結界生成

 渡碓山とたいさん所属の色護衆と、忘花楼ぼうかろうでの一件を終えて合流した兼久隊が林濱はやしはまに集っているのは、林濱での慰霊祭を行うため。後からさらに合流した直武一行も、翌日には準備の手伝いに取り掛かっていた。

 林濱の慰霊祭は、毎年同じ場所で行われる。閉橋とじはしと呼ばれるそこは、松枝湖まつえだこ濃青海のうせいかいの間に伸びる陸地だ。かつては対岸まで続いていたのだが、大波によって途切れ、汽水域と湖畔の街並みを眺めるばかりになっている。


 だが、そこへ駆り出された芳親は汽水域に背を向け、不満を溜め込んだ牡丹の瞳を山地へ向けていた。絶対にそこから動かないという意思が伝わってきそうな直立は、横から小突かれて簡単によろける。


「怠けてんじゃねーぞクソガキィ。おめーはおめーの仕事をしやがれ」

「……宗典」


 しおれつつも枯れ切ってはいない視線が、呆れ顔でも凶悪さの抜けきらない宗典へと向けられるが、お決まりのようなもの故にまるで効いていない。何なら、宗典の視線の方が芳親に効いている。


「花居の嬢ちゃんと護堂の嬢ちゃん、それに晴成は山の警邏けいら。そんでもっておめーはここで結界生成。適材適所ってやつだ。こっちにゃ天藤の嬢ちゃん、麗部うらべ先生に紀定、兼久と元助もいんだから、それでいいだろーがよ」

「そう、だけど……」

「過ぎた欲は身を滅ぼす、世の習いってやつだ。働かざるもの食うべからず、これも世の習い。しっかりやんねーと昼飯食えねーぞ」


 ぶすぶす、膨らませていた頬もつつかれてしぼんでいく。芳親の不満というのは、大抵その程度だ。勝手に溜め込んで膨らませても、気付かれて外から触れられると、途端に抜けてぺちゃんこになる。子どもの駄々と変わらない。


「宗典氏に芳親氏、そろそろ始めたいんで戻ってきてほしいっスー」

「おう、いま行く。ほら行くぞ」


 少し離れた場所から飛んできた声に答えつつ、宗典はまだ動く気配が感じられない襟首えりくびを掴んだ。芳親はいじけ気味になった顔で引っ立てられたが、「歩けるだろ」と指摘されたので、とぼとぼ歩きに切り替えてついて行く。

 宗典と芳親を呼びに来たのは、四大術家の一角、川浦家の当主を務める千帆。直武一行や兼久隊がいる分、洛都らくとが手薄にならないよう残った渡辺家当主の代行者、渡辺基綱の護衛および結界生成要員である。特徴的な色にまとめ方をした赤紫の頭髪は、芳親の記憶にも残っていた。


「いやぁ、兄弟みたいで微笑ましいっスねぇ、お二人とも」

「こんな面倒なのが弟で堪るか。それうちの隊長の前で言うなよ、そっちも面倒になる」

「境田一派はいつも賑やかなことで。あ、そういや芳親氏にはちゃんと名乗ってなかったっスね。あたしは川浦千帆、よろしくっス」


 口調からも軽い印象の挨拶だったが、人差し指と中指を立て、手首を使い額付近で振る謎の挙動と合わさったせいで軽く見える。手印の一種なのかと観察してみた芳親だったが、特に呪力の類は感じなかったため、意味はないらしい。


「僕の名前は、境田芳親。職業は人妖兵じんようへい。よろしく」


 何となく、芳親も不格好ながら手の動きを真似してみた。たちまち千帆は大輪の笑みを咲かせたが、宗典は盛大なため息一歩手前のしかめ面をしている。


「人妖兵なのは知ってるっスよ。でも、面白そうな子なのは知らなかったっスねぇ。これからも仲良くしてほしいっス」

「うん。……晴成とは、仲良くなった、の?」

「そこまで砕けた話はしてないっスが、仲良くなれそうではある雰囲気でしたね」

「仲良く、なって、ほしい。……僕の、友だち、だから」

「花居志乃とも?」


 千帆の笑みが無邪気な大輪から、含みを隠したものに変わる。宗典は裏を推測するが、芳親は笑みの輝きを倍増させていた。お陰と言うべきなのか、千帆が潜ませていた含みは、芳親の笑みが放つ輝きにかき消されてしまう。


