伊達政宗、立つ
「謀叛人が出たそうだ」
十二日、会津の伊達政宗に書状が届いた。
曰く、北条家統治下の下野唐沢山城にて突然謀反が発生、至急救援を願う—————と。
「これは行くしかあるまいな、何せ北条からの要請だからな!」
乗り気な政宗に対し、小十郎は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「これは拙者に対する嫌味ですか」
「そんな事はないぞ」
「いえ、謀叛を起こした輩に当たっているのです。ほんの八つ当たりですからお気になさらず」
まったくどこの誰だか知らないが、どうしても出兵して欲しくてしょうがないのか。ここでなおも日和見を決め込めば北条に対して不誠実だとかそれとも腰抜けの極みだとか言いふらす気か。
「行くしかないでしょうな」
「だな。疾く唐沢山城へ向かうのだ!」
小十郎はもう、何も言えなくなった。
政宗ではなく、自分に対する挑戦。
そして、敗北。
(ここで腹を切って止めた所で保身家と薄情者の烙印を押されるだけ……別に命は惜しくないが名は惜しい……ああ、平手監物の二の舞いを演ずるなと言うのか!)
平手監物こと平手政秀は若い頃の信長の乱行をいさめるために腹を切ったが、その数年後に桶狭間で奇功を通り越した奇功を上げて以来青天井に上って行った事から、心ない連中は信長を理解できなかった老害と言う烙印を押していた。信長自身の政秀への扱いは悪くなかったが、それでも忠心から発した行いがそんな受け止め方をされては死んでも死にきれない。
「謀叛人を征伐するぞ!」
小十郎は空元気以外の何でもない叫びと共に、主君と共に陸奥を飛び出した。
※※※※※※
「「何がどうなっているのだ!」」
伊達軍が下野を無人の野を行くが如き速さで進む中、そう二人の男が叫んでいた。
年の差は一つしかないが、片や余裕の全くない切羽詰まった表情で、片や困惑を隠さないなりに落ち着いていた。
前者の男の名は、北条氏政。後者の男の名前は、豊臣秀吉である。
「下野で一体何が起きていたのだ!混乱が起きるにしてもあまりにも手際が良すぎる!」
「何者が領民を扇動し、氏忠を廃せよと!」
「了伯か!」
佐野了伯は佐野家の先々代当主である佐野豊綱の三男で、氏忠が佐野家を継いでからは離反して秀吉の家臣となっている。だがそれは逆に言えば秀吉の許可なく軽挙妄動できないと言う意味でもあったから氏政はある意味安心していた。さらに言えば氏忠の妻の父である宗綱には弟がいたが、養子となり当主になっていた桐生家を滅ぼしてしまう程度の人物であり求心力は全くないどころかむしろいない方がましの人物だった。ついでに言えば佐野祐願寺と言う了伯の弟もいたが、既に亡くなっている。
「いえ、何でも了伯のさらに下の弟を担ぎ出したとか!」
「そんな…」
しかし氏政が把握していた豊綱の兄弟は宗綱の弟が相続した桐生家の前当主である昌綱と了伯の間の子までであり、他に有力な男子がいたと言う話はなかったはずだった—————それなのに、いきなり出て来た。しかも二人だと言う。
「佐野の当主は氏忠だ!すぐさまその氏忠に反逆しそれを殺めた連中を探し出せ!」
「あの…」
「何があのだ!」
「おそらく下野には既に伊達軍が侵入しておりますが」
「下がらせろ!これは北条の問題だと!」
「しかしその、あまりにも伊達の進軍が早くその結果……」
「ああもういい!下野と武蔵の国境を徹底的に守らせろ!」
そしてその結果は、あまりにも情けないそれだった。
表向きには伊達と北条は同盟関係であり、「北条の危機」に対し同盟相手が動く事はまったく誠実な話でしかない。仮に下野を誠実に返還したとしても、伊達には報酬を受け取る権利がある。ただ働きなど絶対にない。ましてや、下野の中心である唐沢山城が簡単に落ちた以上下野と言う地が大打撃を受けている事は想像に難くなく、それを取り戻すのには相当な月日がかかる。ただでさえ北条が秀吉の攻撃を受けるのは時間の問題である以上、そんな事をやっている暇も金銭的・人員的余裕もない。
「伊達政宗め……!」
「どうしますか、伊達に…」
「もう良い!下野の動乱を治めてくれた報酬としてくれてやると伝えろ!」
—————実質的に、泣き寝入りが正解となってしまう。
武門として、あまりにも悔しい結果だった。今更佐竹や里見、ましてや上杉などに頭を下げられる訳もない北条の現実が、ここに来て重くのしかかっていた。
