七夕ワンライ
アイセア
2023
「七夕ってさあ」
七月七日の昼空を見上げて、愛華は前触れなくそう切り出した。前触れなくとは形容したが、それは単に彼女の挙動に事前の兆候が見られなかったというだけで、言葉面だけ捉えるならば、今日この日付というだけで十分に前触れになりうる。七夕当日に七夕ってさあと呟くことは、まったく自然な流れなのだ。ただ本当に、愛華の挙動からしたら突発的というだけであって。
例えばそれが短冊を吊るす笹の前であるだとか、或いはそれがこの地域で毎年七夕に開催される祭りの最中に居るだとか、若しくはそれが天の川が煌めく夜空を眺めているだとか、そういう状態にあるのならばどこまでも真っ当だ。だが、時刻は昼、太陽が夏を告げるが如く照っていて、だのに梅雨の気配が抜けないぐらいに空気が湿っていて、蝉の声はしなくて、私たちはあんまりにも冴えない教室の隅っこに肩を寄せ合っている。日常の延長線上でしかないロケーションで、思わず見遣った教室前方の黒板にも、今日の日付なんか書いちゃいない。前触れという言葉があんまりにも似合わない切り出し方だった。
本当に。
授業を抜け出して二人きり、狭い空き教室の中でする話じゃ、ないと思う。
「割と曇ってるくない?」
「……うん、まあ、そうかも」
そうかもしれないけど、それって、今ここで話さなきゃいけないことだったかな。重ねていた唇をわざわざ離してまで言うことだったかな。半端に空気を冷やすクーラーに喧嘩を売るみたいにぴったり寄り添っていた体を、離してまで言うことだったかな。絶対に違うと思う。
愛華ってそういうところがある。そういうところってどういうところって言われると、なんだか言葉に困るけど、そういうところ。麦茶をコップに注ぎながらスコーンが食べたいって言い出したり、お弁当に玉子焼きを詰めながら目玉焼きのおいしさに目覚めたり、そういう感じっていえば伝わるだろうか。間違ったことは言ってないけど、ちょっとタイミング違わないか、みたいな。登山に低いヒールのブーツで来るみたいな、それはちょっと違うかもしれない。
外見があんまりにも場に即しているから、違和感が常人の二割増しになってるのかもしれない。まっすぐな黒髪をセミロングに伸ばして、肌は日焼けなんてしたことがありませんと言わんばかりに白くて、手足が華奢で、気温に合わせてワイシャツは半袖にしてるけど上にベストを着ていて、スカートの丈は膝より少し上だけど決して短すぎるわけじゃなくて、先生にばれない程度の化粧をしていて、爪にこれまた先生にばれない程度のピンクベージュ系のマニキュアを塗っていて。クラスで上位五本の指に入るくらいの整った外見、万人受けしそうな雰囲気と端々に見えるナチュラルな校則破り。並べるとちぐはぐに見えるけど、そのちぐはぐさも含めて思春期の女子高校生って感じだし、優等生みたいにきちんとした部分とおしゃれしたい不良な部分が同居している。それが、ちゃんと授業の時間に学校に来ている真面目さと、そのくせ授業をすっぽかしてそのへんの教室に立てこもってる不真面目さの入り混じったこの場に、驚くくらいに合っている。
だからこそ、どうしていきなり七夕なのか。七夕の曇ってる率の高さは言われてみると確かに高い気がするけど、何なら雨の日だって多い気がするけど、だからなんだっていうんだ。入道雲が立ち上っているわけではないにしても、現状天気はそんなに悪くない、雲が一割ってところだし、天気予報では今後も大して曇る予定はない。
「今年はちゃんと天の川見れるよ」
織姫と彦星も無事に会えるよ。会えたところでなんだってわけでもないけど。笹に吊るした短冊の願い事が叶うわけでもないし、運気が上がるわけでもないし、よかったねってだけだけど。天の川に関しては見れるかも危ういけど。
天の川は大層な名前の割にそれほど強い輝きの星が集まってるわけじゃないから、案外簡単によく見えなくなる。比較的都会に住んでいるからなおさらだ。ちゃんと見れるって言うけど、晴れていようがいまいが、ちゃんとは見れないかもしれない。
「空模様が気になるんじゃないんだよね」
そう言って愛華は小さく笑った。白い歯を見せて笑う笑い方まで綺麗だ。たぶん神様は愛華を作る時に両手で丹精込めて作ったし色んな要素を丁寧に丁寧にはかって注いであげたんだろうな。不平等万歳、お陰様で愛華はこんなにもかわいい。坊主崇めて袈裟まで綺麗なら、愛華を愛でれば正体の掴めない会話まで愛おしい。
「曇ったところでさあ、織姫と彦星って雲の上にいるわけでしょ?」
雲の上どころかオゾン層のそのまた向こうにいる。織姫と彦星というか、そう言われている星は。
「私たちから見えないだけで、地球がどんなに曇天でも、二人は会えるんだよね」
それを言ったら七夕って行事の情緒はどこへ行くんだろう。今年は曇りだから二人が会えなくて可哀想とか、今年は雨だから二人が会えなくて悲しんでるんだなとか、そういうこじつけが七夕の醍醐味ではなかったのか。
「って考えると、織姫と彦星的には曇ってる方が都合が良くて」
地上から二人の逢瀬に関してやいのやいのと言う人間の視線が、雲によって遮られるのなら好都合。愛華は綺麗に笑った。
「誰だって好きな人との時間を余人に覗かれたくはないよねって話」
そういうわけだから、今回の話はここまでということらしい。
七夕ワンライ アイセア @seami
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