第2話 マラトへ
ラステノワ行の船が外海に出ると、三人は客室で膝を寄せ、今後の予定を語り合った。
最初にルグレンが口火を切った。
「なあ、今後の詳しい旅程を教えて貰えないかね。旅程がわからないことには道案内もしようがないんだが。それに、大陸は広い。俺だって、行ったことのない国や地域もいくつもある。」
ナムリアが答えた。
「そうですね・・・旅程そのものはわりと単純なのです・・・テミスト殿、お願いします。」
ナムリアに促されてテミストが説明を始めた。
「承知しました。まず、この船が行くラステニアの首都、ラステノワで、王に謁見し、同盟を確認すると同時に戦争に備えることを警告する。つぎに陸路でマラトに向かうが、途中、シュロステに立ち寄り、同様に同盟を確認する。マラトの同盟国のリトブカはマラトとの同盟を優先するため、素通りする・・・」
「なるほど、アルテニアからマラトに行くには陸路より海路でラステノワに出た方が早いが、それだけでなく、同盟国に立ち寄り同盟の交渉をするのも目的か・・・」
ルグレンが口を挟んだ。
アルテニアの北の国境地帯には山地が連なり、交通の要害となっているが、敵の—これまではもっぱらマラトであった—侵入を阻む要衝でもあった。
テミストは続けた。
「無事マラトに入ったら、首都ディストートに向かう。そしてディストートでマラトの王に謁見し、軍事同盟締結の交渉を行う。我々が着くより先に、アルテナ祭司長様と執政官様の署名入りの書簡が届いているはずだ。」
「マラトと軍事同盟を結ぶだって!アルテニアとマラトは数百年も戦争を繰り返してきたんだぜ、それを今さら・・・いや、軍事同盟と言うことはそれを備えるべき敵がいるということだな?・・・まさか、それは・・・」
テミストの言葉に一時驚愕したルグレンは、言葉を途切らせ、黙り込んだ。
テミストはおもむろに頷き、話を再開した。
「そう、マラトから我々はさらに北に向かい、アーゴンに立ち寄った後、ヒュペルボレアスの首都を目指す。問題はその位置が知れないことだが・・・」
ルグレンはふっとため息をついて言った。
「やはりな・・・ヒュペルボレアスの首都なら知っているぜ。十二年前、行ったことがある・・・」
テミストは小さく頷き、話を続けた。
「ルグレン殿にはヒュペルボレアスについて知っていることを詳しく教えてもらいたいが、それは後にして、我々の予定を続けて説明しておこう。我々はヒュペルボレアスの支配者に会い、和平条約を結びたい。戦わずに済むものならそれに越したことはないからな。」
ルグレンがまた口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ、聞いていると、ヒュペルボレアスが攻めて来るって言っているみたいだぜ!」
「そのとおりです。アルテナ女神の託宣です。『北からの脅威が大陸を席巻するだろう』と。」
しばらく黙って聞いていたナムリアが口を挟んだ。
「・・・アルテナ女神の託宣ははずれたことがないと聞くが・・・しかし、過去数百年、国境を侵したことも侵されたこともない北の大国がどうして今になって侵略を開始するというのだろう?」
ルグレンは首をひねった。
「それは・・・私にもまだわかりません。」
珍しく迷っているような表情でナムリアは答えた。
「とりあえず先を続けさせていただく。ヒュペルボレアスから無事帰還できたときは、マラトの北から西の周辺各国、ガレム、ムサ、トリドを巡り、各国に戦争の危機の警鐘を鳴らしつつ、中立国ルテニアと同盟の交渉をし、船でアルテノワに帰還する。以上だ。」
テミストが言い終わった。
「なるほど、マラトとアルテニアが同盟しなければかなわないほど『北からの脅威』は強大だと考えているということか。」
ルグレンがまたため息をついて言った。
「祭司長様はそうおっしゃいました。」
ナムリアが答えた。
「では、ルグレン殿、ヒュペルボレアスについて知っていることをお教え願おうか。」
テミストが言った。
「まあ、あわてなさんな、ラステノワまでは順風でもあと四日もかかるんだ。とりあえずお茶でも飲んで一服しようぜ。さっきからのどがカラカラだ。」
ルグレンが答えた。
のどが渇いたのは想像を絶した話を聞かされ続けたからだろう、とルグレンは思った。
「そうですね。私も先ほどからのどが渇いてたまらなかったところですわ。」
ナムリアが言った。
「私もです。」
テミストも同意した。
「なあ、聞いておきたかったんだが、あんた達、旅の経験はどの程度あるんだい?」
お茶を飲みながら、ルグレンが問うた。
「私は軍の視察で隣国のヴェスタリア、ノマニア、アケメニアなどには何度か。」
テミストが答えた。
「私はアルテニアから出たこともありませんでした。」
ナムリアは苦笑混じりに答えた。
「・・・やれやれ、俺はこんな旅の素人を案内しなけりゃならないのか?」