「わっかりやすいっスねぇ、芳親氏。それなら、後で紹介してほしいっス」

「うん!」

「はいはい後だ後。呼びに来たくせにお前も乗ってんじゃねーよ、川浦の能天気」

「おっと失敬、楽しいことがあるとすぐそっちに意識が向いちゃうんスよねぇ、行きましょう。あ、芳親氏、お友だちの紹介、約束っスからね」

「大丈夫。約束は……ちゃんと、守る」


 使命感に満ちた顔で頷く芳親に、千帆の笑みも大輪に戻った。宗典だけは相変わらず、呆れ果てた顰め面をしていたが。

 樹木の類も洗い流されてしまった閉橋は見通しが良く、準備している人影も、何の作業をしているのかも大体窺える。玄武岩げんぶがんで作られた慰霊碑を中心に、祝詞のりとを捧げるための祭壇や献花台が組み立てられ、設置されていく様もしっかりと。参列者が座る場所には茣蓙ござが敷かれるが、今はまだ道具置き場となっている一角に丸められていた。

 芳親が手伝う結界生成の場所は四隅にあり、汽水域に競り出した一帯を囲うことができる。最初に手伝う場所は立地だけでなく、待っている人影の背丈からも分かりやすかった。


「お待たせして申し訳なかったっス、奈音なおと氏」


 男性の響きと似た名前を呼ばれたのは、その場の全員が見上げなければならないほどの背丈をした女性。結界生成の陣の傍らで待ちぼうけを食らっていた彼女は、やってきた三人を見下ろし確認すると、紫鳶むらさきとびの髪をさらりと流して優雅に微笑んだ。


「いいえ、用が済んだのであれば何よりです。そちらの殿方は、境田芳親さんでよろしくて?」

「うん。初めまして」

「こちらこそ、初めまして。碓伊家に仕えております、四大術家は湯澤ゆざわ家が当主、湯澤奈音と申します。以後お見知りおきを」


 首が痛くなるからか、奈音は片膝をついて、芳親と目を合わせた……のだが。芳親もしゃがんで、目線をほとんど同じにしてしまった。前髪の隙間から見える牡丹が、相手の垂れ目に宿る栗色をしかと捉えている。


「……顔、よく、見える」

「ふふ。そちらの目も、よりしっかり見えます。美々さまから話は聞いていましたけれど、ずいぶん無邪気な殿方ですのね」

「無邪気ってか、十八歳とは思えないお子ちゃまだ。目ぇ離すとまーたどっかほっつき歩き始めっから、何かに気ぃ取られてたら襟首掴んで捕獲しろ、湯澤のお嬢」


 つられるように宗典もしゃがみ、今までの苦労を滲み出しながら言う。「まあ」と奈音が口に手を当てたのは、言われた内容に対してか、宗典のしゃがみ方が威圧的だったからか、傍目には判断しづらい。


「相変わらず手荒な方。少しくらいお付き合いしても、バチは当たらないのではなくて?」

「少しでも付き合ったら逸れに逸れて夕方まで帰って来ねーんだよこいつは」

「でも……夕方には、帰る。ちゃんと」

「夕方、逢魔が時にさっさと戻ってくんのは当然だボケ。つかおめーは夕飯食うために戻って来てん……あー、オレまで逸脱したら意味がねぇ。仕事しよーぜ仕事」

「あらら、面白かったのに」


 高みの見物を決め込んでいた千帆に、宗典の鋭い眼光が向けられる。それも面白そうに笑いながら、赤紫の髪を「怖い怖ーい!」と揺らしながら千帆が回避する中、奈音と芳親はのんびり立ち上がっていた。


