第2章

第15話 終わった話

 あの配信は物議を醸し、ネット上のみではなく実社会にも影響を及ぼした。


 鷺ノ宮エンタープライズは事実無根だと表明し、真相は闇の中となっている。

 俺は大石を許せなかっただけで、日本の大企業と喧嘩をするつもりはないから、これ以上争う姿勢を見せないのはありがたい限りだった。


 つくづく顔を隠しておいてよかったと思う。


「あんな高性能な仮面をどうやって作った?」

「鷺ノ宮エンタープライズの研究所からくすねてきた。見た目が好みではなかったから少し弄ったがな」

「はぁ!? 足がついたらどうする!?」

「心配するな。きっとシンのような奴の出現を予期していた人間がいるのだ。製作者の方から頭を下げてくるかもしれないぞ」

「お前なぁ……」


 ウェルヴィはどんどん無駄な知識や技術を身につけていく。今ではパソコンもスマホも使いこなすようになった。

 暇さえあればエゴサーチをしてケラケラ笑っている。


 そんな彼女を家に置いて登校することは不安だったが、もうすっかり慣れてしまった。


 教室に入り、席に着くと佐藤さんが申し訳なさそうに近づいてきた。


「ちゃんとお礼言えてなかったよね。この前はありがとう」

「無事でよかったよ。気をつけようがないけど、お互いに気をつけよう」

「どうして新宿方面は安全って分かったの?」

「なんとなくだよ。鳥の魔物たちは旋回するばかりで襲ってくる気配がなかったから。ビル同士が繋がってて助かったよ」


 佐藤さんが渋谷でダンジョン・スタンピードに巻き込まれたことは大多数の生徒が知っていた。

 俺は日陰者だからプライベートに興味を持たれることはなかったが、佐藤さんが伝えたらしく、変に目立つようになってしまった。


「ラビって人が言ってたことは本当なのかな?」

「さぁ、どうだろうね」


 あまりこの話は続けたくない。

 なるべく表情に出さないようにしながら適当に相槌をうった。


「一緒に巻き込まれたシンくんはどう思う? 八つ当たりで殺されそうになったんだよ?」

「難しいことは分からないよ。ただ、助かってよかったっていうだけ」

「……そっか。私はね、自分の身を守れるようになって、他の人も守れるようになりたいって思ったよ」

「それは大変なことだね。無理はしないでね」

「シンくんみたいにね」

「は?」


 あまりにも突拍子のない発言に開いた口が塞がらない。

 俺は大勢の人を見捨てて逃げただけだぞ?


 たまたま近くにいた人に声をかけただけで、救おうとはしていなかった。

 俺は凪姉のことしか考えていなかった。


「ラビって人は嫌い。あの人のやり方は間違ってるよ。ダンジョン・スタンピードを予測できてるなら、もっと早くに配信してみんなに教えてあげればよかったのに」

「……そう、だね」

「そしたら誰も傷つかなかったのに。『ガイオアース』の犯罪も防げたわけでしょ!」

「佐藤さん。そろそろ先生が来るから席に戻った方がいいよ」


 ヒートアップする佐藤さんに同調するようにクラスの男たちが騒ぎ出した。

 こんな話は聞きたくない。

 それはもう俺がウェルヴィに言った。終わった話なんだ。


 その日、俺は憂鬱な気持ちで授業を受けた。


 放課後。帰り支度をしているとスマホが震えた。

 ウェルヴィからで『お前に会いたいという奴が来た。面白いから早く来い』というメッセージだった。


 一度帰宅し、庭の穴を通って『始まりのダンジョン』の51階層まで歩く。

 既にウェルヴィが待機していて、俺に衣装と仮面を渡してきた。


「ダンジョン管理局の奴らか?」

「いいや、それは今日の昼までで終わった。隠し扉もこの51階層も見破られなかったぞ」

「当然だ。こんな簡単にボロを出してたまるか」


 あの一件以降、迷宮省直轄の役人や管理局に所属する冒険者がやたらと『始まりのダンジョン』に立ち入り調査を行うようになった。


 本来のボスであるオークはとっくの昔に討伐され、攻略された後は弱い魔物だけの住処になっていた場所だ。


 国は初心者向けのダンジョンとしていたが、ボスのような立ち位置のウェルヴィが不在で、事件が続いた場所を解放しておく理由がない。

 封鎖が決まり、今では立ち入り禁止のテープが貼られている。それでも入ってくる輩がいるのだから冒険者たちの民度はどうなっているんだ。


「じゃあ、誰だ?」

「早く着替えろ。話はそれからだ」

「見るなよ」

「そう言われると見たくなるのが人のさがというものよ。それに今更だろう? 風呂上がりの姿はお互いに見ているのだからな」

「チッ」


 ウェルヴィに背を向けて、黒いうさぎの描かれた衣装とフルフェイスの仮面を被る。

 50階層へ続く、隠し扉を開いたウェルヴィに促されると、すぐに49階層から50階層へ伸びる階段から足音が聞こえてきた。


「は、はじめまして。僕、元『ガイオアース』のメンバーで途中からカメラマンをしていた南と申します」


 どこかで見たことがある顔だと思ったら、モニター越しに会っていた男だった。


 腰が低く、気弱そうな見た目だ。何が入っているのか分からない大きなリュックを背負った彼はいきなり土下座した。


「この度は僕の無罪を証明していただき、ありがとうございました!」

「は? なんのことだ?」

「ラビ様が公開した画像には僕だけが写っていないんです。僕は怖くなって当日は家にいました。それを証明できなくて、一緒に逮捕されそうだったんです」


 それは偶然で、俺がこいつを助けたわけではない。

 それなのに礼を言いにくるなんて律儀な奴だ。


「どういたしまして。これでいいのか?」

「僕を仲間に入れてください!」


 俺は仮面の下で、ウェルヴィに視線を向けた。

 ウェルヴィは発言するつもりがないのか、いつも喧しい口を閉じままだった。


「断る」

「では、もう一度配信をお願いします」

「断る」

「投稿サイトがラビ様のアカウントを凍結していないなら何か理由があるはずです。みんながあなた様を待っているんです」


 するしないの問題ではなく、こんな仮面の男が映ってもつまらないだろう。

 何が面白いのか分からない。

 それなら、ウェルヴィの怠惰な生活を垂れ流しにしている方が視聴数は伸びると思うぞ。


「みんな、もっとラビ様について知りたいんです。きっと知ってもらった方がラビ様の理想に近づきます!」


 視界の端でウェルヴィの尻尾が元気よく揺れ始めた。

 ウェルヴィ的にはやりたいらしい。


「考えておく」


 彼の意見にも一理ある。

 俺とウェルヴィが共存できていることを証明して、収益を得られるならやらない理由はない。ただ、何を話すかが問題だ。


 南という男を追い返した俺はウェルヴィに向き直った。


「俺は自分の目標に向かって前に進んだ。そろそろ、お前の願いを聞かせてもらおうか」

「……まだいい。わたしは同胞を守ることができればいいんだ。シンは奴らも尊重してくれている。それだけで満足なのさ」

「それでは俺が納得いかない。時期が来たら必ず話せ。いいな」

「わかったよ。そんなにわたしのことが知りたいのか。可愛い奴め」

「やめろ、放せ! 鬱陶しい!」


 無駄に抱きつこうとするウェルヴィはどこか無理をしているように見えなくもなかった。

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