第7話 記憶の行方

 そんなキツネの話を訊かされて、少し食らい雰囲気になってしまったが、

@ということで、ちょうど、お姉さんの座っているそのあたりに、村人が板前を滝つぼに落とした時、揉み合った場所らしいのよ。だから、身体に異変が起こっていないかと思って聞いたのだという。

 しかし、祟りのような痛みではなく、慢性的な痛みが身体にしみついているだけのことだった。女性は冷え性が多く、その分腰にも負担がかかるというのを訊いたことがあり、自分の場合はまともにその傾向なのだと思った。女性の間でも冷え性は顕著で、学生時代からよく言われてきたことであった。

「真由美さんは、この温泉には何度も来ているの?」

 と訊かれて、

「ええ、何度もというほどではないかも知れないけど、二、三度というわけでもないわ。年間に数回くらい来ているので、まあ、結構来ているということかしら?」

「そんなに何かに効能があるということなのかしら?」

 と紗友里が聞くと、

「ええ、ここは実は安産に聞くという温泉でもあるの。さっきのお話の続きではないけど、臨月の苦しそうな顔をしているキツネを見て、なんて件を訊くと、さすがに安産の湯というのを宣伝するのは矛盾しているでしょう? だから、逆にここに祠を建てて、ここを安産の神様としてまつったのね」

 という話を訊くと、

「じゃあ、その時のキツネは、子供と一緒に身を投げたというわけではないの?」

 と聞いてみた。

「ええ、キツネの子供はその後、キツネの親に引き取られて、キツネとして育ったというのよ。そして、そのキツネと人間の間にできた子供が大きくなって、人間と結婚して、そしてどんどん人間に近づいていったんですって、その子孫がどうなったのかということまでは分かっていないんだけど、子供だけは安全に生まれたのね。でも、親は二人とも悲劇だったことから、伝説は観光客の間に、真実が伝わることはなかったのね、だからどうしても美談になる。でも、美談にしまうと、あまり目立たないというのも宿命のようで、だから、ここにキツネの伝説があること自体知らない人が多いの。観光ブックにも決して載ってないしね」

 と、真由美はいうのだった。

 そういう話は、いろいろな地方に伝わっていて、しかも似た要は話が存在する。

 ということは、どこかに起源と言えるべき話が存在し、それが尾ひれをつけて広がったのか、それとも、その土地独自の風俗に馴染むような形で繋がったのであろうかであるが、そういう意味では、ここには滝というものがあるので、伝説として根付くには十分だった。

 そういう意味では、他にもいろいろな滝についての言い伝えも残っているのかも知れないが、キツネの祠があることで、この話が一番信憑性があるとして伝わったのだろう。

 すべてが、

「帯に短したすきに長し」

 であれば、いろいろなウワサが伝わっていたのだろうが、祠のおかげで、本当に信憑性のある話が一つでもあれば、もし他に諸説あったりすると、この根本の話まで怪しいと疑われるようになる。それは当然避けたかったのだろう。

 そういう意味で、他に逸話が残っていたとしても、この話を生かすために、打ち消されてきたのかも知れない。

 キツネというのは、昔から人を化かすであったり、九尾のキツネのような妖怪の類の話があるかと思えば、お稲荷様としてまつられているということもある。果たしてどっちが信憑性があるのかとも思ったが、何かを祀るということは、その祟りを恐れてのことというのが昔からの言い伝えだとすれば、やはりキツネに化かされた人が、キツネに復讐するか何かして、殺したりしたことを、逆にキツネから返り討ちにあったりして、その祟りを恐れているのかも知れない。

 ただ、お稲荷様というのは全国に存在する。どこかから稲荷伝説のようなものが発祥し、全国に広まったと考えるか、一つの宗教団体のようなもので、布教によって広がったのかのどちらかであろう。

 今となっては、キツネが宗教に関わっているというのはあまり聞かない。聞いたとしても、ご神体のようなイメージで取り扱われることが多いだろう。

 しかし、キツネに化かされるという話はよく聞くので、キツネに化かされるというのは、ある意味子供たちに対しての警鐘のようなものではないかとも思える。

「夜中に口笛を吹くと、ヘビが出てくる」

 というような都市伝説的な話ではないだろうか。

 ただ、キツネの神様であるお稲荷様というのは、子供の神様として知られているが、どうして子供の神様になったのかまでは、知らなかった。

「この温泉宿では、子供というよりも大人に関係していることのようだ、もっと調べたり訊ねたりすれば、新しい情報が得られるかも知れない」

 と感じた。

 だが、あと数日で離れるこの温泉地、知ったところでどうなるものでもないだろう。

 とは思ったが、この滝に対して。そして祠に対して、初めて見るはずなのに、

「以前にも見たことがあったような気がするんだけどな?」

 と感じるのはどうしてなのだろう?

