第3話 西洋屋敷の絵


 だからと言って、、今までの仕打ちを許せるわけもなく、誠也は父親の様子をみることにした。さすがに自分が子供の頃の威厳は欠片もなく、魂が抜けたかのように見えるくらいだった、

 とりあえず、放っておくしかなかったが、今までの所業から考えて、父親に寄ってくるような人は、なかなかいなかった。

 だが、そのうちに、友達ができたという。

「捨てる神あれば、拾う神ありだ」

 とあの父親が、神という言葉を口にするなど、かなり参っていたということなのだろうと見受けられた。

 その人は、父親に対して、いろいろな世話を焼いてくれるというが。見ていて、あまり友達という感じがしなかった。金銭的や物質的な援助は少しだがしてくれているようだったが、精神的なところでのよりどころというわけではなかった。

 そのうちに、もう一人友達ができた。その人は、今度は金銭的なことにはまったくであったが、精神的なところをいろいろアドバイスしてくれるようで、知識も結構あって、信頼できる相手だと言っていたのだ。

 だが、それが間違いだった。

 結論として、父はその人のうまい口車に乗って、保証人にさせられてしまい、まんまと借金を背負わされて、その男はどこかにトンズラしたようだ。

 しかも、おかしなことに、もう一人の物理的な援助をしてくれていた人もいつの間にかいなくなっていた。それを訊いた時、

「この二人はグルではないか?」

 と思われた。

 借金は幸いにもそこまで高額ではなかったことで、母親の生命保険から、あてがうことができ、事なきを得たのだったが、これからの生活が問題だった。

 それにしても、詐欺もなかなかなものである。最初に物理的な援助を与えてくれる人を近づけたことで、人が寄ってくることに対しての警戒心を解かせ、しかも、精神的なところをフォローしてくれないということで、不安に感じている人に対して、今度は別の寂しさを和らげてくれる人を差し向ける。

 そこで完全に油断してしまった父は、その男を全面的に信用することになる。二人の実に巧妙なやり口であったが。まんまと引っかかってしまった。

 金銭的にあまり高額ではなかったことで、ひょっとすると、それほど前科のない連中で。ひょっとすると、父親は実験台くらいのものだったのかも知れない。

 実験台だとすれば、やつらの作戦と人選は間違いのないものだったことだろう。想像以上の成果だと思い、今度は他の人に工学を吹っ掛けているかも知れない。

 そう思えば。父は罪なことをしたもので、

「犯罪者を作ってしまった」

 ということになるのかも知れない。

 もっとも、これは誠也の勝手な思い込みであるが、もしそうだったとすれば、これ以上情けなく、悔しい思いもないだろう。

 それからお生活は質素に済ますしかなく、それも父親の極端な性格がもたらしたことになるのかも知れない。

 誠也は、そんな父親とは、もう一緒に暮らしていく気にはならなかった。父親を一人で放っておくというのは、息子としては、ひどい仕打ちなのかも知れないが、それまでに受けた仕打ちと、さらに、最近の借金の後始末などを考えれば、一緒にいるということは自殺行為に思えて仕方がなかったのだ。

 そんなことがあってから、しばらく音信不通になっていたのだが、風のウワサで、

「お父さんが入院している」

 という話を訊いた。

 それを教えてくれたのは、親戚の人で、どうやら、心臓があまりよくないということのようだ。

 入院はしばらく続くとのことのようで、身の回りの世話は、おばさんがしてくれていたということだが、そのおばさんというのも、父の妹に当たる人で、

「私も自分のうちのことがあるからね」

 と言っていたが、いとこにあたる男の子が今年大学受験で、それはそれで大変なようだ。

 もっとも、息子の方は、

「一人の方が気が楽」

 と言っているようだが、母親としては、いつまでも父に構っていられないというところであろう。

 仕方がないので、誠也がしばらく面倒見るしかないかと思っていたが、不幸中の幸いか、それとも、今までのおばさんの献身さが実ったのか、比較的早く回復してきた。

 定期的な通院は必要だが、入院の必要はないところまで回復していた。

 しかし、余談が許されるわけではなく、先生からは、

「いつでも入院ができるくらいの用意だけはしておいた方がいいかも知れませんね」

 ということだった。

 先生の言うことは半分は当たっていた。

 定期的通院をするようになったから、一年後には、

「もう一度、入院が必要ですね」

 ということで、入院することになった。

 今回は一か月ほどと期間は大体決まっていたので、以前のような緊急入院ではなかったので、少しは気が楽だったが、今回は、おばさんが来てくれて、だいぶ助かっていた。

「いつも、すみません」

 というと、

「いいのよ。うちの息子もおかげで大学生になれたし、もう気を遣うこともないからね、それに、ちょうど今、パートにも出ていなかったので、ちょうどいい時期でもあったのよ」

