酸素が欲しいよ
朱々(shushu)
酸素が欲しいよ
未来なんて誰にもわからない。
それでも俺にとってはこれが全てで、これに人生を賭けたい。
歌うことは、俺にとって呼吸することと同義語だから。
中学のとき、兄貴が聴かせてくれた音楽に衝撃を受けた。兄貴はパソコンで調べ物をするとき音楽をかけるタイプで、隣の部屋から微かに聞こえてくる。「それ誰?」と教えてもらったバンドのボーカルは鮮やかで、美しくて、輝いていた。
すぐさまYouTubeで調べると公式動画があり、のめり込んで見るようになった。ボーカルは髪を振り乱しながら、体全体でリズムを取りながら、華麗に叫んでいた。魂を感じた。そんな経験は初めてだった。
夜な夜なYouTubeを観ては口ずさむ生活が始まり、歌詞を調べては深く読み込んだ。ボーカルは歌詞も書いていて、自分の想像力の遥か上を紡いでいた。
生で歌声を聴きたいと思うのに、そう時間はかからなかった。
兄貴に相談するとどうやらファンクラブに入らないとチケットを取るのは難しいとのこと。あからさまに俺がショックを受けていたのが伝わったのか、兄貴はひとつため息をつき、「ファンクラブ、入ってやるよ」と言ってくれた。命の恩人のように感じた。
それからしばらくしてバンドのツアー発表があり、兄貴はチケットを二枚申し込んでくれた。当選の文字を見る前から行く気満々だった俺は、ますます音源やYouTubeにのめり込んだ。
無事に当選の知らせを聞いたのは、期末テストが終わった日のこと。「ライブ、当選したぞ」と言いニヤリと笑う兄貴に、俺は思わず両手をあげて「やったー!」と叫んだ。
ライブ当日、グッズのTシャツを着て、タオルを首から下げる。ずっと聴いていたボーカルにやっと会えるという緊張感は、口から心臓が飛び出そうなほどだった。
「英介、今日楽しみにしてたもんな」
隣の兄貴が笑う。
すると会場は途端に暗くなった。人々の歓声で、まるで地面が割れるように揺れた。息を呑むのも束の間、周りのボルテージが一気に上がる。バンドメンバーの名前を呼ぶファン、手拍子をするファン、大声で挨拶するファン。ライブのオープニングは最高潮に盛り上がり、スポットライトがステージにうつる。
「………っ!」
息を吸うのが、やっとだった。
光が、目の前でパチパチと輝く。
バンドは挨拶なく、いきなり一曲目から始まった。
自分の心臓なのに、聞いたことのない音が体中から聞こえる。己の全細胞が弾けている。耳が、体が、神経が、一音も逃さないようにしている。
これが、ライブ。
響き渡ったその音たちは、俺を虜にさせた。
その日、間違いなく人生初めての経験をし、俺にとって一生忘れられない日になった。言葉に出来ない衝動と興奮を抱えて家路に着いた。
ライブが終わった直後からとめどなく溢れる感想を兄貴に口早く言っていたが、自分でも正直記憶がない。直後の記憶がなくなるほど、良い戸惑いで混乱した。
俺も、歌いたい。
あんな風に歌ってみたい。
そう思うのに、時間はかからなかった。
高校に進学した俺は、バンド部でコピーバンドをはじめた。楽器を触ったことのない自分だったが、歌うことは楽しく、自由でいられた。
コピーバンドは流行りの歌から懐メロまで、とにかくなんでもやった。そこで出会った仲間たちとの時間は、ずっとずっと楽しかった。
文化祭デビューも、外部のライブハウスデビューも果たした。
バンド部で出会ったのは、ギターのユウヤ、ベースのイツキ、ドラムのナオト。ナオトはひとつ年上で、ユウヤとは小さいときからの幼なじみだという。俺はふたりの覇王的な空気感に惹かれて、一緒に組みたい!と前のめりで立候補した。
「その髪色、もーちょっと落ち着かせたほーが良くない?」
当時の俺は高校デビューにて、ギラギラに明るい金髪だった。ナオトに言われるがまますぐに美容院へ行き、髪の毛を茶色寄りにした。その行動力をおもしろがってくれたのか、仲間に入ることが出来た。
ベースのイツキははじめ一匹狼だったが、隠れて練習している姿をナオトが捕獲し「こいつだ!」と一言叫んだ。人見知りなイツキは困り気だったが、やはりベースが好きなようだ。演奏すると途端に明るくなり、饒舌にメロディーを奏でる。
こうして俺らは四人集まり、活動を開始した。
刺激が強かったのはライブハウスで、たくさんの大人たちが音楽を楽しんでいることに驚いた。違う高校の奴らもいれば、自分から見れば相当大人に見えた大学生たち、おじさんバンドも時々いた。
インスピレーションを受け、自分たちの曲を作りたいと思うのは必然だったように思う。
バイトをし、スタジオで練習をして、ライブハウスで演奏をする。
やっぱり本番が一番楽しい。
初めてライブハウスで立った日は、人生のなかでも相当記憶が強い。感じたことのない緊張感とわくわくを抱えて、思いっきり楽しんだ。
