謎の絵図面
「この身は一昨年惣無事令を発布し私戦の禁止を満天下に示したはずである。にもかかわらずそなたは好き勝手に戦を行い芦名家を会津より追い、その領国をほしいままにしている。さらに言えば本年上旬の上洛による恭順をこの身は求めており、その約定が未だ果たされぬ事を不快に思うなり。今やこの国にてこの身に抗うは伊達のみと言っても差し支えなく、これ以上の抵抗をすれば他の全ての大名たちが最後の戦場、最後の褒章としてその身に武者ぶりつく事は必定。よって本年中に上洛し、母妻兄弟姉妹いずれかを人質として献上する旨を命ずる。もしその通りにすれば、一昨年以前に領していた領国の保有は認める物といたす」
七月一日、こんな書状が伊達家へと届けられた。
長々と書いてあるが平たく言えば降伏勧告であり、最後通牒の数歩手前だ。
「まったく、どうにもこうにもこの独眼竜が恐ろしいらしいな」
「そのようですね」
豊臣秀吉と言う人物は、それなりに筆まめだった。本人が漢字を書けないせいか大半は代筆だったが、それでも人並み外れた気配りの才能を振りかざすように書を撒いたり撒かなかったりし、信長たちの心をつかみ時には相手を惑わした。
「とは言えこの書の通り、もはやこの伊達ぐらいしか豊臣家に抗う存在はございませぬ。九州も四国も中国もすでに平定され、すなわち西の端まで豊臣家の威は響き渡っておるとの事。西が終われば東なのは自然でございましょう」
「わかっておる。とは言えそこまでしてこの地を焦土としたいのか」
「死ぬ気で抗うおつもりですか」
「さあな。陸奥に入りたいと言う奇特な連中がいればな」
陸奥と言う地は文字通りの陸の果てであり、冬になれば北陸などとは比べ物にならないほどの雪に包まれる。確かに米は取れるから石高は多くなるがどうしても単作になりやすく、ましてや京の都からあまりにも遠すぎて文化の発展も遅い。
西の越後を治めていたのは上杉謙信と言う上洛するのは好きなくせにその手の話には問題外の存在であり、その甥の景勝とてその点はまるで変わらない。鎌倉を有する北条は関東の他勢力ほぼすべてから敵視されておりその点での交流は難しいし、したとしてもまったく武士のそれでしかない。いくら源頼朝が京育ちとか言った所で、その家系が三代で断絶してから伊豆育ちの北条家が支配権を握っておいて京文化も何もあったものではない。
「いるでしょうな、もう二度と領国を広げられる機会などございませんから」
もっとも、秀吉は信長と言うどこで取れようが米は米だと言う感覚を持った人間の弟子であり、その部下となった人間が陸奥であろうが出羽であろうが元より一万石でも増やせればそれでよしと言う発想にならないはずもない。
「とは言えだ、わしが秀吉ならばまずは北条を狙う。この伊達を下野辺りで食い止めておけば西から攻めればいいだけだからな」
それでも伊達政宗は余裕を崩そうとしない。
実際、越後から伊達を攻めるだけではあまりにも細い。少なくとも南側から大軍を送り込まねば、後方を付きそうな最上以下東北の小大名たちが反応してくれない可能性も多分にある。だが北条が健在の状況で南から攻撃しようとすれば、挟み撃ちになるのは目に見えている。ましてやこの時下野を支配しているのは佐野氏忠、現北条家当主北条氏政の弟である。北条によほど寛容な条件を出さない限り秀吉になびく事は考えられない。
「しかし獅子の牙は今の北条にはない…」
政宗は扇子を鳴らしながらため息を吐く。
確かに先にやられるのは北条家だろうが、それでも伊達の見通しに明るさがない。
現在の北条家—————いわゆる後北条氏—————を興した北条早雲については言うに及ばずだが、今の北条家の地位を作り上げたのは三代目の北条氏康である。いわゆる河越夜戦にて数倍はおろか十倍とも言われる数の軍勢を討ち滅ぼした氏康の活躍により北条家は大きく領国を広げ、またその結果として関東管領・上杉憲政の越後への亡命、長尾景虎が上杉政虎になるなど関東はおろか越後や甲信・駿河にまで影響をもたらした。
