第4話 また会えたな
「……ええと……エヴェリーナ・リンドルース嬢?」
「はい」
「何故、男子の制服を?」
「諸事情ありまして」
「諸事情」
「はい」
そんな会話をしている場所は、バルターク魔術学校の一角にある会議室の中である。僕は今、真新しい制服に身を包み、長い髪を後ろで一つに束ねただけという姿で学校の事務員の前に立っている。つまり、どこからどう見ても男の子の姿ということだ。
今日は学校は休みの日だから在校生は校舎の中にはいないが、教師は忙しく動き回っている。何しろ今日は、春からの入学予定の子供たちのが事前手続きの日だ。数百人の子供たちが受付にくるのだから、彼らも大変だろう。
僕は目の前の事務員の女性に用意してきた書類を渡し、そっと辺りを見回した。机と椅子、本棚くらいしかない質素な部屋。
僕が入った会議室は結構小さめで、一人の事務員と二人の教師らしき姿がある。その誰もが困惑したように書類と僕の姿を交互に見つめていた。
我に返ったのは事務員の女性が最初だった。彼女は書類の内容を改めて確認して眉を顰めた。
「しかも、剣術の講義まで受けるんですか!?」
「女性でも可能ですよね?」
僕は首を傾げつつ言うと、彼女の横に立っていた背の高い男性教師が困ったように頷いた。
「可能だが、怪我が付き物の授業となるんだが」
「それはかまいません」
「かまわない!?」
女性の事務員が大声で割って入ってきたが、とりあえず放置しておくことにする。一応、女性である――しかも貴族の一員でもある僕が怪我をしたら、色々問題なのだと言いたいのだろうが、正直どうでもいい。傷つくことを恐れていたら何もできないのだから。
「……では、練習用の剣は貸出希望だろうか」
さすがに男性教師は意識の切り替えが速いようだ。事前に得た情報では、授業で使う剣は本人が用意するか学校から借りるかのどちらかだ。でも僕はそれを断って、自分で用意すると伝えた。
教師もそれで納得したようで――貸し出し用の剣は武骨な造りなので、見栄を張りたい貴族には人気がないからだろう――、机の脇に置いてあった木箱からブレスレットのようなものを取り出して僕に渡してきた。
「では、これが剣の収納用の腕輪となる。授業以外の時間はこちらに格納し、各自保管するように」
「ありがとうございます」
僕は『へえ』と感心しながらそれを受け取った。小さな魔石のついた銀色の腕輪には、特殊な魔術文字が浮かんでいるのが読み取れる。
そう言えば、ギルドでも似たような荷物カバンを売っていたな、と思い出したのだ。それは魔道具の一種で、武器や食料、ダンジョンで回収した報酬を手軽に持ち運ぶことのできるものだったが――それなりの金額だったと思う。
おそらくこの腕輪は剣だけを収納するから魔石も小さくて済むのだろう。
僕はそれを右手首に嵌め、重さをほとんど感じないことを確認した。
――卒業したら、売ってくれないだろうか、これ。武器を目立たずに持ち歩けるのは凄く便利だ。
そんなことを考えていると、いつの間にか書類検査は終わっていた。僕は宿舎に入るわけでもないから、そういった意味でも手続きが簡単だったのだろう。
教師の一人が受け取った書類を事務員に渡すと、僕に会議室を出て行くように促した。
「次は身体・魔力検査となる。会場はこちらだ」
そう言いながら、彼は扉を開けて廊下へと出る。僕がそれに続くと、教師は廊下にあった大きな窓に視線を投げた。窓の向こう側にあったのは、大きな石造りの建物だ。おそらく――運動場か何かだろう。
「魔力検査の会場には変人がいるかもしれないが、一応、人畜無害だ。そちらの検査が終われば帰宅していい。頑張ってきなさい」
教師はそう言ってまた会議室の中に戻ってしまった。それと同時に、廊下で待っていた別の子を会議室の中に誘った。
そして。
変人ってどういうことだ。
僕が困惑しつつ、閉まった扉を見つめていると。
「エヴァン!」
廊下に聞き覚えのある声が響いて、僕はぴくりと肩を震わせた。
「ガブリエル?」
僕が声のした方へ目をやると、制服姿の彼が目を見開いてこちらに駆け寄ってくるところだった。その大声に驚いた子たちがこちらに視線を向けてきたが、彼はそれを気にした様子もなかった。
「また会えたな! お前もここに入学するのか!」
何故か彼は僕の右手を掴んで握手しつつ、もう片方の手でこちらの肩をぱしぱしと叩いてきた。何となくその無邪気な笑顔と距離の近さが子犬のようだ、と微笑ましく感じつつ、僕も薄く微笑んだ。
「そうだよ。同い年ならこういう可能性もあったんだな。まさか、同じ学校に通うことになるなんて」
「いや、助かった」
「何が?」
「だってこの学校、貴族連中が多いだろ? 俺、マナーとかよく解んねえから、今、必死に覚えてるところなんだ。困ったら助けてくれないか」
「それはいいけど……」
僕はそこで台詞を区切る。
何となく僕らは見つめ合った後、彼は目尻を情けなく下げて続けた。
「……俺、少し前に父親に引き取られることになったんだ。だからコンラスから離れて王都キリアンにきた」
「そうか」