 と言ってくれてはいるが、どこまでが本心なのだろうかと想うと、考えさせられてしまう。

 さすがに病院に長くいると、いろいろな人と仲良くなったようで、今までの父だとあれほど気難しかった人が、病院内ではいきいきとしている。

「あれが本当に自分の知っている父親なんだろうか?」

 と感じたほどだ。

 すっかり丸くなった父親を見ていると、

「あれが父親の本性なのかも知れない」

 と思い、却って憤りを覚えるくらいだった。

「だとしたら、子供の頃の自分に対してのあの態度は一体何だったんだ?」

 と、張っていた虚勢の矛先が家族に向いていたのではないかと想うと、腹が立ってくるのだった。

 だが、そのことを母親は分かっていたのではないかと想うと、今度は母親にまで苛立ちを覚えた。

 死んでしまった人を悪く言いたくはないが、分かっていれば、ここまで両親を憎むことはなかったはずであろう。

 母親が死んでから、自分が母親も父親同様に憎んでいたのを感じた。

 死んでから気付いたので、父親同様なのであって、もし生鮮に気付いていれば、父親よりも母親の方が憎かったのではないだろうか。

 父親は自分の感情を表に出して、その勢いで家族に接してきた。しかし、母親はその父親の威厳に頼る形で、無言のプレッシャーを息子に向けていたのだ。

 父親の威厳が大きすぎたので、母親は目立たなかったが、本来父親が暴君であれば、母親は息子の味方をするものだろうと考えるのは、勝手な思い込みであろうが。

 ただ、実際にその思い込みは、父親の威厳によって打ち消されたと思っていたが、どうも母親は自分の味方をしているわけではなく、自分も父親の威厳に押されて、息子を嗜める役だったのではないかと思えた。

 それは、今から思えば卑怯であり、息子に対して自分の意見を示さないということで、父親の影武者であるかのようにさえ感じられた。

 父親にとって、母親は操りやすい人だという意識はなかったような気がする。どちらかというと、それぞれがけん制し合っていた中であり、家族みんなで、それぞれに余計な気を遣っていたのだ。それがおかしな空気を家庭内に充満し、早く家を出たいと思っていた時期もあったが、そのうちに母親がいきなり死んでしまったことで、そのタイミングを逸してしまった。父親が豹変したというのもその理由の一つだったかも知れない。

 入院した父親を見舞っているうちに、誠也は一人の男性と知り合った。その人は父とも話をすると言っていたが、最初はまさか自分が父の息子であるとは思っていなかったという。

「まさか、親子揃って友達になれるとは、何か因縁でもあるのかな?」

 と言って笑っていたその人は、名前を釜石譲二と言った。

 譲二さんは年齢的には四十代後半くらいであろうか。会社だったら。課長クラスになるのかな? と感じたが、彼は会社や仕事の話を一切しない。どちらかというと趣味の話をする方で、

「退院したら、趣味の絵を描きに、どこか旅行にでも行きたいんだけどね」

 と言っていた。

「私が描く絵は、風景画が多くてね、よく山の中の湖だったり、草原に行くのが好きで、遠くを見ながら油絵を描くのが壮大な気分になって、なかなかなものなんだよ」

 と言っていた。

 絵心はあまりない誠也だったが、譲二の描いた絵をいうのを何枚か見せてもらったが、それはそれでいいものだった。

「まるで昭和の純喫茶に飾ってあるような風景画だな」

 と思ったが、口に出していうことはなかった。

 最近ではあまり見かけなくなった昭和を思わせる喫茶店、木造の柱に、白壁のイメージが強く、これは大学の近くにあったクラシック喫茶だったが、奥の音響ルームには、いまだにレコードプレーヤーに、昔のレコードが飾ってあり、実際に掛けることも可能だった。

 レコードの針を落とす時の音など、ここで初めて聞いたくらいで、そういえば、昔の音楽のイントロ部分に、わざわざレコードの針を落とす場面を引用している作品があったのを思い出させた。

 その曲が流行ったのはすでにレコードなどなくて、CD全盛の頃だっただろうか。今ではすでにネット配信が主流ということもあり、CDショップもかなり減ってきているので、街並みもかなり変わってきていることは想像できた。

 昔であれば、CDショップと本屋は商店街には決して欠かせない必須な店だったはずなのに、今ではほとんど見ることができなくなってしまっていた。それだけに、いまだに残っている昭和の匂いを感じさせる喫茶店は、マスターの並々ならぬ思い入れがあってのことであろう。

 店は結構流行っていた。現役大学生だけではなく、大学のOB、OGをよく利用するようで、店の佇まいからか、一人での来店が多く、そこがまた、レトロな雰囲気を醸し出しているのであった。

