ビニール袋のこと

退職を検討したが、今から職を変えるなんて早計な気がしてやめた。発達障害のコミュニケーション能力の無さはいままて経験でカバーしてきたし、これからもそうする予定だ。もっとも、経験を積ませてもらえる職場に出会えるかどうかは完全に運になる。社会は甘くない。見つからなければ、確実にクビだろう。


よくゲームで死んで覚えるという言葉があるが、自分はこのタイプだ。もっとも、何度も死んでいいわけじゃないのが、仕事の辛いところだ。


自分は、たとえるなら、ヒレのない魚で、岩にぶつかりながら、息が苦しくなりながら、それでも泳ごうと必死になるしかない。そうしないと生きていけないからだ。集団で泳いでる魚たちを横目に、自分もあの中に入りたいと妬みに似た願望を抱きながら。


話は逸れた。


本当に助けを必要としている人は、助けたくなるような見た目をしていない。この間聞いた言葉だが、自分もそう思う。クラス一の美女が他の学生に囲まれて「大丈夫?」と心配されるのを見て、惨めな気持ちになったぼっち時代を思い出してつらくなったので、この辺でやめる。


この間、はじめて地方ロケに行った。金がないから、ADはひとりで。機材もほとんど自分が持った。ディレクターも機材は持ってくれたけれど、大きな荷物は自分持ちだったから、暑かったし辛かった。両肩に数キロの重りが乗ってるみたいで、小学生の重ったるいランドセルを毎日背負わされた頃を思い出した。でも、小学生の頃はあんまり苦じゃなかったんだよなぁ。それが当たり前だったからか、体力が有り余ってたからか、はたまた小学生というお気楽な身分だったからか。


とにかく、なんで自分がこんなに重い荷物を持っているのだろう、と思うとつらくてつらくて、それでも動かないことにはどうにもならないので、我武者羅にスーツケースを動かした。


だからロケ中の疲れや筋肉痛は半端なくて、ホテルに戻ったとき気絶した。けれど、気絶したとしても、仕事はかならず遂行せねばならないので、翌日も重たい荷物を持って移動した。


たとえ筋肉痛で身体中に湿布を貼る羽目になろうとも、気絶寸前だとしても、周りからしたら重たい荷物を運ぶのが当たり前らしい。それでミスを犯したとしても、当人の努力不足と捉えられ、責任感がないとなじられる。努力を美徳としながらも当人のレベルは考慮されず、仕事に成功するかしないかで頑張り具合を見られ、肝心の努力量は度外視だ。無能に味方はいないのだ。けれど、それに文句を言っていいのは学生までだ。辛いと叫ぶことすら許されないくらい、社会は甘くない。


ロケから帰ってきた私に指示されたのは大量のXDCAMを持っていくことだった。少しくらい手伝ってほしかったけれど、私には「はい」という権利しかなかった。孤独感に苛まれながら、人よりも早く出社し、けれどそれすら褒められることなく、紙袋に入った大量のXDCAMを運ぶ。


そのとき、紙袋が敗れてしまった。


散らばるXDCAMを見て、私は慌てて両手で持とうとした。けれど、いくら抱え込んでも、散らばるばかり。頭が真っ白の私は何度も試していた。ただでさえ嫌われ者のテレビ業界の人間なんだ。通行人が見たら、嫌な気持ちになるに違いない。早く抜けここから抜け出したかった。


「大丈夫?いる?」


そんな私を見かねたのか、そうやってやさしく声をかけて、一人の男性が私にビニール袋をくれた。新品の、近くのコンビニからもらったであろう袋だ。3円もするのに、驚いた。


こんなブサイクにも助けてくれる人がいるとは思わなかった。


一瞬の優しさだったかもしれないけど、それでも自分は一生忘れたくない。


見返りを求めない人の存在は、奇跡だと思う。こんな暑い7月に雪が降るようなありえないくらいの確率。


けれど、そんな奇跡のお陰で、自分は人々への希望を見いだせるのだ。


そんな感謝の気持ちで、夜が明ける。夏の日曜日、朝4時27分


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る