第5話 北の地へ

 ディスタゴンを出た一行は、三日後、アーゴンの北の国境の町、ホロゴンについた。


「ヒュペルボレアスに入るには、通行証がいるんだろう?」

 テミストが言った。


「やはり商人に紛れ込むのが手っ取り早いだろうな。」

 ルグレンが答えた。


「ちょっと待て、ヒュペルボレアスに行く商人はふつう数人単位だぞ、五人も混ざったらかえって目立つだろう。」

 ザクトが口を挟んだ。


「じゃあ、どうする?」

 ルグレンが問い返した。

「通行証を買い取って、俺達全員が商人になりすますのはどうだ?」


「なるほど」

 シグノーが頷いた。


「だが、金がいるな、お宅ら、いくらぐらい持っている?」

 ザクトはナムリアを見た。


「四人で会わせて金貨百枚ほど。あと、宝石類が金貨五十枚相当程度です。」

 ナムリアは答えた。


「あと、俺がもらった金貨五十枚と俺の路銀、金貨二十枚ほど・・・路銀を残しても、金貨百枚くらいは十分出せるな。商人を釣るにはその程度で十分すぎるだろう。」


「結構です。ザクト殿、ルグレン殿と一緒に適当な商人を捜してくれませんか。」

 ナムリアはそう言って、四人に用心のため分散させて持たせていた金貨と宝石を集めてザクトに渡した。


 一行は商人達がたむろする市場に赴いた。ここで商人は品物を買って、ヒュペルボレアスに赴くのだ。


 ナムリアとテミスト、シグノーを市場の隅に残し、ザクトとルグレンは市場の中を探して歩いた。


「さて、誰に声をかける?」

 ザクトはルグレンに聞いた。


「あの、四頭立ての空の荷竜車に乗ってる男はどうだ?」

「そうだな、行ってみよう。」

 ルグレンの言葉にザクトも同意した。


「おい、おやじ、あんた何を商ってるんだ?」

「へい、旦那がた、ここ数年は小麦をヒュペルボレアスに納めていましたが、ここ二,三年、このアーゴンでも不作が続きまして、価格も上がり、入荷量もめっきり少なくなり、こうして市場で入荷を待っているのですが、いつになることやら・・・」

 人の良さそうな中年の商人は愚痴混じりに言った。


「ヒュペルボレアスに小麦を納めるのは昔からなのか?」

 ザクトが聞いた。


「いえ、この数年のことです。その前は薬草などを商っていました。」

 商人は答えた。


「そうか、それなら、おやじ、この竜車売り払わないか?騎竜は元気良さそうだし、竜車もまだまだ使えそうだ。そうだな、金貨五十枚でどうだ?」

 ルグレンが言った。


「こ、この竜車を金貨五十枚ですと!?」

 提示した額があまりに高額だったので、商人の男は驚愕した。


「ただし、ただしだ。鑑札も一緒に渡してもらおう。当然持っているんだろう?」

 ザクトが少し凄んで言った。


「も、持っている。もちろん。だが、これを手放したら、二度とヒュペルボレアスと商売が出来なくなる・・・」


 男は金は欲しいが、鑑札は手放したくない、という葛藤に悩んでいるようだった。


「なに、あと半月か一ヶ月か、ともかく俺達が生きて戻ってきたときは、鑑札は返してやる。そうだ、騎竜を五頭預かってくれないか?騎竜の預かり賃にさらに金貨十枚だそう。」

