第42話 決着

 締めつけた喉から絞る出すような声だった。


「無理なのよ」

「道は今も繋がっているんだろ?」

「最低一人の人間が犠牲になる」

「それが迷いの種か」


 厳しいことを言ったりするが、基本的に母さんは優しい。

 だから誰も犠牲にならない方法を模索したんだ。その結果、魔物を支配するという結論に至ったのだろう。


「俺が行くよ」

「ダメ!!」


 割れるくらいに強く机を叩き、息を弾ませる母さんが俺を睨みつける。

 それでも俺は怯まなかった。


「ウェルヴィと約束したんだ。次は俺が救う番だって。だから――」

「ダメだって言ってるでしょ! 子供が格好つけないで。救世主なんて持ち上げられて、調子に乗ってるんじゃないわよ! 命をかけてすることじゃない!」

「俺は――」

「シンのいない世界なんていらない」


 母さんは瞳を潤ませながら、懇願するように掠れた声で告げる。


「最初から諦めるのはナンセンス、なんだろ? 小学生の頃から何回も聞いたよ」

「それは自分に言い聞かせた言葉よ。いつだって私は諦めるわけにはいかない」

「俺は大丈夫だよ。ウェルヴィもルクシーヌもいる。捕獲されたヴェガルミナスもいるし、他にも強い魔王種がいるんだろ?」

「いくら魔物が強くても関係ない。別世界への移動は人間の身体には負担が大きすぎる。戻ってこれなくなる」


 俺はこれまで平凡に生きてきて、特に将来やりたいことはない。

 今、一番したいことはウェルヴィの願いを叶えることで、彼女がいなかったら漫然と大学へ進学して、適当に就職していただろう。


 シオンには申し訳なく思うが、俺は自分の気持ちを優先する。


「退屈な毎日を送るくらいなら救世主も悪くないかもな。教科書に載せてもらえるかもしれないし」

「馬鹿なことを考えないで! 親の言うことを聞かないならっ!」


 応接室の扉を破壊したのは、かたつむりの魔物――【怠惰たいだ魔蝸まか】だった。


「自由に育てすぎたみたいね」

「俺は、いや。俺たちは止められないよ。なぁ、ウェルヴェリアス」


 床に穴を開けて飛び出したうさぎの魔物。

 足を組んで椅子に座っている俺の隣に並んだウェルヴィは腕を組み、不敵に笑った。


「怠惰のウェスカルゴーネか。一番、支配しやすい奴に目をつけたな。だが、一番厄介でもある」

「忌々しいうさぎめ。私のシンから離れなさい」

「こいつは俺にとって命の恩人だ。ウェルヴィがいなければ俺は死んでいた」

「……そうだとしても。私はシンを守るために魔物を支配する世界を創る!」


 母さんの瞳に光が戻ったとき、かたつむりの魔物が突然変異した。


「それみたことか。ウェスカルゴーネは怠惰期を終えると勤勉きんべん期に入る。こうなると厄介だぞ」


 母さんでも制御できず、かたつむりの魔物が粘液を吐き出した。

 簡単に避けられるが、粘液が付着した床や壁は溶けてドロドロになった。


「勝てるのか?」

「バカにするな。シンはただ命令すればいい」

「そうか、分かった」


 俺は深呼吸してから、たった一言だけ声をかけた。


「やれ」


 鷺ノ宮エンタープライズの本社を破壊しながら戦闘を始める二匹の魔物。

 巨大なかたつむりを投げ飛ばしたウェルヴィも、本来のうさぎの姿となって激突する。


「分かっただろ、母さん。魔物の支配は不可能だ」

「そんなことない。私は間違ってない! 私がシンを守るの!」

「自分のコントロールだって難しいんだ。他人の、しかも人間じゃない奴らのコントロールなんて、できるはずがないんだよ」


 崩れ落ちた母さんの前にしゃがみ込み、はっきりと告げる。


