第3話 マラトにて

 一行がマラト領内に入ったのは、シュロステの首都ラケニスを立ってから十日後のことだった。


 国境の関所では、これまでになく厳重な検問を受けたが、それ以上何事もなく、さらに五日を要して一行はやっとマラトの首都、ディストートにたどり着いた。


 秋の深まりと同時に、北に行くにつれ、寒さが増すのを三人は感じ、リトブカ領内で冬物の衣類を買っていた。


「まだ日が高い。直接王宮に向かいますか?」

 テミストがナムリアに尋ねた。


「そうですね・・・ただちょっと気になることが・・・」

「え、なんでしょう?」


「街に人気が少ないのです。大国マラトの首都にしては・・・」

「そう言えば人通りも妙に少ないようですね。」


 その時、ルグレンが叫んだ。


「おい、あの張り紙を見てみろ!」


「え、なんですか?」

「何が書いてあるって?」


 ルグレンが指した張り紙には、「国王陛下主催月例武術大会・王立闘技場にて」とあり、今日の日付が書かれてあった。


「思い出した。この軍事大国マラトは武術を尊ぶ国だ。この首都ディストートで毎月に一回催される武術大会には、優勝者には仕官の道も開かれるため、大陸中原中の武術家達が集まって来るんだ。」

 ルグレンが説明した。


「では、国王も闘技場に?」

 テミストが聞いた。


「御前試合だ。当然だろう。」

 ルグレンが答える。


「では、われわれも、闘技場に参りましょう。」

 ナムリアが明るい声で言った。


「ナムリア殿、今闘技場に行っても、国王は試合を観覧中でしょう。謁見はかなわないのではないですか?」

 テミストが忠告した。


「行ってみなければわかりませんわ。」

 そう言ってナムリアは謎めいた笑みを浮かべた。


「まあ、国王との謁見はともかく、一見の価値はあると思うぜ。」

 ルグレンが言った。


「だが、闘技場がどこか、知っているのか?」

 テミストが尋ねた。


「ああ、知っている。こっちだ。」

 ルグレンはそう答えると、騎竜に鞭を入れた。


 闘技場の大きさは初めて見るナムリアとテミストの想像を絶していた。


 客席に登った二人は場内を埋めた観客の数に驚嘆した。


 十万人は入るだろう、石造りの客席はほとんど満員だった。

 三人はすり鉢上に作られた客席の最上段にかろうじて空いた席を見つけ座った。


 試合は準決勝まで進んでいた。出場者は剣術使いや槍使い、武器は木刀や木棒などだ。


「勝ち抜き戦もこの回戦まで進むと、皆相当な腕前揃いのようですな。このくらいの使い手はアルテナ陸軍にも何人いるか・・・」

 テミストが腕組みして言った。


「その通りですけれど、今試合している赤の剣士、飛び抜けて強いですね。」

 ナムリアが答えた。


「あ、あの男、見たことがあるぞ!」

 ルグレンが突然叫んだ。


「どんな方ですの?」

 ナムリアが興味深げに尋ねた。


「イラム・シグノー。国家に属さず、大陸を旅して剣の腕を磨き、五百試合以上をして無敗。その他に野試合の真剣勝負も数多くあるという・・・」


 ルグレンが説明する間に勝負は赤の剣士—シグノーの一本勝ちで終わっていた。頭頂部への一撃で勝負はついた。


 相手の青の剣士は起きあがれず、担架で運び去られた。


「・・・強いのですね、とても。」

 ナムリアがまた謎めいた笑みを浮かべて言った。


「確かにとてつもなく強いようですが・・・」

 テミストはため息をついて言った。


 決勝戦が始まった。相手の剣士の木刀はシグノーにかすりもしなかった。


 一分と要さず、シグノーの鳩尾への突きで勝負はついた。今度も相手は失神して動けず担架で運ばれた。


 大歓声が会場を包んだ。


「強いのは認めますが、あれほど実力差があれば、相手に怪我をさせずとも勝負をつけることができたのではないですか?準決勝、決勝の相手、下手をすれば二人とも命に関わりますよ。」

