第2話 うさぎの進化

 路地裏に逃げ込んでから制服の中にうさぎを隠して自宅を目指す。

 家に着いたらすぐに風呂場に駆け込み、うさぎを洗い流した。


 ただでさえ、忌み嫌われる魔物だ。更に地面を転がり、泥や土まみれの姿でリビングに入れるわけにはいかない。


 石けん、ボディーソープ、シャンプーのどれを使えばいいのか分からず、全部を試して合計5回も全身を洗ってやった。

 特に汚い尻尾は入念に洗ったが、全身のほとんどは純白のくせに尻尾だけは真っ黒だった。


「これでいいか。熱いけど我慢しろよ」


 ドライヤーで乾かすと見事な毛並みのうさぎ姿になった。

 これが本当に魔物なのか?


 俺は一度もダンジョンに入ったことがないから生の魔物を見たことがない。テレビや教科書の写真で見ただけだ。


 イメージと全然違う。

 もっと禍々しいものだと思っていた。


 きゅう、と鳴きながら俺の膝に頬をすりすりしてくるうさぎの頭を撫でると、真っ赤な瞳を細めた。

 なんだ、こいつ。可愛いじゃないか。


「いいか、うさぎ。お前をこの家に長居させるわけにはいかない。だからさっさと強くなって出て行け」


 ダンジョンに生息する魔物の名前やステータスを確認するためには専用のアプリを使う必要がある。

 ダウンロードしたばかりのアプリを向けると、ディスプレイにうさぎのステータスが表示された。


***


name:スティンガーラビット

type:魔王種

Level:1


***


 とにかく、こいつが弱いということだけは分かった。

 このレベルを上げれば、冒険者に倒されないということだろう。


 ネットで検索しても魔物のレベルはどのように上がるのか解明されていないらしい。

 仕方ないからダンジョンに放り込んで同族と戦わせるか。


 その日から俺は餌としてニンジンを与え、放課後には初心者向けで攻略済みの『始まりのダンジョン』に向かい、低層階の隅っこでうさぎと魔物を戦わせ続けた。


 その結果、レベル10まで上げることに成功したがまだ足りない。


「お前、戦いの才能がないんじゃないか?」

「きゅう?」


 安直にニンジンを食べさせているが、これが正しいのか分からない。

 誰かに聞くわけにもいかないから手探りで育成中だ。

 多分、俺が世界で初めて魔物を狩っているんじゃなくて、飼っていると思う。


「弱い奴は何をやっても無駄な世界か。残酷だな」

「きゅうっ」

「おわっ! やめろ!」


 突然、俺に飛び掛かってきたうさぎ。

 顔を守るように庇う。うさぎは腕の隙間から俺の唇に湿った鼻を押しつけてきた。


「なにをする! なっ!?」


 そのとき、うさぎの体重が重くなった。

 鼻先と触れ合った唇を手で拭いながらスマホを向けると、レベルが50まで一気に上昇していた。


「お前、なんで急に」


 このレベルでどれくらいの階層まで行けるのだろうか。

 後日、どんどん下の階へ進み、ゴブリンやオークと名付けられた魔物を倒していると、元ボス部屋である50階層で背後から声をかけられた。


「シンちゃぁん。制服でダンジョンにくる奴があるかよ。って、まだその魔物を連れてるのかよ!? 明日、学校中に言いふらしてやるからな!」

「柴崎くん、これはギルドへ通報案件ですよ」


 それは困る。

 こいつを拾った次の日から俺は学校で陰口を叩かれるようになっている。


 元々、クラスにあまり馴染んでいなかったから特別気にはならないが、明らかに悪意のこもった視線を向けられるようになった。


「お前を庇ってくれる佐藤も軽蔑してたもんな」


 魔物を憎む人間は少なくない。むしろ、憎んでいない人間の方が少ない。

 だから、俺が軽蔑されたり、嫌悪されたりしても仕方のないことだ。


「いくら綺麗に洗ってもそんなザコモンスターじゃ、オレ様たちには勝てねぇぞ。正義の鉄槌を下してやる!」


 柴崎を先頭に男たち4人が俺たちを囲む。それぞれが武装していて、生身の人間なんていない。


 基本的にダンジョン内での人間同士の戦闘は禁止されている。

 しかし、度々、怪我人が出たとニュースになるくらいにはルールを守られていないのが事実だ。


「オレ様たちはCランクの『ブラックフェザー』だぞ。次世代を担うパーティーに選出されてるんだ。オレ様たちに成敗されることを光栄に思うがいい」

