第2話 二度目の旅

 今日、六月二十七日。朝早く目が覚めて、すぐにパソコンに向かったのは、言うまでもない。あたし、星野真沙姫は、今日から三日間、また高知に旅立つ。子供の頃からの悪い癖で、出発一時間前にならないと、準備ができないのはいつものことで、今日も三十分の余裕があり、朝食を済ませ、薬を飲んでから、すぐに用意にかかった。

 今回もパソコンは持って行く。今回は短いサイクルになったので、金銭的に余裕がなかった。それでも交通費は多めにと思い、すでに前日に八千円、Suicaにチャージしておいた。それらがあることを確認して、ついでに今日はまた傘を持って行く。

 雨傘だ。向こうで雨が降っては、さすがに初回と同じく、土産を濡らしてしまう。それではせっかくの土産も台無し。叔父達に渡すものだから、これは大切だった。そしてそれを買うのは吉川駅。駅前にあるセブンイレブンで、それ以外の荷物の準備はすぐに終えてしまった。今回もパソコンを持って行く。これはもうあたしの日課になった。

 今回行くのは、日下と大歩危。金銭的に余裕があれば、桂浜まで行くつもりだった。余裕のない旅と言っても、大切な故郷を訪ね、そこでの記憶と、今まで知らなかった実家の、その歴史探求の旅。それが高知行き。そうして帰って来た時には、またたぶん土佐弁に戻っている。この土佐弁が、前回から不評。

 全く通じないという言葉だが、とにかく生まれた時から使っていたため、すぐに戻ってしまう。家でも高知に連絡する時は、すぐに戻ってしまうのが、いつものことだった。それがあるから、今回もまた戻るだろう。

 重いキャリーケースと傘を抱え、家の鍵を取って家を出てから、鍵をかけていざ出発。余裕があるはずだった。今日の飛行機は九時二十分発。今は五時半。階段を降りて、タクシーなんて考えなかった。駅前でなければ買えない土産と、それを手にして乗る電車。これは毎回のことだ。

 駅について土産を買い、すぐに来る電車に乗って、目指すは東松戸。ここから今度は北総線に乗り継いで、約二時間。電車の旅だ。そこから羽田につけば、今度はチェックインして、飛行機に乗る。高知までの空の旅は、前回の旅行で経験済み。

 そこで時間には余裕を見ての出発のはずで、今回は一時間前に到着。すぐにチェックインの準備をして、というところで、トラブル発生。すべての手続きを理事長に任せていたため、最終日程表をもらっていなかった。空港で荷物を開け、パソコンを取り出して、ネットにつなぐというそれまでが、すべてになってしまったが、羽田のWi-Fiが起動しない。

慌ててしまったのに、親切なJALの担当のお姉さん、慌てずチケットを発行してくださったことに感謝します。ここに記させていただきました。それで荷物を預け、タバコを喫いに行ってすぐに戻るはずだった。これが意外と時間がかかり、JALに多大な迷惑をかけてしまったことを、ここにお詫び申し上げます。

 そして飛び乗った飛行機で、一路高知へ。その間はCDを聞くということで、時間を潰し、今回は窓側だったので、小さな窓から、東京の景色を見るということもできた。更には早朝ではないので、ありがたくも天気に恵まれた旅の出発だった。

 予定の時間に高知について、高知竜馬空港。荷物を受け取って、到着ロビーを出て、前回同様、ここでは坂本龍馬像を写す予定だった。というのも、旅には記録が必要ということで、携帯を借りた時点から、写真を撮る癖をつけていたが、今回は他のお客さんもいたために、最終日まで伸ばすことを決意。空港のドアをくぐった瞬間の、高知の熱さを久しぶりに体感。

 ここで感動に浸れば、まだよかったのだが、連絡バスが来ていた。あわててチケットを買いに行き、高知駅までを購入。すぐに飛び乗り、肩で息をしながら、席に着席。シートベルト着用。それで出発を待った。

 まもなく出発した連絡バスで、一時間を過ごすのかと思ったが、これが存外に悪くはなく、約四十分後に高知駅に到着。降りて荷物を受け取って、すぐに高知駅に入った。今度は間髪入れずに、高知駅から、日下駅までの切符を買い、すぐに構内へ。

