第5話 無意識の意識と感覚のマヒ
伊藤医師があまりマスコミを好きになれないのは、
「医学の発展において、マスコミの存在はあまりいいものではない」
という意識を持っているからであった。
マスコミというのは、
「すぐに一つの意見に対して、それが正しいと思うと、過剰に反応し、そちらへと読者を導くだけの力がある」
と思っている。
つまりはプロパガンダとしての要素が強く、一つの凝り固まった考えに、人々を誘導するという洗脳のようなものが生まれ、下手をすれば、それが新興宗教などに利用されることによって、世の中が捻じ曲げられてしあうのではないかという懸念がある。
その懸念を一番強く抱いているのが、伊藤医師だった。
伊藤医師は、今のような研究ばかりをするようになる前は、他の医者と同じように一つの医学に特化した医者だったという。ただし、病院のその時の事情で、内科をやった次の年に外科に転属させられたり、他の科に転属させらたりと、応援の意味合いもあるかのような異動が頻繁に行われていた。
それだけ伊藤医師の実力が幅広かったということで、そのことを今では、病院はよかったと思っている。
いわゆる、
「結果往来」
というだけのことなのだが、実際の本人である伊藤医師はどう感じていたのか。
「私は若い頃の経験を生かして今のような地位にいるのはありがたいことだが、こういうことは他の人にできることではない。これは自慢しているわけではなく、怪我の功名というべき特例であって、これらの事例が他の人にも通用するというのは、まったくの間違いであるということを言いたいのだ」
と言っていた。
これは先生の主張であり、それでもその言葉に逆らって、他の先生を同じように育てようとしたが、まったくもって無理だった。
せっかくの若い有能な人材を殺してしまうようなものだった。
その若い先生はノイローゼに陥り、結局その後始末を伊藤医師が行うという、本末転倒なことになってしまったことで、いよいよK大学も、伊藤医師に逆らえなくなってしまった。
K大学内で強大な権力を持つようになった伊藤医師だが、その権力をひけらかせたりすることはなかった。どちらかというと、
「私が研究に没頭している時は、なるべく私を放っておいていただきたい」
という要望をするだけだった。
それでも、この要望は鉄壁なもので、誰も後ろめたさもあってか、先生には逆らえない。そんな歪な性格を裏に持っているK大学であったが、それでお表はしっかりしていて、誰も伊藤医師を悪く言う人もいなかった。
伊藤医師が一人にかかりきりになることが多いので、一度伊藤医師に掛かった人は、伊藤医師しか頼ってくることはなかった。
それらの患者を決して拒否することはなかった。伊藤医師にとって、、自分を頼ってくる患者は、それだけ、その人にとって深刻な状況にあるということを、伊藤医師も患者も自分で分かっているということであろう。
伊藤医師にとって、再来の患者は、自分の研究にさらなるエッセンスを加えるという意味で、断る理由など、どこにも存在しないのであった。
そもそも、少々のことであれば、誰でも医者はいいはずなのに、わざわざ頼ってくるということは、かなり勇気のいることだ。そういう意味で、
「患者の病気の原因には、必ず何か精神的なことが潜んでいるような気がして仕方がない」
と誰もが認めていた。
今回、トラウマが戻ってきたことで、せっかく刑事になった高杉がいかに今後刑事としてやっていけるかを決めるであろうこの大事な検査は、高杉にとっても、伊藤医師にとっても、実に大切なことなのであろうことは分かっているのであった。
「高杉君は、今回のトラウマを精神的なものだと思うかね?」
と伊藤医師に訊かれて、
「ええ、トラウマというのは、精神的なことから出てくるものではないんですか?」
と高杉は答えた。
「確かにそうなんだけど、精神的なことがトラウマから生まれることもあるんだよ。トラウマが何かのきっかけもなるということだよ。だからPTSDなどというものがあるんじゃないかと思うんだ」
というと、
「まるで巡り巡ってくるようなものですね」
と高杉が聞いたが、それを訊いた瞬間、伊藤医師の顔がそれまでの温和な顔と打って変わって、急に真剣な表情になったかと想うと、
