第四章(三)


 最初に思い出したのは、あの瞳の強さだった――


 それは、とてもぼろぼろで、やつれていた。

 けれど瞳の輝きは強く、傷だらけの見た目に反し、きらきらとしていた。

 

 生きてやる。


 そう、強く物語っていた。


 それでもよろりとよろけるように動くそれに、いづるはたまらず駆け寄った。

 庭のサンダルに足を引っかけ、まだ雨に濡れた草をかき分けて。

「てあて、手当てしなきゃ」

 いづるが駆け寄ってくるのをそれは、驚いたように赤い瞳を丸くさせた。

 月の光を浴びて見せた姿は、部屋から見たよりも酷く、赤い血や泥で汚れかたまったごわごわの毛にやせ細った姿。どうしてこれで立ち上がろうとするのかと思うくらいに酷かった。

 いづるが手を伸ばそうとすのにやっと気づいたそれは、そろりと背後の大木へと後ずさると、ぎろりと鋭い目つきで睨んできた。

「なんだ、おまえ。どうしておれがみえる・・・?」

「なにが? あれ、言葉、しゃべるの??」

 ことりといづるが小首をかしげると、それはさらに瞳を鋭くした。

「言葉もわかるのか? なんだおまえ、なにものだ」

「おれ? 俺はいづる。有川いづるだよ、お前は?」

「……」

「聞いてきたから、答えたのに。そっちも答えてよ」

 ふくりと頬を膨らますいづるに、渋々とそれ――うさぎもどきは口を開いた。

「ネオリア、ネオリアって呼ばれてる」

「ネオリア? ふぅん、じゃあ、ネオリア!」

 急に嬉しそうに声を弾ませ、いづるが呼んでくるのに、それ――ネオリアは、びくりと体を揺らす。

「な、なんだ」

「手当てしよう?」

「……いい、人の手なんて御免だ」

 ふいっと顔を逸らすネオリアに、いづるは何度目かの頬を膨らます。

「だめだよ、傷にばい菌入って、具合悪くなっちゃうよ。痛い注射とかされちゃうかもよ?」

「? ちゅうしゃ?」

 なんだそれはという顔をするネオリアに、にやりといづるは意地悪く笑う。

「しらないの? こうね、とがったするどいハリでぶすっと! されるんだよ。すっごく痛いんだ」

 両手を合わせ三角にして言えば、ネオリアは「はり? ぶすっと?」と目を白黒させてから、ぶるりと身を震わせた。

「されない、やらない」

「でも、熱出たら誰もがやるんだよ」

「おれは、ぜったいしない」

「どうかなぁ」

「……手当なら、うけてやってもいい」

「うん」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、いづるがにっと笑うのをネオリアはきまり悪そうに、視線を逸らした。

 どうも、自分のペースじゃないと思ったようだ。

 ひょいっとネオリアを抱え上げるいづるに、ネオリアがぎょっとした声を上げる。

「自分で歩けるぞっ」

「えぇ、こっちのほうがいいよ。ケガしてるのに無理はダメ。それにもっと汚れちゃう」

 そう言って、ネオリアをおろすことなどせず、縁側に上がると、いづるはお風呂場へと向かいだす。ネオリアはなおも言いたそうだったが、いづるの様子を見てあきらめたようだった。いや、言うのも億劫になったのかもしれない。

 本当なら病院がいいんだろう、けれど、いづる一人では病院に連れて行くの無理だった。せめて、祖母が帰ってくるのを待たなければいけない。


(それまでに、できることはしておこう)


 ぎゅっと、ネオリアを抱きしめると「苦しい」と言われ、慌てて腕の力を緩める。


 そうしてお風呂場で優しくお湯で固まった血と泥を洗い流し、優しくタオルで拭いて包まらせると再び抱き上げ、途中台所により牛乳にお皿、そしてニンジンを手にとって、先程いた部屋へと向かう。

 ネオリアは洗ったことで少しくったりとしていたが、酷く熱を出してる様子もないから大丈夫かもしれないなと、ほっといづるは安堵の吐息を出す。

「そろそろ、おろせ」

「はいはい、ここでいい?」

「……もうかえ「ほら、牛乳」?」

 ネオリアをタオルに包んだまま、ふかふかの座布団の上に下ろせば、ふらりと立ち上がり縁側の先へ向かいそんなこと言い庭へ行こうとするものだから、慌てて声を遮る。それにネオリアがなんだと言わんばかりに振り返るので、お皿に牛乳を入れて差し出す。

