感謝するということ

朝起きたらコメントがついていた。

はじめてから一日経ったが、見てくださる方は居るんだと思うと、すこし嬉しくなった。

きっとコメントしたのはいつも優しさを振りまく方なのだと思う。元気が出る。自分は単純なのかもしれない。



ありとあらゆる社会的交流を避けてきた私は、”社会人らしさ”を涵養することなく、ありとあらゆる選択肢を外している。悩んだ私は社会人らしさを訓練するセミナーがないかと探したが、意外とみつからない。こんな難しいことを全員が全員、演技出来るだなんて、とてもじゃないが信じられない。この感覚は、世の中には色んな人がいるのに、車に乗る人全員自動車免許を持っているという不可思議さに似ている。


そんな私が社会で生きていく上で絶対に守っていることがひとつある。


それは感謝することだ。


恥ずかしい話が、感謝するようになったのはここ2年くらいの話だ。なにかのブログで「感謝する人を、人は助けたいと思うようになる」「感謝は武器」というのを見たからだ。当時、私は感謝というのができなかった。薬の効果で負の感情を感知できなくなっているので、あまり覚えていないのだが、人間がすこぶる嫌いだったからな気がする。そして、嫌いである方が、変な贔屓をしないから、公正でいられる……なんて考えていたと思う。


とにかく人間嫌いというスタンスを美徳にしていたのだ。


それでも、「感謝をする」ということだけで、楽に人間関係を築けるのだから、使わない手はないと思った。事ある毎に感謝。しつこいくらいに感謝。口癖のように感謝。抑うつ剤飲み始めのように、効果に疑問を持ちながら感謝を口にした。


効果はてきめんだった。


まず、自分一人では生きていけないのだと認識するようになる。人になにかをされるというのは、当たり前のことではないということに気づく。マザーテレサが「言葉に気をつけなさい」云々言っていた気がするが、まさしく言葉が思考を先んずる例だ。


これは発達障害故か分からないが、自分は感情という抽象的なものを感じるのが苦手で、なぜ人は悲しむのかとか、笑うのかとか、考えるとどうしてもその感情を表出しにくい傾向がある。


けれど、色んな経験を経た今、感謝の気持ちだけは表出する理由を論理的に説明できる。


だから私は褒められても、なじられても、愚直に感謝を口にしている。

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