「せっかくだから動画配信しておくよ」

「止めとけ。あんなザコ共を相手にしても視聴者は増えねぇよ」


 男の一人がスマホの準備を始めたが、それを柴崎が止めた。

 俺としては配信されないならありがたい。


「丸腰の俺を相手に武器を使うのか?」

「オレ様たちはその魔物を討伐するだけだ。でも間違ってお前に剣が向いちまうかもしれないけどな!」


 俺は足元のうさぎを見下ろす。

 別に示し合わせたわけではないが、うさぎも俺を見上げていた。


「今日でお前とダンジョンに潜るもの最後だな」


 柴崎の一撃をかわしたうさぎが跳躍し、男4人を翻弄する。目にも止まらぬ動きで攻撃を避け続ける姿は圧巻だった。

 

 俺は壁際へ移動し、腕組みして結末を見守ることに徹する。


「な、なんだ、この魔物! 速すぎて攻撃が当たらない!?」

「焦るな! 一撃当たれば怯む。そしたらボコボコにしちまえ!」


 レベル50の魔物と自称Cランクパーティーの柴崎たちがどんなバトルを繰り広げるのか純粋に楽しみだった。

 しかし、彼らはまだ一発も攻撃を当てられていない。


「戦い方を教えた甲斐があったな」


 俺はあのうさぎを素早さに特化して育てた。結局のところ、どれだけ強力な攻撃でも当たらなければ問題はない。


 魔物の相手は人間だ。絶対に体力の限界が訪れる。

 そのときを待てば絶対に負けない、という理論に基づいて育成したのは正解だったようだ。


 Cランクパーティーを翻弄したという成功体験を与えて、野に放とう。


 一人、また一人と男たちが息を切らして地面にへたり込む。

 まだ立っているのは柴崎と大きな盾を持つ男だけになった。


 データ収集は終わった。そろそろ終わらせてくれないかな。


 そんな願いが通じたのか、うさぎはへたり込む男の片方に頭突きをおみまいした。


「な、なんだよ、これぇ!?」


 頭突きを喰らって気絶した男の隣で、杖を持つ男が情けない声を出す。

 実は俺も驚いていた。


 うさぎは眩い光の繭に包まれ、その中から姿を現わしたのは山羊やぎの角が生えてサイズアップしたうさぎだった。


「……まさか」

「進化、したってのか」


 柴崎たちがそんなことを言う。


 俺はすでに魔物の進化については検索済みだ。残念なことにネット上には一つの情報もなかった。

 もしかすると、俺たちは世界で初めて魔物が進化する瞬間を目の当たりにしたのかもしれない。


「なるほどな。それで『スティンガーラビット』か」


 跳躍したうさぎが真っ黒な尻尾を柴崎に向ける。

 さっきまでモフモフだった尻尾は無機質な球状のブロックのようになっていて、目にも止まらぬ速度で伸びた。


 尻尾の先端はさそりのようなこう状の形をしていて、毒々しい。

 柴崎の太腿に突き刺さった尻尾の先端が、もう一人の男の腕を掠める。

 伸縮した尻尾は元の球状となって、うさぎは華麗に着地した。


「いってぇぇぇぇぇえぇぇぇぇ!!」


 絶叫する柴崎だったが、やがて口をパクパクさせて、喉をかきむしり始めた。

 もう一人は声を殺して地面を転がり回っている。


 ――毒か!?


 さすがに人殺しはまずい。


「立って仲間を助けてやれ!」


 へたり込む杖の男に声をかけたが反応は返ってこない。

 男は救援を呼ぼうとしていたのか、スマホを片手に持ち、「ま、魔王だ」などと呟いている。


 魔王? 魔王と呼ぶには可愛らしすぎるだろ。


 最初から気絶している男も当てにはならない。

 俺はのたうち回る盾男のポーチから解毒剤を奪い取って、二人の口に無理矢理に突っ込んだ。


 次第に二人の呼吸が落ち着いてくる。

 アプリから救急要請し、到着した救急隊に事情を話して柴崎たち4人を病院へ連れて行ってもらった。


「これでお別れだ。レベル51なら、お前はもう誰にも負けないだろ」


 進化したうさぎを置き去りにして、転移ブロックの上に乗って地上まで戻って来た俺はそのまま何事もなかったように帰宅したのだが……。


 この日の俺は重大なミスを犯していることに気づかなかった。

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