Cry baby in my room

 ……ザー、ザー、……ザー……ガガガ……ザー、ザー、……ガガガ……。スノーノイズの前で、片桐雫は、茫然と立っていた。

 「……死ね」

 そんな幻聴が、スノーノイズから、聴こえた気がした。わたしの人生は、こんなBad endじゃない。そうおもった。

 雫は、未だ赤いランドセルを背に、通学していたころ、仲良くなった女の子の家に行き、ゲームのソフトを盗んだ。母親にバレて別のゲームソフトを買って弁償した。

 雫は母親の運転する自家用車で、海まで来た。

 その日は、雨が降っていた。

 「一しょに死のう」、母親はぽつりと言った。

 厭だ。まだ、死にたくない。

 ワイパーの規則的な動作が、雨音に交じり、ガコン、ガコン、と鳴っていた。

 女の子のアパートで、抜けた乳歯を、屋根に投げた思い出が、ほのかに蘇る。

 片想いだった。

 片想いの相手の名前は、琴乃と言った。

 矢張り、昏い夜だった。襯衣に返り血を浴びた雫は、運転席の母親を見やった。雫は実の父親を刃物で刺した。致命傷の父親を置いて、母親と海に逃げて来た。父親は救急車でも喚んだかも知れない。

 「あんな男、死んで当然だから……」、雫は言った。

 雫の脳裡に、幼いころの記憶が、鮮明に思い出された。

 「雫、憶えてる? アンタが小さいころも、こうして雨の降る夜に、海に来た。アンタは泣いていた。ただただ悲しかった。あたしは、罪滅ぼしに死んでやろうと思った。でも、でもね、雫。今だって、こうして生きてるんだよ……」

 一方、救急車で病院に運ばれた父親は、自分で刺した、「死にたかった」と駆け付けた女性の警察官に訴えた。

 「帰ろうよ、お母さん……」

 と、雫は言った。フロントガラスを拭くワイパーが、ガコン、ガコンと、あの夜と同じように、鳴っている。

 「久しぶりだね、雫」

 街路の信号待ちのあいだに、花壇の煉瓦の上に坐っている琴乃が、不意に言った。

 「ああ、琴乃? 久しぶり……」

 琴乃のすぐ近くに、サングラスの金髪が、スマートフォンをいじっていた。

 「これから食べに行くんだけど、雫も来る?」

 雫は、「用事あるから」と云ってから、信号が青に変わったのを機に横断歩道を渡った。雫は「ラウワン」に着くと、三階に昇った。

 喫煙室で煙草を喫っていると、中年の男性が、徐に、声を掛けて来た。

 「ねえちゃん、しばらく見なかったけど、またゲームすんのか?」

 「はい。ヒマしてますね」

 雫は高等学校時代、チャットにハマっていた。

 「ひま~」という部屋名の常連だった。そこでは、部屋主の「喫煙者」と、アダルトカテの「姫」として以前出没していた、「ブルーローズ」と、「Last drop」というハンネの雫の、三人がいつも仲良くチャットしていた。

 喫煙者——(腹、減ったな……)

 ブルーローズ―—(私のハダカ見てみる?)

 Last drop——(え、……ハダカ?)

 ブルーローズは画像をアップロードした。室の裡に、生まれたままの姿で、胸の谷間を強調するポーズをとっている。

 雫は変な気持ちがした。同性の裸体を見馴れておらず、その裸体は、端的に言って、エロかった。けれども、雫にとって、友だちのハダカを見るのは、何となく物悲しかった。刹那主義的なブルーローズの写真は、その可愛らしい外見のわりに、斜視というハンデを背負っている仄暗い人生の匂が、仄かに猶予うようだった。

 「また、スタホか? ねえちゃん」

 「いえ、ガンダムです」

 中年の男性は煙をひらいた唇から吐出しながら「何か、アレだな……」と言った。

 筐体の前に坐り、カードをパネルにタッチさせる。丁度タッチするようにいつものように置いておく。

 幾度目かの対戦の時、見覚えのあるプレイヤーネームが表示された。「夢も反魂香」というネームだった。機体は低コストのEz8だ。対して雫はデスティニーを択んだ。

 試合が、開始された。

 雫は残像を踏みながら、ビームライフルを撒きつつ、接近する。

 夢も反魂香は、射撃チャージのミサイルランチャーをずさりつつ数発撃って、呼び出しして、ズンダしてくる。その弾幕は、低コストのわりに中々だった。

 接近して格闘を振るが、夢も反魂香は、通常格闘を二回振って、下格派生の原作に忠実な腕棍棒ののち、ブーストダッシュ格闘の上格派生でタックルからロケットランチャーを撃って来た。体力が大ぶ削られた。

 「低コの癖に生意気なんだよ……!」

 射撃も格闘も中々に優秀なプレイヤーだった。雫は半覚した。ビームライフルを乱射しつつ接近し、格闘を振る。だが、新モーションのカウンターでダウンした。立ち上がりの攻防、夢も反魂香は呼び出しでエレドアを出し、機銃を撃ちつつ、通常格闘を振って来る。雫は機銃の当り判定でよろけの間に格闘を振られて、覚落ちした。

 夢も反魂香が、雫の僚機、「眠たげな瞳」のクシャトリアを落として、戦力ゲージは千しか残っていない。

 雫は敵の僚機を狙って、残像を踏みつつビームライフルを撃ちながら接近し、格闘を振る。雫の僚機クシャトリアが拡散メガ粒子砲を夢も反魂香に撃つ。クシャトリアが覚醒のバーストアタックで返り討ちに遭い、ゲームは終わって了った。

 雫が、隣の席を見やると、筐体の画面には「夢も反魂香」のデザルト画面が表示されている。

 「え……」

 雫は、その女性の奇麗な横顔に、心臓の鼓動がドクンドクンと鳴るのを感じた。端的に言えば、ひとめぼれだった。

 その運命的な出会いは、雫のこころを、摑んで離さなかった、漠然ぼんやりとした不安を、要するに、沙漠に咲く花の様に、精神的オアシスとして、片桐雫の人生を、燦々と輝かす温感的な陽光が、冷気の領する夜の奥底に突如として火を灯したかのように感ぜられた。

 赤子が部屋で泣いている幻聴は、これを機に、徐々に無くなっていった。悲しみが、亦一つ、熄んだ気がした。

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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