ルグレンが窓の外に目を向けてつぶやいた。
窓の外には青い海が広がっている。
「だからこそあなたを雇ったのですよ。」
ナムリアは微笑して答えた。
「ルグレン殿、何かと苦労をかけると思うが、大陸の命運をかけた旅なのだ、どうかよろしく頼む。」
テミストが懇願するように言った。
「二人がアルテニアの運命を背負っていることはよくわかった。俺もできるだけのことはさせてもらうよ。まかり間違って大陸がヒュペルボレアスに征服されでもした日にゃ、商売あがったりだからな。」
ルグレンが両手をひろげて苦笑混じりに答えた。
ナムリアが茶器を片づけ終わると、テミストは話を再開した。
「では、そろそろヒュペルボレアスについて、知っていることを話していただきたいのだが。」
「わかった。俺がヒュペルボレアスに足を踏み入れたのは、十二年前、俺もまだ若く、血気盛んだった。入国が許されている商人に紛れ込んで首都クセノフォスにたどり着いたんだが・・・」
ルグレンの話は午後一杯続いた。
三人を乗せた客船は、順風に恵まれて四日目の昼過ぎ、ラステニアの首都、ラステノワの港に入った。
同盟国からの便ということもあってか、港の税関で所持品検査を受けたが、簡単なものだった。
ラステニアは名前の類似性でわかるように、アルテニアと同じ文化圏に属する民族の国である。
国の守護神ラステナは商業の神で、大陸中原からの陸運と、中の海での海運を主な生業とする商業国にふさわしい。
共和制のアルテニアと異なり、世襲の王政をとっている。もっとも大陸では共和制の方が珍しいのであるが。現在の国王はラムキール七世。聡明な君主との評判が高い。
三人は早速王宮に赴き、国王に謁見を求めた。
早舟で既にアルテナ祭司長とアルテニア執政官の書簡が届いていたため、三人はすぐに謁見を許された。
ただし、ここでは所持品検査を受け、テミストの長剣とルグレンの短剣は預けさせられた。
三人は玉座に座った王の前で拝跪の姿勢を取り王の言葉を待った。
「一同の者、面を上げよ。」
三人は顔を上げ、名を名乗った。
「アルテナ女神一級神女、ナムリアと申します。」
「アルテニア陸軍参謀本部、次席参謀ファエリス・テミスト少佐です。」
「案内人として同行しております、サマルド・ルグレンです。」
国王ラムキール七世は威厳のこもった声で告げた。三人はそれに従った。
「おまえ達がここを訪れることは、昨日届いた手紙で知った。アルテナ祭司長殿、執政官殿の連名のな。おまえ達がここに来た目的も、書簡に書いてあった・・・」
「は、それでは・・・」
ナムリアはラムキール七世を見上げて言いかけたが、言い終わる前に国王は答えを述べ始めた。
「我がラステニアは我が王朝の続く限り、たとえどんな苦境が訪れようと、そなたらアルテニアと運命を共にすることを誓約する。このことを記した書簡はアルテニアの執政官の下に急ぎ送ることを約束する。そなたらは、安心して旅を続けよ。楽な旅ではあるまいがな・・・そうだ、今日の晩餐はそなたらと共にしたい。また、まだ宿を決めていないなら、城に泊まるがよい。よろしいか?」
「はい、ありがたくお受けいたします、国王陛下。」
ナムリアは礼を述べると同時に深々と礼をした。
テミストとルグレンもそれに従った。
翌日、ラステニア王から贈られた騎竜に乗り、三人は内陸へと旅だった。
本来なら騎竜はラステノワ市内で買う予定であったのだが、昨夜の晩餐の席上、王に手みやげに何が欲しいかと聞かれたナムリアが、騎竜を三頭、と答え、国王は快諾したのだった。
ところが、
「ナムリア、あんた騎竜に乗ったことがあるのか?」
と、ルグレンに聞かれたナムリアは、
「いえ、一度も。でも大丈夫、きっと乗れますわ。」
と、答え、一同をあきれさせたが、その言葉通り、今日こうしてナムリアは楽々と乗りこなしている。
「あきれたな。本当に乗れるとは。アルテナ巫女は何でもできるという噂は本当らしいな。」
ルグレンはそう言った。
ラステニア王は、ラステノワの城壁の門まで一行を見送ってくれた。
「ナムリア殿、ラステニア王をどうご覧になりました?」
テミストは騎竜のくつわを並べて進みながら、ナムリアに尋ねた。
「あの方は裏表のない、誠実で信頼の置ける方と感じました。ヒュペルボレアスに直接攻められても首都を死守しようとするでしょう。」
ナムリアは遠くを見るような眼で答えた。
「では、アルテニアの側背の愁いはないと・・・」
テミストがほっとしたように言った。
「ほんとにそんな見かけだけで簡単に信用しちまっていいのか?ラステニア人は商売にならないことはしないというぜ」
ルグレンが反論した。
「馬鹿を言うな。アルテナ巫女は人の心を読めるんだぞ。」
テミストがさらに反論する。
「本当か?じゃあ、俺が今考えていることもお見通しってことか?」
ルグレンは驚いて言った。