 ルグレンが言った。


「では、しめて金貨六十枚・・・」

 男は浅ましくごくりとつばを飲み込んだ。


 彼が生まれてから今まで目にしたこともない大金だったのだろう。


「どうするんだ?俺達は取引相手があんたじゃなくても構わないんだぜ。」

 ザクトが凄んで言った。


「やる、竜車もやる。鑑札も貸してやる。騎竜も預かる。」


「よし、取引成立だ。ほれ、金貨五十枚。あと十枚の騎竜の預かり賃は、俺達がここに戻ってから渡す。持ち逃げされちゃかなわないからな。」

 ザクトはそう言って金貨を渡した。


 男は金貨の重みと黄金色の輝きに魅了された様子で手をふるわせていた。


「おい、鑑札証は?」

 ルグレンが言った。


「あ、ああ。」

 男は首からかけていた鑑札証をルグレンに渡した。


「これから騎竜を連れてくる。それまでここを離れるなよ。この場を離れれば、残りの金貨十枚はやれないからそのつもりでいろ。」

 ザクトはそう言って自分の騎竜の手綱を男に渡し、竜車に乗り込んだ。ルグレンもそれに続く。


 まもなく、ザクトとルグレンはナムリア、テミスト、シグノーを連れて市場に戻ってきた。


「あの男、商人向けじゃないな。強欲さがなさ過ぎる。」

 男に騎竜を預け終わると、荷竜車の御者席に座り、ルグレンが言った。


「いきなり金貨五十枚を見せられてあっけにとられていたようだったな。」

 隣の席でザクトが言った。


「さて、問題は荷物だが、やはり空荷というわけにはいくまい。」

 ルグレンが言った。


「仕入れる必要があるな。この鑑札には『小麦』と書いてあるからその通りでないとまずかろう。さっきの男は入荷を待っていると言っていたが。」

 ザクトが答えた。


「口入れ屋を探そう・・・裏のな。」

 ルグレンが言った。


「ああ、そうだな。」

 ザクトが答える。


 そのやりとりを聞いていたナムリアが笑いながら言った。

「お二人とも、気がお合いなんですね。」


「おれがこいつと、なんで?」

 ルグレンとザクトの二人は同時に言った。


「お二人が仲間に加わってくれたことで大変心強いです。ありがとうございます。」

 ナムリアは今度はまじめに言った。


「礼を言うのは無事にアルテニアに帰れたらにした方がいい。」

 ザクトはぼそりと答えた。


 ルグレンは市場でたむろしていた商人の中から口入れ屋を探し出して、金貨五枚で小麦二十袋を買った。アルテニアの相場と比較すれば、破格の高値である。ザクトはついでに携行食糧も仕入れた。


 口入れ屋は自分の荷竜車で早速小麦を運んできた。荷の乗せ換えはすぐに済んだ。


「野営の道具は竜車に備え付けてあるな。」

 ザクトが確認するように言った。


「ちょっと待った、クセノフォスへの道程には野営が必要なのか?」

 テミストが驚いて聞き返した。


「当たり前だ。クセノフォスへの街道沿いに宿場はない。」

 ザクトは答えた。


「そう言えばそうだったな。あんたもクセノフォスに行ったことがあるのか?」

 ルグレンが尋ねた。


「ああ、二回ほどな。」

 ザクトは答えた。


「まことにザクト殿に仲間になってくださって心強いかぎりですな。」

 シグノーが言った。


「この際、お世辞は結構。生きて戻れるという保証はないぜ。」

 ザクトは無愛想に答えた。


「さあ、参りましょうか。北の都へ!」

 ナムリアが言うと、ルグレンが騎竜に鞭を当て、国境に向けて竜車を走り出させた。


 関所の通過は無事何事もなく済んだ。


 一行は野営を続けながら五日間、ヒュペルボレアスの首都、クセノフォスを目指して進んだ。


 道中、ナムリアは言葉少なだった。


「ナムリア殿、どうなさったのですか?」

 テミストが心配して尋ねた。


「・・・あ、テミスト殿・・・考え事をしていたのです。ヒュペルボレアスが中原に攻め入るとしたら、その目的は何だろうと。」


「・・・それで、答えは何だとお思いなのですか?」


「それはまだ、推測に過ぎませんが・・・ヒュペルボレアスでは食糧が不足しているのではないかと。」


「それで食糧確保のために中原へ?」


「ええ、でもそれだけではないような気もしますし・・・それに・・・」


(それにヒュペルボレアス領内に入ってから遠感が、いえ簡単な魔法すら全く効かない・・・)


 それきりナムリアは再び黙り込んだ。


 アーゴン国境の町ホロゴンを発ってから五日目の夕刻、一行は北の都、クセノフォスまで一日の行程までたどり着いた。


「寒い・・・ですね。いかに北国とは言え、まだ十一月半ば、これはアルテニアではもう真冬の気温ではありませんか?それともこの国ではこれが普通なのですか?」

 テミストが全身を振るわせ、白い息を吐きながら言った。


「俺が十二年前来たときは夏だったからわからん。夏でも涼しかったのは確かだが。」

 ルグレンは御者席で首を振った。


「俺は一度冬のクセノフォスに来たことがある。と、言っても二月のことで、寒くて当然だったからな。体の芯まで凍り付くように寒く、外はどこまでも一面雪が積もっていたよ。」