 そこに掛かっていた油絵を描いていたのは、実は常連の客で、もちろん、プロではなかった。喫茶店の前で描いたと思われる絵も飾ってあって、作者としては、自分の描いた絵をギャラリーのように展示させてくれるこの店は貴重であり、店主とすれば、いちいち購入してきた絵でもなく、常連の作品だということに対して、店に対する愛情が感じられることで嬉しかったのだろう。

 そういう意味もあって、店内には絵画だけではなく、彫刻であったり、工芸作品であったりと、芸術家の発表の場になることもしばしばあった。

 店主も実は工芸に造詣が深いようで、自分の作品も昔からのものがいくつかあり、

「これは大学の頃に作ったものなんだよ」

 と話していたことがあった。

「ここを皆がギャラリーとして使ってくれるようになってから、私も昔の芸術家魂というんですか、創造意欲が湧いてきて、最近は休みの日は、ここの裏で工芸作品を作ってみたりしているんですよ」

 と言っていた、

 なるほど、そういえば、これだけ店が流行っているのに、休みは日曜日と平日のどこかで一回と、週休二日だった。その定休日を使っての創作活動は、さぞや充実した毎日なんだろうと想像できた。

「マスターは、この店をいつからやっているんですか?」

 と聞いてみると、

「私は、二代目の店長になるんだけど、私がこの店で店長をするようになってから、二十年が経っているかな? 一度、老朽化しないように、一度改装したんだけど、昭和の雰囲気を残したままで今の形にしたんだよ。レコードは、先代の店長から受け継いだものなので、この店の宝物であり、シンボルでもあるんだ、大事に使って行って、できることなら、三代目にも受け継いでいきたいものだと思うんだ」

 と言っていた。

 マスターの年齢は、なかなか想像するのは難しく、たぶん、五十前後くらいなのだろうが、見方によっては、三十代前半にも見えるくらいだ。それだけ、バイタリティーに富んでいると言ってもいいのだろうが、だからこそ、この店を続けていけるのであろう。

 常連客も多く、普段はあまり表に出さない芸術家たちが、マスターの気概に触れることで、自分の作品を発表したいという気持ちにさせられるのは、刺激的でいいことだと言っていた。

「僕も芸術を何かしてみたいな」

 という気持ちにさせられるほど、この店は店内が充実していたのだ。

 一度卒業後、三年してから久しぶりに行っていたことがあったが、思ったよりも狭く感じられた。年月が経てば、雰囲気を錯覚させられるということは、それだけ擾乱だった時のイメージが沁みついていたということなのだろう。

 その喫茶店は基本的にはクラシックが多く、一部はジャズ、さらには、プログレッシブロックのクラシックよりのバンドのレコードが並んでいた。

 プログレッシブロックの中には、発売されて少しして、すぐに廃盤になったものも多くあるようで、歴史を表していた。

 誠也は、大学時代にプログレッシブロックを訊いたが、ここで聴くのが楽しかったこともあった、たまにしか流れてこなかったが、この店の雰囲気に合っているのと、クラシック音楽をさらに違った感覚で聴くためにもプログレッシブロックというのは、大いにスパイスとして役になった。

 プログレッシブロックを訊いていると、その中の一つの絵で、印象に残った場所があったのを思い出した。

 それが、大きな森の中に広がっている湖、その光景を描いた一枚の絵だった。

 空の部分が必要以上に大きく描かれていると思ったが、それは他の絵よりも多く句見せようとする絵の効果のようにも感じた。

 その絵をじっと見ながら絵に向かって近づいていくと、どんどん絵の中が広がってくるような錯覚があり、顔を近づけていくうちに、見えなかった湖のこちら側の陸を見ることができそうな気がするくらいだった。

 当然錯覚なのは分かっているが、近づいてくる光景の中に誰かがいそうな気がして、その人を誰か知っていると思うくらいだった、

 だが、それを感じたのは、絵を見ている時ではない。大学を卒業し、その喫茶店に行くこともなくなったある時、夢の中にその絵が出てきたからだった。まるでつい最近、その絵の場所に行ったことがあったかのようなデジャブだったのだが、それがどこなのかさっぱり分からなかった、

 何しろ、自分でもそんな森の中にある湖には実際に行ったことはなかった。一度は行ってみたいとは思うが、どこにあるのかも想像できず、その場所が日本なのかさえ定かではないではないか。

 日本ではないと言われればそんな感じもするが、誠也の本音としては、

「日本であってほしい」

 と思うのだった。

 その景色を最近になってまた思い出す。あれは、母が亡くなってから、母のお骨を父親の墓地に入れるため、墓地のある場所に赴いた時のことだった。

 かなり田舎で、山間の場所にあったのだが、その途中、バスの中に二人の旅行客が乗っていて、その会話の中で、

「ほら、あそこに森が見えるだろう?」

「ああ」

 と言って見たその方向には、かなり大きな森が広がっていて、

――こんなでかい森、見たことない。入り込んだら抜けられない樹海にでもなっているんじゃないか?