 高知駅構内は意外と綺麗で、そして特急が停まる駅さながらの活気があった。日下駅はもともとが無人駅なので、昔の景色を期待しながら、一両編成の汽車に乗っての旅。叔父には連絡を入れ、迎えに来てくれるという、ありがたさ。

 さらには高知駅では、電撃のごとく捜したコインロッカーに、荷物を預けての旅なので、手に持つのは、切符のみ。ワンマンの汽車で、旅すること三十分で、日高村の、そのさらに盆地の日下駅に到着した時、テレビの威力にまけてしまった。

 というのも、今年放映の番組で、ある街が取り上げられたため、そこを中心とした一地域は、景色の模様替えが行われていた。それは日下も同じで、駅は木造の駅舎だったが、そこが改装という、とんでもない事態が起きていた。迎えに来てくれた叔母の話だと、駅舎が古いことがその理由だとか。これは今度こそ駅舎を撮ろうとしていた思惑が、思い切りはずれてしまった。

 この駅は子供の頃、たびたび訪れていた思い出深い土地のため、それがなくなることはつらかった。確かに古くはあったが、それがまた歴史を感じさせる風情ある建物。大好きだった日下の景色が変わる。それがつらかった。

 叔母に頼んでタバコを喫わせてもらい、さらに車で十分。日下の生家を訪ねた。ここは生まれた家でもあり、育った家でもあった。前述したとおり、今は叔父夫婦がここに住み、墓を守っている。

仕事があるという叔母手ずからの料理で、昼を済ませ、休憩を挟んでの墓参り。叔父に注意されながらも、父と祖父と暮らした家で、墓参りを済ませた。

 それから景色や家を撮って、カメラに収めて大満足。コーヒーをごちそうになって、四時十分の汽車で、高知駅に戻る。叔母は見送ってくれ、訪ねた日下の一日は終わった。高知駅に戻って、コインロッカーから荷物を取り出し、一路ホテルへ。これは路面電車を使わず、歩くのがみそ。いろいろな高知の景色が見れるという醍醐味がある。

 もちろんそうした汗をかきながらの徒歩の探索を兼ねた、ホテルまでの道を歩き、七時前にホテルに到着。チェックインを済ませ、おもてなしクーポンと、部屋の鍵、更にはおもてなしドリンクのチケットをもらい、部屋に入ったのは、六時だった。

 そこから荷物をほどいて、今日の旅は終わった。ありがたいことで、汽車もそんなに混まないだろうと思っていたら、学生が多かった旅でもある。だがここまでの道で、いろいろな景色を思い出させ、思った旅でもあった。

 夕飯は蕎麦ですませ、お風呂に入って、最近憶えたドライヤーで、髪を乾かせた。更にコーヒーを飲んで、薬も飲んで、寝たのは十時半だった。


 翌朝、また早くに目が覚めたので、さっそくパソコンに向かうという一日が始まった。朝食は六時半から。それまではパソコンで過ごせる。実はこれがないと、時間が余る高知の旅は、史跡をたどるなんてことは、まず迷うこと確実なので、ガイドがつかない旅でもあるので、まったくする気がなかった。

 今日向かうのは、大歩危。徳島県にある大歩危峠の、そのドライブイン。ここは今は道の駅になっている。大歩危がある地方は徳島でも有数の巡礼地。四国でも、ここには巡礼地があるほどに有名。であるにもかかわらず、ここも自動改札はない。

 汽車の中で切符は回収され、すぐに駅を降りたら観光できるという特質があるが、実はこれはあらゆる地方に共通だった。

 とはいえ、まずは朝ごはん。バイキング形式ではあるが、メニューは決まっている。好きなものを好きなだけとれるだけ。ただ嬉しいことに、ここには一人席がる。窓際の一人席に座り、朝食をとるのが楽しみだった。

 そうして出発は七時前。ホテルを出るのはその時間だが、やはりは徒歩。駅まで歩いて行き、切符のほかに特急券を購入。階段を上がってホームに行くと、特急はまだ来ていなかった。指定席をとるなど、ここでは無意味。それが理由でいつも自由席だった。

