第30話 疑いの眼差し

 朝起きると、俺のシャツを着たシオンがキッチンの戸棚や冷蔵庫を漁っていた。


「おはよう、シン。シリアルはどこ?」

「そんなものはない。朝はご飯派なんだ。シオンも卵かけご飯を食べるか?」


 レンジでチンしたパックライスを茶碗に移してから生卵を落とす。

 パックの上で完成する料理はダメだ。

 白米に敬意を表していない。これだけは譲れない。


 醤油を垂らして、豪快に混ぜた黄色い飯を見たシオンは顔を引きつらせた。


「……これを食べるの?」

「騙されたと思って食べてみろ」


 シオンは恐る恐る箸でご飯をつまみ、一息に口の中へ放り込んだ。

 ゆっくりと咀嚼してから飲み込んだシオンが涙を溜めた目で俺を睨む。


「騙された」

「好みは人それぞれだ。卵かけご飯を食べるという選択をしたのはシオンだからな。俺は悪くない」


 ぷんすか怒っているシオンに未開封の食パンを渡すと、「ジャムは?」と聞いてきた。


 よくぞ、聞いてくれた。

 家にはありとあらゆるジャムが取り揃えられている。母さんの好みだ。その日の気分で味を変えたいらしい。


 シオンはその中からマーマレードを選んでトーストを食べ終えた。


 脇腹は痛むが、あまり学校をサボり過ぎると不審に思われてしまう。

 親に連絡されても面倒だ。


 内申点の減点覚悟で平日の昼間にカガリを呼び出したのだからラビの正体が学生という線は薄れたはずだ。

 本当は配信時間の調整もしたいところだが、そこまで徹底する気力もやる気もない。


 そんなことを考えながら、体育の授業でマラソンに勤しむクラスメイトを眺めていた。

 なぜ、冬の体育はマラソンなのだろう。


 ただの授業は座っているだけだから問題ないが、今の体で体育は無理だ。

 しかも、マラソン後に時間が余ったら好きな球技をしていいなんて馬鹿げている。

 なんで俺の周りには体力おばけしかいないんだ。


「シンくん、体調は大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。ありがとう」


 男子とは別メニューの授業をしている佐藤さんがわざわざ声をかけてくれた。

 優しいとは思うけど、シオンが睨んでくるから控えてほしい。

 これでは男女別で体育をしている意味がない。


 ふと俺の足元にサッカーボールが転がってきた。


「悪い、鴻上こうがみ! パス頼む!」

「わかった!」


 ボールを蹴り返そうとした右足をとっさに止める。

 危ない。激痛に悶えるところだった。


 不審な顔をする佐藤さんに愛想笑いを返しながら、ちょんとボールを蹴った。

 コロコロと弱々しく転がるボールがクラスメイトの元にたどり着くのを見届けて座り直す。


「……シン君。どこか痛めてるの?」

「うん、ちょっと脇腹をね。寝違えたのかな」

「寝違えたなら首じゃないの?」

「きっと、ぐりんってなったんだよ」


 クスクス笑う佐藤さん。

 さっきの鋭い目には焦ったが今は大丈夫だ。この笑いならもう気にも留めていないだろう。


「あ、そうだ。私ね、昇格試験に合格して、やっとDランクになったんだ」

「へぇ。それはすごいね」

「これでダンジョン・スタンピード発生時の救援要請に応えることができるんだ」

「そっか」


 なんて無邪気な笑顔なんだ。


 もしも、また誰かの手引きでダンジョン・スタンピードが起こったら、佐藤さんは危険の中に飛び込んでいくことになる。

 そして、ダンジョンからあふれ出た魔物と戦うんだ。

 それを承知で笑っていられるなんて。


「……どいつもこいつも」

「ん? なに?」

「いや、なんでもない。ほら、女子たちが呼んでるから戻った方がいいよ」


 俺はズキズキと痛む脇腹を押えながら、一足先に教室へと戻った。

 クラスメイトが戻って来るまで『銀兎のダンジョン攻略スレ』というスレッドを眺めて暇潰しと情報収集の両方を行う。


 今のところ、ダンジョンに挑んだ愚か者はBランクパーティーが2組とソロの冒険者が3人。ほとんどが大阪の病院に入院中らしい。


 ただでさえ、脆くて崩れやすいダンジョンなのに一度崩落しているのだ。

 足を滑らせれば、どこまで落ちるか想像もつかない。


 ウェルヴィからの定期連絡という名目の長電話では、唯一彼女の前にたどり着いたのがソロで活動している国家冒険者だとか。

 カガリよりも弱かったらしく、返り討ちにして全身打撲を負わせたらしい。


「ウェルヴィを攻略なんて考えるだけ無駄だ。さて」


 俺はスレッドを閉じて、シオンの相棒であるルクシーヌのデータを入力したメモを開いた。


「今日は『深緑しんりょくのダンジョン』に挑ませるか」


 ルクシーヌはウェルヴィとは違った戦闘スタイルの魔物だ。

 彼女の実力は計り知れない。もしかするとウェルヴィよりも強いかもしれない。


 そんなことは口が裂けても言えないが、意外と俺の言うことを聞いてくれるルクシーヌとの連携も取れるようになってきていた。


 いざという時は彼女を頼るしかない。

 万が一、シオンにも危害が及ぶようであれば、迷わずにルクシーヌを使うつもりだ。


◇◆◇◆◇◆


 俺はシオンのマンションを訪れ、ベランダでスマホを眺めていた。


 自分の家のリビングをウェルヴィに見張られていると思うとゆっくりできない。

 どれだけ探してもカメラは見つからないし……。

 パパラッチ覚悟でシオンの家にお邪魔しているという状況だ。


「人気動画を見てみるか」


 シオンはマンションの撮影部屋で配信中だ。

 邪魔にならないようにベランダに避難した俺はシオンのアーカイブ動画を視聴してみることにした。


 なんだ、この再生数!?

 そんなに何度でも見直したくなる内容なのか……!?


 一番再生されている動画がフランスにあるダンジョンを一人で攻略するというものだった。

 ボスには到底及ばなかったが、何度でも立ち上がる姿に多くのリスナーが涙したとか。

 アーカイブ動画のコメント欄でも応援メッセージが寄せられていた。


「嫉妬が原動力か。強いな」

「なに見てるの?」


 背後から近づいてきたシオンに耳元で囁かれ、素っ頓狂な声を上げながら落としそうになったスマホをなんとかキャッチした。


「危ないだろ!」

「シンって不意打ちに弱いよね」


 否定はできない。


「どうして本人が生配信している姿を見ずに過去のアタシを見ているの?」

「べつに。どんな配信をしているか気になっただけだ。配信中に男の影があったらまた炎上するだろ」

「今更だよ。優しいね、シン」


 夜はめっきり寒くなった。夜風に当たりすぎるのは体によくない。

 室内に入ろうとしたとき、猫のように目を丸くしたシオンが俺の顔を覗き込んだ。


「ねぇ、キスしよっか」


 俺はまたしても変な声を出して、部屋の中に逃げ込んだ。


「な、な、なぁっ! シオンまで発情してるのか!?」

「初めてでしょ?」

「冗談はやめてくれ。物事には順序がある」

「じゃあ、はやく歩みを進めて。シンが夢を叶えたら、次はアタシだけを見て」


 俺はなんて答えればいいか分からず、無言でシオンのマンションをあとにした。


 そうだ。

 立ち止まってる暇はない。はやく鷺ノ宮エンタープライズに行って、話をしないといけないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る