甲斐姫

「成田氏長の娘、甲斐姫だと!?」



 確かに甲冑を身にまとい武器も持っているが、紛れもなく女。

 しかも城主の娘自ら戦いに出て来ている。



 石田軍の兵は当然のように動揺し、成田軍の兵たちは当然のように盛り上がる。


「ふむ、西国には立花誾千代と言う立花道雪の息女がいた。東にもいると言う事か」


 三成はあくまでも冷静だった。どこまでも冷静だった。


「石田三成って噂には聞いてはいたけど本当に冷たい男ね!」

「熱くなって結果が出せるのならばいくらでも熱くなる」

「こんな迷惑な真似をしたってね、誰も死んでないわよ!」

「はったりはよせ」

 男だろうが女だろうが、きちんと対応するまで。

「敵であれば敵として、断固たる措置を取る。それが指導者の役目と言う物だと思うが」

 その言葉には、無駄ないきみもなければ抑揚もない。当然だと思う事を、当然だと言わんばかりの調子で吐き出している。


「あんたには情熱がないの!秀吉のためならば命も惜しくないって叫ぶような!」

「当たり前のことをわざわざ声高に叫んでどうする?」

「本当澄ました顔ばっかり!もうちょっと人間らしくしなさいよ!」

「理性を無駄に失う必要もない。人間であれば理性を持つ事が大事だ。皆の者、甲斐姫には手を出すな。兵たちを一人ずつはぎ取れ」

 三成にとって恐ろしいのは、数だけだった。数に任せて堤を壊され、水攻めが失敗すれば無駄になる。それだけは避けたかった。

「はぎ取れ!?姫様を守る物をはぎ取れだと!」

「まあそうだな」

「おのれ!この助兵衛が!」

「やれやれ、関東の覇者の名を卑しい妄想で汚す事もあるまいに。早雲公もここまで程度が落ちたのかと天上にて嘆いているであろうな」


 文字通りの馬耳東風。

 自分たちがどんなに怒っても通じない事を知ればやる気も萎えるだろうかと考えていた訳でもないが、三成にはだんだんと相手が矮小に見えて来た。


「絶対に負けるな、どうか力を振るってくれ、頼む」


 その分だけ、檄にもいっそう力がなくなる。

「うおおおおおおお!」

「やらせるか、やらせるかよ!」

 隊長が大声を上げるが、所詮隊長は隊長でしかない。

「こんな氷のような男に負けてたまるか!」

「金玉ついてるのか!」

「五つと二つの男児がいるが」

「屁理屈こねやがって!」


 声の大きさだけならば、豊臣軍の惨敗だった。そんな物で競おうとしない人間が頭である限り、見えた結果だった。

「もういいわ!こんなのに構っても時間の無駄よ!」

「時間の無駄…なるほど、悪くはないな」

 甲斐姫は顔を真っ赤にしながら、三成目掛けて突っ込んだ。底のない沼に向かって岩を投げ込もうとする甲斐姫を三成は相変わらず冷め切った目で睨んでいた。

 甲斐姫は三成の澄まし切った顔を乱してやりたいと思い、三成は甲斐姫の燃え上がった頭を冷やしてやりたいと思っている。


 冷静と情熱の衝突が始まった。







「手を抜いてるの!」

「殿のご命令だ、そなたを構っている暇などない!」

「死にたいわけ!」


 石田軍の兵たちは甲斐姫の刃をいなす事に集中し、その間に兵たちを削りにかかる。もちろん堤を壊されぬように守る兵もいる。

 当然の如く援軍もやって来て、甲斐姫の軍勢を取り囲もうとする。


「まったく、女だからってなめてるわけ!総大将を討てば戦なんて即終わるわよ!」

「そんな嘘に誰が騙されるか」

 三成の言葉にも面相にも、動揺の二文字はない。ただ冷静沈着の四文字だけがあり、自分への確信があった。

「何よ!どこまでもどこまでも!」

「……」

 三成はついに返答さえしなくなった。そんな事をするぐらいならば敵の動きを見極め、どこに兵をぶつけるか考える方が重要だったからだ。

「そこだ」

 実際、三成の指揮は正確だった。弱点を見極めそこに援軍をぶつけ、敵を排除せんとする。敵の隊形はあっという間に崩れ、そのまま自分たちの勝利へと近づく。それこそが三成の筋書きだった。