「そうなんだ。それを思うと、世の中で天災と言われるもので、人間の力ではどうなるものでもないと思われているものに対して、その現認が人間一人一人のトラウマにあるとしたら、つまりは、そのトラウマの集合体が天災をもたらす原動力になるという考えが成り立つのであれば、天災をいずれは予防することが可能になるのではと思うんだ。少なくとも予防までにいかなくても、予知することができるようになれば、そこから先は医者の力だけではなく、行政などがうまく働いてくれれば、少しでも防ぐことができればいいと思うんだが、だけど、それもかなり先の話になるだろうね」
と言っていた。
「それはどういうことですか?」
と聞くと、
「君は警察官なので、公務員だよね。公務員なら分かるところもあると思うのだが、行政というのは、自分たちだけが特別だというような意識がつよく、よそ者を受け付けないという習性もある。しかも。よほどの裏付けがないと動こうとはしない。自分たちの責任問題にもなったりするからね。そう想うと、我々がいくら研究を重ねても、それらの裏付けをどこまでできるかが問題になってくる。下手をすると人体実験なんてことにもなりかねかいからね。そうなると、医学界は崩壊してしまう。つまりは、倫理と秩序の問題が大きいと思うんだ。それぞれに重なる部分もあるが、相対するものも存在する。それを思うと、うまくいきそうなものも、難しく考えてしまって、また元の場所に戻ってくるのではないかと思うんだよ」
と先生はいう。
「先生の精神的なことへの挑戦は、究極は、天災を防ごうというところにあるんですか?」
と訊かれて、
「そこにも目標はある。だが、これが最終目的なのか、それとも他の目的に対しての途中経過なのかも実はハッキリと分かってはいないんだ。だから、暗中模索をしているというところが本音であり。どこまでできるか、まったく予想がつかない。だから、私は孤独に研究しているんだよ。他の人を入れると、その人にも迷惑が掛かって、前の仕事に戻ろうとしても、たぶんうまくいかないのではないかと思う。だから私が一人で研究するのは、堅物だからというわけではない。他人を巻き込みたくないという意識の表れなのではないか」
というのだった。
「そういうことだったんですね。先生は先生でジレンマを抱えておられる。やはり、トラウマは克服することができても、発生するジレンマというのはどうすることもできないんでしょうかね?」
という高杉に対して、
「今君が言ったジレンマとトラウマだけど、トラウマをいかに解消すればいいかという研究はいろいろなところで行われているが、ジレンマを解消しようという研究はほとんど聞かないだろう? それはジレンマにも必要なものがあるのが分かっているからさ。だけど、ジレンマを一絡げにしてしまって、ジレンマを克服という発想はないものだと考えているんだ。だから、私は、そうではないジレンマをまず理解して、解消しなければいけないジレンマの研究を行おうと思う。もちろん、解消する必要もないジレンマの研究も必要だ。なぜなら、そのジレンマはトラウマ克服のために避けて通ることのできないものとして必須なものだから、研究しないわけにはいかないんだ。だけど、ほとんどの研究者は、それをジレンマだと気付かずに研究を重ねている。私はそれも怖い気がするんだ。間違った方向に導かれなければいいと思ってね」
と先生は言った。
先生のいうことはいちいち難しい。理解しながら話を訊くのはもっと難しい。だから、時々話の腰を折るようなこともあるが、それを先生も分かってくれているのか、決して嫌な顔をしようとはしない。
「分からないことがあれば、それを放っておかずに、聞いてくれる君に対しては。こちらとしても話しやすいんだ。分かってくれているのかを考えながら話す必要がないだけに、説得に力を入れられる。説得しようとしなくても、相手がちゃんと理解しながら聞いてくれているのが分かるんだからね」
と先生はいうのだった。
翌日から、三日間の予定で検査が行われるという。
「少し長いのでは?」
と聞くと、