だがその氏康は十八年前にこの世を去るに辺り、直前まで対立していた武田家と組むように遺言を遺した。これは後継者の氏政以下自分の子たちが信玄に及ばない才覚しかない事を見抜いた上でのそれであり、実際氏政に代替わりしてから北条家は良くも悪くも無難としか言いようのない事しかしていない。徳川や上杉と組んだり離れたりしながら上野や上総、下野と言った関東の方向ばかりに力を注ぎ、中央に出て行く気概はまるで見せていない。それで息子の氏直はと言うと、これまた名家の○代目様と言った言葉の似合うおとなしい男であり、とても早雲や氏康のような気概はない。
—————この北条と手を取り合っていいのか。この北条が秀吉に勝てるのか。
「秀吉は兵糧攻めを得意とします。当然補給も天才的でしょう」
その上に陸奥ほどではないが山地である小田原ならばそれなりに当てになるはずの雪さもあまり役に立ちそうにない。もちろん出兵の時期を選ぶ自由は秀吉にあるし、兵站を整える暇はそれこそいくらでもある。それを覆すなど、秀吉を上回るかせめて同程度の才能の持ち主がいなければ不可能だ。
「小十郎、いや小次郎はどうしている」
「米沢におります」
「小次郎は全然関係ない、そうだろう」
政宗の実弟の小次郎こと伊達政道は母である義姫と折り合いが良かった。自分が数年間右目の視力を失ってふさぎ込んでいる所に産まれた小次郎は不甲斐なく見えた政宗よりずっと魅力的に見えたとしてもまったく無理はなく、母も決して猫可愛がりするでもなく厳しく育てた。輝宗の隠居と死亡で政宗が当主になってなお義姫は髪を下ろさず、政宗にも小次郎にも強い母であり続けている。
「最悪、自分が暴れた背中を小次郎様に刺させると」
「小次郎は出来がいい。わしが言うのも何だが出来がいい。それと母上様がおれば何とでもなろう」
少しばかり悲しそうにも聞こえたはずの言葉は、それ以上に楽しそうだった。
—————ちっとも諦めていない。
この主君は、やる気なのだ。
「どうするおつもりで」
「何、わしとそなただけの雑談だ。だが上杉や佐竹が手柄欲しさに突っ込んで来んとは限らんからな、兵だけは整えておけ」
ずいぶんと表向きな言葉で、政宗は会津に来て数度目となる小十郎との会談を締めくくった。
(島津とて四兄弟それなりに振る舞ったのだ、伊達がそれをやって何が悪い)
島津四兄弟の次男義弘が戦場で威を振るい力を見せ、長男義久が当主として政治的交渉を行った事により、島津はある程度の地位を保ったまま存続した。
ならば伊達も同じように自分が力を見せ、小次郎が素直に恭順して御家を守ればいいではないか。もちろんその程度で済むだけでは面白くないしまだ二十三歳の政宗には当時五十五歳の義久のように出家や隠居する気もないが、それでも一発加えてやるのもまた交渉としては悪くなかったのもまた世の理だった。
—————その夜。
いつものように横になった政宗が、その傍らの刃を手放す事はない。
いつ何時誰が来てもとか言う訳でもなく、ただ武士の甲斐性として枕元に置いている。義姫でも輝宗でもなく、小十郎でもなく自分の力で覚えた行い。
それゆえに、政宗の動きは素早かった。
「曲者!」
そう叫びながら刀を天井へと投げ付けた政宗。
「チッ……!!」
どうやら当て損ねたらしいことに気付き大きな舌打ちをしてみせ、たちまち家臣たちをかき集める。
「どうなさったのです!」
「曲者が入ったようじゃ!」
「わかり申した、今宵は共におります」
政宗は駆け付けて来た小十郎よりさらにいつつ上の重臣、亘理重宗と共に天井を眺めるが、そこに曲者の気配はない。
ただわずかに足音だけが残ったものの、どちらへ行ったかさえもわからない。
「とりあえずわしの刀を」
とりあえず燈台に火を点け明かりを得、重宗の手により刀を引き抜かせる。
「なっ!」
「落ち着け、ただの書状だ!」
その反動で落ちた天板から降って来た、一枚の書状。
気が付くと、政宗はその書状を開いていた。
「殿!」
重宗の制止も聞かず開いた政宗であったが、たちまちこの薄暗い中でもその中身に釘付けになってしまった。
「殿!」
「……これは……!」
「殿!」
そんな主君に呆れるように覗き込んだ重宗であったが、その重宗もまた簡単に書状に負けてしまった。
いや、書状に記された、「下野」と言う文字に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます