「諸侯の約束」

 天正十七年十月一日。


 秀吉は政務の傍ら、兵の集まりを確認していた。


「三成、どれほどの数が出せそうじゃ」

「十八万は行けそうです。それに水軍として二万は出せると」

「はぁ、我ながら本当に呆れたわ」



 ——————————合わせて二十万。一万石辺り二五〇人の法則で行けば八〇〇万石。

 古今東西、どこの誰も率いた事のないほどの大軍。

 もちろん秀吉自らが全てを動かすわけではないが、それでも実に天下人らしい数だった。


「それで伊達と北条は」

「未だに動きはございません」

「そうか」


 秀吉の顔に、遠慮はない。あくまでも温和な面相を崩す事はないが、それと同時に戦国乱世を生き抜いて来た人間の顔をしていた。


「真田の源次郎はどうしておる」

「別段特には」

「連れて参れ」

 秀吉はその顔のまま、真田源次郎信繁を呼び付けた。信濃の大名真田昌幸の次男であり人質として扱っている人間だが、秀吉はそれなりに彼を気にしていた。


(北条が隙を見せるとすればそこじゃからな)


 惣無事令違反による出兵と言う名目を得るに当たり、伊達については芦名を名目にすればよかったが北条については少し決め手に欠いていたのも事実だった。真田の領国の一部であった上野の名胡桃城は約定を経て真田の物とされたが、沼田城を得た北条家が沼田城の本城と言うべき名胡桃城を狙わない道理もなかった。だが真田は規模からしても直接の寄親である上杉からしてもかなり豊臣に近い家で、それこそ譜代とまでは行かないにせよ直臣に近い存在だった。

 もちろん佐竹や里見、徳川や上杉の線もあるが、前二者は遠く後の二者は大きすぎた。大大名の一城と小大名の一城では重みが違う以上大大名が一城を奪われたからと言って救援を求めるのは単純にみっともないし、同時に助けに行くのも相手の面子を潰す。芦名家のように再起不能にされたならばともかく、それぐらいなんとかできないのかと言う話である。実際九州征伐だって豊後の大友家が大友宗麟の死と相まって島津家により滅亡の淵まで追い込まれたのが出兵の理由の一つであり、単純に服属しないから攻撃では野蛮すぎた。いくら奇襲攻撃と言う概念がまかり通っているからと言っても、結局大義名分が必要なのが戦だった。


「それで北条が仮に抵抗して全滅した後をどうするかです」

「北条の領国を求めそうなのはやはり上杉か」

「いかにも、関東管領ですから」


 関東管領と言う古めかしい言葉に対し、三成も秀吉も関心は薄い。なればこそ上杉にくれてやってもいいかもしれないが、それでもあまり上杉を肥大させるのは良くない。さらに言えばおそらく上杉は越後から動きたがらないから、上野や武蔵はともかく相模や伊豆まで割譲となれば伸び切りに伸び切った領国が出来上がってしまう。

 あるいは上野武蔵の二か国だけ与えればいいが、その場合はその場合で相模と伊豆の処遇が問題になる。両国の隣国である駿河を領する徳川家に与えるのでは上杉と変わらないし、かと言ってそこに誰かを封じるのも難儀だった。

 北条の統治がうまく行っていない話を、秀吉は聞いていない。その北条を討ち滅ぼして入って来る新領主には、相当に優秀な支配が求められる。徳川や上杉ならばできそうだが前述の通り領国が伸び切ってしまう。

(上杉と徳川が組めば五万ぐらい平気で出せる……)

 ましてや両者の圧に負けてその新支配者が手を組もうものならば、それこそ現在の北条と上杉と徳川が連合したのと変わらなくなる。最悪の場合伊達家までそこに加わり、とても天下統一どころではなくなる。


「徳川殿に関東に行ってもらうことになるやもしれぬ。北条ほどの存在の後を襲えるのは他におるまい」

「上杉は不平を述べましょうが」

「残念じゃが力関係と言う物がある。ぶしつけながらもし本能寺が一年遅れていたら上杉は今頃存在していたかわからぬ」

「毛利もですか」

「ああ、そういう事じゃ」


 上杉は本能寺の変が起きた頃柴田勝家に激しく押されており、越中を完全に織田家に奪われる間際だった。謙信の死後発生した御舘の乱で内部が弱っている中での攻撃であり、さらに同盟を組んでいた武田勝頼がその年の完全に潰れてしまった。北条氏康の子で謙信の養子になっていた上杉景虎を凌いで当主となった景勝には北条と組む選択肢は取りづらく、最悪武田の後を追っていたとしても不思議はなかった。

 その後上杉は徳川・北条と空白地になってしまった信濃・上野を争う事になったが明らかに弱勢であり、そのため早い段階から秀吉に接近していた。なお上杉を通じて秀吉に接近した真田昌幸を徳川家がとがめたのが上田城の戦いである。本来ならば真っ先に尻尾を振った人間を優遇するのが世の常だが、それでも両者の力関係と言うのはどうにもならない。


「もし北条が素直にひざを折って来たらどうするかも問題です」

「まあな、今年中に何もせずそうして来るのならば本領安堵ぐらいは認めてやらねばなるまい。あるいは下総と上総、または上野下野辺りの割譲で手を打つか」

「ですがその結果また戦となっては」

「その時はその時じゃろうな、それこそ本当の本気で北条を潰す。それがわしの責任と言う物じゃ」


 結局、最後にはそうなるしかない。


 いくら百姓の息子だったとしても、武士の世界で成り上がった以上武士でいなければいけない。急に百姓らしくなろうとしても、自分たちを盛り立てた武士がそれを許してくれない。もっとも、この時代の百姓なんぞ落ち武者狩りで功績を上げたりその装備品をはぎ取って売ったりする程度にはたくましく、実際藤吉郎だってそんな事をやっていたのだが。


「殿下…」

「何じゃ佐吉」

「殿下は両家に何を望んでいるのです」

「おとなしゅうしてくれればいいんじゃがな。まあ荒けない武士たちをしつけるのが百姓の役目だっちゅうんならわしはその役目を請け負うまでじゃがな」

「この身、犬馬の労をいといませぬ」

「頼むぞ。そなたは上杉家の忠臣である直江山城(兼続)とも親しいじゃろ、もし北条と戦う時は北を頼む」


「まことでございますか!」


 石田三成はその言葉に舞い上がった。


 三成自身、軍事的な働きはちっともない。その事から同じ小姓仲間であった福島正則や加藤清正らに二言目には卑怯者だの臆病者だとそしられる種となっていた。内心それぞれの役目があると気にしないつもりでいたが、それでも何とかして秀吉に貢献したい気持ちもあった。


「わかり申した。その時は」

「上杉や真田、浅野らと共に手を組む事になるじゃろう。何、小田原はわしが抑える。安心してやって見せよ」


 


 —————この時、秀吉が油断したのは間違いない。


 だがそれならそれで三成の才覚はこっちには向かないのだと姉川の本多正信のように見切ればよかったし、秀吉としてもそのつもりだった。三成の配下には猛将で知将の島左近がいるし、直江兼続のような友人たちもいた。それで何とかなると思っていた。その時の家康が二十八歳、自分が五十三歳だと言うのにだ。




 そしてこの時、秀吉の頭に彼の存在はなかった。




 かつて、密かに絡んでいたあの男の存在は。


 秀吉のみならずおね、いやなかさえも。

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