最終章

第44話 消滅

 目を開けると、そこはジャングルだった。


 鬱蒼うっそうと生い茂る木々の中に浮かぶ歪んだ空間と、それを取り囲む謎の装置。

 俺とウェルヴィはそこから飛び出してきた。


「ここがお前の世界か? 自然が多くて良い所じゃないか」

「まあな。平和ボケするにはもってこいの場所だ」


 地球と繋がっている空間から次々に魔物が出てきて、帰巣本能に従ってそれぞれの住処へと移動を始める。

 この世界は七つの国に別れているということだが、確かに見ていると身体的特徴が似ているもの同士がつるんでいるようだった。


 やがてラビットたちもやってきて、俺にすり寄ってくれた。


「無事に帰って来れたな。……すまん、一匹だけ守れなかった」


 ラビットたちもウェルヴィも俺を責めなかった。


 大型の魔物も問題なく移動できていることを遠巻きに見ていると、七色の翼を持つ巨大な鳥が俺たちの前に舞い降りた。


「ウェガルミナス」

「貴殿は新堂よりも傲慢のようだ。われは貴殿に忠義を尽くすと誓おう」

「なんだよ、やけに素直じゃないか」

「勝負に負けた上に、人間共の拘束から解放してもらえたのだ。恩は返す。他の魔王も同じ思いだ」


 最後にこっちの世界へ戻ってきたルクシーヌが他の六体の魔王と並んだ。


 集結した七体の魔王はそれぞれが異形の姿をしており、唯一ウェルヴィだけが人間に近かった。


「シーちゃんの魂は負荷に耐えられなくてヒビが入っている状態にゃ。あっちの世界に戻るなら砕け散ってしまうにゃ。自分を犠牲にしてまでルーたちを帰してくれたことに感謝するにゃ」

「こっちの世界での安全は我らが保証しよう。貴殿の望んだ共存だ」


 ルクシーヌは申し訳なさそうに、ウェガルミナスは誇らしげに語ってくれた。


「魂にヒビが入っても生きていけるのか?」

「この世界でならな。魔素が魂の崩壊を防いでくれている。この世界から一歩でも出た瞬間にシンは消滅するだろう」


 ウェルヴィは母性に満ちた表情で説明してくれた。

 アウェイからホームに戻ったからか、厳かな雰囲気をまとっているような気もするが、調子が狂うからいつも通りでいて欲しいものだ。


「母さんの言う通り、この装置を破壊して終わりだな」

「待て。慌てる必要はない。数日間はゆっくりしろ」

「いいのか? 間違って魔物が向こう側に行ったら大変だぞ」

「しっかりと管理させるから心配するな。さぁ、わたしの手を取れ」

「エスコートは男の役目じゃなかったのか?」

「今日は特別だ。早くしないと発情するぞ」


 願いが通じたのか、俺の知っているウェルヴィに戻ってくれた。


 それから俺はウェルヴィの国を訪れてラビットたちと戯れたり、ルクシーヌの猫だけの国で癒やされたりと異世界での生活を満喫した。


 ウェガルミナスは人が変わったように俺に尽くしてくれる。

 王が尽くすものだから、彼の臣下である鳥たちも俺と友好的に関わってくれた。


「あいつ、なんであんなに変わったんだ? もっと好戦的な奴だっただろ?」

「ウェガルミナスは傲慢でありながら忠義に厚い魔物なのだ。新堂との関わりが奴を好戦的にして、シンと関わることで友好的になったというわけだ」


 ウェルヴィの話を聞く限りでは、七体の魔王はそれぞれが七つの大罪を司り、対応している美徳の一面も持ち合わせているようだった。


 つまり、ウェルヴィには色欲とは別に純潔の一面があるということになる。


◇◆◇◆◇◆


 どれだけの時間をこっちの世界で過ごしたのだろう。

 時計もなければ、太陽や月の動きが地球と異なるから憶測も立てられない。


 永いときを生きる彼らにとっては日付や時間という概念が必要ないというのがよく分かった。


「ウェルヴィ、そろそろ装置を壊そう。俺は覚悟ができている」

「……わたしも大事な話がある」


 俺たちの世界とウェルヴィたちの世界を繋ぐ装置のある場所へ移動し、向き合った。


「今日までありがとうな。これからもよろしく」

「シン、お前を帰す」

「は? それは無理だってルクシーヌが言ってただろ。それとも、俺を殺すつもりか?」

「――っ!」


 ウェルヴィに胸ぐらを掴まれ、さそりの尻尾を喉元に突き付けられる。

 彼女の瞳は潤んでいた。


「二度とそんなことを言うな。たとえ世界を敵に回しても、わたしだけはシンの味方だと言ったはずだ」

「……ごめん」


 ウェルヴィに強く抱き締められると不思議と落ち着くようになってしまった。

 やっぱり、うさぎと触れ合うことで人は癒やされるのだろう。


「シンはわたしたちを救ってくれた。次はわたしの番だ」

「なにを……?」

「わたしがヒビ割れたシンの魂を修復する」

「そんなことができるのか!?」


 無言で頷くウェルヴィの背後で草木が揺れて、ルクシーヌたち魔王が出てきた。


「ウェルヴェリアスの命と引き換えにゃ」

「それならいらない。お前はうさぎの王なんだろ? 王としての役目を果たせ」

「その役目は他の魔王に頼んだ。わたしはあっちの世界でお前と共存し続けると決めたのだ」

「いらんお節介だ」

「それは違うな」


 ウェルヴィに迷いはなく、嘘をついている気配もない。

 

「救われたから、救って、また救われたから救う……。これじゃ、堂々巡りだ。綺麗な形に収まったんだから、もういいじゃないか」

「わたしはお前を愛している。フランス女よりも、夕凪ゆうなぎよりもだ」

「……俺もウェルヴィのことは好きだ。だから、救ってやりたいと思ったわけで、命を貰うわけにはいかない」

「死ぬのではなく、共存するのだ。シンの夢を叶えるチャンスだぞ」


 初めて頬を赤らめるウェルヴィを見た。

 こいつにも恥ずかしいという感情があったんだ。


 照れくさそうに笑ったウェルヴィは有無を言わせず、俺を抱えたまま歪んだ空間の中へ突入し、ルクシーヌに装置を壊すように命令した。


 歪んだ空間を漂う俺は胸の痛みを我慢できず、体を丸めた。


 しなやかな指が俺の頬を包み込み、ウェルヴィの顔が近づく。

 そして、優しく唇が触れ合った。

 突然のことで俺は目を見開き、ウェルヴィの長いまつげだけを見ていた。


「わたしにとって初めての試みだ。どうだ、発情したか?」


 胸の痛みがなくなり、心の中に暖かいものが流れてくるような不思議な感覚だった。

 

「許せ。少しばかり性欲の強い体になるかもしれん」

「それは困る」

「代わりにニンジン嫌いを治してやろう」

「それはあまり嬉しくないな」


 下らない話をしている間にもウェルヴィは人の姿から魔物に戻り、それすらも維持できなくなっていた。


 ウェルヴィの体が砂のように崩れ始め、その一部が俺の体内へと入っていく。

 やがて、ウェルヴィの声も聞こえなくなった。


「待ってろ、ウェルヴィ。次は俺の番だ」

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