 —————だが、崩れない。



 正確な攻撃のはずなのに、何度やっても止まらない。


「まったく、どこまであがく気だ!」


 三成はようやく声を荒げる。それでも決して自分たちの兵のせいにしない程度には頭に血は上っていなかったが、逆にそれが原因となって頭に血を上らせる可能性がある存在がいる事を忘れていた。

「どこまでもええかっこしいなんだ!」

「こんな奴に負けるな!」

 荒々しい声。

 石田軍ではない軍勢の声。


「都合の悪いことは全部他人のせい!本当に都合のいい頭だこと!」

「兵たちを責めて何が変わる!」

「あんたなんかに一体誰がなつくって言うのよ!」


 甲斐姫がいくら吠えてもやり方を変えない三成。



 それこそが、甲斐姫たちにとって憎しみの対象になっていた。



 水攻めとか、敵軍だからとかはどうでもいい。

 あまりにも不可解。冷静を気取るにしても程度が過ぎている。


「人間らしく、人間らしくしなさいよ!」

「まるで妖にでも出くわしたように振る舞いおって!ここまで大将が動揺していては勝利は時間の問題だな!」

「それこそがあんたの弱点よ!」

「とは言えまだ決まった訳ではない!」


 何とかして自分を動揺させてやりたいとか言う的外れな欲望の増幅に気付いた三成は、内心ほくそ笑んでいた。

 このままならば口にした通り勝利は時間の問題だろう。さんざんてこずらせてくれたなと肩の荷を少しだけ下ろしたくなった。

「あーっもう!」

 甲斐姫のいら立ちの声が耳に心地よく響き、気分も高揚して来る。ようやく、本気で笑ってもいい気がして来た。



 —————その時である。


「何だ」


 相変わらず澄まし声のまま、後ろを振り向く。


 大きな音が鳴ったと言うのに、まるで小石でも落ちたかのようにしか振る舞わない。




 そんな三成が見た物は、後方からやってくるはずだった援軍が吹き飛ばされている姿だった。




「誰だ!」

「今よ!」


 初めて、人間らしく動揺した三成。



 そして、その隙を捕まえに来た甲斐姫。



 事ここに至って、戦いはついに動いた。


「敵援軍到来!」

「くっ…!」


 北条軍と思しき兵士たち、装備はバラバラで武具も適当だが数は多い。

 それらを倒そうにも、兵たちの打撃は大きい。爆弾でもぶつけられたのか焦げ臭いにおいが漂い、中には手足が吹っ飛んでいた兵もいた。


 当然この突然の死は兵たちの心を揺るがし、腰を引けさせる。いや、腰が引けるだけで済めばどんなに良かったか。

「戦場で人死には当然だ!」

「ですがこれは!」

「風魔か!忍びが表に出て来るとは焦りおって!」

 兵士が必死に可能性を見出して叫ぶが、三成の言葉の説得力さえ薄れているのにそんな言葉が力を持つはずもない。


 —————二発目が来た。しかも、今度はさらに後方。


「浅野軍数名が死亡!」


 せっかく来た援軍さえも断ち切られる。


「もう駄目なのか!」

「所詮は単発じゃないか!そんなのでどうにかなる訳があるか!」

「でも実際!」

「逃げるなぁ!」

 そしてそう叫んだ男が甲斐姫自らの手により頭を叩き割られたのがきっかけとなり、石田軍は崩れ出した。


「さあいよいよ、いよいよよ!」

「こうなれば私自ら!」

「下がりましょう、もうこの堤はダメです!」

「やむを得まい……!」


 歯を食いしばりながら後ろを向く。その自分の背中を見るだけで、勝った気分になってくれるのならばそれでよかった。

 実際甲斐姫が勝ったとしか言えないのだが、それでもまだ兵さえ整えれば逆襲できると信じていた。







「さあ、行きなさい!」




 そして、三成の敗北を告げるかのように堤は壊された。




 甲斐姫と、彼女に従う人間たちにより。

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