第二章 忍城の戦い
天正十八年
天正十八(1590)年、一月一日。
新年祝賀の行事が京の町で行われた。
上は秀吉から下は商人の丁稚まで、老若男女問わずあらゆる人間たちが酒に酔い、食を楽しみ、舞を舞い楽を鳴らした。
「いやー、新年はええのう。佐吉、お前も少しははしゃげ」
「いやその、酒の量が足りているのかどうか」
「お前の気にする所ではないじゃろ、それとも悩むのがお前の娯楽なのか」
「そんな訳は」
「だったらもっとやれ、もっと飲め」
「はい…………」
だと言うのに石田三成だけは、酒ではなく苦茶を飲んだような顔をしている。仕方なく酒をすするものの、いくら飲んでも顔が赤くならない。そんな酒豪と化した三成は、あまりにもこの場に似つかわしくない人間だった。
(まったく、責任感があるのを通り越してええかっこしいじゃわ。悪いが今年の遠征で結果を出せぬようならば出世栄達の道も召し上げねばならぬやもしれぬ)
結局、北条も伊達も何一つよこして来なかった。
伊達はまだともかく下野を食い逃げされたも同然の北条さえも知らぬ存ぜぬを貫き、奇妙に背伸びを続けている。
もはや、時間切れ。
昨年中に氏政または氏直が上洛し秀吉の人質となる事を選べば御家の安泰は認めると言う書状を送ったと言うのに拒否の返事すら来ない—————名目は、もう十分あった。もちろん伊達もまたしかりである。
なればこそ完全に気を抜くわけにはいかないし百里を行く者は九十を半ばとすと言うが、だとしてもあまりにも楽しみ方が下手すぎる。
「平らなる 大地を求め 山河かけ 血潮知らずに 子らよ旅立て」
こんな天下静謐を願うような歌を十数秒でさっと出す程度には頭は回っているが、どうにも堅苦しいと言うか重苦しい。金はそれなりにあるはずなのにちっとも財宝を集めようとせず、集めるとしたら人ばかり。島左近や舞兵庫など勇士たちを召し抱えるばかりで、美術品もまともにない。
確かに立派かもしれないが、その立派さゆえに身を滅ぼすかもしれない寵臣の不忠ぶりを、秀吉は内心危惧していた。
※※※※※※
石田三成と同じように、重たい正月を送っていたのが伊達家の元本城、米沢だった。
もちろん伊達政宗はおらず、いたのは女性陣が主だった。
「まったく、ついぞ藤次郎は会津にすら戻って来ずとは」
「この雪でございますから」
藤次郎などと言う名前で政宗を呼ぶのは、政宗の母の義姫だった。亭主をなくしてから三年以上経つのに剃髪せず、雪に包まれている東北の正月だと言うのに火鉢にも当たろうとしないで酒を呑んでいる。
その義姫と共に酒を呑むのが政宗の正室の愛姫であり、彼女は淡々とこの力強い義母に答えている。だが彼女のように火鉢から離れる事はできず、酒もかなり燗をされている。
「兄上は忙しいのでしょう」
そして伊達政宗の母と妻を差し置いて上座にいるのが伊達政道である。この正月で十四歳となった政宗の弟は決しておごる事はなく、母や義姉に酒を注ごうとさえしていた。
「小次郎、忙しいでは済まぬ。万一の時はそなたが伊達を背負わねばならぬのじゃ」
「心得ております。もし万一の時には母上もご覚悟を」
「フ……」
ずいぶんな物言いだが、義姫は笑った。
夫の事を軽視していたつもりもないし、政道の兄の事を軽蔑していたつもりもない。だが、それでもどこか平衡感覚を欠いた二人を危ぶんでいた。
「我が夫は寛容に過ぎた、藤次郎は苛烈に過ぎた。その呼吸を見極めねば藤次郎もまた我が夫のように身を滅ぼしてしまいかねぬ」
「しかし中庸こそ最も困難であると心得ております」
「その通りだ。だが強烈な兄に引きずられぬようにするにはそなたは相当に強くなくてはならぬ。織田の次男のようになりたくはあるまい」
義姫は伝聞ではあるが織田信長とその弟の信行の争乱を知っていた。信行は正確には次男ではないが、強烈な信長に対し信行はいわゆる優等生で悪い意味でそつがなく、そのため権勢欲にまみれた人間たちによって半ば傀儡のように持ち上げられ、そのまま叩き落とされてしまった。
「兄上は地獄の炎に身を焼かれようとも秀吉と戦うつもりです」
「じゃろうな。だがそのために一体何人を巻き込むのか。自分の欲望のために」
「源頼朝も足利尊氏も、自分の欲望のために数多の存在を巻き込みました。そして成功しました。古来より成功した男は私利私欲のために大勢を巻き込みます」
「嫁よ、源頼朝にも足利尊氏にも、北条義時にも大義名分があり、それ以上に愚にも付かぬ敵があった。今の豊臣秀吉は平宗盛や北条高時、後鳥羽上皇か?」
義姫は全く容赦がない。確かに成功して英雄になるには本人の実力も必要だが、その成功を許してしまうほどにはふがいない敵も必要だった。何せ敵は圧倒的な力を持つ巨大組織の長なのだから、まともに世の中を治められていれば覆せるはずがないのである。
「独眼竜とか言われてのぼせ上っておるが、所詮は人。甲斐の虎も越後の龍も消えてしまったのだ、己が家の命運と共に」
「いざとなれば兄をも討てと言う事ですね」
「ああ。時を誤らねば上杉のようにはなれるだろう。少なくとも一家心中などごめんだからな」
さらに言えば、一人の力で回転している御家にも義姫は不安を覚えていた。甲斐の虎と言われた武田信玄が死んだわずか九年後に武田家は滅び、上杉も越後の龍と言われた謙信が死ぬや内乱に突入し、織田信長が本能寺で横死しなければ既に滅んでいたかもしれない。もちろん政宗が豊臣家もまた秀吉一人の才覚で回っている事を理解していないとは思わないが、それでもせいぜいがどっちもどっちでしかない。別に今更藤原房前の末裔とか言う名を振り回す気など義姫にも政宗にも金輪際ないが、それでもこの戦後乱世に御家を担う中核をすぐ死ぬかもしれない人間に任せるのは正直かなりまずい。
さらに、だ。
「下野をこんなにも簡単に奪えたのは内通者がいたからだと聞いておる。あまりにも都合の良すぎる存在、文字通りの据え膳である。据え膳食わぬは男の恥とでも言うのか?」
政宗を下野に誘ったのは、全く正体不明の何者か。
その何者かが寄越した書状のせいでフラフラと引きずられ、そして必死に疑おうとすると据え膳を押し付けるように反乱が発生する。
これでは、まるっきりそやつの傀儡ではないか。
「一応諫めはした、だがまるで聞く耳を持たずでな。小十郎が必死と言うか諦めを綴った書を送って来たから一応返事はしたがな」
—————義姫曰く、事を論ずるのと天命を述べるのを後先にするなかれと。もちろん単純にうますぎる時は注意せよと言う話もしたが、それでも言う事を聞かなかったのは政宗なのだ。
「まさか義母上は」
「髪を、いや腹を切ったぐらいであれは止まらぬ。そなたも参るか」
「参ります!」
「ちょっと……弟君様……」
政宗はもう駄目かもしれない。でもいざとなれば親なりにできる事はあるだろうと、自ら龍の首根っこを押さえるつもりである。その母親に対抗するように妻もまた正月にさほど雪のない下野へと行くと勢いで言い出した際には場が一挙にざわつき、政道に言葉を求めようとした諸将まで出たほどだった。
「母上、義姉上、留守居役は私が勤めましょう」
もっともその政道はまったく動ずることなく、母と義姉の覚悟を後押ししただけだった。
伊達家の頂点に立つ二人の女性が雪がなくなり次第米沢はおろか陸奥さえも離れる事を決意したせいか、京ほどではないが浮かれ気分のない正月が米沢にもあった。
そしてその正月の終わりと共に、時は容赦なく動き出した。
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