攻略の本気度

「…………」


 丑三つ時(午前三時半)だと言うのに、政宗の目は爛々と輝いている。

 片倉小十郎や亘理重宗も書状をなめるように見ていた。



「あまりにも、詳しすぎます」



 まったく小十郎の言う通りだった。

「これなら唐沢山城も一昼夜で落とせます」

 一昼夜は大げさとしても、この書状、いや見取り図がそのままなら唐沢山城は簡単に落とせる。唐沢山城はこの上杉謙信の攻勢を幾度も跳ね返した下野においてもっとも堅固な城であり、唐沢山城を取れれば下野は攻略したも同然である。

「それからこちらの進むべき道までございます」

 さらに言えば、こちら側からの侵攻の道筋まで事細かに書かれている。

「気味が悪うございますな」


 小十郎の言葉はまったくごもっともだ。

 もちろん伊達軍にも間者はあるが、ここまで事細かに調べられるような腕利きはいないし数もいない。ましてや、東北対立勢力との事でいっぱいいっぱいでそっち方向に割く気がなかった。


「それにこちらの動かし方まで指定するとはいったい何様か。間者様だとでも言うのか」


 さらに言えば、この書状には兵数の数や侵攻の順路の助言まであった。まるでこの通りにやれば絶対成功しますよと言いたげなほどに親切丁寧なそれ。


 どうにも腹立たしい、と言うか差し出がましい。


「こんな物が存在して一体誰が得をする?」


 だが政宗は目を輝かせていたままだった。

「これこそ北条にとっては致命的な機密文書だろう。そんな物を寄越して得をするのは誰だ」

「北条でしょう」

「では何だ、風魔小太郎がこんな所まで来たと言うのか。上杉も徳川も佐竹も恐ろしくないと言うのか」

 バッサリと斬り捨てにかかる小十郎に対し、政宗は人の悪そうな笑顔を向ける。


 北条に仕える風魔忍びの棟梁である風魔小太郎がこんな所までやって来て、わざわざこんな書状をわざと残して逃げ帰ると言うのか。

 それこそ逆に怪しいし、さらに言えば暇すぎる。

 上杉も徳川も既に秀吉の家臣だし、佐竹が伊達と北条に挟まれているこの状況で秀吉にすがらない可能性は低い。北条が今更その三家と組む可能性は限りなく低い。


「伊達が最後の戦場だと言うなら、北条は最後から二番目の戦場だ。豊臣に仕える連中は関東に夢を見ているだろう。仮に関東を治められなくともそこに誰かが入封させられ、その後釜に自分が座ると言う夢がある」

「それは伊達も同じ事ですが」

「無論だ。だが完全でこそないが北条は伊達の盾としてはそれほど悪くない。北条を打ち砕いたとしてもその領国の振り分けなどでしばらくは伊達への出兵はできぬ。あったとしても越後と常陸からがせいぜいだろう」

 小十郎も重宗も、それでも十二分に重たいですがとは言えない。とにかく、こんな都合のいい書など持ち込んで来るのはよっぽど個人的に北条に恨みつらみがあるか、単なる売国奴か、こちらを陥穽にはめるための北条の間者かのどれかだと決めつけており、政宗の楽観ぶりを案じていた。


「もしこの書をわし自ら秀吉に引き渡しに行けばどうなる?おそらく秀吉は伊達を許す、わしは許されんかもしれんがな」

 

 そんな上から目線の家臣たちの頭を、政宗は片手でひっぱたいた。



 確かにこんな領土拡張に絶好の重要書類を豊臣家に引き渡せば、伊達家に私心なしを示す事が出来る。もちろんその前の芦名家との戦は何だと言う事になるが、それでもそれ以前の領国ぐらいは守れるはずだ。

「もちろん我が伊達が作った物だと言いくるめてな。その際にはしっかりと北条を叩きのめしてやるまでよ」

 一応自署である事を示すために印鑑代わりに花押が使われているとは言えこの書状にそんな物は全くない以上、これを寄越した誰かにそんな使い方をされる訳にはいかないとか言われる理由などない。


「それは気づきませんでした」


 小十郎は素直に頭を下げながらもまだ顔色は青かった。

 結局、都合の良さは消えないのだ。豊臣家に刃向かうもよし、迎合するもよし。

「武田信玄は六分の勝ちは上、八分の勝ちは中、十分の勝ちは下と申し述べておりました。六分ならばもっと精進せねばと思い、八分だと満足して進歩を止めてしまい、十分だとおごり高ぶって隙を生んでしまうからです」

