第32話 願い

 新幹線に揺られる俺は流れていく田舎の風景を見ながら、ウェルヴィへの言い訳を考えていた。


 責任を持って『銀兎のダンジョン』のボスを務めろと言ったのは俺だ。

 だけど、今日はウェルヴィを東京に戻すために大阪へと向かっている。


「さて、どうするか」


 駅に着くまで考えたが、妙案は出てこなかった。


 まずは雑居ビルへ向かい、階段を降りる。

 古びた扉を開けるとタバコの煙を吐き出す女医と目が合った。


「やぁ。まだ、うちの首は繋がってるよー」

「スイッチを押してないのだから当然だ。抜糸を頼みたい」

「まだ、抜いてないの? よく感染しなかったねー」


 女医は傷口に顔を近づけて、ぽんぽんと叩いた。


「献身的な専属看護師がいるんだねー。感謝しなよー」

「いいから早く抜いてくれ。今日は医療費も払うつもりだ」

「そこに横になって。お金はいいよー。仕事ってよりも趣味だからー」


 言われた通りにベットに横になると、あっという間に抜糸は終わった。


「現金がいいなら銀行で下ろしてくる。カードなら持ってる」

「だからいいってー。もう十分だよー」


 最後まで支払いをさせてくれなかった女医に背中を押されて、扉の外へ追い出されてしまった。

 治療が終わったのならここへ来る理由はない。彼女が俺の正体をバラさない限り、俺はスイッチを押さなくて済む。


 もう二度と関わらずに済むように願いながら階段を上った。


◇◆◇◆◇◆


「迎えに来たぞ、ウェルヴィ」


 ダンジョン内は崩落したままだった。

 俺はモールラビットたちが掘った別の入り口から入り、最下層まで向かった。


「遅い!」


 ご立腹の女王様に献上するポテチは持ってきている。

 俺は鞄の中から関東限定のポテチを2袋取り出した。


「まったく、お前という奴は。こんなものでわたしの機嫌が直ると思っているのか?」

「あぁ。だから、毒液を撒き散らしながら尻尾を振るのをやめろ。壁が溶けてるぞ」

「シン成分が足りなくなると体の中の毒性が高まってしまうのだ。自分ではどうにもできない」

「待て。入り口にあった骨は……。おい、ニヤニヤするな。答えろ」


 ウェルヴィは幸せそうにポテチを一つずつ摘みながら食べ始めた。


「プレ配信をする。お前は隅っこで食ってろ」

「わたしとの交際宣言の練習か?」


 戯言を無視してカメラの設置を終え、魔物の待機場所を指定する。


「仮面と衣装はどうした? ついに顔出しか?」

「今日はいつになく面倒くさいな。仮面は置いてきた。あんな物を持ち歩くバカはいない」

「お前の真似をする配信者も出てきたから問題ないかもしれんぞ。模倣犯というやつだな」


 俺はミラージュラビットと呼ばれる魔物の幻影を見せる能力を試そうとしていた。

 この魔物が使えれば俺は移動しなくても好きな場所でラビを演じることができる。


「どうだ。映像を見てホログラムだと分かるか?」

「口の動きを合わせることができれば完璧だな。生で見れば分かるだろうが、スマホを通してだと見分けはつかないな」

「よし。テストは終わりだ。本題に移ろう」


 俺は名残惜しそうにしているウェルヴィからポテチの袋を取り上げた。


さぎみや 朝陽あさひと話をつけた。間もなく魔物と共存する世界の実現に向けて式典を催すことだろう。お前にも参加してもらう」

「ほう。どっちの立場で参加するのだ? シンとしてか、それともラビとしてか?」

「ラビに決まっているだろ」


 ウェルヴィは意味深に頷いた。


「これでシンの目標は達成したも同然だな」

「そうだ。だから次はお前の番だ。願いを言え」

「わたしの願い、か」


 長い沈黙だった。

 ウェルヴィがポテチの味以外で迷うことは滅多にない。

 それほどまでに彼女の中で葛藤があったのだろう。


「わたしがシンに叶えてほしかった願いを変える。ずっとわたしと一緒にいてくれ」

「は? お前はっ」


 ウェルヴィのしなやかで優しい指先が俺の唇に触れた。


「いいんだ、シン。賢いお前のことだ。わたしの本当の願いは勘づいているのだろう? それはもういい。忘れてくれ」

「……でも、それじゃ」

「正直に話そう。関西地方から東京に出てきたのは、とある人物を探すためだ。その途中でシンに救われた。そいつらがわたしたちをこの世界へ連れて来た」

「どういうことだ?」

「わたしたちの世界に土足で踏み入り、人間界への道を繋いだ。わたしははっきりと見た。一人は鷺ノ宮エンタープライズ社長、鷺ノ宮 朝陽。もう一人は内閣総理大臣、新堂しんどう あらた。もう一人の女は――」


 そこでウェルヴィは言葉を切った。

 もしかしてあの闇医者か……?


「女の正体は分からない」


 ウェルヴィは良くも悪くも正直者だ。

 嘘をつくと、必ず首に巻いているうさぎの鼻がヒクヒクと動く。


 俺に隠し事をしているのは明白だ。

 だが、敢えて隠しているということは、今はまだ不必要な情報ということだ。

 ウェルヴィが俺の邪魔をするはずがない。きっと今の俺が知ると、足を止めてしまうような出来事に違いない。

 そう決めつけて、彼女の言葉を鵜呑みにすることにした。


「あの日、ウェルヴィはおじさんと一緒にいた俺がダンジョン・スタンピードに巻き込まれたから運良く助けてくれたのか?」

「そうだ。シンが親たちと一緒でなければ、わたしは間に合っていなかっただろう」


 ウェルヴィは俺から奪い返したポテチを大切にそうに抱き寄せ、口に運ぶ。


「行こう、シン。もう留守番はこりごりだ」


 俺は新幹線で考えた数々の言い訳を使うことなく、ウェルヴィと一緒に帰りの新幹線に乗り込んだ。


 ダンジョン稼業はしばらく休業だ。

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