石川五右衛門の意図

「やっと動きやがったか……本当にノロマな連中だぜ!」


 竹に雀の旗が国境を越えて行く中、下野と常陸の国境にいた男はため息交じりに指を鳴らした。


(どうしても罠であって欲しくてしょうがねえからな、そのせいでこの俺が義理立てする羽目になっちまったじゃねえかよ、サムライなんかに!)


 自分なりに、動け動けとさんざん誘導したつもりだった。なのにどこの誰だか知らないが無駄に疑心暗鬼に陥り、あの男にもたもたと年月を浪費させた。

(もうちょい長引いてたらあの連中真田の野郎の家臣を騙し討ちしてたぞ、そうなればあの鎧兜着たサルがどうするかなんてわかるだろうがよ!俺様は聖人君子様じゃねえっつーの!)


 だから、少しばかり好き勝手な真似もしてやった。自分はそんな気はないが秀吉ならそうするだろうと言う事で、ほんの少し真似事をしてやった。


 —————天才的抜け忍・石川五右衛門にかかれば、情報操作などたやすかったのだ。

 その過程で古着の一着を盗み短歌もどきをこしらえ、その上に農民たちの不安をあおった上で、どこからか盗んで来た武器を分け与えるのなどは文字通りの朝飯前である。




「まあぶっちゃけ当てずっぽうだったけどよ、やっぱりあの野郎だったか。いい年したおっさんが殊勝、いやいい子ぶりやがって。神様の教えってのはそんなにも偉大かね」


 自分が流した噂のせいで出兵を余儀なくされてしまったと思える男の顔を思い出すと、少しは五右衛門の顔の強張りも取れた。

 秀吉が実際に直江兼続や石川数正を抱き込みまくったような真似を、その男に仕掛けたと言いふらして何が悪いのか。だいたいこっちの思い通りにならなかったのはてめえのせいだから何とか責任とれとか吠えられねえだけありがたいとさえ五右衛門は思っていた。


 別に泥棒とか言う世のはみ出し者だからでもないが、五右衛門は神主とか坊主とかいう人種も好感を抱いていなかった。ましてやもっともらしい事を言いながら般若湯を飲み肉を食らうような連中は蛇蝎の如く憎んでいたし、同時にもっともらしい事を言いながらその通りにする連中もそれはそれで好かなかった。だからその男が神主の家の出だと知りかつ後者の側の人間だと知った時にはさらにムカつきを覚え、その分だけ気合も入った。


「素直に言やいいんだよ、これ以上戦争を起こしてむやみに人を殺すなって!」


 欲しい物は欲しい。怒りがあれば素直に言えばいい。それをもったいぶり、言葉ばかり飾り付けて事を起こそうとしない。

 サムライたちが振りかざす兵法とか武術はともかく、その際にくっついて来る枕詞————————————————————。


 それこそ、五右衛門にとってもっとも忌まわしき存在だった。



「今考えれば織田信長っつーのもサムライの中ではましな方だったかもしれねえな……自分が悪だってわかってるから。大半の連中は自分が悪い事をしてると思ってねえし、思ってたとしてももっともらしい事ばっか言ってその罪から逃げやがる。俺様が認めてるのは領国を寄越せと寄越さねえぞの二通りだけだっつーの!」

 故郷である伊賀を焼いたのは織田信長とその息子の信雄であり実際五右衛門は二人を含む織田家を恨んでいたが、第六天魔王とか言い放ってその上であんな事をした潔さは今の五右衛門にとっては好ましかった。その信長を殺した明智光秀は五右衛門の言う所の大義名分を振りかざすのが大好きなおサムライさまであり、誰よりも憎たらしい男だった。




