第8話 図書室で

「これで何匹目だろう」

 僕は思わずそう独り言を呟いてから、そっとため息をつきながら小さな檻を自分のカバンの中に放り込んだ。

 そのまま辺りを見回して、放課後の学校内にはそれなりに生徒たちの姿があるものの、裏庭に一人で立っている僕の姿に気づいている人間はいないことを確認する。そこら中にいる闇の欠片とやらに気づいている生徒も、講師もいない。


 何だか、掃除をしている気分になってきた。

 こうして毎日のように小さな檻に闇の欠片を封じ込めて自分の屋敷に持ち帰っていると、少しずつ学校内の空気が綺麗になっている気がしている。

 まあ、気のせいかもしれないが。


「……問題は、どうしたら浄化できるか……だけど」

 僕は思わず唇を噛んで、屋敷の中に――食卓のテーブルの上に積み上げられた檻を思い浮かべながら、自分の考えの中に沈み込んだ。


 結局、僕の学校生活は何かと慌ただしく始まっている。

 学校で受ける講義は色々あるけれど、僕が辺境の街で家庭教師を呼んで習ったものとかなり被っていたと言わざるを得なかった。この辺りは、教師を選んでくれた母に感謝だ。お蔭で、他の生徒たちが必死になって通常の学問、魔術史や薬学、魔術の実技や筆記試験で四苦八苦している中、余裕を持って生活できていた。

 ただ、僕の前には大きな問題が立ち塞がっている。

 それはもちろん、殿下との婚約関係が続いていることだ。


 母はこれを、「ゲームの設定上、変えられないのかもね」と苦笑しながら言っていた。僕と殿下はほとんど形だけの婚約者という関係で、僕は殿下の婚約者として必要な教育を受けていない。殿下にこれを伝えたのに、何故かアルフレート殿下もそれを聞き流して笑っていた。

 納得いかない。

 僕なんかよりもずっと相応しい女性がいくらでもいるだろうに。


 僕は軽く頭を振ってこの頭痛すら引き起こす悩みを振り払ってから、この学校の図書室へと足を向けた。


 最近の僕の興味は、闇の欠片の浄化、もしくは破壊の仕方にある。

 あれがある限り、僕を襲ってきて身体を乗っ取る可能性がある。もし可能なら、あのヒロイン――エリカという名前の聖女候補に欠片を渡して、浄化してもらえたらいいのかもしれないが――。


 何故か、会いたいと思うと彼女の姿がない。

 不思議なものだ。


 僕が学校の三階にある図書室の扉の前に立った時、どこか遠くから――。

「ちょっとベスベス、どうしてあいつらの姿がないのぉぉぉ!」

 と、聞こえた気がして振り返ったが、廊下に声の主らしい姿はない。廊下の片側にある窓も覗き込み、目に入る範囲を見回してみたがそこにもない。

 何となく、聞き覚えがある声だった気がするが……気のせいかもしれない。僕はそう結論付けて、図書室の扉を開けた。


 目の前に広がるのは大きな空間に並んだ本棚だ。びっしりと本で埋め尽くされたその光景は壮観でもある。

 古びた本の匂いというのは何故か心が安らぐが、僕はそれを味わっている暇などなく、足早に本棚の前に立って片っ端から気になる本に手を伸ばしていく。


 気になるタイトルを探し、今日は『各属性の魔力変換の術式』、『聖魔術の軌跡』、『魔力制御に対する考察』など、他にも数冊を抱えて図書室内にあるテーブルに向かう。

 椅子に座っている生徒の姿はまばらで、誰もが静かに本を読んでいる。だから、僕が椅子に座って本を読み始めても、誰も気にしていない。


 だが、すぐに僕の斜め前の席に腰を下ろした人間がいることに気づいて顔を上げた。


「……ガブリエル」

 僕がそう声をかけると、酷く疲れたような表情の彼が無言のままテーブルの上に突っ伏して泣き言をこぼした。

「……魔術の歴史とか解んねえ。この勉強、必要?」

「必要だから学ぶんだろうね」

 僕は周りのことを気にしながら小さく返した。

「俺、この国の歴史だけじゃなく他国の歴史だったり、政治がどうこうとか色々詰め込まれてるんだけど、右から聞いて左から抜けてくんだ。全く何も残らない……。っていうか、身体を動かしてたほうが性に合ってる。とにかく剣をぶん回したい」

