教本通りの攻撃
短冊事件から三日。
既に忍城内部にも城下町にも噂は広まったはずだと判断した三成は、ついに動いた。
「敵はおそらく、残存兵力を結集しまた同時に周囲からの援軍を駆り出して弱点として教えた場所を攻撃して来る。そこを迎撃し、大軍を持って殲滅する」
「ちょっと!」
だが三成が作戦を伝えるや、すぐさま真田昌幸が突っ込んで来た。
「どうした!」
「わざと弱点を教えるなど!」
「誘いの隙と言う物だ、そこを攻めて失敗すれば敵の士気は落ちる。この数をもってすれば迎撃などたやすい」
「そうではないのです、そうなると敵は最後の好機だとばかりに全ての力をその作戦に注ぎ込んで来てしまうのです!兵法にも追い詰められた軍勢には一か所退路を与えるべしとあります!」
全力を尽くしての死闘と言う言葉は武士にとって実に甘美な果実だったが、百姓にとっては毒だった。何せ全力なのだから負けた方は全滅、勝った方も大打撃を受け、人も物も大幅に失われ、此度のような水攻めとか言う状況がなくとも大地が痩せるきっかけを作ってしまう。もちろん手工業者や商人たちにとっても面白くない。
「それは何だ、やっている事が矛盾しているとでも言いたいのか」
「それはその、いかにも…!」
「だがこれ以上手間をかけていては良民のためにならぬ!ここで大きな勝利を見せねばならぬのだ!」
「申し訳ございませぬ、覆水盆に返らずでしたな……」
「いやすまぬ、つい熱くなってしまってな。だがもう止まりようがないのだよ、どうか心得てくれ、心苦しいがな……」
ひとしきり激昂した三成は素直に頭を下げた。救いを求めるように左近を見ては、申し訳なさそうな顔をする。
「私は間違った決断をしたかもしれぬ。だがこれ以上金穀を無駄にする事はできない、もちろん人命も時間もだ」
「本当に優しいんですね。しかしそれこそ殿の弱点かもしれません。ま、その点を補うために俺らがいるんですけど」
宋襄の仁ではないかと言う事は頭をかすめる。それでも自分や豊臣家だけでなく、天下のために動きたい。
「申し訳ござらぬ。わしも少しばかり塩辛くなりすぎましてな。良い話は疑ってかかり悪い話は真実と受け止める癖が付いてしまったのです」
「やはり虫が良すぎると思われますか」
「虫が良いと言うか、あまりにも筋道通りと言うか……」
「ならばこそ全力で相手の勝ち筋を潰すまでです」
三成は自分を惜しげなくさらけ出しながら、馬上の人となった。
自らの手で、策を完遂させるために—————。
「敵軍の姿は?」
「ございませぬ」
「よし」
わざと伝えた「弱点」。
そここそ、三日前に三成に喧嘩を売るような短冊が埋まっていた場所。
「ここを破る事だけが敵にとって唯一の勝ち筋だ。しっかりと見張っておけ」
「それなんですが……」
「何だ」
「もしかすると、主要な面子はとっくに小舟でどこかへ逃れたんじゃないかって……」
「もちろんその可能性はある。だがそれならそれで意味はわかっているしやる事はびた一文変わらぬ。気にするな」
逃げたとしてどこへ行くのか。おそらくは近隣の城の何処かへと入り、援軍をかき集めて戻って来るに決まっている。だがいずれにしても敵の狙いはただ一つ、この堤を壊す事だけ。そこさえ守っていれば何とでもなる。仮に本当に逃げ出したのならば臆病者と謗ってやるまでだしそれはそれで変わらない。
ダァーン
そんな風に三成が思案を巡らせていると、いきなり遠くから銃声が鳴り響いた。兵たちが右往左往しそうになる中三成は銃声の方を見るが、そこには三成が作った池しかない。
「落ち着け、どうやら忍城の中か北の方で誤発砲があったようだ。何を焦っているのか、理解に苦しむな。北に敵などいるはずがないのに」
三成はどこまでも冷静だったが、兵たちが冷静になれるかと言うと別問題だった。左近に兵を任せていた三成の口がその分だけ緩んでいたのに、三成だけが気付かなかった。