「同じ日にはできないこともあるし、二、三日続けることで効果を調べるものもある。今のうちに健康診断を受けていると思えばそれはそれでいいんじゃないかい?」
ということだった。
なるほど、普通の健康診断のようなこともやってくれるので、ありがたかった。
捜査がどうなったのか、自分が第一発見者である以上、気にならないわけでもないが、それにしても、あれから誰も聞きに来ないということはどういうことだろうか? あの男があそこで死んでいたというのは何か意味があってのことなのか、そのあたりも非常に気になった。
そもそも自分がどうして第一発見者になったのか、そこには何か秘密が隠されているのではないかとも思えた。
そんな風に考えてみると、あの日に公園に寄ってみようと思ったのも、帰りがけのことだったような気がする。刑事課を出るまではそんなことは考えておらず、警察署の外に出た時はどうだったか。あのあたりからの意識が曖昧だった。
刑事課を出る時は確かに、あの時を今日だという意識はあったはずなのに、警察署の入り口を出る時は、日付の意識はなかった。
「ということは、あの時点で、すでに意識は上の空だったということか?」
高杉には、そういうことは今までにも結構あった。一人でいる時は特にそうで、考え事をしている時など、いつの間にその場所を通ったのか意識になく、誰かと待ち合わせをしていても、何かを考えていると行き過ぎてしまって、呼び止められることで、やっと約束していたことを思い出すほどだ。
呼び止められてしまったせいで、その時何を考えていたのか忘れてしまうことが往々にしてあった。それは、目が覚めたことでその時まで見ていた夢を思い出せない時に似ている。
夢は覚えていないのが当たり前だと思うので、仕方がないが、呼び止められさえしなければ忘れることもなかったと、呼び止めた人を気付かなかった自分が悪いにも関わらず、恨んだりした。
だが、今回は誰から呼び止められたわけでもない。それなのに意識が朦朧としているのは、ひょっとすると死体を発見したというあの時に自分の意識が一度リセットされたのではないかと思った。
だが、確かに意識がリセットされたという思いに間違いはないと思うのだが、その瞬間が本当に死体を発見した瞬間だったのかということである。
確かに死体を発見したという場面ではあるかも知れないが、あの瞬間だというのは果たしてそうだろうか?
「あの時、俺は気を失ったじゃないか。その時に意識がリセットされたんはないか?」
とも感じた。
気を失ってから、すぐに意識が戻ったという、
「Ⅴ字回復」
がもたらした意識は、リセットだったのかも知れないと思うのは間違っているのだろうか?
今はそこまで先生に話をしていないが、明日からの検査の中で、次第にあらわになっていくかも知れない。
自分の中で潜在的に記憶しているのではないかと思えるようなことも、先生に掛かったら、どんどん思い出してくるかも知れない。
そんなことを感じていると、
「潜在しているのは、意識だけではなく、記憶にも潜在的なものがあるのかも知れない」
と感じた。
これは後で知ったことだが、記憶には潜在記憶と顕在記憶というものがあるらしい。顕在意識とは、思い出そうとして思います記憶のことであり、潜在記憶とは、自分の意志とは関係なく思い出してしまうという、まるで本能的に思い出すという種類のものらしい。
潜在記憶というのは、その人が本能的に無意識にやっていることは、身体が覚えているというような表現で言われるように、記憶していなくても、勝手にできるというようなものであろう。
例えば自転車に乗ったり、キーボードの位置を覚えていて、ブラインドタッチができるというようなものである。
ひょっとすると、デジャブや既視感などと言われるものも、潜在的に記憶しているものが出てきていると言えるかも知れない。一度ゆっくりと先生とそのことについて話をしてみたいものであった。
そんなことを考えていると、時間が経つのは早いもので、その日のうちから入院となったので、あっという間に就寝時間になっていた。普段であれば、気が立ってしまっていて、眠れるわけはないと思うのだが、今日はいろいろありすぎた。
