第5話 真打登場

「というわけで、これがお土産です」

 僕が帰宅してすぐにカバンを開けて母に差し出したのは、学校を出る直前に襲ってきた『何か』である。


 学校の広い校庭に並んでいる馬車の群れ。それぞれの馬車の扉には家紋が刻まれていて、今、学校内で手続している貴族子女がどこの家の者か解る。通常なら、呼び出し用の魔道具を使って御者に玄関まで来るように命令するのだろうが、僕は歩いて馬車へと向かっている時だった。

 広い中庭の片隅で、黒い炎が小さく揺らめくのが見える。本当に小さいものであったから、誰も気づかなかっただろう。中庭にいた人間は自分の主人の姿を見逃すまいとして、玄関の方を見ていたはずだ。

 だから、その黒い炎の中にぶわりと膨れ上がった何かが凄まじい勢いで僕に飛び掛かってきたことも、そして咄嗟に僕が土魔法を使ってその『何か』を捕縛したことも、知らないうちに終わっていた――と思う。

 僕の家の御者も何があったのか見逃したらしく、「何だか突風が吹きましたが大丈夫でしたか?」と言いつつ僕のところに駆け寄ってきた。その頃には僕は捕縛したものを、持ってきたカバンの中に滑り込ませていた。


「これが母上のおっしゃっていた、闇の欠片でしょうか?」

 僕は小さな石の檻の中に入っている、無数の黒い棘だらけの物体を見下ろしながらそう訊いた。

「あらまあ」

 母は玄関先で立ち尽くしたまま両手で口を押え、目を丸くして言った。「実物を始めて見るけど、まるでウニみたいね?」

「ウニ?」

 僕は困惑して眉を顰めると、母は目を輝かせながら何度も頷いた。

「そう! ウニには口がついていてね、そこにハサミを入れてパカッと開けて、中身を取り出して食べるんだけど美味しいのよこれが!」

「……食べる」

 僕がドン引きしつつ小さく言うと、僕の右手の中にある小さな檻の中で黒い物体がぶるぶると震え出した。

「ウニじゃなかったら、毬栗?」

「いがぐり?」

「そう! こんなふうにトゲトゲしていてね、中の実が食べ頃になるとパカッと割れて、中身を茹でたり焼いたりして食べるのよ。これもめちゃくちゃ美味しいの!」

 さらに僕の右手の中が震えた。


 ――どうやらコレは人間の言葉が解るらしい。


 僕は母のことも胡乱気に見つめつつも、謎の物体についても困惑するしかなかった。


「まあ、エヴァンの言う通り、ゲームで言うところの『闇の欠片』っていうのがコレなのよね」

 もう陽が落ちていたし、台所からは夕食のいい匂いが漂ってきている時間帯。玄関先で騒いでいる母の背後に、困惑したような使用人の姿が現れると、母はすぐに場所を移動してそう口を開く。

 食堂となる部屋の扉を自分の手で開け――使用人も心得ているようで母の行動を見守っている――、母は自由気ままな様子で椅子に腰を下ろしてにこりと笑う。

 もうすでに白いテーブルクロスの上には皿やグラス、カトラリーが並べられている。僕は悩みつつも石の檻をテーブルの上に置くと、母の向かい側の椅子に腰を下ろした。

 すると、使用人と料理人が一緒になって食事を運んできてくれて、あっという間にサラダやスープ、メインとなる肉料理やパンが並べられていった。

「ということは」

 僕は小さくため息をこぼしながら次の言葉を口にした。「これが僕に憑りつくはずのモノだった、ということですか」

「そう」


 母が言うゲームの世界。

 ヒロインとなる女性は、あの学校内でこの闇の欠片とランダムで戦うらしい。ヒロインはこの世界において希少な聖魔術を使うことができる。神殿で暮らしている神官たちですら、光魔術を使えることはあっても聖魔術まで使える人間はほとんどいないのだという。

 神に最も近い能力を持つ人間。それが聖魔術を使えることなのだとか。

 ただ、ヒロインも最初は能力値が弱い。それを学校内で強化していくのだと、母から聞いたことがあった。

 改めて質問してみると、母は上機嫌でパンを齧りつつ説明してくれた。


「ゲームのシステムとして、主人公がレベルアップ……能力値を上げる方法が闇の欠片と戦って倒すことなのよ。倒せば倒すほど、ポイントが入ってHP……ヒットポイントとかマジックポイントとかが増える――ええと、体力と魔力が増えるわけよ」

 僕が何とかポイントとやらに首を傾げていることに気づき、母は慌てて言い直した。

 やはり、彼女の脳内にある物語は僕にとっては難しい。

「その合間に、恋のライバルとなるエヴェリーナが出てきて、学校内で戦うの。で、エヴェリーナの攻撃を撃退すると、もっとポイントがもらえるってわけ」

「学校内で」


 さらに僕の困惑が強くなる。

 確かに今日見てきた学校は広かったが、そうそう勝手に攻撃魔術を使っていたら問題になるものではないだろうか。


「その辺はゲームの都合ってやつでしょ」

 母は明るく続ける。「普通、学校内で闇の欠片とかいう魔物の素みたいなのがぼろぼろ出てくるのが問題なのに、その辺は完全スルーだし」

「スルー」


 その言葉は母の口からよく出てくる単語だ。聞き流す、の意味。こうして母の言語を理解できるようになるのも、結構時間がかかった。


「でもまあ、あなたが撃退できてよかったわ。剣を習わせた甲斐があったっていうもの」

 母はテーブルの上に置かれた石の檻をナイフの先で突きつつ遊んでいる。闇の欠片とかいう小さなトゲトゲは、今にも自分が喰われそうだと感じているのか、未だにぷるぷると震えているが――だんだん可哀そうになってきた。