「北!?」
「そうだ、北だ。どう考えても北条しかいないのにどこに向かって銃なんか打つ?もし上杉が来ているのだとすれば重畳極まりないがな」
「う、上杉か!そうですよね!」
「なんだ上杉か、わかりました!」
「そういう事だ」
そして三成はその口のまま兵たちを鎮め、そのままの態勢でいた。
将たるものが動揺してどうする。たった一発の、あまりにも遠い銃弾如きに何の意味があると言うのか。
だが、現実は残酷だった。
それも、適度に残酷だった。
「敵軍が迫って来ます!」
「やはり来たか。皆、この攻撃をしのげばこの戦の勝ちは見えている!頼むぞ!」
上から目線にならない程度の檄を飛ばすのが、三成だった。
「私が大将の石田三成だ!我こそはと思わん者はこの首取って手柄とせい!」
その上までこんな事まで言ってのける。
当然のように敵兵は集中して来るだろうが、決して三成は下がろうとしない。
(矛にはなれぬが、盾にはなれる!少なくとも的には!)
実に立派な、大将としての覚悟だった。
その覚悟は、確実に兵たちに伝わるはずだった。
「来たか!」
「迎え撃て!」
その号令と共に、姿の見えた兵たちに向かって矢と銃弾が放たれる。
正確な攻撃、あふれる数。
何もかもが、三成の思った通りだった。
敵の被害は多く、味方の被害は少ない。いや、皆無かもしれない。
そして三成にとってその事実が自信となり、確信に変わっていく。
だが、あまりにも、三成は真面目過ぎた。
「うあああああああ!」
「必死の抵抗だ!必ずや凌げ!」
しょっぱなから大声で迫って来る敵の存在。その存在を瞬間的に定義できるのが優等生だった。
追い詰められた果ての必死の抵抗。そしてそんなのは長続きしない。
「援軍を集めろ」
決して動揺してはならない、それこそが向こうの唯一の勝ち筋なのだから。
島左近以下自分たちがかき集めた将たちも、その事は理解しているはず。
だから大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。
しかし、そこまで兵士たちは覚悟ができている訳でもなかった。
「ものすごい勢いだ!」
「ここを凌げば勝ちなんだよな!」
「そうだそうだ!」
確かに訓練は積んだ。将も優秀だった。だが、実戦経験は少なかった。
元々文官の筆頭でしかない石田三成の軍勢にまともな経験などなく、その上に大将が兵法賞を熟読した人間だから「追い詰められた軍勢には一か所だけ逃げ道を」と言う兵法の初歩を忘れるはずがないと信じていた。
だがそうは言ってもしょせん兵法書は兵法書でしかなく、追い詰められた軍勢が逃げ出すのではなく万一の望みを込めて突っ込んでくる可能性は十分ある。そうなったら攻撃を受け流して援軍か相手の疲弊を待つ事になるのだが、それは知識ではなく技であり、そんな技を持っている将など石田軍でもなかなかいない。ましてや兵士などなおさらである。
だから、どこか腰が引けていた。死にこそしないもののどこか逃げ腰で、人頼みで、それ以上に後ずさりしたそうだった。
「どうか耐えてくれ!いずれ援軍も来る!」
そして三成は、そんな弱腰な人間たちを決して責めない。
自分の責任であり、一刻も早い援軍の投入しか勝つ道がないと思っているしかつ確実に勝てる方法だと信じているからだ。
「うわああああ!」
そんな人間の空気を揺るがしてやるとばかりに、一騎の馬が突っ込んで来る。
「何だ?」
それでもなお冷静さを失うまいとする三成の目に、髷とは違う髪が目に入った。
「女性か!」
「そう、成田氏長の娘、甲斐姫見参!」
その女性は髪を振り乱しながら刀を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます