◆中編『舞踏会』

 夜、王城の前には多くの人々が集っていた。

 男は礼服を、女はドレスを、各々が華美に着飾り、めかし込んでいる。

 皆が皆、キラキラと輝いて見えた。この場で輝いていないのは、ただ一人、私だけ。

 入場口まで来たところで引き返したい気持ちが湧いてきたが、今さらそんなことをするわけにもいかない。私は招待状を見せて王城に入り、舞踏会の会場である大広間にやってきた。

 豪奢なシャンデリアに照らされ、床までも真紅の絨毯で彩られた華々しい空間。そこでは楽団が優美で繊細な音楽を奏で、ペアになった男女が曲に合わせてダンスを踊っている。踊り疲れたものは、壁際で葡萄酒を片手に歓談を楽しんでいた。

 私も、とりあえずは目についた殿方に片っ端から声を掛けてみた。

 どなたか私と踊ってください、と。

 贅沢なんて言わない。この際、相手は誰でもよかった。

 路傍の石のように誰にも見向きされないのは、心が辛くなるから。だから、誰でもいいから私の手を取ってほしい。そう思っていたのだが、やはり誰も私の呼び掛けには応じてくれず、見向きもしてくれなかった。

 私は壁際にぽつんと突っ立って、葡萄酒を飲みながら、キラキラと輝く光景をしばらく眺める。

 そうしながら、義妹のことを思い浮かべた。

 シンデレラは無事に舞踏会に来れたのだろうか。もし来れたのだとしたら、あいつはきっとダンスの相手に引っ張りだこだろう。あんな可愛い女の子、国中を探したって二人といない。ここにいる男ども全員を骨抜きにしてしまうんじゃないだろうか。きっと、王子様の心さえも簡単に奪ってしまえると思う。


「……帰ろうかしら」


 自分の惨めさに耐えきれなくなった私は、葡萄酒を一息に飲み干して、会場を去ろうと歩き出す。すると――


「レディ。もしよろしければ、僕と踊って頂けませんか」


 背後から、そう呼び止められた。

 驚いて振り向くと、そこにいたのは美しい顔立ちをした金髪の青年だった。礼服の胸元には王家の紋章が飾られている。それを見て、瞬時に理解した。

 このお方は、舞踏会を主催した王子様その人なのだと。

 私は思わず息を呑み、一瞬だけ夢見心地になる。王子様にお声を掛けてもらえるなんて、女の子なら誰もが狂喜乱舞したくなるほど光栄なことだ。

 けれどもすぐに冷静になった私は、こう訊き返す。


「あの……失礼ですが、相手を間違えてはおられませんか?」


「なぜそう思うのです?」


「私は誰にも手を取ってもらえなかった女です。こんな私に、王子様がお声を掛けてくださるなんて、信じられなくって……」


 礼を失した言動をしているという自覚はあった。だがそれでも私は、現実を受け入れられず、内心をそのまま口にした。


「なるほど、そういうことですか」


 王子様は一度頷くと、柔らかく微笑み、私の手を取った。


「でしたら僕と踊りましょう。貴女は僕が躍るべき相手だ」


「……え?」


「僕が主催した舞踏会で寂しそうにしている人がいるなんて、他でもない僕が許せないんですよ。ですから僕が直接この手を取り、あなたの心を温めてみせます」


 私が返事をするより先に、王子様はステップを踏み始める。優しくて軽やかな、こちらを慮ったリードだ。私は戸惑いながらも王子様を受け入れ、ダンスを踊り始めた。

 舞踏会で王子様とダンスを踊るなんて、まるで夢のことようで……私は生まれて初めて、生きていてよかったと思った。

 このまま時間が止まればいいのに。

 大嫌いな自分のことも、私に過度な期待を向けてくるママのことも、嫉妬の種であるシンデレラのことも、全部忘れて。この一瞬が永遠になればいいのにと、心から願う。

 でも――そんな夢のような時間は、長くは続かなかった。

 踊るのに夢中になるあまり注意力が散漫になっていた私は、背後を歩いていた給仕の少女にぶつかってしまったのだ。


「きゃっ!?」


「あっ──!?」


 ぶつかった少女が、その拍子にトレイに載せられていた葡萄酒の入った杯をぶちまけてしまう。

 杯が砕け散って葡萄酒が散乱し、橙色の私のドレスを汚した。見れば、近くにいた女性にも液体がかかってしまっていた。


「まあ、なんてことをするの! このドレス、お気に入りだったのに! どうしてくださるのかしら、あなた、ねぇ!?」


 女性は声を荒げて給仕の少女を怒鳴りつける。

 対する少女は縮こまり、「すみません、すみません……」と繰り返し謝った。悪いのはぶつかった私の方で、少女に非があるわけでもないのに。

 無抵抗に平謝りする少女の姿に、シンデレラの面影を見た私は――居ても立ってもいられなくなった。


「ふんっ、服が汚れたぐらいでなんだっていうの? 気になるなら着替えればいいだけじゃない。ああ、もしかして貧しすぎてドレスを一着しか持っていないのかしら?」


「なっ――なんて失礼なことを仰るのですかあなたは! 王子様が踊ってくださったからって、調子に乗っていらっしゃるの!? だいたい、あなたのように醜悪な顔面をした女が王子様に近づくなど――」