 結界の生成とはいうものの、既に結界は重ね張られている。芳親を交えて行われるのは、幾重いくえもの結界を調整し、補強する最後の仕上げ。守ることにかけては一流と言える芳親の妙術が加われば、結界は自ずと最上級の域に達する。

 そもそも結界が必要になるのは、濃青海からの脅威を弾くためだ。色護衆の中でも呪力の高い者、妙術を扱う者が集まるため、触発された妖怪や物の怪が現れる危険もある。何度も物の怪による災害が重なった土地であることはもちろん、閉橋は境界線にあたり、故にこそ「閉」と名付けられた場所。災いをもたらすような存在が出現したのなら、ここで食い止めなければならない。


 円陣を囲んだ四人のうち、芳親以外の三人は結界用の詠唱から始める。芳親は一番外側で作業を見守りながら出番を待っていた。間もなく地面に描かれた陣が光り始め、さらに円陣の四隅を囲う細竹と紐の方陣が、発生した風に揺れ始めた。

 四大術家のうち三家の人間が集まっているため、陣の起動も呪力の収束も早い。どんどん膨らんでいく呪力は、下手に接すれば破裂や霧散といった形で消滅してしまいかねないが、芳親にその心配は不要だった。誰かの呪力や行使された術に介入する動作も、呼吸のように難なく行える。


 白く淡い光が、つむじ風と共に渦を巻く陣を前に、芳親の手のひらに牡丹が咲く。半透明な花は風に揺れることなく不動のまま、自ら切り離すように花びらを散らし始める。一片、また一片、風と白光の中へ溶け込んでいく紅。混ざれども薄紅にはならなかったが、力強さはそのまま、風の乱流は素直に真上へと駆け上っていく。

 伸びきった風と光の柱は、既に張られていた結界を伝って広がり始めた。木が枝を伸ばすように、蔦が壁へ伝うように。定められた区画に満遍なく行き渡ると、風は徐々に弱まり、そのまま霧散。しかし呪力を含んでいるため、漂いながらも結界へ吸い込まれ、補強の一端を担う。本来かかる時間よりずっと短い時間で、作業は終了した。


「この調子ならすぐ終わっちゃいそうっスねぇ。他の手伝いにも行けそうっス」

「ほとんど仕上げだしな。……おい、やり遂げました褒めてもいーんですよ褒められ待ちですって感じの犬みてーな顔して胸張ってるガキ。まだ全部終わってねーんだから気ぃ緩めてんじゃねーぞ」


 宗典が言った通り、堂々と胸を張って褒められるのを待っていた芳親は、たちまち不満とばかりに頬を膨らませた。うんと伸びをしていた千帆は、もはや見慣れてしまった表情に苦笑を禁じ得ない。


「芳親氏、まだ怒るには早いっスよ。褒めてあげないとは言われてないじゃないっスか」

「そうですわね。宗典さんは荒っぽい方ですけれど、人も物もないがしろにするような方ではありませんし……芳親さんの方が、そのあたりよく分かっていらっしゃるのではなくて?」


 向かい合う男二人の両脇から、千帆はにやにや笑いながら、奈音はくすくす笑いながらそれぞれ口を挟む。途端、不満だった芳親の顔は、期待に目を輝かせるものへと逆戻りした。宗典は嫌そうな苦い表情をさらに深めていたが。


「知らねーうちにガキっぽさ倍増させやがって……まあいい。しっかりやりゃー褒めてやるよ、いつも通り。いい仕事した奴は、褒められて当然だからな」

「分かった。頑張る」


 意気揚々と次の陣へ歩き出す芳親だったが、「逆だ」と冷静に指摘され、早々に方向転換した。作業こそ早く終わらせられそうだが、宗典は気苦労が多くなりそうな予感に肩を落とし、千帆と奈音は愉快になりそうな予感に顔を見合わせて笑い合っていた。

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