「父親は……よく解らんけど、有名らしい。ベンディック公爵っていうんだけど、知ってるか?」
知っているどころの話じゃない。
ベンディック公爵家といったら確かに有名というか――王宮騎士団で活躍している将軍の家であり、僕のリンドルース家よりも上の権力者でもある。確か、ベンディック家には一人息子がいて――この学校に通っていたのでは……。
「俺はそのベンディック公爵が屋敷の外で作った婚外子だったみたいでな。俺がずっと放置されてたのに呼ばれた理由はな、俺の兄とかいう人種の男が事故で足を失ったとかで……。だから五体満足の俺が跡取り候補なんだっていうんだ。平民としてずっと育ってきた俺が突然貴族の仲間入りだって。冗談は寝て言えって話だ」
ガブリエルが肩を落として深いため息をこぼす。
僕は苦笑しながら頷いた。
「どこも同じだね」
「どこも?」
そこで彼が視線をまた僕に戻して首を傾げる。
「そう。貴族の男性っていうのは、本妻を放置して外に子供を作る種族らしい。僕の家もそうだ」
「エヴァンも?」
「ああ。エヴェリーナ・リンドルース。それが僕の名前であり、父親に疎まれた本妻の子供だ。随分前に父は、我が家に母親の違う息子を連れてきたよ」
それは何とも言えない微妙な空気だったと思う。
ガブリエルは眉根を寄せて僕を見つめ、僕も同じように見つめ返す。
でも彼の瞳には同情とかそういった光は見えず、ただ興味の色だけが揺らめいていた。
「だから男装を?」
「え?」
「その息子とやらに張り合うために?」
「違うよ」
僕らの横を通り過ぎていく子たちの背中に視線を投げ、僕は彼に歩きだすように促した。いつまでもここでおしゃべりしていたら時間がいくらあっても足りない。彼もそれに気づいたようで、僕の右手を握ったまま歩きだす。
「魔力検査だっけ。とりあえず行くか」
「そうだね。で、その手は?」
僕が軽く右手を振って離すように意思表示をすると、彼が慌てたように僕を解放した。まさか気づいていなかったと言わないだろうが――。
「婚約者がいるって言ってたよな。悪い。つい」
ついって何だ。
僕はまた笑ってしまう。
「ほとんど会ったこともない婚約者だけどね」
「でも、婚約者なのは間違いない?」
「うん」
「そいつのことは好きなのか」
「好き? 政略結婚だよ?」
「好きじゃない?」
「好きじゃなくても結婚する。それが貴族のあるべき形だ。僕は家のために使われる道具なんだ」
「何か……やだな」
「うん」
「俺もそうなるのか」
「もしかしたらね」
僕らは廊下を歩き、この建物の外へと出る。そして指定された体育館らしき大きな建物へと入っていく。そこは多くの新入生予備軍、そして多くの教師たちの姿があった。
その中で一番派手に目立っていたのは――。
「はぁい、皆、こっちに並んでちょうだい? 魔力の属性、魔力量を検査するわよぉ」
そう声を張り上げているのは、背の高いスレンダーな男性である。長い黒髪、長い睫毛に赤い唇、間違いなく化粧をしているだろうその人は――体格からして男性である。ぴったりとした白いシャツ、黒いズボン、金色の糸の刺繍の入った白いマント。そして、妙にくねくねした動きの彼は――。
「あらぁ、あなた美形ねえ。そっちの子も可愛いわあ。ほらほら、はいはい、並んで並んで! アタシに見惚れるのは後にしてちょうだいね!」
うふふ、と笑った彼はぱたぱたと手を振りながら、新入生たちを大きな魔石のついた四角い椅子へと案内していく。
どうやらそれが魔力の検査のための魔道具らしいが――。
――変人ってこの人のことか。
僕はそう考えながら、彼の整った顔立ちをまじまじと見つめた。そして彼は僕の視線に気づいたようで、にこりと微笑んで僕にも声を飛ばしてきた。
「あらあ、あなたは女の子なのかしら? でもアタシと同じ黒髪ってことは、闇属性が強そうねえ?」
女の子、という言葉に近くにいた新入生たちがぎょっとして僕を見た。どうやら僕の男装はそれなりに男に見えているのだろう。少しだけ辺りにざわめきが走ったが、それからは順調に検査は進んだ。
僕とガブリエルはもう私語に時間を割く余裕はなく、それぞれ今日の任務を終わらせた。次から次へとやってくる生徒たちの対応で教師たちも忙しいようで、流れ作業のように検査過程が進んでいく。
そして僕の検査が終わる。さっきの変人教師が言っていた通り僕は闇属性が強く、魔力量も多かった。
ガブリエルは火属性の魔力と雷属性の魔力が多く、魔力量は僕より弱め。
「俺は魔術より剣の腕を磨きたいから、魔力量は気にしないけどな」
と彼は右手首につけた腕輪を見ながら笑い、そして僕の手首も見て楽しそうに肩を揺らした。
「一緒に練習できるといいな」
「そうだね」
そんなことを言い合いながら、僕らはそこで別れた。
そしてその帰り、僕は学校の中庭であの黒い炎を見ることになる。ちょうどその時、周りに誰も姿がなく――。
それはまっすぐ、僕を目掛けて襲い掛かってきたのだった。
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