「はい、そこまでです、お二人とも。楽しい舞踏会に汚い言葉は必要ありませんよ」


 王子様の鶴の一声を受け、怒っていた女性も私も、揃って腰を曲げて「申し訳ございません!」と謝罪する。

 ……やってしまった。

 王子様主催の舞踏会で、それも王子様の目の前で揉め事を起こすなんて、首を撥ねられてもおかしくない失態だ。

 頭が急速に冷えた私は、ビクビクと肩を震わせる。と──王子様は表情を緩めて、


「これは不幸な事故です。誰が悪いといった言い合いはするべきではありません。まあ強いて言うなら、満足にレディをリードできなかった僕の過失でしょう」


「いえ、そんなことありません!」


「でしたら、誰も悪くなかったと思っておいてください。さて──」


 そこまで言ったところで、王子様はすうっと息を吸って、声を張り上げこう続けた。


「誰か! こちらのお二人のレディに、至急新しいドレスの用意を! 床の掃除もお願いしたい!」


 呼び掛けを受け、すぐさま給仕が数名駆けつける。


「新しいお召し物をご用意致します。どうぞこちらへ」


 給仕の一人、老齢の女性がそう言って歩き出す。私はその人についていって大広間を出て、ドレッシングルームにやってきた。

 葡萄酒で汚れたドレスを脱ぎ、手早く採寸を済ませる。好みの色やデザインを聞かれ、適当に答えたところ、すぐに新しいドレスを用意された。

 夜空に煌めく月のように美しい薄黄色のドレスだ。素材も縫合もデザインも素晴らしく、私はひと目見ただけでそのドレスの虜になってしまった。

 着付けを手伝ってもらい、鏡を見ると、なんだか自分の姿がキラキラと輝いているように見えた。


「とてもよくお似合いですよ」


 老齢の給仕が微笑む。私は素直に「ありがとう」と応じた。


「舞踏会はまだまだこれからです。どうぞ、心よりお楽しみくださいませ」


 まるでお姫様みたいな扱いを受けた私は、とても気分が良くなっていた。

 浮かれた軽い足取りで大広間まで戻ってきて、王子様のお姿を探す。

 早くこのドレス姿を見て頂きたい。綺麗だと、似合っていると言ってほしい。無垢な少女のように、私の心は桃色に染まっていた。


「あ、王子様──」


 大広間を歩き回り王子様のお姿を見つけた私は、駆け寄ろうとする。

 だがすぐに足を止めた。

 王子様は、とびきり可愛い女の子とダンスを踊っていたのだ。

 サラサラと流れる金髪に、誰もが目を奪われるような絶世の美貌。瞳の色と同じ青色のドレス。

 その女の子にも、ドレスにも、見覚えがあった。

 ──シンデレラだ。

 シンデレラは私の言った通りにドレスを着て、舞踏会に来たらしい。そしてやっぱり、王子様のお目にかかっていた。

 そこまではいい。こうなることは、とっくに想定できていた。

 ただ、なによりも私の心を抉ったのは──シンデレラと踊る王子様が、私と踊っていた時とは比べ物にならないほど楽しそうに笑っていたことだった。

 同じくシンデレラも楽しそうにしており、身体を寄せ合う二人はとてもお似合いに見えた。

 二人とも、身も心も美しいのだ。王子様とシンデレラは、まさしく運命の相手。これ以上ない理想的なカップルだろう。


「……やっぱり、私じゃダメなのね」


 私はシンデレラの代わりにはなれない。あんな風に王子様を笑顔にはできない。

 そんなの、最初からわかりきっていたはずなのに。改めて現実を突きつけられて、私はどうしようもないほど虚しくなった。


「……ぅ……っ!」


 舞踏会の会場にいるのが耐えられなくなって、私は駆け出す。トイレに逃げ込み、個室に入って、耳を塞いで小さくうずくまった。


「どうして……っ、どうして私はシンデレラになれないの……!?」


 もし魔法使いがいるのなら、今すぐ私をシンデレラに変身させてほしい。

 けど、そんな願いは決して叶わない。この世界には魔法なんてものはなく、奇跡だって起こりはしないのだ。

 結局、舞踏会が終わるまで、私はトイレに籠って一人ですすり泣いていた。

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