第2話 僕が悪役令嬢となる世界

「君も?」

 つい、僕の声にも驚きの感情が乗ってしまった。その直後、僅かな罪悪感が生まれた。この原因は自分が一番よく解っている。幼い頃から、僕は感情の制御を心がけてきたから。本音が見えてしまうような表情も、声音も避けてきていたから。

 思わず足をとめて振り返りそうになったものの、すぐに思いとどまって地上を目指す。

「ああ」

 でも彼は僕の一瞬の動揺など気づかなかったようで、いつになく沈んだような声で話を続けている。「色々……家の事情があって。王都にある家に呼ばれたんだよな。どうも、しばらくコンラスには戻れそうにない」

 コンラスというのは僕たちが活動しているこの街の名前だ。王城が存在する王都から遠く離れた小さな街。

「……そうなのか」

「正直、行きたくないんだけどなー」

「へえ」

 僕はそこで少しだけ苦笑を漏らした。「僕もそうだな。行きたくない」

「えっ?」


 一瞬、僕の背後で空気が揺らいだ気がした。空気というより魔力だろうか、彼の炎属性が強い魔力が僅かに興奮したように燃え上がったみたいだった。

 そしてそれに続いた彼の声も、どこか上ずっていた。

「なあ、お前はどこに行く予定なんだ? どこかのギルドで活動するのか? だったら、王都にあるギルドがすげえ賑わってるみたいだし、そこで……」


 ――王都でも今と同じような関係でいたい?

 

 僕はこぼれそうになった喉の奥にあったその言葉を呑み込んで、何て続けようか悩んだ。

 僕らは気楽な友人関係だ。これが続いてくれたら楽しいだろうと思う。

 でも、そういうわけにはいかない。


「僕はどうやってもギルド活動はできそうにないよ」

 少しだけ、階段を上る速度を上げて言う。「僕の都合は……婚約者に呼ばれたからでね。だから当分、外出すらままならないはずなんだ。それこそ、年単位で」

「婚約者……」

「うん」

「……婚約者か……」

「うん」

「それ、男?」

「どういう意味だ」

 ついそこで立ち止まったため、僕の背中にガブリエルが思い切りぶつかってきた。転びそうになった僕の腕を掴んだ彼は、何とも微妙な――感情の抜けた表情で僕の顔を覗き込んでくる。


「……あのさ。僕、これでも生物学的には女だからね? だから当然、僕の婚約者は男だよ?」

 僕が目を細めて言うと、ガブリエルは小さく「解ってる」と頷いて見せた。


 本当に解っていただろうか?

 そう訊きたかったけれど。

 でもそれきり、ガブリエルは沈黙してしまった。何か考えているようだったけれど、もう何も僕に言ってくることはなく――。


 そして気づいたら、僕らはダンジョンの外に出ていたのだった。

 まだ外は明るかったけれど、そろそろ陽が暮れようとしている時間帯だ。完全に陽が落ちたら魔物が活発に動き回り始めるだろう。この街の辺りはそれほど強い魔物は出てくる地域ではないが、それでも人気の多い街中に戻った方が安全だ。


「じゃあ、またいつかどこかで」

「……そうだな」

 コンラスの中央にあるギルドに戻ってダンジョン討伐の完了報告をした後、僕らは別れの挨拶をした。

 お互い言葉は少なく、明確な次の約束もしなかった。多分これでもう会うことはないんだろうな、と考えていたのは僕だけじゃないはずだ。

 一人になってからの帰り道、僕は暗くなった大通りを見回した。

 食事処も飲み屋も営業を告げる明るい魔術灯を軒先に掲げ、賑やかだけれど騒々しくはないいつもの光景。気の良い人たちが多く住む、平和な街コンラス。空を見上げれば星が明るく瞬くのが見えるだろう。


 ――平和な街だった。生きてここに戻ってこれたら、またギルド活動ができればいいんだけれど。


 そんなことをぼんやりと考えながら、僕は自宅の門をくぐった。三階建てのその屋敷は、このコンラスでもかなり大きな建物だった。


「お帰りぃ!」

 玄関の扉を開けるとすぐ、階段の上から明るい言葉が飛んできた。

 僕の母であるロザリア・リンドルースの元気すぎる声だ。どうやら僕の帰宅を今か今かと待っていたようで、すぐに階段の上から小走りで降りてくる。

 彼女は僕と同じ黒髪と黒い瞳を持っている。そしてその長い髪の毛は綺麗に巻かれており、眠りにつく直前までは『女』としての姿を決して崩そうとしない美女である。ばっちり化粧をしたその顔は、どう見ても実年齢より十歳以上は下に見えるだろう。

 そして、彼女は由緒正しき貴族の女性であるにもかかわらず、あまり堅苦しさを感じさせない気安さがあった。

 とにかく笑顔と言動が明るく、僕に対して距離が近い。世の中の貴族の女性は、自分の子供に対して乳母を雇って育てさせると聞くけれど、それは彼女には当てはまらない。食事をさせるにも、着替えさせるにも自分の手で行ってきた。父が僕たちに無関心であったせいか、彼女はと両親二人分の愛情をわたしが与えてあげるわ! などと言っていた。