ナオトの合図とドラムの爆音、ユウヤのギターを弾きながらの客への煽り、イツキの舞台映えするカリスマ性。俺は屈強な仲間たちを手に入れたんだと、再確認した。慣れ親しんだカバー曲で心を掴み、自分たちのオリジナルも一曲披露することが出来た。その一曲は歌詞のないインストゥルメンタルだが、間違いなくオリジナルだ。
中学生のあの日に見たスポットライトほどではないけど、ステージに立てた満足感は相当あった。いつの日か自分も、あのライブと同じステージに立つんだという夢がみえた気がした。
こんな楽しい毎日がずっとずっと続けばいいと、本気で思っていた。俺は歌とギターしかしておらず、学校の勉強なんてほぼやっていなかった。授業中もずっと歌うことについて考えていた。最低限のギリギリで進級し、進路相談表にも「バンドでてっぺん!」と大きな文字で書いた。担任は真顔を通り越してもはや笑っていた。
今思えば、恥ずかしい話である。
ナオトが高校を卒業し大学へ進学すると、俺たちは本格的にオリジナル曲を作るようになった。コピーバンドはたしかにライブハウスではウケがいいが、俺たちは立ち止まるわけにはいかない。ナオトとユウヤがメインに曲を書き、そのとき俺は、作詞担当だと言われた。
「マキオがボーカルなんだから、なにかしらあるでしょ?」
ベースのイツキはマイペースに練習しながら、隣にいた俺の顔をちらりと見る。
たしかに俺だって、何かを伝えたい気持ちはある。中学生のとき衝撃を受けたあのバンドのような、ハッと目が覚める言葉たち。心臓に槍が刺さるような言葉たち。
果たしてそれらを、俺なんかが生み出せるというのか?
ナオトとユウヤが共作したメロディーは、それはそれはかっこよかった。
何かを弾け飛ばすような、鬱屈さをぶち飛ばすような。そんなスピードを持ちつつも、優しさのある転調もあった。
「これ、タイトルは…?」
「んー。一応あるけど、マキの歌詞次第だな」
ハードルが上がりすぎて、人生初めての感覚だった。こんなかっこいい曲に、俺が今更なにをすればいいんだろう。
ウチのバンドのリーダーは、ナオトだ。
「リーダー命令! マキオ、一週間後までに歌詞な!」
その笑顔は怖く見えた。
そうして、俺の人生初めての歌詞創作が始まった。
家で唸り、学校で唸り、夢のなかですら脳内が日本語に侵食された。
俺がいま、一番伝えたいことはなんだろう。平々凡々で生きてきたと自負してる俺に、他人の心を動かせる言葉を生み出せるのだろうか。
ふと、自分の音楽への原体験を思い浮かべた。
初めて兄貴に連れて行ってもらったライブを思い出した。
あのときは、そう、あのバンドに夢中で、他に何も見えないくらいだった。ライブが始まった瞬間の地面の揺れ、空気が揺れるほどの歓声、手拍子、歌う観客たち。
そうだ、あのときのことを、歌詞に出来ないだろうか。
俺は携帯で音源を聴きながら、適当に言葉を紡ぐ。時々、ばしっと当てはまる。
深夜二時。寝てる場合じゃない。
俺は人生で初めて、歌詞を書いた。
あの夏の日、初めて恋をしたように、沈んだ気持ちは晴れ渡った。揺れるスタンドはスポットライトへの賞賛だ。
もしももう一度会えたら、今度は感謝を伝えたい。そのパワーを今は、俺が受け取っている。俺のこのパワーがまた、どこかで着地すればいい。愛は続いていくものだから。
歌詞がまとまらない深夜三時。ある種、あのバンドへのお礼の歌になってしまった。
緊張と恥ずかしさを持ち合わせて、メンバーに歌詞を見せた。読んでもらっているあいだあまりに恥ずかしくて、俺は無言だった。
「まぁ、まだちょっと直せそうだけど、いーじゃん。ラブレターだな」
ナオトが笑った。
「敬愛と愛情が混ざってていいかんじ」
ユウヤが笑った。
「ほら、出来るじゃん」
イツキは、どうやら初めから俺を信じてくれていたようだった。
高校二年生、十七歳。
人生のなにもかもが輝いていた。これからこのバンドでどんどん新しい曲を作って、歌って、リリースして、大きなハコでライブして、ファンだってたくさん出来る。
そんな未来が見えた。
この四人ならいける。絶対に大丈夫。
俺たちは、無敵だ。
来週、三十歳になる。
誕生日がこんなに憂鬱で、胸が痛いのは初めてかもしれない。
その節目になるまでに音楽だけで生きていけなかったら辞めよう、という選択肢が、無いわけでもなかった。三十歳なんて、遠い未来に感じていた。けれど現実は当たり前のように時間が進み、俺を三十歳にさせる。いやそもそも、三十なんてただの数字だ。
これまで音楽活動を辞めていった仲間をたくさん見てきた。現実に折り合いをつけて、社会と真っ当に生きていくことを決めた面々だ。
歌い、演奏し、朝まで騒ぎ、それでもいつも、不安は付きものだった。それらを拭いたい気持ちもわかる。