「これ、おいしいよ。優しい味がするんだ」

「いらない」

「元気になるよ」

「いらな「元気にならなかったら、注射されるかもよ」」

 その言葉に、ぐっとネオリアが言葉を飲んだ。そして、ややあってお皿に顔を近づけるとぺろりとひとなめして目を見開く。そこから夢中になって、飲み出したのにいづるはやったと内心ほくそ笑む。

 そうして、今度は丸々一本、ニンジンを差し出した。

「それは、なんだ」

「ニンジン、うさぎさんなら食べるかなって」

「おれはうさぎじゃ「元気になるよ」」

 またもそういわれて、ネオリアは閉口する。それから、ふんふんと鼻を鳴らしてカプリとニンジンにかじりついて、再び大きく目を見開き夢中で食べだした。

 その間に、部屋にあった救急箱をいづるは持ってくると、ネオリアに声をかけた。

「じゃあ、手当てしよう。ちょっと染みて痛いけど、ばい菌入らないようにしなくちゃ」

「ハリか?! やらないぞ」

「ハリじゃないよ、消毒するんだ」

「いたいっていった」

「うん、でも」

「いやだ、痛いのはこりごりだ」

「えぇ」

 ふいっと顔を逸らすネオリアに、どうしたものかといづるが考えていると、ネオリアがそっと顔を見上げてきた。

「牛乳、っての、おかわり」

「消毒させてくれたら、いいよ」

「…………わかった」

「ふふっ」

 しかし、わかったとは言ったものの、その後はひどかった。やはりよほど傷に染みたようで暴れる暴れる、まるで嵐のような一時だったと、肩で息しながらいづるは思った。

「ハリより、ぜったい、いたいだろ」

「わかんない」

「ぜったい、いたい」

 ネオリアが恨みがましく見てくるのに、いづるはははっと疲れた笑いを浮かべた。

 いつもはひとりだと長く感じる時間なのに、ネオリアといたらあっという間に時が過ぎていく。

 なんだか、とても楽しい。

 いづるはそれがうれしいと思った。


「いづるー、ごめんなさいね、帰ったわよー」

「あっ、おばあちゃんの声、こっちにいるよー! ネオリア! ネオリア?」

 玄関から聞こえた大好きな祖母の声に、いづるが返事をしてからネオリアを見れば、そこにはタオルしかなく、慌てて縁側の方へと駆け寄る。

 と、ネオリアが銀杏の木下で、こちらを見ているのが見えた。

 月明りを浴び、きらきらと雨の雫でぬれた草木が輝く中で、立ち上がり見ていた。

「礼は言う、でも、もう帰る」

「え、かえ、っちゃうの」

「あぁ」

「また、来ない?」

「来ない」

「……牛乳も、ニンジンもあるよ」

「いらない」

 きっぱりとした言葉に、いづるは徐々に顔を下に俯かせる。

 すると、ちいさな笑い声が聞こえた。ネオリアだ。

「ふうん……さみしいのか?」

「うん」

「そうか、お前には礼がある。だから特別だ」


 友達に、してやる。なりたいだろ?


 これって、こっちの世界では特別な証なんだろ。また会う約束のおまじないみたいなもんなんだろ。

 と、知ってるんだぞとばかりに自慢げに言うネオリアに、今度はいづるが目を白黒させた。友達、ともだち?


 しかし、この友達という言葉、ネオリアといづるとの間で解釈が大いに違っていたのは後でわかることだ。


「ネオリアと、友達。うん、なりたい! 友達! また会える?」

「お前次第だ」


 その時だ、一陣の温かな風がさぁぁっと吹き、周りがキラキラと輝いた。

 月の光も強い、紫の輝き。それはとても鮮やかで、まぶしい。


 そろりと、いづるの右手の甲に、風が凪ぐ。

 なにか温かなものが触れたような気がした。


 たんっとネオリアが空高く跳ぶ。

「待って!」

「待たない。ふうん! 今度、もしまた会えたら、ちゃんとした友達(下僕)・・・・・ってやつにしてやるよ! いつかまた会えたらきっと、な!」




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