


 一行の眼前には、真っ白な大理石造りの壮麗な宮殿が間近にあった。


 屋根には白い雪が積もっている。それはヒュペルボレアス皇帝の皇宮、クセノフォンに間違いなかった。


 ルグレンとザクトは騎竜を早めた。


 しかし、クセノフォンは見る者の想像以上に大きく、辺り一面の雪の白一色にとけ込んで遠近感が定かでなかったため、丘の上からの距離は予想以上に長かった。


 結局、一行の竜車は正午を半刻ほど回った時刻に皇宮クセノフォンの正門の前にたどり着いた。


「さて、どうする?」

 携行食の干し肉を囓りながらルグレンが一同に訊いた。


「どうするって、入るしかなかろう。」

 ザクトがこともなげに言った。


「入るって、ここがどこかわかっているのか?同盟国のラステニアや今は中立国のマラトの王宮に入るのとは訳が違うぞ。アルテナ祭司長の得た託宣が事実なら、近いうちに戦争になるんだぞ、このヒュペルボレアスとは。この皇宮クセノフォンはそのヒュペルボレアス皇帝の居城だぞ。入って無事に出られる保証はないんだぞ!」

 ルグレンは一気にまくし立てた。


「ここに至って怖じ気づいたか?ルグレン殿。」

 シグノーが少し嘲りの調子を込めて言った。


「何を言う、シグノー、貴様、マラト王との拝謁も、ディストートの王宮の宴席にも招き入れられなかったくせに。あの席でナムリア殿がどんなに大胆に振る舞われたか貴様は知るまい?」

 ルグレンはかっとなって言い返した。


「その時、私は失神し、病院に運ばれていた。事実は事実。否定はしない。その謁見の話はテミスト殿に聞いたが、確かにその場に居合わせられなかったのは残念ではあるが、それはすべてナムリア殿の活躍、そなたの手柄でのではあるまい。」

 シグノーは平然として答えた。


「東方のことわざにこういう言葉があるそうです。『暴君竜の巣に入らなければ暴君竜の卵を取ることは出来ない』と。」

 ナムリアは皇宮を正面に見据えて言った。


「ナムリア殿・・・何を」

 ナムリアの隣りに座っていたテミストが怪訝そうに尋ねた。


「私たちは、別に戦いをしにここに来たわけではありません。和平を結べるならそれに越したことはありませんが・・・ともかく皇宮に入ってみましょう。」


 正面入り口には青銅の浮き彫りが施された頑丈そうな門があり、その両脇に衛兵が数人ずつ立っていた。


 竜車を御するルグレンとザクトは門の前まで竜車を進めて止めた。


 衛兵のひとりが近づいてきて言った。

「アルテニアのアルテナ巫女、ナムリア様の御一行ですね。皇帝陛下がお待ちです。」


「え、どうしてそれを?」

 ルグレンは目を剥いて驚嘆した。


「ナムリア殿、このクセノフォスには、祭司長様の書簡は届いてはいないはずですよね?」

 テミストが隣のナムリアに訊いた。


「もちろん・・・このヒュペルボレアスには特別な許可を得た商人しか入ることを許されないはず。書簡を届けることなどまっとうな方法では不可能です。」

 ナムリアが答えた。


「では、なぜ衛兵はナムリア殿の名前を知っているのでしょう?」

「わかりません・・・皇帝に会えばわかるかも知れません。」

 ナムリアは毅然とした表情で答えた。


「ナムリア、竜車を中に入れていいのか?」

 ザクトが振り向いて訊いた。


「ええ、・・・私がアルテナ巫女のナムリアです、衛兵の方、門を開けてください!」

 ナムリアはザクトに頷いた後、荷台から立ち上がり、衛兵に向けて叫んだ。


 ほどなく青銅の門が重々しく開けられ、ナムリア達を乗せた竜車はその中に飲み込まれた。


「荷台の小麦は皇帝陛下への献上品です。降ろすのを手伝ってください。」

 ナムリアは衛兵達に呼びかけた。


 衛兵達は駆け寄ってきて、二十袋の小麦を見る間に持ち去った。


 ナムリアはその白い宮殿を間近に見て、ため息をついた。


 ヒュペルボレアスに関してほとんど情報を持たない大陸中原の学者達は、先入観と偏見からヒュペルボレアスが北方の蛮族であり、その文化水準は中原の大国、マラトやアルテニアよりはるかに低いものと信じていた。