 テミストは不服そうに言った。


「私もそう思いますが、観客席で見ているだけでは彼にそれを伝えられないでしょう。」

 ナムリアはそう言うと立ち上がり、通路に向かって駆け出していた。


「あ、おい、ナムリア、どこへ行く!」

 ルグレンが声をかけたときにはナムリアはすり鉢の底に向かって駆け下りていた。


「優勝、イラム・シグノー!」

 すり鉢の底では国王の御前で表彰が行われようとしていた。


「シグノーよ、見事であった。わしが直々に褒美をとらす。近こう寄るがよい。」

 マラト王ノベイ十七世が宣告した。


 軍神マラティアを信仰する武の国にふさわしく、マラト王は堂々とした偉丈夫であった。


「はっ、ありがたきしあわせ。」


 そう言ってシグノーが一歩踏み出した瞬間だった。


「お待ちください!」


 よく通る声が闘技場の底に響いた。ナムリアであった。


「シグノー殿との今一度の勝負、所望いたします!」


 何が起こったのかわからぬ観衆はざわめいていたが、飛び入りした若い女がシグノーに勝負を挑んでいるとわかると、再び歓声に変わっていた。


「シグノーと闘うだって?正気か?」

 ルグレンがつぶやいた。


「何、ナムリア殿の言葉が聞こえるのか?」

 会場の歓声にかき消されてテミストには、ナムリアの言葉は聞き取れなかった。


「読唇術だよ。この距離じゃ、正確には読みとれないが、ナムリアはシグノーと闘いたがっている。」


「・・・そうか、確かにナムリア殿なら、ひょっとしてあの男に勝てるかも知れないな。」


「何?まさかいくらナムリアでも剣術でシグノーに勝てるわけが・・・」


「見ていれば—シグノーが試合を受ければだが—、見ていればわかる・・・アルテナ巫女の本領がな。」

 テミストは力を込めて言った。


「貴様、何者だ?」

 審判役の軍人がナムリアの前に立ちふさがろうとしたが、ナムリアは彼をすり抜け、国王の面前に迫ろうとした。


 衛兵が慌てて立ちふさがり、ナムリアは止められた。


「なんだ、女、何者か?」

 マラト王は鷹揚な口調で問うた。


「アルテナ巫女、ナムリアと申します。」

 ナムリアは小声で言った。


「なに、アルテナの巫女・・・では先日届いた書簡にあった使者がそなたか?」

「さようでございます。」


 ナムリアを阻んでいた衛兵達も愕然として威儀を正した。


 潜在的な敵国であるマラトでさえ―いや何度も闘ったことがあるからこそ、アルテナ巫女の名は畏怖を与える存在であった。


「わしに拝謁したいのなら、日を改めて王宮に来るがよかろう。なぜ、今日この場で拝謁を求めた?」


「書状の件は改めて申し上げます。今日は偶然この場に居合わせました故、今日の武術大会の優勝者、イラム・シグノー殿と手合わせ願いたいのです。」


「面白い。国王陛下、是非、この手合わせお認め願いたい。アルテナ巫女との手合わせの機会など、願っても得られぬもの。」

 傍に立っていたシグノーがマラト王に言上した。


「ふむ。わしもアルテナ巫女の手並みが噂通りか、この目で見てみたい。」

 そう言って、マラト王は立ち会いを認めた。


 二人は王の前から離れ、競技場の中心で対峙した。


「おい、どうやら試合が始まるらしいぜ。」

 ルグレンがすり鉢を見下ろして言った。


「そのようだな。」

 テミストが応じる。


「しかし、ナムリアは得物を持っていないが?」

「無手がアルテナ巫女の流儀と聞いている。私も直接見たことはないが・・・」


「体術というやつか。しかし、無手の体術は得物を持った武術に対して数段不利というのが定説だろう?」


「見ていればアルテナ巫女の体術がそんな常識を越えていることがわかるはずだ。ましてやナムリア殿は祭司長様が目をかけられ、この旅の使者に選ばれた一級神女だ。私はあの剣豪シグノーにも勝てると信じている。」