「そう」

 思わず『だろうね』と言いたくなったのを、僕は自分の手のひらで唇を塞いで押しとどめた。


「俺、王子殿下の側近になるように言われてるけど、絶対無理無理。もう、人種が違うんだよ。殿下が優雅に湖で水浴びする鳥だとしたら、俺はその鳥に捕食される側の小魚なんだわ。もう一緒にいるのがつらい。人間としての格の違いを見せつけられてると、心が折れる」

「うーん……」

 すっかりガブリエルは委縮しているようだ。地を這うような声音になっているのが、その証拠。

 僕は彼に何て声をかけたものかと悩んでいると、ガブリエルがそっと首を回して僕の方に顔を向けた。

「エヴァンは殿下の婚約者なんだよな」

「うん」

「でも、婚約解消したいって言ってたよな?」

「そうだね」

「それは……殿下のことが嫌いだから?」

「うーん」

 僕はそこで、開いていた本を閉じて少しだけ首を傾げて考えこむ。「嫌いではないけど、好きでもない。どうでもいいかな」

「好きになる可能性もある? このまま婚約関係が続いたら、結婚するのか」

 そう言ったガブリエルの声は驚くほど真剣で、僕は少しだけ戸惑っていることを隠せなかった。

「……結婚はしたくないけど、王命なら逆らえない。でも、できれば穏便に婚約解消してコンラスに戻りたいな」

「……俺も戻りてえ……」

 ガブリエルがそこで深いため息をつき、のろのろと頭を上げて髪の毛を掻き上げた。


 少しだけ、沈黙が降りた。でも、気まずい感じじゃない。これは自分でも本当に意外だった。

 そして、彼のまっすぐな視線がこちらに向いた。

「あのさ、エヴァン。ちょっと相談があるんだ」

「何?」

「俺が側近候補になったのって、兄の怪我だって言ったろ? つまり、それが解決したら俺は不要になるわけだ」

「うん」


 でも。

 その怪我って、確か――。

 と、僕が首を傾げたまま固まっていると、ガブリエルはぎこちなく笑った。


「王都には腕のいい魔道具技師がいるって聞いた。ってことは、兄の失った足の代わりに、とんでもなく高性能な義足を造る人間もいるんじゃないかって」

「ああ、確かに」

 僕がぱちぱちと目を瞬いてそれに頷いて見せながら、ふと――。

 魔道具か、と思い当たる。


 ――闇の欠片を破壊する魔道具、浄化する魔道具も存在するのでは?

 そう思ったのだ。


「なあ、エヴァンは俺よりずっと顔が広いんじゃないか? 俺なんかよりずっと貴族としての生活が長いし、王都にどんな魔道具技師がいるのか調べる方法とか知ってないか? 手伝って欲しいんだよ」

「ああ、いいよ」

 僕が間髪入れずにそう言うと、ガブリエルは一瞬だけ固まって息をとめた。もしかしたら、断られると思っていたのかもしれない。

「いいのか? 結構時間がかかるかもしれないし、その、エヴァンも忙しいだろ?」

「忙しいけど、僕も興味あるし都合がいいんだ」

「都合」

「まあ、君のことを厄介なことに巻き込んでしまうかもしれないけど。僕が君と一緒に行動していたら、悪い噂が出るかもしれないし」

「噂」


 殿下の婚約者である僕が、他の男性と一緒に仲良く行動していたら? その様子を殿下が見たら?

 僕の行動が問題視されて、婚約破棄されるかもしれない。大人しく婚約解消されるのを待つより、手っ取り早いじゃないか。これは悪くない手だ。そう、僕にとっては。


「……そうか」

 僕の考えに気づいたのか、ガブリエルが驚いたように僕を見つめ直した後、さらに声を顰めて続けた。「俺、そういう噂が出回っても別にいいけど。むしろ大歓迎」


 ――物好きだな。

 僕がつい笑いながら肩を震わせると、彼は居住まいを正した。


「で、もしもエヴァンの婚約が解消されたら……もしそうなったら。俺とのことも考えてくれないか?」

「ん? ガブリエルとのこと?」

「ああ」

「それは……ギルドの活動のことを言ってる? コンラスでの」

「違う」

「え?」

「俺、お前が好きなんだ。その、女の子として。気づいてなかった?」


 ――え?


 僕はその場で固まって、ただ茫然と目の前の彼を見た。


 気づいてなかった。

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