 それが分からないだけに、すぐに他に考えを向けることはできなかった。

「それにしても、お姉さんの絵はなかなか上手ですね?」

 と言われて、

「そうでもないわよ」

 と、明らかに謙遜しているふりをした自分に対して苦笑いをしたが、真由美はその絵をまじまじと見た。

「お姉さんの絵を見ていると、見えるはずのものが見えていないように感じたり、見えないはずのものが見えているような気がするんだけど、でもそれでも辻褄が合っているような気がするのは、お姉さんがこの場面を違った目で見ているからではないかと思うのよ」

 と言われた。

「どういうこと?」

 と聞くと、

「それはごくたまに、ここの景色を同じ日に見た人が、数時間しか違っていないのに、一人は存在すると言っているものを否定したり、逆にもう一人があると言っているものを否定したりしているの。話を訊いてみると、どうも、お互いに同じ場所の違う時間を見ているように思われるらしいんだけど、どちらが正しいということもなく、どちらも正しいのよ。ただし、どっちも間違っているとも言えるの」

 というまるで禅問答のような話をしている。

「どういうこと?」

 と言われて真由美が答えたのは、

「二人とも今の光景ではない話をしているの。一人は一週間くらい前のその場所の光景を説明していて、もう一人は一か月くらい前の光景なの。おかしいと思っても理屈が分からなかったの。その伝説があったのは、江戸時代くらいの話で、そんなSFチックな話が通じるわけはないからね」

 と、真由美は言った。

「本当にそんなことってあるのかしら?」

 と紗友里がいうと、

「そうね、普通ならないかも知れないわね。でも人によってそういう見方ができる人もいrんじゃないかって思うの。ただ、それもすべてにおいてというわけではなく、何か特別な時、何かをした時とか、何か自分のまわりで起こっている時とか、いわゆる虫の知らせ的にね」

 と、真由美はいった。

「真由美さんには何か心当たりがあるの?」

 と聞くと、

「それが今のところはハッキリしないのよね。でも、正直気持ち悪いという意識はあるわ。その気持ち悪さがどこから来るものなのか分からないだけどね。ところで、紗友里さんとしては、絵はどのあたりくらいまで完成してると思ってるの?」

 と訊かれて、

「そうね、半分以上はできていると思っているけど、率にしていうのは難しいかも。あとここには三日はいるつもりでいるので、完成させたいとは思っているわ」

 というと、

「絵というのは、最初から最後まで同じペースで描いていけるものなの?」

 と聞いてくるので、

「真由美さんは、自分で絵を描いた経験というのは>」

「小学生と中学の途中くらいまでに少しあるくらいかしら? でも、嫌々やってたので、ほとんど感覚というものはないと言ってもいいかも知れないわね」

 と言っている。

「じゃあ、分からないのも仕方がないわ。絵というのは、私の経験からいうと、最初の書き出しと、最後の仕上げで時間が掛かるものなのよ」

「どういうこと?」

「絵というものは、私はジグソーパズルに似ていると思うの。最初の書き出しというのは、描き始める前に、最初にキャンバスに対してどのように描くかというバランと、そして、最初に筆を落とす場所をどこにするかというのを決めるのに時間が掛かるのね。いわゆる準備段階とでもいうのかしら? そして最後は、ジグソーパズルよろしく、最後のピースを埋めれば出来上がりなんだけど、本当にそのピースがキチンと嵌るのかどうか、絵に関して言えば、ハッキリとしない気がするのよね。それは、双六なんかで、最後にマス目にあった数が出ないとゴールできないような感覚にも似ているかしら? 『百里を行く者は九十を半ばとす』という言葉が示すように、最後の締めが実は一番大切かも知れない。だけど、もう一つ言えることは、最初の段階で、ある程度は決定しているとも言えるの。それが準備段階という意味でね」

 と紗友里は言った。

「なるほど」

「プロの俳優さんとかは、舞台に上がる前にすべてが終わっているなんて話す人もいるけど、まさにその通りなんじゃないかと思うの。だから、リハーサルであったり、普段からのイメージトレーニングなどに皆さん、余念がないと思うんですよ」

 というと、彼女はますます感心して、

「うんうん、確かにその通りですよね、お姉さんの絵を見ていると、どこか吸い込まれるようなところを感じたので、きっと、それは準備段階がしっかりしているからなんでしょうね。でも、私には最後のできあがりを想像することができないんです。さっき言ったように、目の前の光景と、この絵とが私には一致しているように見えないから、どうしても一歩先だけしか見えないんです。それが不安な気分にさせるんですが。逆に考えると、それが普通ではないかとも思うんです。だから、こうやってお姉さんとお話することができたのは私にとってありがたいことだと思います」

