索の目

 友だち――その言葉の意味と響きは、芳親にとって輝かしく嬉しいもの。自分に友だちができることも、友だちに友だちができることも、とにかく素晴らしい。後者に至ってはその過程を眺めるのが楽しいと知ってもいる。


 だからこそ、新たな友だちの気配を察知した芳親は尾行を開始した。茉白も旅館に戻って来たからと弾む足取りで部屋に向かおうとしたら、志乃が見覚えのある少女についていくところを目撃してしまったので。

 声を掛ける、という選択は無粋。もしかしたら芽吹き開くかもしれない友人関係を摘むわけにはいかなかった。よって見守ることにした。邪魔が入らないよう見張る使命感一割、食べ歩きをしたい食欲一割、うきうきわくわくその他もろもろ大騒ぎの気持ち八割で。


 松枝湖名物の湖鰻みずうみうなぎの串焼きや、その姿を模した名菓などを代わる代わる手にしつつ、こっそりひっそり尾行を続けることしばらく。芳親はだんだん焦れてきた。二人とも、進展の「し」の字すら見せないどころか、ほのめかしすらしない。遠慮なぞ知らぬと突撃していく芳親からすると、ろくな会話をする様子もなく街を歩いているだけなんて、むずかゆくなってきてしまう。


「むむむぅ……」


 建物の影から動け動けと念じても、顔さえ合わせない女子二人を追跡し続け、あまり隠れる場所のない高台までついてきてしまった。そこでやっと並び立っても動きが無かったため、物売りたちに紛れていた立ち食い蕎麦そば屋で、種類を変えつつやけ食い気味に五杯も完食。もう我慢ならないと一歩を踏み出しかけたのだが。


「おーっと、そこまでにしておけ、芳親」


 後ろから知った声がして、がっしと肩を鷲掴みにされ止められた。片方の肩を両手で。もう片方も別の両手に掴まれてしまった芳親だが、未練がましくジタバタと足掻き始める。


「離、し、て、はーなーしーてーっ! もーとーすーけーっ!!」

「こらこら、騒ぐと二人にバレるだろう。騒がなくてもバレているとは思うが。ともかく、大人しくこっちに来なさい」

「やだ! やだやだやだ、やぁぁぁだぁぁぁっ!!」

「お手本にできそうなくらい見事な駄々こねだな、見苦しい。本当に十八を数えた男かお前は。そんな風に育てた覚えはないぞ」


 境田家、すなわち兼久に仕える熊井元助への抗議と抵抗もむなしく、ずるずるずると連行されていく芳親。眩しい笑顔の漁師に捕獲された鮮魚よろしく暴れるのはやめたが、代わりに顔で不満をこれでもかと表明しながら引きずられていった。

 途中で逃げ出さないよう、軽めながらも拘束の呪術をかけられ引っ立てられた先は、高台を下りて少し歩いた場所にある茶屋。しっかり奥行きがある店内の、高台付近を窺えない座席に座らされ、しかし拘束はまだ解かれない。


「ったく、くっだらねーことに駆り出しやがって。ダチが別の奴と行動してるくれーでつけ回してんじゃねーよ、このクソガキ」


 どかっと乱暴に胡坐あぐらをかきながら、もう片方の手の正体、瀧宗典が不機嫌とばかりの荒い口調で吐き捨てた。凶悪な顔つきも相まって、色護衆所属を示す着物と袴を身に纏っていても、恐喝か脅迫の真っ最中に見えてしまう。

 元助はその隣へ、大柄な体を収めるように正座をしつつ、「まあまあ」と同僚を宥めていた。宗典と比べるべくもなく優しい顔つきの彼も、芳親には呆れた視線を向ける。


「だが、せっかく志乃殿や澄美殿が頑張ろうとしているところを邪魔しかけたのは見過ごせないな。お前の猪突猛進さは時に美点だが、今回はそうなり得なかった」

「つーか、嬢ちゃんたち二人に野郎が割って入ってどーすんだ。お前はガキっつーかお子ちゃまと同類だが、女の仲を外野が、しかも男が取り持とうなんざ、余計なお世話だってんだ」


 丁寧に諭そうとする元助と、歯に衣を着せる気のない宗典。それぞれの叱咤が、左右から交互に圧し掛かる。懇々こんこんと、ズバズバと言い重ねられるにつれて、不満いっぱいだった芳親は項垂れ始めていた。


「……宗典」

「あ? 拘束なら宿戻るまで解かねぇぞ」

「うぎゅ……」


 反省の前置きすら言わせてもらえず、芳親は完全に弱り切った顔を晒す。元助にも視線で助けを求めてみたが、笑顔で首を横に振られた。もうだめだ。


「あと謝んなら花居の嬢ちゃんと護堂の嬢ちゃん、それから晴成に対してだからな」

「……晴成も?」

「そーだよ、護堂の嬢ちゃんの保護者みてーなもんなんだからあいつ。お宅の嬢ちゃん信用してなくてすみませんて謝んの」

「……うん」


 確かにそうだと、芳親は素直に頷いた。また澄美が暗殺を、なんてことを疑ったわけではないが、本当に志乃と友だちになってくれるか疑ったのは、少なからず事実だったので。

 先に頭の中で謝っておこうと、藍色の面影を思い浮かべた矢先。ふと、芳親は首を傾げた。


「……そういえば。晴成、旅館にいなかった、よね?」

「ああ、お前たちが到着するより少し前に、渡辺を訪ねていたからな。ずいぶん話が弾んでいるのか、お前を追いかけて宿を出た時にも見かけなかった。さすがにもう戻っているかもしれないが」