 しかし、今、ナムリアの眼前にそびえる大理石造りの皇宮は、全体の形の美しさだけでなく、表面には緻密な彫刻が施され、その建築・工芸技術の高さは中原の大国に匹敵するどころか勝っているとさえ思えた。


 ナムリアが幼い頃から毎日のように眺め親しんできたアルテナ神殿は、アルテニアの建築物の中でももっとも美しいもののひとつといわれているが、アルテニア人は建築学には長けているが、美術工芸はそれほどではないため、神殿の装飾には美の女神アケメネを守護神とする隣国アケメニアの彫刻家の協力を頼っている。


(でも、この宮殿の雰囲気は、凍えるように冷たく、彫刻も氷を削ったみたいな印象があるのはなぜかしら?・・・周囲の気候が冷たく、屋根やまわりに雪が降り積もっているせいかしら・・・)


 ナムリアがふと我に返って仲間の姿を見渡すと、それぞれに皇宮やその後ろに広がる庭園を見渡していた。中でも、テミストは皇宮の建物に見入って化石したように立ちつくしていた。


 やがて皇宮の巨大な扉が開かれ、年老いた侍従とおぼしき男が現れて言った。


「お待たせいたしました。皇帝陛下が謁見なさいます。中にどうぞ。」


(いよいよこの旅の一番重要な任務が訪れた・・・)

 ナムリアはそう思い、気を引き締めて言った。


「さあ、皆さん、参りましょう。」


 ルグレン、シグノー、ザクト達はナムリアの後ろに従って歩き始めた。しかし、テミストだけは呆然として立ちすくんだままだった。


「おい、テミスト、行くぞ。」

 ルグレンに言われて、テミストもようやく我に返り、

「あ、ああ・・・」

 と、曖昧な返事をして列に加わった。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか・・・」

 列の殿にいたザクトはそうつぶやきながら扉をくぐった。


 武器は預かられず、所持品検査も受けなかった。一行はそれをいぶかしんだが、説明を受けるいとまもなく、侍従は通路の奥に一行を導いていった。


 宮殿の中は外から見て感じていた以上に広かった。


 一行は長い廊下を歩かされ、ようやく貴賓室とおぼしき部屋に案内された。


 一行が席に着くと、侍従は部屋を出ていった。


 一行の対面には、椅子がひとつだけ置かれてあった。


 ただの椅子ではない。


 石英を削ったものであろう。しかし半透明のその外見はまるで氷を削ったもののように見えた。


 まもなく宝冠をかぶった背の高い女性が侍従にかしずかれて部屋に入ってきた。

このヒュペルボレアスの女帝、クセノフォセスに違いなかった。


 ルグレンとザクトの情報によると、女帝の名は首都の名クセノフォスから取ったものではなく、首都の名を女帝の即位の際に改名したのだという。


 皇宮クセノフォンは即位後建造された。


 現皇帝の在位は現在までで二十二年。


 年齢は不詳だが、今、眼前に見るその姿—銀色の髪、蒼い瞳、雪のように白く透き通るような滑らかな肌、端整な顔立ちからは、確かに年齢は推測できない。


 ただ、その全身から発する雰囲気は北の大国の女帝にふさわしい威厳を周囲に発散している。


「ヒュペルボレアス皇帝、クセノフォセスである。」

 朗々と響く声音でクセノフォセスは名乗った。


 ナムリアはすかさず席を立ち、拝跪の姿勢を取った。他の仲間もナムリアに従った。


「アルテナ一級神女、ナムリアでございます。」

「アルテニア陸軍参謀本部次席参謀、ファエリス・テミスト少佐です。」

「ナムリア殿の案内人、サマルド・ルグレンと申します。」

「ナムリア殿の従者を務めております、イラム・シグノーです。」

「傭兵団『暁の星』の団長、今はアルテニアと契約している、クレジ・ザクトという。」

 五人はそれぞれ挨拶の名乗りを上げた。


 テミスト、ルグレン、シグノーはザクトの言葉使いが礼を失しているのではないかと思ったが、女帝は気にとめた様子もなく、つぎのように告げた。


「皆の者、遠路はるばるご苦労であった。堅苦しい挨拶はもうよい、席に着くがよい。献上の品はありがたく頂いた。」


 ナムリア達が席に着くと、侍従が机の上に用意された茶器に飲み物を注いで回り、それが終わると部屋を出て行った。後には女帝クセノフォセスとナムリア一行だけが残された。


 ルグレンはふと思った。

(茶は北方では穫れぬはず、輸入品か、それとも薬草茶か?毒入りと言う可能性も考慮せずにはなるまいな・・・)


