第三章(二)



「いっちゃん、出てこない」

 なずなはかれこれ三十分、いづるの家の‘お隣さんち前’で立って待っていた。

 誰を? と言われたらもちろん、彼の帰りをである。

 なぜそんなことをしているのかといえば、理由はいづるの友達だ。

 なんでも今日は登校しておらず、学校にはいづるの祖母から今日はお休みしますとの連絡が後から入ったらしい。

 理由は急用でとのことだが、いったい何があったのか。

 なずながそのことを知ったのは、放課後だった。

 帰ろうとしたところをいづるの友達が待ち構えていて、突撃されたのである。

「あいつ、今日来なかったんだけど何か知らない?」

「なずなちゃんなら、知ってるかと思ってさ」

「なんか無理してなきゃいいけど」

「って、おしかけてごめんなー」

 と、矢継ぎ早に言われて目を白黒させたものの、いづるの名にすぐさま反応して返事もそぞろに帰り道を走り、汗だくになりながら彼の家前まで来たのがわずか十五分ちょっとあまり。

 インターフォンを鳴らして、ドキドキして待つこと数十秒。

 ゆっくり玄関が開くといづるの祖母・いねが出てきて、なずなを見るとあらっと驚いた顔をしたものの、すぐさまなずなが来た理由に見当がついたのだろう眉を寄せて心配かけてごめんなさいねと謝ってきた。

 別に謝られる理由なんてないのだから、なずなは「そんなこと言わないでください」と返して、唾をごくりと飲み、一番聞きたいことを口にした。

「あ、あの、いっちゃん……は」

「そうよね、いづるはね、いまお隣にいるわ」

「? お隣?」

「えぇ、ほら、バイト始めたでしょう? その仕事を朝からやったみたいでちょっと

無理をしちゃったらしくて。今、ほら越してきたお隣さんの家で休んでいるのよ」

「えっ、えっ、大丈夫なんですか?! そんな大変なこと」

「どうも貧血みたい。知らず無理させたのかしら、いづるには悪いことをしちゃったわ」

「そんな、おばあちゃんのせいじゃないよ! いっちゃんったら、おばあちゃんに心配かけるなんて!」

「いいえ、私がお願いしたバイトだったから。もし無理なら、いづるには辞めてもらうようにいってみるわ」

「おばあちゃん……」

 どこか顔色の悪いいねに、なずなは心が痛む。

「なずなちゃんにも心配かけちゃって、本当にごめんなさい」

「そんなことない! それよりもおばあちゃん、ゆっくり休んでて。いっちゃんならきっと大丈夫よ。あ、私が様子見てくるから!」

「でも」

「ほらほら、そんな顔色悪くしてたら、いっちゃんが逆に心配して具合悪くしちゃうかもしれないもの! おばあちゃんはゆっくり休んでて」

 なずながにっこり笑って、その背を押す。最初は悩んでいたいねだが「そうね」と頷いてくれた。

「ありがとう、なずなちゃん。お隣さんが大丈夫ですよっていうけど心配だったの」

「うん、私も心配。でも、いねさんもあまり体調いいわけじゃないから無理しないでね? 様子は私が見てくるから」

「えぇ、ありがとう、なずなちゃん」

 ようやっと、かすかに笑顔を浮かべたいねになずなはほっとする。

 そして、いねにこんなに心配かけるなんて! と、心の中でいづるにちょっとばかり文句を言いたくなった。

「じゃあ、私が見てくるから! いってくるね!」

「お願いするわ、なずなちゃん」


 そう、宣言したものの――


 なのにだ、なぜかお隣からは音もしない、インターフォン鳴らしても誰も出ないという始末。

 おかしい、あきらかにおかしい。

 いねはお隣さんちといった。なのに、誰もいない。


(なんで? いっちゃんが休んでるんじゃなかったの?)


 と、ぐるぐるわからないと考えるも、答えは出るわけもなく。

 そして冒頭に戻るわけである。

 なずなはだんだんと不安が胸の内に膨らんでいくのを止められなくなる。

「もしかして、家にいないの?」

 そんな呟きに反応したのだろうか、ぽっと蔦に覆われた窓の一つに明かりが灯る。


 がちゃり


 不意に玄関が開き、なずなはびくりと肩を揺らして振り返った。

「あれ、お客さんかな? ごめんごめん、ちょっとインターフォン壊れてたのと‘外の音を遮断’してたから気づけなかったんだ。寒かったよね、大丈夫?」

「え、っと……あの、いっちゃん、いえいづるくんは」

 ひょろりと背の高い、優しげな顔の青年が突然現れてなずなは反応が遅れるも、どもりながらなんとか聞きたいことを言葉にした。

 それに青年は、あぁと納得したようで

「いづるくんの知り合いかな? 彼なら大丈夫だよ、今はゆっくり寝てるから。ちょっと貧血だったみたいで」

「そう、ですか、ああの! 会えますか?!」

「えーっと、ちょっと今は休んでるからなぁ。安静にさせてあげたいからね、ちゃんとおうちにはお届けするから安心してほしい」

「……わかり、ました」

 会えないことにがっかりしながら、その言葉に納得してぺこりとお辞儀をする。

「ごめんね、せっかく来てくれたのに」

「いいえ、あの、いっちゃんを……いづるくんをよろしくお願いします!」

 そう言って深々と頭を下げ続けるなずなに、青年が目を丸くしていたことなどもちろんなずなは気づかない。

 ばっと頭を上げる。

「あ、えーっと、君の名前は? いづるくんにお見舞いに来たと伝えとくよ」

「高森なずなです! 失礼しました!」

 ぱたぱたとかけていくなずなに呆気にとられていた青年――遥人だがふふっと笑いを漏らした。

「いいなぁ、青春、かな」


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