※※※※※※
「何がどうなっているのだ!」
一方、小田原から遠く離れた大坂城でそう叫んだ豊臣秀吉は、三人の男に答えを求めていた。
一人は石田三成、一人は三成の友人で知性派と名高き大谷吉継、もう一人は真田信繁である。
「北条は内乱を自らの手で鎮められないほど弱り切っているのでしょうか」
「いえ、情報によれば動乱が起きてからわずか二日で伊達軍は下野に入っております。明らかに何らかの示し合わせがあったと考えるべきです」
少ない情報からもっともなことを言うしかない信繁に続くように、三成は冷静沈着を心掛ける。
伊達も北条も豊臣に服する様子がない以上、一蓮托生を気取ってこちらに刃向かうしか生きる道はない。さもなくば片方が片方をぶっ叩いてある種の忠義を見せると言うのもなくはないが、それとてあまり賢い方法でもない。それをやるならばまず真っ先にこちらに服従の様子を見せてからが先であり、単純に事が後先だ。
「いや、これはそんな単純な問題ではないかもしれぬぞ三成」
「単純ではない?」
そこに入って来たのは大谷吉継だ。
「何者かが北条の領国を伊達に奪わせたのだ。北条と言う今豊臣傘下ではない、つまり奪っても豊臣が守りに行く事のない御家の」
「それは伊達家の中の誰かではないか」
「伊達政宗と言う人物を豊臣家の力を知らぬ田舎侍だと思うな!」
「では一体誰がこんな事をして得をすると」
「真面目に物を言え!殿下!」
やたら口達者な親友を諫めるように吉継は言葉をかぶせにかかるが、それでも三成は口を閉じない。いら立った吉継がらしくもなく秀吉に助けを求めると、秀吉は扇子を高い音で鳴らした。
「三成、おぬしは確かに頭が良い。だがな、相手が馬鹿だと思って話してはいけない。何もかも自分でしゃべろう、やろうとするのでは誰も付いて来なくなる。相手に言いたい事を言わせた上で相手の言葉を聞き、それから自分が必要だと思う事だけを述べよ」
「…………」
「言っておくがな、相手はほとんどの場合自分よりも勝っている。実際に勝っていなくとも勝っていると思っている。そなたのやり方を通じさせるのはその前に圧倒的な有利がなくてはならぬ。交渉とかいう高尚な話をする気もないが、交渉事は相手に譲るぐらいでちょうどいい。そういう事じゃ」
「アハハハ…」
秀吉の駄洒落に気付いたのか信繁は軽く笑ったが、三成が渋面を崩す事はなかった。三成にとっては、駄洒落よりも伊達の動向の方が数百倍は重要だったからだ。
「おいバカ」
吉継はその三成の頭を今度は物理的に叩きに行ったが、三成はさっと右腕で受け止めた。そしてすかさず吉継が二の矢をとばかりに左手で右腕をはたき落とそうとすると、三成は不器用な仕草で三歩ほど秀吉から遠のいた。
「吉継、次の出兵の時の三成の副官をそなたに任せる。三成、全て吉継と相談して事を行え」
「ははっ…」
その三成が秀吉の言葉に対してはまったく丁寧に近寄りながら頭を下げて来る物だから、信繁も吉継も手を出す暇を失ってしまった。
「吉継、しかと頼んだぞ。そして信繁、北方からとなるとそなたの父上の力が必須じゃろう。どうかよろしく頼む」
「はっ……」
結局秀吉は吉継と信繁に対し言うべきことだけを言って、そのまま扇子を閉じてしまった。
(うーむ……確かに北条がわざわざ下野一国や当主の弟を殺させてまで伊達に媚びを売る理由はない……じゃが、それをやって誰が喜ぶ?下手すれば伊達でさえも喜ばぬかもしれぬのに……)
秀吉自身、犯人が誰で何を狙っているのか全く分からなかった。
伊達の人間か、いやそんな安直な事はない。
上杉か、佐竹か。いや両家とも自分の言う事を聞いておりいくら相手が北条でもそこまでの事はしない可能性が高い。
「まあとにかくこっちとしてはもう起こった前提で話を考えるしかないのう、あるいはこれで北条が折れてくれればええんじゃが…………おっといかんいかん、それこそ調子のいい捕らぬ狸の皮算用じゃったわ…」
淡い期待を抱きながらも、あくまでも秀吉は冷静だった。
翌年天下統一を決めるべく、準備を着々と進めていた。
————————————————————とにかく、伊達政宗は謎の書状の送り主に賭ける事を決めたのである。
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