「渡辺……」


 応じた元助が口にした名前は、境田家と同じ四代武家の一角。芳親も関係者と面識こそあるが、詳しくは知らず、交流関係も持っていない相手だった。


「あそこ、補佐家も術家も含めて、外交の一端担ってるだろ。星永も独自外交してるらしーから、そこで話盛り上がってんじゃねーの。あー、あとあれだ、渡辺は洛都らくとでも発言力があっから、繋がり持っといて損はねーだろーよ」


 宗典が補足し、芳親は噛み砕くように頷く。友人関係ほど馴れ馴れしく近い間柄でなくとも、芳親は関係性の把握が得意な方だった。純粋に興味が旺盛なこともあるが、どこの誰にどういった繋がりがあるのかを知る重要性も教えられている。

 それはそれとして、今まで注視していなかった渡辺家に、芳親自身の興味も掻き立てられていた。家の関係からすれば晴成よりも接触しやすいし、これを機に――と考えていたところへ、宗典の「そうだ」という声が挟まった。嫌なものを見た時に出る、「げっ」と同じ響きで。


「渡辺ついでに思い出した。お前、碓伊うすいのこと花居の嬢ちゃんに話したか」

「志乃には……師匠と、紀定が、説明してた」

「それなら注意もされてっか」

「碓伊家の方は必ずと言っていいほど悪癖を持つからなぁ。麗部うらべ先生も注意せざるを得ないだろうし、紀定殿が先んじて言っていそうな気もする」


 嫌そうな表情が元助の顔にも伝染していくのを、芳親は不思議そうに眺めていた。碓伊家もまた四代武家の一角で、こちらとは芳親も見知っているが、嫌悪するような要素に覚えはない。


「何か悪いことあったっけ? みてーな顔すんなクソガキ。我らが副官を取られかけたこと、忘れたとは言わせねーぞ」

「そう、だった、ね……喜千代、好きって、言って、もらえることは……嬉しかった、けど……」

「澄美殿も危なかったが、晴成がすぐ間に割って入っていたから事なきを得ていた。志乃殿にも同じことが起こらない、とは言い切れんぞ、芳親」

「大丈夫」


 すぱん、と。揺るぎない一言が沈黙を切り取る。否応なく惹きつけられた二つの双眸を、隙間が空く前髪の奥から、牡丹の瞳が見据えていた。


「どこに、行って、も……離れる、ことだけは、ない、から」


 自分たちの前に、それが現れるとしたら。最果てに到達してしまったということなのだから。

 ふい、と視線を外して、膝上の拳を握る。一瞬で開いた傷口は、昼下がりの緩慢な雑多や仲間たちから、芳親を切り離してしまう。


「それもまた、言い切れることではないぞ、芳親」


 しかし、元助が返した重みある声に引き戻された。仕合いで幾度となく重なってきたのと同じ目が、確かに芳親を掴んでいる。


「起こってしまったことには、後から様々なものが付随する。予想通りの結末さえ、物事の終始なくしては現れない。起こっていないこと、これから起こることは、筆を待つ白紙のようなものだ。故にこそ、筆の止まる最終点だけを見て動かずにいることは悪手。その前のたった一筆で変わることなど、いくらでもあるのだから」

「予想通りの結末ってやつも、いざその時になって受け入れられっか受け入れられねぇかで全然違うからな。終わりが最悪だって分かってんなら、やるこたぁ簡単だろ。少しでも最悪から遠ざかるよう足掻く。それだけだ」


 元助と宗典も、妖雛たちの間に何が起こり、何を決めたのか知っている。けれど、震える牡丹の瞳に注がれる視線は揺るぎない。


「……できる、かな。そんな、こと」

「できるも何も、お前はそういうことやる奴だろ。ついさっき高台でオレらに赤っ恥かかせやがったみてーに、ヤダっつって暴れるだろお前」


 思い返したらまた腹立ってきたな、と。ブツクサ文句を垂れる宗典だが、その表情は悪童めいていた。元から人相が悪いせいで凶悪さが倍増し、隣の元助にも少々移っている。


「この件で足掻くことをいさめるのは間違いだな。存分に反抗するといい、芳親。部外者が介入するのは難しいだろうが、我々も力添えしよう」

「おい待て元助、どさくさに紛れて巻き込もうとすんな。オレは協力するなんて一言も」

「宗典は、なんだかんだ、文句言う、けど……協力してくれる。僕知ってる」

「そうしねぇとお前が人目もはばからねーで暴れるからだろーが。オレだって知ってんだぞ、お前がわりと力業で言うこと聞かせにくるの」

「それを無視せず折れてやる時点で、面倒見が良くて優しい男だよなぁ、宗典は」

「うん、僕もそう思う」

「そう思うんならちったぁ遠慮ってもんを覚えやがれこのクソガキ」


 向かい側から身を乗り出した宗典が、芳親の両頬を引っ張る。芳親が上げた抗議の声を聞きつけた店員が様子を見に来たが、元助が何でもないと言うついでに、ちゃっかり三人分の料理を頼んでいた。

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