 ルグレンの思索はつぎの言葉で中断された。


「ひとつ訊いておきたい。なぜ俺達の武器を預かりもせず、身回り品の改めもせず、自らは武器を帯びずにひとりで玉座に着いた?俺達があんたを暗殺する気なら絶好の機会だと思わなかったのか?」


 言い放ったのはザクトだった。


「ザクト殿、陛下の御前で何をおっしゃる?」

 テミストが狼狽して言った。


 だが、クセノフォセスは意に介した様子もなくザクトの問いに答えた。

苦しゅうない。ザクトとやら、この場で私を殺めることがそなたらに出来るというならやってみるがよい。」


「なに!」

 ザクトは椅子から腰を浮かしかけた。


「おやめください、ザクト殿、女帝陛下のおっしゃるとおり、私たちにこの場で陛下を殺めることなど出来ません。ザクト殿にもおわかりでしょう!」

 ナムリアが叫んだ。


「・・・」

 ザクトは答えなかった。ナムリアの言ではなく、クセノフォセスの放つ、目には見えない威圧感に気圧されて、動けなかったのである。ナムリアはこの剛胆な小男が恐怖する姿を初めて見た。


「さて、ナムリアよ。わらわに用があって来たのであろう。何なりと申してみよ。」

 女帝クセノフォセスは白い能面のような顔にかすかに微笑らしきものを浮かべてナムリアに問うた。


「・・・では、申し上げます。ヒュペルボレアスが近いうちに大陸中原に侵攻を企図しているというのは事実なのですか?」

 ナムリアは単刀直入に言った。


「事実である。」

 クセノフォセスも一瞬の躊躇もすることもなく答えた。


 列席している男達は皆はっと息を飲んだ。


「・・・ただし、そなた達アルテニアに組みするものにとっては気にする必要のないことだ。」

 クセノフォセスは言葉を継いだ。


「どういう意味でしょうか?」

 ナムリアが問い返した。


「わからぬか。わが軍は、マラトとその同盟国を侵攻目標とするが、アルテニアとその同盟国と闘うつもりはない。そちらから手を出してきた場合は別であるがな。」

 クセノフォセスは言った。


(予想はしていたこととて、果たして信じていいものか・・・?)

 即断即決を信条とするナムリアが珍しく迷っていた。


「口約束では不足というなら、そなたが承認するなら我が国とアルテニアの和平条約をこの場で結ぼう。そなたはアルテナ祭司長とアルテニア執政官の全権委任を受けているのであろう。それではどうか?」

 クセノフォセスは畳みかけるように言った。


 その時、ザクトが口を挟んだ。

「だまされるな、ナムリア、詭弁に決まっている!」


(やはりクセノフォセスは祭司長の書状を読んでいる・・・どうやって手に入れたかと言えば・・・そうだ!門前払いをくったアーゴンの首都ディスタゴンの宮殿には書簡も書状も届けられていていたはずだ。アーゴンはヒュペルボレアスと密約を結んでいる疑いがある。祭司長の書状を受け取ってから早騎竜でここに届ければ、俺達より早くここへ届けられたはずだ・・・だが一目見て俺達と見抜いたのはどうしてか?それもクセノフォセスの魔法か・・・)

 ルグレンはひとり思索を巡らしていた。


 実のところ、ナムリアは連れの男達が考えている以上に迷っていたのである。


 アルテニアとマラトは過去数百年、何十回となく戦火を交えてきた。最近では二十五年前にアルテノワ城下に戦火が迫るほどの激戦があり、その際、ナムリアの父は戦死している。


「敵を憎んではならない」とはアルテナ女神の言葉として教えられた言葉だが、ナムリアの中では物心ついたときから、マラトに対する遺恨の念はなお拭いきれないものがあった。