仕事ではそれほど大きな変化はなかったが、死体の第一発見者になってしまったり、身体に変調をきたし、入院と精密検査を勧告されたりと、想像もしていなかったことが起こってしまった。
だが、ふと思うと、本当に想像もしていなかったことだろうか? 死体を発見したのも、ここで入院を余儀なくされたことも、今日のどこかの瞬間で自分には分かっていたことではないかと思ったことだった。
高杉は以前にもこの病院で入院をしたことがあった。
あれは中学時代だっただろうか。精神に異常をきたしたのではないかと自分で思い込んでしまった時期があった。
「先生、本来そこにあるはずのないものが見えてしまうんです」
というと、
「それは、幻覚なのか、錯視なのかということによるでしょうね」
と言われた。
高杉少年が黙っていると先生はニコリと笑って話を続けた。
「幻覚というのは、本来であればそこにあるはずのない、見えるはずのないものが見えてしまうという感覚で、錯視というのは、いわゆる見間違いのことですね。どちらも、思い込みから来ている場合もあるということでしょうか?」
と言われた。
「ということは、結果的に見えてしまったことは、自分が過剰に意識しているせいだということでしょうか?」
と高杉少年がいうと、
「君はなかなか鋭いところをついてくるね。それは日頃からそのことを意識していないとそう簡単に口からついて出る言葉ではないだろう。そういう意味で、君は絶えず何かを考えるタイプの人間なんだろうね。だから、考えすぎて、次第に意識がマヒしてくる。だから、今何かを考えているにも関わらず、それに気づかないので、さらに何かを考えようとするから意識が混乱してしまう。それでも見間違えたり、そこにないものをあるのだという意識が働くんじゃないかな?」
と先生は言った。
「じゃあ、意識しすぎということでしょうか?」
と高杉がいうと、
「そうとも一概にはいいにくい。問題は感覚がマヒしてしまうことで、大体の場合、感覚が無意識にマヒするというのは、嫌なことをしている時が多いと思われるので、君の場合は、考えること自体が嫌なのか、それとも無意識に考えていることというのが、ほとんど嫌なことなのかのどちらかではないかと思うよ」
と先生は言ったが、
「じゃあ、嫌なことを無意識に考えているという後者ではないかと思うんです」
それを訊いた先生は興味深げに、ただ語調は少し重めに、
「根拠は?」
と聞いてきた。
「根拠は夢に由来すると思うんですが、夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものじゃないですか。でも、覚えている夢も多いんです。それはほとんどがあまり覚えていたくない怖い夢が多いんですよ。実際に夢は怖い夢しか見ていないんじゃないかって思ったこともあったんですが、それはちょっと違う気がするんです。というのは、夢を忘れるという感覚があるからです。忘れるということは元があって忘れるということであって、最初から存在しないものを忘れるというわけはないですからね。実際に夢というのは実態のないものだと思うので、忘れるという感覚は夢を見ていた証拠であり、あとから思うと、忘れたくないと思っている夢に限って覚えていないんじゃないかっていう感覚に陥るんですよね」
と、高杉はいうのだった。
「確かにその通りですね。これは私が思うにですね。高杉君の場合は考えすぎるからいけないのではないかと思っているんですよ。考えすぎるから、感覚がマヒしてくる。他の人がいう感覚のマヒとは違い、高杉君の感じる感覚のマヒというのは、考えすぎることで、一度考えたことを、無意識に打ち消そうとしている感覚から来ているんじゃないかと思うんですよ。その思いが気持ちの中で隙間を作ってしまって、その間に入り込んできたものを幻覚と感じてしまう。だから逆に捉えて。その幻覚は実は本当のことではないんでしょうか? ただ、そこに見間違いという錯視の意識が入り込んで、そこにあっていいものを、そこにはないはずだという感覚に思い込ませる。それがあなたにとっての幻覚と錯視のバランスを取らせることで、余計な不安に駆り立てるのではないでしょうか?」
と言われたものだ。