 ついた特急に乗って待つこと二十分で、特急は岡山に向かって出発。景色を見ながらの旅だ。これが高知の旅の醍醐味で、景色が堪能できる。大歩危についたのは四十分後。特急を降り、駅を通過して、坂を上がって行く。ここは急坂になっていて、駅からはドライブインまではだいぶ距離がある。慣れていない人は、景色を楽しむ余裕などないだろう。ところが慣れている身としては、写真を撮りながらの路程となった。

 そしてついた先でさぬきうどんを購入。タバコを喫って、トイレを済ませて、また逆方向に向かって歩いて行く。いろいろな景色に遭える。特にこの時期はアジサイが綺麗な時期だ。土産話には困らないだろう。ところが土佐弁に戻っているので、会話が通じるかどうか。

 と帰ってからの心配事はおいておくことにして、景色を堪能しながら歩いて駅に向かい、また特急に乗って帰ることになる。ここでは自己責任の薄さの、トラブルが発生。発車時刻を間違えるという、とんでもないことをして特急に飛び乗り、無事高知駅に向かって出た。

 これはもう笑い話にしかならない。そう思いながらも、間に合ったのだから、良かったと思った。もう一度車窓からの景色を堪能しながら、高知駅を目指した。

 高知駅についたら改札をくぐって、今度は土産物店に直行。前はこれでホテルについたのが早く、仕方なく掃除を中断させてしまったという、前歴がある。そのためにホテルには向かわず、銘店街に入った。

 そこでグループホームと作業所に土産を買い、送料込みでクーポンで支払った。実はこれが悩みどころだった。高知は意外と銘品が多く、その中でも有名な土佐日記は、これは土佐饅頭だった。好きなのだが、あんこがダメなため、めったに食べない。同じく饅頭が苦手な人がいるため、択んだのは文旦サブレット。これならと思って買ったのだ。

 それらすべて送り、ホテルにほくほくと戻り、ついたのは十二時。これまた早い時間だ。そして掃除をホテル側の気遣いで、早めに終わらせてもらえて、部屋に入ったのは、それから十五分後。それからまたパソコン。これが意外とはかどった。大歩危に行った影響か、最新話を上げる始末だ。

 今度は勧められて夜景を撮り、ようやく風呂に入ったのは八時だった。髪を乾かして、コインランドリーで洗濯し、さらに乾燥機に入れて、待つこと一時間で、それらが終わった。時間はぎりぎりの十時半。間に合ったと今度もほくほく顔。

 そして最終日。この日は退屈だった。仕方がない。旅費の関係上、桂浜に行けなかった。そのために時間が余ってしまい、バスターミナルで本を読んで過ごした。これが悪かった。なんとタバコの量が思ったより増えたのだ。時間があり余ったのは悪かった。そう思ったのだが、仕方がなかった。

 そして一時十分発のバスに乗り、高知空港へ。最終日である今日も天気には恵まれ、快晴の中、持ってきた傘は、何の役にも立たなかった。旅行中、傘をさしたことは一度もない。ということで、肌は真っ黒に近く焼けたが、もともと土佐の人間。やけるのは毎年のことだった。もともと土佐の人間、日焼けを今更気にすることではないし、ついでに言えば、自黒で生まれたため、自然と肌のことでもいじめられた記憶がある。

 そうしてついた羽田空港で、今度はバスに乗るために、切符を買いに行った。ところが並んだ列が、最悪だった。初めて買う人なのか、やたらに操作に困るのか、誰にも聞かずにやるからか、二十分かそれくらいかかって、やっと列が進んだ後、時間は六時二十分。さっさと切符を買って、喫煙所を捜し、さらにそこが混んでいて、ゆっくりタバコも喫えず、とにかくバスに間に合うように走った。

 バスには乗れたので、良かったと安心して、一時間、バスの中で本を読んで過ごし、メールの嵐に答え、そうしてついた新越谷駅。ここでは南越谷駅に乗り換え、吉川駅まで行き、そこでタクシーが一台しかなく、タバコを喫えないまま、タクシーで自宅のあるアパートまで帰って、タバコ喫ったのが九時前。これで高知旅行は終わったけど、桂浜まで行くには、最低でも八万がいることを実感した、悲しい旅で、だけど嬉しい旅だった。その後、土佐弁は続くだろうが、これは毎日の生活である。

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星野真沙姫旅行記 @marinterasu

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