「結局、うますぎると言いたいのだろう」

「いかにも。私はもし使うのであれば豊臣家に突き出すべきだと考えます」

「それは何だ、伊達は豊臣家に降伏せよと言うのか」

「殿がそれならばそれで構いませんが」


 小十郎は、必死に抵抗している。

 いざとなったら腹を切ってでも主君の無謀を諫めようとしている。


 小十郎自身は、豊臣秀吉と言う存在にあっさり頭を下げるのは気に入らないし損だとは思っている。徳川や島津のように一戦やって成果を上げてから服従してもいいのではないかとは思っている。

 だがどうしても、こんな代物を当てにしたくなかった。

「そんなにもこの紙が気に入らんのか」

「ああ気に入りませぬ!」

「小十郎、それこそ私怨ではないか」

 政宗が揚げ足を取りにかかるが、それでも小十郎は渋面を崩さない。灯台しかない中でもはっきりとわかるほどに腕を組み、主君の考えを変えようとしている。伊達や豊臣と言うより、徳川家にでも似合いそうなほどの態勢だった。



「わかったわかった。とりあえずは兵を整えておくだけにしておく。そうして万が一北条に隙が出来れば、この書に従うことにする。隙が出来ぬならばそれまでだ」

「……」

「何とか言わぬか」

「佐野家は事実上北条の分家です」

「そうか」


 結局、政宗はその部下に負けた。あまりにも力強くこちらを阻もうとする部下の圧を前にして政宗は半ばほどその要求を飲む事とした。

 もし佐野家と言う名の北条の分家に何らかの乱れが起きれば—————と言うのはそれこそ北条の内部の乱れを意味し、現状危うい北条がさらに追い詰められることを意味している。その時に備え、伊達が北条を叩いておくのは悪くないかもしれない。

「しかし、北条を豊臣が抱き込みこの伊達を」

「小十郎。そなたは一体いくつだ」

 その上での小十郎の言葉が老婆心と言うより駄々っ子めいているという指摘にも、小十郎は無言で首を縦に振る事しかしない。実際、小十郎はまだまだ心配だった。今はそれこそ危急存亡の事態であり、少しでも誤れば伊達家と言う存在そのものが地上から消えかけると言う危機感が舌と頭を動かす。


「とにかくだ、装備を整える事は兵家の常。いつ何時佐野が陸奥に攻めて来ぬとも限らぬ以上、軍備は最大限に整えておくべきだろう」

「わかり申した、くれぐれも軽挙妄動なさいますな」

 重宗が突っ込みを入れてくれたおかげでようやく小十郎も舌を止めたが、たたき起こされた事を加味しても表情は固いままだった。その固い表情のまま腰を上げ自分の寝所へと戻って行き、足音を立てながら警句を吐き捨てた。



「殿、小十郎を嫌いますな」

「わかっておる。まったく真心からの心配なのだろう。だがこの書状の持ち主からしてみれば大きなお世話極まるだろう」

「やはり北条の間者であると」

「違う。そして北条を恨む人間とも思えぬ」


 伊達とも北条とは全く関係のない、第三者。


 北条とは全く関係のない第三者が、なぜここまで調べられるのか。

 北条とは全く関係のない第三者が、なぜ伊達にこんな物を寄越したのか。


 それらの疑問の答えがないからこそ小十郎は政宗に信ずるなと伝えたのだが、それでも政宗にはその説が一番有力に思えた。


「それでこの書の送り主は殿に何をしてもらいたいと」

「それはわからぬ。だがおそらくは北条でも伊達でもなく、秀吉に反感を抱いているのだろう」

「秀吉に……」

「伊達と北条が無理矢理にでも一つになれば勝てなくはない、いや少なくとも島津がしたぐらいの抵抗はできる。そうなれば九州でも攻めきれなかった秀吉の威光はさらに落ち、天下は揺らぐ」

「そうして揺らげば…」

「秀吉は否応なくこちらを見なければならなくなる。あれほどまでに優秀な為政者が他者を慮れば世の中は平穏無事だと言う理屈だ」


 ——————————世の中の平穏を望む存在。


 なおの事うさんくさい話だが、それでも確かに秀吉ほどの存在が天下の平穏のために動くのは実に心強い話である。

 だが今の秀吉に言う事を聞かせられる存在など、政宗は知らなかった。




「とにかくだ。小十郎の言う通り役に立たぬかもしれんが、それならばそれでよし。役に立つ時は使わせてもらうまでだ」




 政宗は決意を新たに、書状を丁寧に折りたたんで懐にしまった。

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