「チッ……」


 だが信長の事を適当に懐かしがっていたはずの五右衛門は、いきなり走り出した。


 別にかわいそうなおサムライさまを誘導してやる気などない。

 ただまともな意味でややこしい存在を感じ取っただけだ。


「てめえ…!てめえはそんな殊勝な人柄じゃねえだろ!」



 小声ながら凄みを持った呟きを吐き捨てながら、五右衛門は走った。



 方向は東、常陸の方角。


「この先に来ればどうなるかわかってるくせに!」


 山を越え、野を走り、時には木に登りながら逃げ回る。

 一見すると文字通りの忍術にも見えるが実際はほぼただ身体能力の為せる業だけであり、五右衛門の天才ぶりを示すには十分だった。

「フン…」

 ごくわずかな鼻息を感じ取りそちらの方を睨むが、鼻息の主の姿はない。

 どうせ本格的にやり合う気もないくせに何のつもりだと思っていると、何かが五右衛門めがけて飛んで来た。

 五右衛門はあえて避ける事もせず、軽く横に飛んで物体を避けた。だがその表情に余裕は全くなく、憎しみだけがあった。




「…そういう挨拶こそ俺様が嫌うゴアイサツだってわかんないのかね」




 手裏剣でも短刀でもなく、ましてや竹筒や薪のような当たれば痛そうなシロモノでもない。


 —————ただの花。

 一応茎が刺されば傷ぐらいつくかもしれないが、だから何だと言う話である。


「まさかあの野郎がおサムライ様になっちまうだなんてありえねえだろうし文字通りの愉快犯なんだろうけどよ、いずれにしても今更何の用だか……」


 自分が恨みを買っていないとは思っていないが、それでもこんなちょっかいを出せるのは自分と同じ忍び者しかいない事などわかっている。そして伊達配下の忍びたちには自分を攻撃する動機はないし、仮にあの片倉小十郎とか言う優等生気取りサマにそそのかされたとしてもここまでできる実力の持ち主と、余裕の持ち主はいない。

 少なくとも、後者は絶対にいない。



 そう、動機と、実力と、余裕を持った忍びなど一人しか五右衛門は知らない。



 そして彼はそれほど主家に執着するような人柄ではない事も知っている。




「氏康とかって男は力を貸してやるに値するらしいけど氏政ってのはどうせ大した事ねえんだろ、この俺様が分かってねえとでも思ってんのかよ……」


 先ほどのそれからしてみれば明らかな大声で叫び散らす五右衛門に答える声はない。そしてそれをまともに聞く相手なんか一人もいないし、元から聞かせる気もなかった。


 忍びなんてもんは元から捨て駒。その捨て駒の人生を送る事に耐えられなくなったからこそ五右衛門は抜け忍になったが、同時に捨て駒なりにはもっとまともな人生を送る事の出来る話も二つある。

 一つは忍びとして主家の靴を必要以上になめまくり、主家に自分への依存を高めさせる事だ。その結果として主君側に気を使わせまくり、安く扱うようならばまるごとどこかへ寝返ってしまうと脅す事もできる。だがそれはあまりにもサムライ的であり、いつのまにか自分たちが言いように使われていると言うだけになりかねない。

 もう一つは、忍びの組織を持たない家に自らを売り込みに行くと言う方法だ。どうやらついさっき五右衛門と対峙した男はそちらの道で北条家の忍びの地位を得たようだが、それでも相手の状況を見極めねばならずなかなかに難しい。

 



(お前がそれならそれでいいよ、でも決してサムライなんかになるんじゃねえよ、ましてやお貴族様なんかに…!)




 近衛家だか何だか知らねえが、何様のつもりだ。


 お貴族様とか言う、この戦国乱世よりもはるかに前におサムライ様に主導権を握られちまった連中の事など五右衛門は目に入れたくないし、入ったとしても軽蔑していた。そのくせ先祖代々の何たら間たらとか言う財宝をむやみに蓄えているもんだからしょっちゅう盗んでやりもした。

 そんな何の役に立つのかわからねえ連中にヘコヘコする事など五右衛門は死んでもごめんだったし、おサムライ様がそのお貴族様をないがしろにして来たくせに頼ろうとするのも嫌いだった。


 だからこそ、俺様は——————————。




 五右衛門はこれから始まるだろう大戦を前にして、静かに世の中との戦いを続ける決意を固めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る