「……ただいま帰りました、母上」

 僕がずっと被っていたマントのフードを肩の上に落としてそう言うと、彼女は心配そうにこちらを見つめてきた。

「怪我はしていない?」

「もちろんです」

「本当ね? いくら薬草採取しかしないって約束していたとしても、おかーさまは心配なんだからね? 無茶は駄目よ、無茶は!」

「もちろんです」

 僕は心配性な母に向かって苦笑を返した。

 僕がダンジョン討伐において、報酬にこだわらないのはこれが原因だ。下手に報酬を持ち帰ると、母に疑われてしまう。

『あなたを愛しているから心配なのよ!? 絶対に絶対に絶対に危険なことはしちゃ駄目だからね!』

 そんなことを何度言われてきたことか。


 だから僕はずっと彼女に嘘をつき続けてきた。

 僕のギルド活動は、薬草採取程度の簡単なもので、ささやかにお小遣い稼ぎをしているだけなのだ、と。


「まあ、お腹もすいたでしょうからご飯にしましょ! それから、制服が届いたから合わせましょうね!」

 母は僕の身体をまじまじと見つめて観察し、どこにも怪我どころか汚れもないと気づいてふにゃりと目元を緩ませた。僕と似たきつい顔立ちだというのに、そんな笑顔を浮かべると凄く魅力的だと思う。

「制服?」

 僕がふとそう言いながら首を傾げ、視線を移動する。暗めの赤いドレスに身を包んだ母の腕の中には、青い布の塊が抱え込まれているのが見えた。

「そう、制服! ちゃんと男の子の制服にしてあるからね!」


 ――なるほど。やっぱり、男装は学校に通うようになったとしても変わらないのか。


 僕は母が自慢げに青い布の塊――これから僕が通う魔術学校の制服を広げるのを、ただ笑顔で受け止めた。


 僕が女として生まれたというのにずっと男装して暮らしているのは、この母が原因だ。

 物心ついた頃から言われてきたことなのだが――母曰く、僕が生きているこの世界は『ゲームの中の世界』なのだそうだ。

 うん、頭おかしい。

 普通だったらそう考えて距離を取るものなのかもしれないが、本当に幼い頃から聞かされてきたから……信じてしまっているというか、信じなくてはいけないような気がしている。人はそれを洗脳と呼ぶらしい。


『わたしが前世を思い出したのはね、あなたを産んで神殿に祝福を受けに行った時のことなの! その神殿のデザインを、どこかで見たと思ったのよね。屋根に刻まれた紋章とか、並べられた彫刻とか、絶対に絶対に絶対に見たって! で、思い出したわけよ、ここが……エヴェリーナ、あなたが悪役令嬢として出ていたゲームの中なんだって!』


 エヴェリーナ・リンドルース。

 それが僕の名前だ。

 リンドルース公爵家の令嬢として気位の高い、性格の悪い女性に育つはずの……悪役としての道が決まっている存在なのだ、と母は言った。

 本当に細かいことまでたくさん『ゲームの設定』とやらを言ってくれるものだから、単なる作り話ではないのかもしれないとも思うけれど……。


 でも。


 僕が悪役令嬢になるというのは納得したくなかった。


『エヴェリーナ、あなたはね、将来はこの国の王子様の婚約者になるの。そしてそれは政略結婚によるものでね、王子様はヒロインが登場したらそっちに恋をして、あなたに冷たくなる。嫉妬に駆られてあなたはヒロインを攻撃するようになってね、最終的には魔物にその身体を乗っ取られてヒロインと王子様を殺そうとして討伐される――そんな未来が決まってるのよ』


 母はそんなとんでもないことを繰り返し説明してきた。

 僕の体内にある魔力は闇属性が強く、魔物に影響を受けやすいのだそうだ。ヒロインとかいう可愛い女の子を憎んで、闇属性の力を育ててしまって魔物を引き寄せてしまうんだか。

 母が言うには、『ゲームのノーマルエンド』では僕がラスボスとして魔物化し、王子とヒロイン、周りの仲間たちと一緒に戦って倒して終わる。『トゥルーエンド』とやらでは、僕が死んだ後に、僕が魔物化した原因の存在が登場して、ヒロインたちが戦って倒して終わる。

 さらに、それもクリアした後に『皆殺しエンド』とやらが出てくるようで、死んだ僕が蘇って王子やヒロインやその仲間たちを殺しまくるルートがあるんだという。自分以外の全ての人間を殺した僕は、魔物の長になる。

 そしてそこに新しいヒロインがやってきて、新しい戦いを予想させる終わりを見せるというのだけれど。


 冗談じゃない。

 僕がそんな存在であるなんて絶対に厭だと思う。


 そして、母も同じように考えたようなのだ。


『悪役令嬢という立場から逃げなさい』

 母は幼い僕に何度も言い聞かせる。


『あなたはただ婚約者である王子様に愛されたかっただけ。浮気したのは向こうなんだもの、見る方向が違えば、あなたはただの被害者よ』


 確かに、僕――エヴェリーナ・リンドルースという婚約者がいながら、ヒロインと恋物語を繰り広げる王子というのはどうかと思う。

 かといって……。


『だから、その悪役令嬢というフラグを折るために、あなたは男の子になりましょうね!』


 母がそう言い出した時は、さすがの僕もどうかと思った。

 うん、本当に最初はそう思ったんだ。

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