「まさか、読もうと意識しなければ読めませんし、読むと言っても逐一読めるわけではなく、もっと漠然とした感情とか嘘をついているかいないかがわかる程度なんですよ。」
ナムリアは恥ずかしげに説明した。
「それじゃあ、俺がナムリアに岡惚れしていたとしたらバレちまうってことか?」
ルグレンが素っ頓狂な声を挙げた。
「あら、残念ですわね、巫女は殿方とお付き合いすることは禁じられているのですよ。」
ルグレンの言葉が冗談だとわかってナムリアは笑いながら答えた。
「ですが、ナムリア殿の母上もアルテナ巫女でしたが、アルテニア陸軍の軍人と結婚なさったのでしたよね?」
テミストはそう言ったが、
「・・・ええ、まあ・・・」
ナムリアは曖昧な返事をして黙ってしまった。
テミストはすぐに余計なことを言ったと後悔した。
ナムリアはテミストの気持ちを敏感に読みとり、言葉を継いだ。
「もし、テミスト殿のような立派な軍人と結ばれるようなことがあれば、母と同じように巫女をやめるかも知れませんね。産まれた子が女の子だったら、やはり巫女になるかしら?」
そう言って、ナムリアは屈託なげに笑って見せた。
宿場を継いで一行は四日後、ラステニアとシュロステの国境を越えた。さらに三日を要してシュロステの首都ラケニスに達した。
シュロステはやはりアルテニアの同盟国であるが、数百年のアルテニアとマラトの戦争の間に何度も属する陣営を変えている。アルテニアとは民族、文化圏を異にしている。
日が暮れていたので、三人は宿を取り、王宮へ向かうのは翌日とした。
「シュロステは過去何度も陣営を変えている。あまり信用はできないのではないか?」
宿の部屋でルグレンが言った。
「そうかも知れないが、今回の戦争の—戦争になった場合だが—基本戦略はアルテニアとマラトと、それぞれの同盟国が集結してヒュペルボレアスを迎え撃つというものだ。小国といえども少しでも戦力になるならそれに越したことはないのだ。」
テミストが答えた。
「そうですね・・・ともかく予定通り明日、王に会ってみましょう。」
ナムリアはそう言い残して自分の部屋に戻っていった。
翌日、王宮の門が開くのを待って、三人は国王に謁見した。
ラステニアの時と同様にアルテナ祭司長とアルテニア執政官の連名の書簡が届いており、一行はすぐに通された。
「わしが国王、ナルフォス三世じゃ。一堂の者、面を上げよ。」
三人は顔を上げ、国王を見上げた。
「私はアルテナ一級神女、ナムリアと申します。こちらは供の者です。」
ナムリアは二人に名乗らせずに済ませた。
国王は痩せぎすで神経質そうな初老の男だった。
「アルテニアからの書状は受け取っておる。」
国王はおもむろに口を開いた。
「・・・して、シュロステ王様、どのようにお考えでしょうか?」
ナムリアは王に問うた。
「アルテニアとの同盟を堅持することに依存はない・・・しかし、ヒュペルボレアスが攻めてくるとは到底信じられぬ。マラトとの同盟も到底実現できるとは信じられぬ。」
王は不機嫌そうな顔で吐き捨てるように言った。
「王様、信じられないかも知れませんが、『北からの脅威』に備えることは必要なのです。」
ナムリアは答えた。
「わかっておる。アルテニアが同盟を守る限り、我が国も最大限の協力はさせていただく。」
王はやや機嫌を直したような様子で言った。
「ありがとうございます。そう言っていただければ十分です。」
ナムリアは深々とお辞儀した。テミストとルグレンもそれに倣った。
三人は、王宮を辞去すると、その足でシュロステの首都、ラケニスを立った。
「俺達は招かれざる客、という感じだったな。」
ルグレンがつぶやくように言った。
「シュロステ王は小心者という評判だ。ラステニア王とは大違いだな。」
テミストが付け加える。
「確かにあまり信頼の置ける人物という感じではありませんでしたけれど、シュロステは曲がりなりにもアルテニアの同盟国です。戦火が及べば助けないわけには行きますまい。」
ナムリアが視線を落とし考え込みながら言った。
「シュロステの軍は弱兵だと悪名が高い。戦場では足手まといになりかねません。いずれにせよあまり当てにはなりませんな。」
テミストが辛辣に評した。
ナムリアはテミストの言葉が宿で話したことと矛盾していると思ったが口には出さなかった。
「ところで、ここから六日くらいでリトブカの首都ハストカに着くが、ここは素通りするんだったな?」
ルグレンが確認した。
「リトブカはマラトの緊密な同盟国です。マラトとの同盟が成れば、同盟に参加してくれるでしょう。ここは先を急ぎましょう。」
ナムリアが答えると、三人は騎竜に拍車をかけ、リトブカとの国境に向かった。
目指すは中原一の大国、マラトの首都ディストートである。
第二話了
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