 ザクトはルグレンの隣の席で平原を見渡しながら淡々として言った。


「雪・・・そう言えば、私は雪が積もったのを見たことがありませんわ・・・いえ、遠くの山に積もっているのを見たことはありますけど。」


「アルテニアでは雪が積もらないのですか?」

 シグノーが尋ねた。


「ああ、年に何度か降ることはあるが、平野では積もることはまずないな・・・十数年に一度あるかないか・・・」

 テミストが代わって答えた。


 街道の両側には小麦畑が広がり、ぽつりぽつりと農家の建物も増えてくるようになった。


「さて、今夜の寝場所だが、畑に竜車を乗り入れるわけにもいかんな。」

 ルグレンがより現実的な方に話題を変えた。


「荷竜車の中で雑魚寝したらどうだ。荷物が半分積んであるから、少し狭いが、何なら俺は外でもいい。あるいは農家の納屋と厩舎を借りるかね?騎竜も休ませられる。どうかね?」

 ザクトが振り返ってナムリアに尋ねた。


「そこの農家に聞いてみましょう。」

 間髪を入れずにナムリアは答えた。


「誰かいるか?」

 ルグレンが呼ばわった。


「へ、へい」

 中からおどおどした声で返事があった。


「この家の主か?」

「さようで。」


「俺達はアーゴンからの商人だが、今夜の野営地に困っている。今夜一晩、納屋と厩を貸してもらえないか?報酬はこれで足りるか?」

 そう言ってルグレンは金貨二枚を差し出した。


「こ、これは、納屋と厩を貸すだけでいくらなんでもこんなにはいただけません。」

 農家の主は驚いて受け取るのを拒んだ。


 アーゴンとの国境の町、ホロゴンあたりでも食事付きのの宿代は一人一泊銀貨一枚が相場だ。ちなみに大陸の大部分で通用する通称中原通貨と呼ばれる貨幣は、金貨一枚が銀貨二十枚、銀貨一枚が銅貨十枚の換算率である。

 テミストが農家の主にそっと耳打ちした。


「主よ、我々は、大きな声ではいえないが、皇帝陛下に重要な用件があるのだ。ここは素直に受け取っておいてくれ。」


「は、はあ、では、ありがたくいただきます。」

 皇帝の名を聞いた途端、主はしゃちほこばって金を受け取った。


 あとでナムリアが思ったことは、このあたりの農家は現金収入が著しく少なく、それ故金貨を驚くほどありがたがったのではないか、ということであった。


「なあ、おやじ、小麦の種は余っていないか?」

 納屋の中を見回していたルグレンが言った。


「た、種ですか!・・・旦那、それは堪忍してください。小麦は年貢に全部取られて、残っていないんですよ。」

 農家の主は慌てて言った。


「いや、ほんの数十粒でいいんだが。」

 ルグレンは答えた。


「それくらいでしたら・・・」

 主は言うと奥に引っ込んで、小麦の種をひとつかみ持って出てきた。


「悪いな、これは代金だ。」

 種を受け取ったルグレンは銀貨一枚を主に渡した。


「こ、こんな、先ほども金貨を頂いておりますのに、これ以上は結構でございます。」

 主は恐縮して言った。


「まあ、そう言わずに取っておいてくれ、これは俺の個人的な商売なんでな。」

 そう言ってルグレンは主に銀貨を握らせた。


「おい、ルグレン、その種が何の役に立つんだ?このあたりでは小麦が不作らしいが、アルテニア本国に帰れば、小麦くらい銀貨一枚でその何十倍でも買えるだろう?」

 テミストが不思議そうにルグレンに尋ねた。


「このヒュペルボレアスの小麦の種だから意味があるのさ・・・あ、別にやましい商売に使うわけじゃないぜ。」

 そう言ってルグレンは含み笑った。


「あ、そうだ、おやじ、ついでに聞きたいが、この辺に春に播いて秋に穫れる小麦はないか?」


「は、春に播く小麦ですか?聞いたこともないですが。小麦は秋に播いて翌年収穫するものと決まっていますので。」


「そうか、ヒュペルボレアスにもないか・・・」

 ルグレンはひとりでつぶやいた。


「春に播く小麦ってどういう意味だ?おまえの仕事と関係があるのか?」

 テミストが不思議そうに尋ねた。


「依頼人の個人的な情報は漏らさない主義だが、あんた達はもう仲間だから、話してもいいだろう。この仕事はもともとアルテニアの、アケメニアとの国境近くの山麓に住んでいる農学の研究者の依頼でな・・・」