 テミストは力を込めていった。


「しかし、どうしてナムリアはシグノーと闘いたがったんだろう?」

 ルグレンは首をひねった。


「それは・・・私にもわからないが、ナムリア殿のことだ、何か考えがあってのことに違いあるまい。」


「そうだな。俺達はしばらく黙って見守るしかなさそうだな。」


 まもなく銅鑼が鳴らされ、試合が開始された。


 二人はそれぞれ構えをとったまましばらく動かなかった。


「なぜ、二人は動かない?」

 ルグレンが傍らのテミストに聞いた。


「二人の間に緊張が満ちている。不用意には動けないのだろう。ナムリアの気が少しでも揺らげばシグノーの剣が飛んで来るぞ。」

 テミストが答えた。


「問題はシグノーの剣を交わして間合いの内側に踏み込めるかどうかだが・・・」


 一分ほども二人の対峙は続いたであろうか。


 シグノーがいきなり動いた。


 一気に間合いを詰め、中断から袈裟切りにナムリアの胴を斬りつけた。


「決まった!」と、観客の大部分にはそう見えたであろう。


 が、ナムリアはその斬戟を紙一重でかわしていた。


 シグノーは休むことなく攻撃を続けた。


 上段、中段、下段、小手、突き、と多彩な攻撃をナムリアに加え続けた。


 ナムリアはその攻撃をことごとく紙一重でかわし続けた。


「あいつ、あの剣豪シグノーの攻撃をかわしてやがる。しかも一分の無駄もない動きで・・・流水の円動というやつか・・・」

 ルグレンがため息混じりに漏らした。


「アルテナ巫女は相手の心を読めるのだ、次ぎにどんな技が来るかぐらいはわかる・・・しかし、それにしてもシグノーのあの早さについていけるとはさすがだな・・・」

 テミストはそう答えた。


「しかし、無手ではシグノーの間合いで闘っていては勝てまい。」

「それは・・・ナムリア殿なら何とかするさ。きっとな・・・」


 二人が話している間にもナムリアとシグノーの激しい攻防は続いていた。


 ナムリアはシグノーの攻撃をかわすだけでなく、一歩踏み込んで蹴りを出し、再び離れるという一撃離脱の攻撃を始めた。


 しかし、シグノーもまた、ナムリアの攻撃をかわしている。達人同士の対決は長期戦の様相を呈してきた。


 ナムリアは横に回りながら隙をついてシグノーの体に飛び付こうとした。しかし、シグノーはナムリアの頭に木刀の柄を落そうとし、ナムリアは転がって逃げなければならなかった。