その時は、それから幻覚も錯視も見ることがなくなったので退院したが、その時のことは今でも時々思い出す。あれが人生初の入院だったからだ。
まわりの人、特に親や学校の先生は心配してくれた。
だが、その心配はどこか高杉には違和感があった。
――本気で心配してくれていないような気がする――
と感じたもので、その先にあるものは体裁であったり、世間体であったりが見え隠れし、
「あの子は何てことで入院なんかしたんだろう? 精神病だっていうことなら、世間体が悪いわ」
とでも言いたげに見えて、心配していると言いながら、親の視線は明らかに厭らしい、汚らしいものを見ているように感じられた。
そんな視線を浴びて平気でいられるわけもない。それから親や先生に対しては、一線を画して見るようになっていた。
――そっちがその気なら、こっちだって――
という思いが強く、相手はそんな目で見るのであれば、自分は分からないふりをして、こっちが利用できるところは利用してやればいいという思いに駆られていたのだった。
と言っても、まだ子供だったので、何をどのように利用すればいいのか分からなかったが、今から思えば無意識にちゃんと利用できるところはしていたように思えた。これも無意識の意識であり、自分の中で、
「無意識の意識」
というキーワードが確立されているように思えてならなかった。
無意識の記憶が潜在記憶というのであれば、無意識の意識そのものが潜在意識ということになるであろう。本来なら潜在意識を考えることが先決であろうが、潜在意識というものを意識しているつもりで、心の中のどこかでスルーしていたのではないだろうか。
それを思うと、夢というものを本来の意味と別に考えていたということになる。その原因を今なら分かる気がするのだが、それは、
「感覚がマヒしてしまったことで、潜在意識というものが自分には夢と結びつけるような強い力のものが祖納市内のではないか?」
と考えたからではないだろうか。
自分の中で、
「夢とは潜在意識が見せるもの」
という気持ちはあったくせに、潜在意識を自分の中で否定していたせいで、この言葉をどこまで信用していいものか、自問自答していたのではないだろうか。
その頃から、
「僕は本当の意味での夢を見ていなかったのではないか?」
と思うようになっていた。
どうやら、その感覚に間違いはないようで、夢を見ているその時、普段はマヒしているはずの感覚がよみがえっていて、夢の中でいろいろ考えているようだ。
そのために、夢では何かを考えないという暗黙の了解が破られて、目を覚ました時に覚えていないのではないかと思えた。
ただ、これは自分だけではなく、他の人も覚えている夢と忘れてしまった夢があるというではないか。
だとすると、皆夢を見ている時に自分と同じように何かを考えようとしてしまったことで、夢の中の記憶を消されてしまったのか、解くことのできない記憶の奥に封印されてしまったのか、そのどちらかではないかと思うと、
「意識と記憶が混乱することが、夢を忘れさせる原因なのではないか?」
と感じていた。
そもそも、意識と記憶の狭間ってどこなのだろう?
意識がどこかで記憶に変わるから、一度意識がリセットされて、考えられるだけの余裕が意識空間に生まれる。意識空間は限りないわけではなく、大きさと力には限界がある。
しかし記憶は一生かかって積み重ねていくものだから、切り捨てる記憶も中にはあるだろう。切り落とされた記憶は最初からなかったのも同じなので、それがどれだけのものだったのかなど、分かるはずもない。記憶の奥に封印された大きさを計り知ることがもしできたとしても、切り捨ててきた記憶は元に戻るはずもなく、どこに行ってしまったのか、どうすることもできないであろう。
そう思うと、高杉は、今回の入院では、中学時代の意識と記憶も掘り起こすことになるのではないかと思えていた。
先生が入院と言ったのは、それを確かめるためだったのではないかと思うと、意識が次第に薄らいでいって、睡魔が一気に襲ってくるのを感じたのだった。
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