 ルグレンは一端言葉を切った。


「ところで、お宅、麦はなぜ秋に播くと思う?」

 ルグレンは突然逆に質問してきた。


「それは、その、ええと・・・」

 テミストは答えに窮した。


「冬の寒さに当てる必要があるためではありませんか?」

 ナムリアが横から口を挟んだ。


「その通りだ。ナムリア、よく知っているな。」

 ルグレンは感心して言った。


「修道院で習ったのです。『冬の寒さに耐えねば麦も実らない』と。習ったときには訓話のひとつに過ぎないと思っていましたけど。」

 ナムリアは少しはにかんで答えた。


「なに、俺の話もその学者先生の受け売りに過ぎん。その先生の頼みで数年前から大陸各地の小麦の種を集めているんだが、それが何の役に立つんだか、俺にはわからん。春に播く小麦というのにもお目にかかったことはない。俺の話はそれだけだ。」

 その話題はそれで終わった。


「あの、粗末なものですみませんが、食事の用意が出来ましたので、どうか母屋の方へ。」

 農家の主が現れ呼ばわった。


「食事は手持ちの携行食糧で済ませるつもりだったんだがな。」

 ザクトが言った。


「そうおっしゃらないで、せっかくのお心遣いですから、ありがたく頂きましょう。」

 ナムリアは率先して立ち上がり、主についていった。


 一同もあとに続いた。


「本当に粗末な料理で申し訳ありませんが。」

 奥方がそう言って椀に盛って出してくれたのは、稗、粟、黍などの雑穀の入った粥だった。


「これは確かにご馳走とは言えんな。ホロゴンの宿でさえ大麦の粥が出た。」

 テミストが思わず漏らした。


「テミスト殿、ご主人と奥方に失礼だろう、せっかくのもてなしに不平を言ったらアルテナ女神の罰が当たるぞ。」

 そう言ってテミストを諫めたのはシグノーだった。


 旅を共に続けるうちに、仲間内の会話も各々程度の差はあるが、知らず知らずのうちにくだけてきている。


「こ、これは申し訳ない、シグノー殿、いや、ご主人、奥方、大変申し訳ないことをした。」

 テミストは慌てて椀を置き、手をついて謝った。


「お気になさらず、申し訳ないのは私どもの方ですから。あんな大金を受け取りながら、この程度のものしか出せないのですから。」

 主は恐縮して言った。


「主、あの金は納屋と厩の借り賃と言っただろう、あんたが気を使うには及ばんよ。」

 ルグレンは答えた。


「これというのも、今の女帝陛下の治世になって以来、年貢の取り立てが厳しくて、その上この数年は冬が早く、春は遅く、夏でも涼しくて、作物の出来も悪い年が続き、息子達は皆、兵役に取られて、私達年寄り夫婦二人でこんなものを食べて飢えを凌ぐのがやっとなんです・・・」

 奥方の言い訳は愚痴混じりだった。


「よさないか、お前、お客様の前で。壁に耳ありと言うだろう。陛下を誹謗すると取られかねない言葉は慎まねばいかんぞ。」

 主はそう言って奥方をたしなめた。


「私たちはその皇帝陛下に会いに行くつもりですが、あなた方の話は内緒にしておきますからご心配なく。」

 ナムリアは粗末な粥を美味しそうに平らげて言った。


 大事そうに出してきた蜀黍で造った酒を主が勧めるのを断り、居間で寝てくれと言うのも断って、一行は約束通り、納屋に野営用品を持ち込んで眠りに就いた。


 翌早朝、分厚い毛布にくるまっていてさえ、入り込んでくる寒さに目を覚ましたナムリアは、体内時計の示す時間に比べて外が妙に薄明るいのに気がついた。


 上着を羽織り、かじかむ手のひらで納屋の戸を開けて外に出た瞬間、ナムリアは息を飲んだ。


 外は一面の銀世界。


 真っ白い雪が深く降り積もっており、なおも降り続けていた。


 視線を移すと、街道にはいつ通った竜車のあとか、既に轍と蹄の跡が刻まれていた。


 その跡はヒュペルボレアス皇帝の皇宮クセノフォンに続いているはずであった・・・

 

                                  第五話了

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