「惜しいな、今、相手に組み付けていれば、勝てたものを。」

 テミストが悔しがった。


 疲労からか、突然ナムリアが姿勢を崩した。


 その隙を逃さずシグノーがナムリアの頭頂を狙って上段に振りかぶった。


 ナムリアはとっさに両腕を顔面で交差させて受けようとした。


「いかん、腕ごとへし折られるぞ!」

 テミストが叫んだ。


 シグノーの剣戟がナムリアの頭部に決まったと見えた直後、逆にシグノーの方が数メートル米も跳ね飛ばされて競技場の床に倒れ、それきり動かなくなった。


 場内は騒然としていた。


「な、何が起こったんだ?」

 ルグレンは隣の席のテミストに尋ねた。


「わからん。だが、ともかくナムリア殿が勝ったんだろう。」

 テミストは安堵の吐息とともに言った。


 ナムリアは両手を顔の前に組んだまましばらく動かなかったが、突然、額から一筋血を流し、ぐらりと上体を傾かせて膝をついた。


「いかん、ナムリア殿が!行くぞ、ルグレン!」

「え、あ、わ、わかった。」


 ナムリアが膝をついたのを見たテミストは、隣のルグレンに声をかけ、まだ騒然としている観客席の間の通路をすり抜け、すり鉢を駆け下りていった。


「ナムリア殿、大丈夫ですか?」

 担架で運ばれていくシグノーを横目にテミストとルグレンはナムリアの傍らにたどり着いた。


「ああ、テミスト殿、ルグレン殿、大丈夫です。」

 ナムリアはふらつきながらも、ひとりで立ち上がった。


「本日の特別試合、勝者、ナムリア!」


 審判がようやく宣告すると、場内に大歓声が巻き起こり、しばらく止むことがなかった。


「ナムリア殿、最後の技、何だったのですか?」

「・・・『応じ返しの法』。相手の力をそのまま打ち返す魔法です。」

 ナムリアが答えた。


「魔法だったら反則だろう?」

 ルグレンが尋ねた。


「ええ、そうですが・・・体術だけでは簡単には勝てそうもないほどあの方は強かったので・・・」

 そう答えたナムリアはまだふらつくのか、頭を左右に振っていたが、それでもルグレンの言葉に応えながら微笑した。


 テミストが手拭いで額の血を拭き取った。


「魔法で勝ったのなら、どうして自分が血を流して膝をついた?」

 ルグレンが重ねて尋ねた。


「全力で打ち返していたら、あの方を死なせていました・・・だから、力の一部をわざと受けたのです・・・あの方はそれほど強かったから。」

 ナムリアはぽつりぽつりと答えた。


「相手を死なせたかったからか・・・お宅は甘いな。やらなければやられるのが戦争だぜ。だいたい、なんであいつと勝負しようなんて思ったんだ?」

 ルグレンがまた訊いた。


「それは・・・」

 ナムリアが言いかけたとき、審判役の男が近づいてきて言った。


「ナムリア殿、国王陛下がお褒めの言葉と褒美を賜られる。御前に参られよ。」

「はい、ただいま参ります。」

 ナムリアは答えるとマラト王の前に歩き出した。


 テミストとルグレンも後に続いた。


「おお、ナムリアよ、見事であったぞ。さすがはアルテナ巫女、あの無敗の剣豪シグノーを破るとはな。」

マラト国王は満面の笑みを湛えてナムリアにねぎらいの言葉をかけた。


「ありがとうございます、国王陛下。」

 ナムリアは拝跪の姿勢をとり深々と礼をして、丁重に言った。


 テミストとルグレンもナムリアの動作に倣った。

「褒美を取らそう。近う寄るがよい。」


 マラト王はそう言ったが、となりに座っていた軍務大臣が慌てて近寄り、

「陛下、お待ちください。この女の技をご覧になったでしょう?この女が陛下を暗殺するつもりなら絶好の機会ですぞ。」

 と、耳打ちした。ルグレンは読唇術でそれを読みとり苦笑した。


 マラト王は豪放に笑い、

「心配は無用じゃ。この女に邪念はない。」

 と、軍務大臣に答えた。


「あの王様も人の心が読めるらしいな。」

 ルグレンがつぶやいた。


「さあ、遠慮は入らぬ。近う寄れ、アルテナの巫女よ。」

 マラト王は改めて言った。


「は、ではお言葉に甘えまして。」

 衛兵が左右に分かれ、ナムリアは国王の眼前に進み、再び拝跪の姿勢を取った。


「ほれ、褒美の金貨五十枚だ。受け取るがよい。もっとも、そなたがわしに仕えてくれると言うのなら、百枚でも二百枚でも構わぬが、そなたはアルテナの巫女、叶わぬ望みであろうな。」

 近持の者が金貨をナムリアに差し出した。


「仕官のことはともかく、私どもは路銀に不自由はしておりません。褒美をいただけるのなら、別の物を所望いたします。」

 ナムリアは金貨に目も向けず、マラト王と目を合わせて言った。


「別の物を?何が所望じゃ、望みの物を申して見よ。」

 マラト王は意外そうな顔でナムリアに尋ねた。


「はい、お許しいただけるなら、マラトと我がアルテニアとの軍事同盟締結の承認を。」

 ナムリアはマラト王を見据えたまま言い放った。


 王の側近達は、ナムリアの言葉に驚愕し、騒然となった。


「うろたえるな。ナムリアとやら、もしやわしの前でそれを言うためにシグノーと試合ったのか?」

 王も少なからず怒気をはらんで、ナムリアを詰問した。


「御意、と申し上げたいところですが、そうではありません。シグノー殿と試合ったのは別の理由でございます。今、お願い申し上げましたことは、本来なら日を改めて申し上げるつもりでございましたが、私どもは先を急いでおります。今日はたまたま成り行きでお目通りを得ましたので申し上げたまで。」

 ナムリアはけろりとしていった。


「う、うむ、そちの言いたいことはわかったが、残念ながらそなたの所望にはすぐには答えがたい。ともかく褒賞金の金貨五十枚は受け取るがよい・・・ところで、そなたら、宿は取ってあるのか?」


「いえ、まだですが、何か不都合がございますでしょうか?」

「知らなかったのか?、この武術大会の前日と当日には、周辺から駆けつけた観客でディストート市内の宿はどこも満員になるのだ。よければ、王宮に泊まっても構わぬぞ。それに今晩は晩餐を共にして、さっきの話の続きをするとしよう。」

「王様、ありがたく仰せに従わせていただきます。」


 三人は深々と頭を下げた。


 ルグレンだけは苦笑を浮かべていた。


 武術大会の日取りを失念していたのは自分の責任だと知っていたからだ。


「・・・して、書状の件じゃが・・・」

 晩餐会の宴もたけなわの頃、マラト王が口を開いた。


「ヒュペルボレアスが中原に攻め入って来るということだが、それはしかとまことか?」


「はい、アルテナ祭司長の授かったアルテナ女神の託宣です。『北からの脅威が大陸を席巻するであろう』と。」

 ナムリアは毅然とした口調で語った。


「アルテナ女神の託宣は違えたことがないと聞く。おそらくは事実であろう。だが、数百年鎖国を守り続けたヒュペルボレアスが何故今、この時期に中原に攻め入ってくるというのだ?」

