滅私奉公(第二回課題)
対人援助職に求められるものは、個人の感情コントロールと高い言語能力だ。それから、社会制度に則したブレない価値観。
その観点から言うと、
それは柔和で頼りなさそうな顔立ちと猫背の外見のせいでもある。押しに弱そうで、優しげで、こちらの要望を呑み込んでくれそう。だが、それはあくまで戸河遥凪の外見的評価、第一印象であって、彼の本質ではない。
戸河遥凪は、真面目で頑固である。そして必要な時には、とても強い話し方をする。それまでは相談者の要望をひたすら聞いて、聞いて、聞き尽くしたところで、必要な支援とやらを理路整然とぶつけてくるのだ。そこにこちらの要望ももちろん入ってはいるが、最大限押さえているだけであって、彼が必要だと思ったところは絶対に譲られなかったりする。そして言いくるめるのだ。メリットデメリット、生活に合わせた使いやすさ、今後の展望、将来について必要な技能うんぬんかんぬん。
結果、相談者は相談だけではなく、滞りなく生活支援、就労支援へと繋がることとなる。
それを仕事ができるという一言で済ませるのなら、戸河は間違いなく有能な相談支援専門員だろう。
彼の同僚である
「福祉は公的な暴力ですよ。受けるためには明確な資格と正確な手順が必要となりますからね。誰にでも開かれたものではないですし、支援員だけでなくあらゆるものの質によって結果が大きく左右されてしまう。人間というのはしょせん動物ですし、相性で左右されることも大きいですから。それを自覚せずに、よかれと思って、相手のために、真剣になることはお互いのためにならないと思いますよ」
「つまり適度な距離感が必要ってことでしょう?」
「あなたは適当すぎると思いますが。相談者をからかって楽しんでるだけでしょう」
「害をなしているわけじゃないからいいじゃない。仕事はしっかりしてるし、クレームも出てないから万事オッケー」
「あなたでも問題ないケースを持たせてるんだから当然ですよ」
「そこはほら、上の采配ってやつだから」
平日の大衆居酒屋はそこそこ混んでいる。
今の時代、珍しく喫煙可というところが気に入って、職場のレアキャラである戸河を捕まえた時は必ずここを利用するようにしていた。小百合は喫煙者ではないが、戸河が吸うからだ。
毎回大衆居酒屋かファミレスになるのは、個室はNG、その他ムードのあるレストランやバーも断られるからである。また、向かいの席に座るのは嫌がられるため、カウンター席が空いている場合のみ成立する飲み会である。成立条件もなかなかに面倒だが、贔屓にしている店が予約システムを導入してくれたので、当日でも成立することが多くなってきた。
大衆居酒屋というチョイスは「他人に聞かれても困らない話しかしない」という意思表示であり、仕事の話は一切しないという線引きだ。うっかり支援対象を特定できるようなことを口にしてしまうことは、職業倫理にも関わるからである。
その程度の分別は小百合にもあるのだが、戸河には疑われているような気がしてならない。同僚を信頼しないとはなんということか。これは是が非でも親密度を上げてやらなければ気が済まない。
誰からも褒められる完璧で魅力的な営業スマイルを浮かべ、小百合は右隣に座る戸河を見つめ返した。
「戸河ちゃんだって、暴力だなんだって言うけど、相談に来る人のこと“分かってないな~”って思うことあるでしょ?」
「もちろんありますよ。その人の現状に併せてこちらの方が最適な支援を提案できる自信もありますし、それを受け入れてもらえない時はガッカリもします。でもまぁ、この仕事をしていて、情熱を枯らすには十分な年月も過ぎましたので、いまではそれなりに折り合いがつきますし、見通しもつきますから楽ですけどね」
「てことは、さっきの話は、暴力だと自覚して自戒しろっていうお説教じゃないのね?」
「違いますね。暴力は暴力だと認識した上で適切に振るえという話です。対人援助職は感情労働を強いられますし、自分の感情が摩耗するとどうにもならなくなります。その時に、仕事における自らの言動はすべて暴力だと念頭に置いているかどうかで余計な一言を防げますし、ここは引けないというところで押し切る切り札にすることもできます。使い方の話ですね」
芋焼酎を煽りながら、戸河はあっさりとまとめる。
「そもそも、支援するということは、支援できる対象を選ぶことでもありますから。自分の暴力性には常に自覚的でいた方が良いですよ」
職場では決して聞くことのできない戸河の持論。戸河は人が人に行うすべての行為は暴力だと言い切る人間だ。特に、上から下に向けるものは、感情や思惑はどうあれ、暴力性を孕んでいる、と。それは福祉という他人の人生や権利に、ともすれば踏み込んで荒らしてしまいかねない領域で、人生が自分ではうまく回せない人たちと関わるから思うことなのかもしれない。小百合からしたら、そこまで考えている戸河の真面目さに感心してしまう。そんなことを考えながら仕事をしている時点で福祉に向きすぎているし、自分は向いていないことになる。
「戸河ちゃんって、仕事してるのしんどそうでカワイソー」
「余計なお世話です。宝くじが当たったらすぐにでも辞めますしあなたと縁を切ります」
「その前に宝くじ買ったことある?」
いまではネットでも買えるけど、戸河にそんな暇があるとは思えなかった。平日はそんなこと意識に上らなさそうだし、休日は死んでそう。対人援助職は感情労働と言語労働なので、とにかく脳疲労がすさまじい。あらゆるケースを想定して準備をして説明して感情を作って、を五日間もやっていたら、いくら慣れていても感情がすり減ってしまうだろう。
小百合の質問に、戸河はあっさりと「ありません」と答え、スーツの懐に手を入れた。
「吸っても?」
「どうぞ。今日は電子じゃないのね」
「酒の席では紙の方が美味いんですよ。昔、叔父がこうやって吸っていたのを見ているので、その名残でしょうかね」
白地に青いラインの入ったソフトケースを取り出し、一本咥える。ライターで火を点け、戸河が息を吸うとたばこの先が赤く明滅した。その灯りはもうほとんどの場所で見ることができない。絶滅寸前の灯り。
「たばこの匂いって、すごく記憶に残りそうよね。戸河ちゃん気をつけて」
「仕事の前は吸いませんのでご心配なく」
「ほんと、隙が無いんだから」
カウンターに肘をつきながらたばこをくゆらせる戸河の口から、白い煙が吐き出されている。
戸河を見つめる小百合の視線に気がついて、戸河は居酒屋に来てから初めて小百合の方へ身体を向けた。ようやく顔を見て話す気になったらしい。
しかし、片眉と口の端をつり上げ、いつもは見せない、こちらを嘲弄するような表情をしている。それも、職場では決して見ることのできない顔だった。
「どうぞ、いつでも忘れていただいて結構です」
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