拭いたい不安すら一緒に、音楽は紡ぐものだと思っていた。
人は、生きるスピードも、考えるスピードも違う。俺は俺の生き方に、俺なりのピリオドが打てないままここまで来てしまった。
高校時代の俺は、周りの目を気にすることなんてなく無敵だった。当時のメンバーと、どこまでも走っていけると信じていた。
だが、人生は自分だけのものじゃない。随所に選択をしなければならない場面に直面する。
「音楽は趣味にするよ」
「音楽じゃ家族を養えない」
「音楽は、しばらくいいかなぁ…」
そんな声も、たくさん聞いてきた。
別に俺は、音楽以外の生き方を否定するつもりなんてない。むしろ皆、新しいステップに向かっている気がして、逆に輝いてみえた。
俺は、いつまでここにいるんだろう。いつまでここに、いられるんだろう。いることを、許されるんだろう。そう思うようにもなってきた。
今日のライブハウスは昔からの常連で、それこそ高校時代から出入りしている老舗だ。あの頃の俺は、いろんな人がいるなぁーと思っていたが、きっと今の自分こそ「いろんな人」の一部なのだろう。
馴染みのある控室でひとり、目を瞑って考える。
許されたい。
まだ夢を追うことを、許されたい。
「応援してるよ!」「頑張ってね!」という言葉たちがいつしか変化していき、「まだやってたの?」「まだがんばってたんだねぇ」になってゆく。
そんなに、駄目なのだろうか。
俺は俺の音楽を歌いたい。言葉を届けたい。伝えたい。許されたい。
だって俺には、これしかないから。
歌って、曲を作って、歌詞を書いて、ライブハウスに立つ。
これが俺の全てなはずなのに。どうして急に、不安に駆られるのだろう。
対バンしていたバンドたちが、どんどんと活躍していく。大きな会場で歌い、大型テレビ番組に出演している。俺たちには想像も出来ないようなスタッフに囲まれて移動していると聞いた。凝ったライブ演出は、明らかにお金がかかっていることがわかる。サポートメンバーも、豪華な面々だとわかる。
なぁ、俺は、いつから夢の道筋を、明確に見えなくなってしまったんだろう。どこで間違えたんだろう。本来の行き先の電車に乗れなかった気分だ。
あげく、許されたい、なんて。
往生際が悪いことはわかっている。
そんなことをぐるぐると考えていて、ふと、思う。
そもそも俺は、「誰に」「なにを」「許されたい」のだろうか?
誰かに許可をもらわないと夢も追えない世界なのだろうか。そんな無情な世の中で、俺は生きているんだろうか。いや、無情な世界で生きているからこそ、俺は歌いたくなっているのかもしれない。
わからない。何が正しくて、何が正しくないのかがわからない。
わかるのは、初めて立ったライブハウスでの緊張感と高揚感と満足感。あの体験は、俺だけのものだ。俺しか知らない、俺の、感情なのだ。
たしかに今の俺はフリーターでバイト掛け持ちで無名のバンドマンで独身だけど、武道館もドームもスタジアムも埋められないけど、このライブハウスを熱くさせることは出来る。その自信はある。
世間はそんな俺を「売れないバンドマン」と呼ぶ。
許されたい。許してあげたい。
まだまだ夢を、追いかけさせてくれ。
今だってそう、本当は周りの目なんて気にする余裕はない。
この道だと決めたのは、俺だ。
青春時代の終わりなど、誰かが決めるもんじゃない。
俺は、できれば自分でピリオドを決めたい。
まだまだ先だと、抗いたい。
「マキ〜。そろそろ準備だってさぁー」
イツキとは、今も一緒にバンドを組んでいる。マイペースなイツキは、とにかくベースを弾けるこの環境が楽しいと前に話してくれた。
控室でひとり半分瞑想していた俺は、イツキの声で目が覚める。
そうだ。今日だって、こんな俺にだって、お客さんが来てくれている。
ステージの舞台袖で準備をする。ひとつ前のバンドがもうすぐ終わりそうだ。
俺が俺の、一番の味方にならなければ始まらない。そして君も、誰にも許されなくたって、君の好きな道に進めばいいんだ。
それは観客に伝えたいのか、自分に言い聞かせているのか。もはやわからなくなっていた。
いつもより、マイクを持つ手が少し震える。
よりにもよってライブ前に考え事をし過ぎたせいだろうか。
でもそれも、俺だから。
深く、深呼吸を長めにする。
なんだっていい。どんな形だっていい。俺は、俺を受け入れたい。
俺に許されて俺に見守られて、俺の時間を紡いでいきたい。
そう強く決断するのには少し、時間がかかりそうだけど。
ステージに立つ。イツキの合図で曲がはじまる。
そして俺は、今日も歌う。
酸素が欲しいよ 朱々(shushu) @shushu002u
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