 王はナムリアに問うた。


「それは・・・私にもわかりません。祭司長様も、託宣はそれだけだとおっしゃっておられました。ただ、時期については『遠くはない』と。」

 ナムリアは自信なげに応えた。


「ふむ、だがいずれにせよ、心配するには及ばぬ。敵がいかに大軍であろうとも、我がマラトと同盟国の精兵とを、結集すれば、ヒュペルボレアスといえども恐れるに足らぬ。アルテニアに加勢してもらう必要などない。」

 マラト王は自信満々に言い放った。


「お言葉ですが、国王陛下、アルテニアは別に貴国に恩を売ろうと言うつもりではないのです。」

 テミストが、口を挟んだ。


「うむ、そなたは・・・?」

 マラト王は、少し顔をしかめ、不快そうな表情をした。


「ファエリス・テミスト。アルテニア陸軍少佐、アルテニア陸軍参謀本部次席参謀を拝命しています。今回、アルテニア陸軍を代表して、ナムリア殿に帯同いたしております。」


「アルテニアの参謀か・・・テミストとやら、思うところを申してみるがよい。」

 マラト王は機嫌を直して鷹揚な口調で言った。


「我が国の調査によれば、ヒュペルボレアスの兵力は二十万から三十万と見積もられています。たとえ二十万としても、マラトとその同盟国の兵力は最大でも約十五万、戦力の上での不利は免れますまい。

 一方、我がアルテニアと同盟国の兵力も約十五万、それぞれが別々に戦えば、各個撃破されかねますまい。しかも地勢上、最初に攻められるのはマラトとその同盟国になるのは自明の理、この場合、最善の策は両陣営が共同して当たることだと考えますが。」

 テミストはマラト王の顔を見据えて答えた。


「ふん、若いな。戦争は数だけでするものではない。我が軍は精兵揃いだ。ヒュペルボレアスに二倍の兵力があろうとも、必ず撃退してみせるわ。」

 マラト王は傲然として言い放った。


「国王陛下、ヒュペルボレアスが他国と剣を交えたことがないからといって、軽視するのは危険です。本当の実力はまだ誰も知らないのです。」

 ナムリアはなおも食い下がった。


「それは闘ってみればわかろう。」

「では、せめてヒュペルボレアスの進撃路と想定されるアーゴンとの同盟を。」


「アーゴンの王がそう申し出てくれば、考えないでもない。」

 結局ナムリアにはマラト王を翻意することはできなかった。


 その夜、マラト王が約束通り用意してくれた王宮内の客間に三人は通された。


「私は祭司長様に託された一番重要な任務を果たすことが出来ませんでした。」

 ナムリアは椅子に座り、顔を落として言った。


「そうお嘆きなさるな、ナムリア殿。すべてはマラト王の頑迷さが原因、ナムリア殿の責任ではないでしょう。」


 となりに座ったテミストはナムリアを慰めるように言ったが、彼の顔も沈鬱なままだった。


「今年は冬が早いな・・・」

 寝台に横になって天井を見上げていたルグレンがぼそりとつぶやいた。


 三人がアルテノワを発ってから既に一ヶ月近くが経っていた。


 季節は秋の終わりから冬に移る頃であった。


「冬が早い?それはアルテニアよりここが北にあるからだろう?」

 テミストが問い返した。


「俺はこのマラトより北に行ったことも何度もある。去年の今頃もこのマラトにいたが、今年ほど寒くはなかった。そう言えば去年からマラトでも飢饉の地方が出ているらしいが、あの王様、そのことは一言も言わなかったな・・・アルテニアに食糧の貸しでもつくれば同盟に応じずに入られなくなるからか・・・」

 ルグレンが答えた。


 ナムリアははっと何かに気づいたかのようにルグレンを見返した。

「・・・そうでした。私たちにはマラトとの同盟より大切な任務があることを思い出しました。ルグレン殿、ありがとう。行きましょう、北に!」

 ナムリアは晴れ晴れとした表情で言った。


 翌早朝、三人はマラトの首都ディストートを発ち、北に向かって旅立った。目指すのはまず、アーゴンの首都ディスタゴン。そしてその先は・・・


                           第三話了

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