 と真由美は言った。

 真由美を見ていると、彼女は何かを抱えているのは分かる気がした。しかし、今の紗友里にはそれが何なのか分からない。今の紗友里は自分のこともよく分かっていなかった。絵を描いている時、自分を顧みることを考えているが、だからと言って、新たに何かが浮かんでくるわけでもない。

「私は何か大切なことを忘れている気がしているんだけど、それが何なのか分からないんです。ひょっとして記憶喪失なのかも知れないとも思うんだけど、記憶を失っているという意識はないんです。たぶん、思い出せないだけなのかも知れないんだけど、それが本当に思い出さなければいけないことだったのかというと、それも分からない。そんな思いを今までに何度かしたような気がするんですよね」

 と紗友里がいうと、

「それはお姉さんだけではないですよ。私にもあります。だけど、思い出せないのは、きっと未来のことを想像していることだからではないかと自分で思うようにしているんです。忘れてしまったわけではなく、未来に思いを馳せている時、それを過去に起こった何かと勘違いして思い出そうとするから、意識の中の矛盾がそれを許さないのか、それとも、元々記憶の中にないものなので、思い出すも何も、意識できないこととして、思い出せないことに苛立ちを覚えながら、どの段階で、諦めるかという、おかしなループを感じさせることがありました」

 と真由美は言った。

 紗友里は、自分が時々、難しいことを言って、まわりをドン引きさせることがあったが、真由美という女の子は真面目に話を訊いてくれる。

 それを見た時、

「そういえば、私も真由美ちゃんくらいの頃だったと思うんだけど、どこかで、お姉さんみたいな人とこういうお話をしたような思い出があるんだけど、残念ながら、相手がどんな人だったのか、そしてどんな話だったのか、思い出せないのよ」

 というと、

「それは、お姉さんの錯覚かも知れないわね」

 と、真由美は言った。

「どういうこと・」

「それは、お姉さんが私の身になって考えようとしているからじゃないかと思うんだけど、今まで経験したことのないことを、経験したかのように考えようとして一番手っ取り早いのは、相手の思いに寄り添って考えることではないかと思うの。でも、それだけではなかなか感情が膨らんでこない。そこで、本当は自分が過去に経験したことではないかという、意識の中の辻褄を合わせようとするんじゃないかと思うの。それが一種のデジャブのような感覚を呼ぶんじゃないかって私は思うんだけど、どうなんでしょうね?」

 と、真由美は言った。

「ええ、確かにそういうことなのかも知れないわね、私は、そういう心理学的なお話には今までであればついていけないと思って、話を遮ったりしたけど、どういうわけか、真由美ちゃんと話をしていると、私も話に飲める混んでいきそうなの。何というか、真由美ちゃんの話が、自分の期待している答えばかりの気がするからなのかしらね?」

 というと、

「自分の都合のいい回答を相手がしてくれるというのは、ある意味、そういうことなのかも知れないわね。私も今までに同じような経験をしたことがあったわ。でもどこまでが本当のことだったのかって、ハッキリとはいえない気がするの」

 と真由美は言った。

「これは私の考えなんだけど、お姉さんは自分の気持ちを正直に口に出して話をすると、きっと分かりやすい話ができる人なんだって思うんだけど、まわりにそれを受け付けてくれる人がいないので、それを画用紙に鉛筆を走らせることで、気持ちを実現させようとしているんじゃないかと思うの。だから、描きながらいろいろなことを考えたり想像したり、妄想かも知れないけど、それが入り混じって、時には時系列を飛び越えて、目の前に見えていることだけではなく、目を瞑れば浮かんでくる過去の記憶を、描いている時は、それをまさに今見ているかのようにしながら描いているんじゃないかと思うんです。だから、同じ場所にいくつかの残像が残っている。一つのことしか描けないので、省略して描くしかない。そう思って描いているうちに、自分で不要な部分は省略して描いているという意識になっているんじゃなくて? お姉さんの描いている絵を見ながら私はそう感じたんだけど、違っているかしら?」

