障害と多様性のこと
よく口頭での説明が分かりにくいと言われるため、文を読んでいただけるだけで凄いと思った。口頭と書くとではまた違うのだろうか。
さて、発達障害と判明してショックだったかと言われたら否だ。ただ病名がついて楽になったなとしか思わなかった。
というか、自分は小一の頃から耳が悪くて補聴器をつけてたし、手帳を持つほどではないとはいえ、周りからは障害者を見るような目で見られていた。母親と妹が聴覚障害手帳という障害者一家だったから、私にとって障害者という存在は身近だった。むしろ、障害者じゃない人のほうが、私にとって珍しい存在だったともいえる。
もっといえば、父親は発達障害のケがあったから、特段驚きもなかった。自分は発達障害の父と聴覚障害の母からそれぞれ障害をもらった可能性が高い。ハイブリット障害者だ。クソかな。(耳のことも、親のことも、いずれ話す)
とにもかくにも、障害というのはその障害に関連することができず、基本的にマイナスになることはあれどプラスになることはない。
プラスになることはないのだから、その分不利になる。就職でも、仕事でも、学業でも、生活でも。どこにでも付きまとうものだから、どのシーンでも苦労することになる。
そういう人を助けたいかと聞かれたら、基本は否で。とくに会社は利益を求めるところであって慈善団体じゃないから、障害持ちなだけで門前払いにされることが多い。
耳が悪ければ補聴器を、足が悪ければ車椅子をといった具合に数万あるいは数十万円する金を払って障害をカバーするものを買わなければならないのに、就職の難易度は高い。必然的に金がなくなる。
だから、障害者割引や障害者枠雇用といったものがあるのだが、それを避難する声があるのも事実だ。障害者は要らんといった極論もある。
必要性はともかくも、そういった福祉の整ってない国に住みたいかと言われたら否ではある。優しくなさそうだし、ケチケチしてて住みづらそう。
それでも、社会にとって障害者を守る価値があるのかと聞かれたらあると答える。
そもそも人類は多様性で生き残ってきた歴史がある。
極端な例えになるが、コロナ以上の未知のウイルスが生まれて、人類全員耳が聞こえなくなったとする。けれど、幸いなことに筆談環境や補聴器、手話などろうでも生きられる環境が整っていたから、生活に支障は出ずに済む。逆に、そういった環境がなければ、補聴器の開発などに追われる可能性がある。
それと、個人的な考えだが、障害者向けのサービスは健常者も気軽に利用してもいいと思うのだ。スロープは車椅子向けに作られたものだが、それのお陰でキャリーケースを引きやすい。トランスならば、多目的トイレを使えばいい。心が疲れていて会話したくないときは、筆談を利用すればいい。
これからもっと多様化が進むし、うつ病のような現代病が出てこないとも限らない。そのときに障害者向けサービスが役に立てばいいと思う。
それと、賛否両論あると思うが、障害者割引みたくパート割引とか派遣社員割引みたいなのがあれば、もっと楽に生きやすくなる人が増えるのではないかと思う。
ところで、話はすこし変わるが。
基本的に障害児というのはマクロな視点ではなくミクロな視点に重点を置かれると思っていて。というのも、発達障害の遺伝の可能性を考えたら、自分は子供を作りたくないと思っている。そういった家庭はたくさんあると思う。
けれど、産むという選択は否定しない。ただ、産んだ以上は健常者よりも倍確定している不幸の量を打ち消すくらいの幸せを与えて欲しいという話だ。
親ガチャの程度によって幸か不幸か決まるというが、障害者はその依存度が他よりも高いと思っている。
まぁ、障害限った話ではないけど、安易に子供を作るなということだ。反出生主義者より
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