 コレに同情するのも変だと思うが――。

「しかしこれが僕が魔物化する原因とは……やっぱり、信じられないですね。こんなに小さいのに」

「そーねえ。確かに、某アニメに出てきそうな可愛い感じだし」


 ――また変な言葉が出てきた。


 でもまあ、母が僕のことを男として育てて、幼い頃から剣の師匠となる人間を雇ってくれなかったら、何の抵抗もできずに襲われていたのだろうと思うと少しだけ肝が冷えた。これが僕の身体を乗っ取るということなのだから。

「大丈夫? やっぱり怖い?」

 母がふと心配そうに僕を見て訊いてきたから、彼女を安心させるために笑みを口元に浮かべてこう返した。

「入学したら帯剣できますし、今日よりもっと簡単に撃退できるはずです」

「あら心強い」

 母はそこでニヤリと笑い、行儀悪くナイフで僕の料理の皿を指し示して続けた。「そのスープ、わたしが作ったの。美味しくできてるから飲んで飲んで」


 ――またか。


 昔からそうだが、相変わらず母は料理人の仕事を奪っているようだ。一緒に台所に立っているらしいが、邪魔じゃないだろうか。料理人は母の奇行に慣れているからもう気にしていないのか。

 本当に申し訳ない。

『やっぱりアレよ、家庭の味ってやつ! 親の作ったご飯の味って、ほどほどでも美味しいから記憶に残るわよね!』

 そう言われながら、僕は母の手料理をずっと食べてきた。

 だから。


 僕もそろそろ、料理を覚えた方がいいのかもしれない。

 料理人には仕事の邪魔だと思われるかもしれないが、今度頭を下げて教えてもらおう。

 今夜だって、母の作ったスープは素朴ながら野菜の甘みが良く出ていて、中に入ったソーセージも芋もとても美味しかった。家庭の味とやらは、僕の心も温めてくれる。

 母も僕の料理を食べたら、同じように感じてくれるだろうか。そうだといい。


 そんなことを考えながら食事を終えた。


 そして結局、黒いトゲトゲは我が家のテーブルの上の置物となった。餌は不要、たまに震える。魔物未満の存在だが、危険なものでもあるはずなのだが――。

「わたしたちを襲ってきたら、パカッと割って食べちゃうからねえ」

 と、母が何度も脅しているうちにすっかり大人しくなったようだった。


 知ってる。これは本で読んだことがある。

 恐怖政治だ。

 違う。恐怖支配だ。


 僕は母に呆れていたが、後に僕の方が母に呆れられることになる。学校に通い始めたら、次々に僕がお土産としてトゲトゲを捕獲しまくってきて、テーブルの上にたくさんの石の檻が並んだからである。


 まあ、それは本当に後の話で。

 まずは『こちら』の方が問題だ。

 そう『こちら』とは。


 僕の婚約者であり、このフリードル王国の王子であるアルフレート殿下の存在だった。

 僕は入学式の時に、講堂に集められた新入生たちの中の一人になったわけだが、そこで彼に会った。顔も知らない婚約者。政治的な意味合いだけの婚約。

 彼はヒロインと恋に落ちると母に何度も言い聞かせられてきたから、僕らの関係に何の期待もしていない。とはいえ――。

 今年の新入生代表として挨拶の舞台に立った彼を見て、言葉を失ったのは僕だけではないと思う。


 一言で言えば、彼は美しかった。

 白銀の長い髪の毛を首の後ろでまとめ、色素の薄い睫毛と整った目鼻立ち。すらりと伸びた両手足。本当に呼吸しているのだろうかと思えるほど、彼の存在は芸術品のように完成した存在だったのだ。


「本日より我々新入生は、バルターク魔術学校の一員となりました。これより我々は、皆と勉強し、魔術習得、剣術の習得に励み、切磋琢磨していくことになるでしょう。由緒正しきバルターク魔術学校の名前に恥じぬ行動をすることをここに誓います」

 彼は背筋を伸ばして立ち、静かにそう言っている。

 僕の周りにいた女生徒たちの間に、感嘆と思われるため息がこぼれているのも感じた。そして、男子生徒からのやっかみに似た魔力の乱れと――相手が王子殿下であることに対する諦めと。


 ――アレが僕の婚約者。面倒くさいことになりそうだな。

 そんな失礼なことを考えていた瞬間、講堂の閉じていた扉が僅かに乱暴に開けられたのを背後に感じた。


 ――ああ、本当に面倒くさい。


「今日がゲームの始まりの日よね! ヒロインは遅れて登場するのよ、真打登場とばかりにね! 遅刻による注目の的って、実際にはすっごく恥ずかしいけどゲームだもの、仕方ないわよね!」

 今日の朝、母が言った台詞である。

 僕はそれを思い出しながら、そっと振り返った。


「すみません、遅れました!」

 そう言って照れくさそうに微笑んだ少女は、淡い桃色の髪の毛をした小柄な美少女だった。

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