 と、真由美はさらに続けていった。

 紗友里はその話を訊きながら、目からうろこが落ちた気がした。

――確かに、自分が疑問に思っていたいくつかのことを、真由美ちゃんが解明しているんだわ――

 と思った。

 それも、自分の中でいくつかの、

「離れた感情」

 つまりは、考えていく中で、直接的には結び付かない疑問なので、一つ一つを解明していくしかないと考えていたのだが、それを真由美は見事に一つにまとめて話してくれた。

 それは、時系列に沿って(沿っていると思っているだけなのかも知れないが)順序だてて、理論を組み立てているからであろう。

 いろいろな妄想や想像を、自分なりに解釈しようとする行動は好きであったが、それを理論として考えることは、紗友里には受け入れられないことだった。

「人間の考えることは、感性であって、理論などでは決してない」

 という思いが、紗友里の中にあったからだ。

 紗友里は、真由美の話を訊いていて。自分が真由美と同じくらいの頃のことを思い出そうと思った。

 真由美は自分よりも十歳くらい下である。今から十年前というと自分が一体何をしていたというのか? おぼろげな記憶しかなかった。

 今から五年前に、クラブでホステスをしていた自分は、先代に見初められて、息子の嫁として話をいただき、その後に読めとして金沢家に嫁いだ。

 クラブのホステスになったきっかけが何であったか、思い出そうとしても思い出せない。そういえば、今までその時のことを思い出そうとしたという意識が自分の中になかった。

 思い出そうとした経験はあるのだろうが、思い出そうとしたという意識を失ってしまったのか、本当に思い出そうとしなかったのか、どちらかであろうと感じたが、そのどちらも発想としては、おかしなものだった。

 紗友里の性格からして、過去のことを思い出そうとするのは、定期的な感覚であり、ただ、いつの頃の過去をいつも思い出そうとしていたのかというと、そのほとんどが子供の頃のことだった。

 それも、子供の頃を思い出そうとするだけの必然的な何かがその時に存在していて、

「思い出すべくして思い出した記憶」

 というのが、子供の頃の記憶だったのだ。

 では、十年くらい前の記憶というと、思い出そうとしなかったのも不思議に思うが、どうもぽっかりとそこで開いているような気がした。

 となると、子供の頃の記憶というのも、どこまで信じていいのか、信憑性があるものなのか、自分でもよく分からない。

 そこに記憶がないだけで、別にそれ以前の記憶を思い出す障害になるというのは考えにくいと思うが、一度、途中に記憶がないと思うと、不安になってくる。

 だが、子供の頃の記憶は確かなものであった。

「あの頃の自分がいたから、今の自分がいるのだ」

 と考えると、間違った記憶だとはどうしても思えない。

 ただ、これは誰も言わないだけで、誰もが感じていることなのかも知れないと思ったこともあった。

 誰もが感じていることではあるが、人に聞くのは、

「何言ってるの。おかしなこと言わないでよ」

 と一蹴されてしまうことに懸念を覚えるからではないかと思った。

「ねえ、真由美ちゃん。真由美ちゃんは自分の過去のことを思い出そうとして、記憶の中で抜けている部分があるんじゃないかって考えたりしたことはなかった?」

 と聞いてみると、真由美は少し考えてから、

「ええ、それはあるわね。でも、これって皆にあるわけではないと思うのよ。何か心にトラウマのようなものを抱えていて、そのトラウマというのが、その時の記憶、いや、意識が変化したものだとすると、辻褄が合っているのではないかと私は思うの。だから、ぽっかりと記憶に穴が開いているんだけど、それ以前の過去を思い出そうとする時、そのトラウマは記憶に戻ってキチンと橋渡しをしてくれると思うんだ。きっと今お姉さんは、記憶の欠落しているかも知れない場所があって、それ以前の過去への信憑性を心配していると思うんだけど、それに関しては、心配することはないのよ」

 というではないか。

「すごいわね。どうして私の考えていることが分かったの?」

 と聞くと、

「それは、お姉さんは認めたくないかも知れないけど、時系列に沿って理解しようとして、理論を積み重ねていくと、おのずから分かってくることなのよ。こういうのを理路整然というのかも知れないわね」

 と真由美は言った。

「私は別に理論が嫌だと言っているわけじゃないのよ。ただ、最初から理論というものを考えてしまうと、発想であったり、閃きが効いてこないのではないかと思ってしまうのよ。だからどうしても、理論を後回しに考えようとするのかも知れないわ」

 というと、

「それは勘違いだと思いますね。お姉さんはそういうつもりで考えていても、やっぱりどこかで理論立てて考えているんですよ。だって、理論がないと、すべてが支離滅裂になってしまって、出てきた考えが、本末転倒になり、焦点が定まっていないと思われるんじゃないかと思うんです」

 と、真由美は言った。

「なるほど、確かにそうかもね?」

 と紗友里も納得するしかなかった。

 紗友里は、真由美と会話をしながらも、手を休めることはしなかった。それに気づいたのか、

「あまり、私が話し込んでしまってはいけませんね。どうぞ創作活動の方を続けてください」

 と言って、真由美はそそこさと立ち去って行った。

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