 マラトとの同盟工作が失敗したのも、自分がマラトを憎んでいるからではなかったか・・・


「女帝陛下、お聞きしたいことがあります。」

 ナムリアがうつむき黙り込んでいる間に、ルグレンがクセノフォセスに尋ねていた。


「申してみよ。」

 クセノフォセスは鷹揚に答えた。


「戦争の目的はこのヒュペルボレアス国内での数年に渡る飢饉を救うためでしょうか?」

 ルグレンは毅然として女帝に迫った。


「・・・答える必要を認めぬ。」

 クセノフォスは一瞬たじろいだ。


「そうなのですね。だとしたら、マラト侵攻は抜本的な解決策にはなりませんよ。なぜなら、中原北部も、ヒュペルボレアスほどではないにしろ、ここ数年飢饉に見舞われているからです!」

 ルグレンはそこまで言うと、大きくため息をついて、椅子にへたり込んだ。


 一方、迷い続けながらルグレンの言葉を聞いていたナムリアは、何とはなしに昨晩宿を借りた農家の老夫婦のことを思い出していた。


(他国のみならず自国の国民をも犠牲にしていとわないヒュペルボレアスに正義はないわ。そして・・・)


 続きは言葉になって吐き出された。

「『アルテナ女神は正義のもとに闘う者にだけ勝利の冠を授く』と言います。人々が平和に暮らす土地を侵略し、罪もない人々を殺め、あるいは飢えに苦しませる、そんなヒュペルボレアスに正義はありません。正義のない者に最後の勝利はないことを覚えておいてください!」


  さすがのクセノフォセスもナムリアの予想外の剣幕に鼻白んだようだった。


「言いたいことはそれだけか?」

 そう言い返すのが精一杯だった。


「ええ、陛下とはおそらくもう一度お会いするでしょう、戦場で。では、それまでご機嫌よう。」

 ナムリアは席を立ち出口に急いだ。


 テミスト、ルグレン、シグノー、ザクトもそれに倣う。


「愚か者どもめ、今度戦場で会ったときには、自分の愚かさを精一杯後悔して死んでゆくがよい!」

 クセノフォセスは憤然として、退去するナムリア達の背中に罵声を浴びせてきた。


 その時、ナムリアは一瞬背中に疼痛が走るのを覚えた。


 半刻後、ナムリア達はもと来た道を戻りつつあった。


「クセノフォセスはなぜ我々を無事に帰したのでしょうか?ナムリア殿がああ言ったことではっきり我々は敵に回ったのに。」

 シグノーは不思議そうに言った。


「本人が言っていただろう。俺達を戦場で殺したいのさ。」

 ザクトが答えた。


「それにしてもザクト殿の剛胆さには驚嘆しました。」

 シグノーが言った。


「いや、俺は機会があれば本当にクセノフォセスを斬ってやろうかと思っていた。だが、あの目で見つめられると身動きすることもできなかった。剛胆と言うならルグレンの方だろう。」

 ザクトは答えた。


「いや、誰より勇気があったのはやはりナムリア殿だろう。」

 ルグレンが言い返した。。


「勇気、と言うより逆上してしまっただけかも知れませんよ。」

 ナムリアは微笑んで答えた。しかしその心中は複雑だった。


(これでヒュペルボレアスとの和平の道は断たれた—私の一存で。マラトとの同盟も成立していない。このままではもっとも恐れていた各個撃破の機会を敵に与えることになりかねない・・・)


「ナムリア殿、どうなされた、ぼんやりして。」

 テミストが問いかけた。


「あ、いえ、ちょっと気分が悪くて。」

 ナムリアは答えた。


「おい、ちょっと竜車を止めてくれ!」

テミストが叫んだ。


「ナムリア殿、少し休まれてはいかがですか?」

 テミストはナムリアを促した。


「ええ・・・は、はい。」


 竜車の荷台に横になろうとして立ち上がったナムリアは、突然姿勢を崩し、荷台から転げ落ちそうになったところを危うくテミストに抱き止められた。


「ナムリア殿・・・」

 テミストは突然はっと気づいてナムリアの額に手を当てた。


「ひどい熱だ・・・」

 テミストの言葉はふるえていた。


「なに?」

「なんだって?」

「なんですと?」

 残りの三人も慌ててナムリアに駆け寄った。


 雪はまだ降り続いていた。

                                  第六話了

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