「魔物を帰そう。俺が魔物のいない世界を取り戻すよ。ウェルヴィたちもそっちの方が幸せだと思う」


 母さんは悔しそうに、そして悲しそうに顔を伏せて声を押し殺した。


「もういいんだ、進歌しんか。君はよくやってくれた。あとはシンに任せよう」

「大丈夫か、シン!」


 警報の鳴り響く、鷺ノ宮エンタープライズ本社の応接室に現れたのは、おじさんこと鷺ノ宮 朝陽あさひと、凪姉こと鷺ノ宮 夕凪ゆうなぎだった。


 まだ本調子じゃないのか、おじさんは凪姉に肩を借りて足を引き摺りながら歩いている。


「……鷺ノ宮くん。なに? 今更、旦那面と父親面するつもり?」

「子供は親の思い通りには育たないよ。僕たちにできることはシンを信じることだけだ」


 俺はパニックに陥った。


 おじさんが、父親? 

 ってことは凪姉は俺のお姉さん?


 混乱しているのが分かりやすかったのだろう。

 凪姉が俺の前にしゃがんで、照れたように笑った。


「言っただろ。私に向ける感情は恋愛ではない、と」

「……そういうことかよ。それなら早く教えてくれよ」

「許せ、シン。色々あったんだ」


 説得に応じた母さんが俺たちを鷺ノ宮エンタープライズの研究所へ案内してくれることになったが、外ではまだ壮絶な戦いを繰り広げていた。


「ウェルヴィ! さっさと終わらせろ! お前の願いを叶えてやる!」


 俺の指示が聞こえたから本気を出したわけではないだろうが、毒の尻尾で【怠惰たいだ魔蝸まか】を沈めたウェルヴィは人型の姿になって俺の隣に戻ってきた。


「紹介するよ。友達のウェルヴェリアスだ。凪姉は一度会ってるよな」

「何度見ても私の顔にそっくりな魔物だな。その他は、違うが……」

「当然だ。わたしの姿はシンの好みをダイレクトに表現している」

「おい、やめろ。口を閉じて、鼻をつまんでろ」

「つまりこの世で唯一、シンの愛と劣情を独り占めできるというわけだ」


 信じられるか?

 俺は家族の前で性癖を魔物に暴露されてるんだぜ。


 これ以上、恥ずかしいことなんてない。

 生き恥を晒すくらいなら、さっさとウェルヴィたちの世界に送って欲しい。


 もしも、この発言が俺の感情を揺さぶる作戦なのだとしたら、ウェルヴィは天才だ。

 そんな天才を育てた俺はもっと評価されていいと思う。


 下らないことを考えながら、無言で母さんたちの後に続いた。


 エレベーターで地下へ向かい、たどり着いた研究施設はウェルヴィの盗撮写真で見た場所だった。

 四方八方を囲むように無数のシャッターが設置されている。シャッターの先にはパイプが張り巡らされているらしい。


 巨大なモニターや机が並ぶ部屋の中心には、どこかと繋がっている不思議な空間があった。


「魔物はここからこっちの世界へ渡ってくる。そして、パイプを伝って各地のダンジョンへ移動させる」


 魔物の帰巣本能を利用した装置らしい。

 パイプ内には転移石もあるようで、全世界のダンジョンへ移動が可能だとか。


「私たち以外の人間が向こう側の世界に行ったことはないわ。私たちだって長時間の滞在はしていないから、どうなるか分からない」

「俺はダンジョン・スタンピードから生還したんだ。ウェルヴィが一緒なら大丈夫だよ。そうだろ?」

「約束はできないが、善処する」


 ウェルヴィはいつになく真剣な表情だった。


「先に行くから各地の魔物を順番に送ってくれ」


 ダラダラしていると、決意が揺らいでしまいそうだから早く終わらせよう。

 しかし、一つだけやり残したことを思い出して急遽、配信の準備に取りかかった。

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