 と感じたが、会話は続いていた。

「その森の入り口になっているところから入っていくと、その先に大きく広がるところに出てくるんだよ。そして、そこには大きな湖があるんだ」

 というではないか。

「じゃあ、森の緑はドーナツ状になっていて、中に入るとそこには、大きな湖が広がっているということかな?」

 と訊かれて、

「ああ、その通り、その奥には古い洋館のようなものが建っていて、どうやら人は住んでいないらしい。そこは重要文化財になっているようで。立入も禁止されている。どうやら昔の政財界のお偉いさんの別荘があったということなんだ。だが、場所が場所だろう? 不気味なウワサが残っていたりするらしいんだ」

 と言っていた。

「何か恐ろしそうな話だな。まるで西洋の大きな川の横に立っている西洋風の城のようじゃないか」

 と訊かれて、

「そうなんだ。その西洋屋敷を元々建てたのが、江戸時代のことらしくて、江戸時代にはこの場所自体が立入禁止になっていたらしい。きっとここの屋敷の主が日本人を警戒して、妖怪変化のようなウワサだったり、人魂のような伝説的なものを科学的に作って見せたりして寄せ付けなかったんじゃないかと言われているらしい。でも、明治になってから、開拓されるようになると、すでに、ここの主は誰もいなくて。屋敷だけが残っていたということ、幕末の混乱を恐れて帰国したのではないかと言われていたが、すでに主のいなくなっていた屋敷であったが。別に荒れ果てているわけでもなく、そのまま最初は国に接収されたが、国が売りに出したので、最初は明治の元勲の誰かの別荘になったのが始まりだというこらしいんだ。だから、この屋敷が西洋の城っぽいというのも、まんざらでもないのさ」

 ということだった。

「まるで、ドラキュラでも住んでいそうだな」

 と言われて、こちらまでもが心の中で、

「うんうん、まさにその通りだ」

 と頷いたのを思い出していた。

 結局、実際にどのような屋敷なのか、森の奥まで入ったわけではなかったので、今のところ分からない。実際には行こうと思えばいけないわけでもない。場所は分かっているのだし、墓参りのついでに行けばいいのだ。いずれ車を買って墓参りをする時に行けばいいと思っているので、

「いつでも行ける」

 と考えている分、今のところ結局行けていないのだった。

 喫茶店にある絵を見た時、一番最初、墓参りの途中に見た森がイメージされたが、それ以降、その場所と絵を結び付けて考えたことはなかった。

 その絵がリアルすぎるからなのか、自分がまだ、実際に森の中に入って、西洋屋敷や湖を見たことがないことから、頭の中で結び付かないのか分からない。

 しかし、自分の意識の中で、結び付かない理由は何となく分かった気がした。

 誠也は、音楽が苦手だった。特に楽器を演奏することができないと自分で思っている。その理由は、

「左右の手で同時に違う動きができない気がする」

 ということだった。

 ピアノなどのキーボードにしても、ギターにしても、左右で別々の動きをするではないか、自分がそんな器用な人間ではないと思っていることで、楽器は弾けないと思っていた。その感覚が、意識として存在しているために、重なり合った部分の存在は感じるが、実際に想像してみるとなると、結び付かない。なぜなのか、最近になってピンとくることがあるような気がした。

「要するに、どちらかを必要以上に気にしてしまうのではないか?」

 ということである。

 つまりは、右手に集中してしまうと、左がおろそかになってしまう。逆に左手に集中しようとすると、右手がおろそかになるのだ。

 楽器にしても、絵と目の前に広がった光景との関係にしても、必ずどちらかを中心にして考えないといけない場面が存在する。一度その壁をぶち破ってこそ、左右の間隔を均等に保つことができるのではないかと思うのだった。

 誠也はそれができないことで、楽器も、絵から想像することもできないという中途半端な人間ではないかと思うようになった。

 そういえば、よく父親から言われたのが、

「お前は中途半端なんだ」

 というのが口癖だったように思う。

 常識という言葉であったり、父親の威厳のわざとらしさに、苛立ちと毛嫌いを感じていたのだが。この、

「中途半端」

 という言葉も印象的だったはずなのに、いまさらながらに、やっと思い出せたほどだった。

 なぜなのかを考えてみたが、おそらく自分が中途半端という言葉を嫌だとは感じていなかったからなのかも知れない。

 常識という言葉には、まったく感じるものがなく、言い訳でしかないという感覚があることで、簡単に毛嫌いできたが、中途半端という言葉は明らかに自分を苛めている言葉のはずなのに、嫌なところまでは感じなかった。

「きっと、自覚していたことだからなんだろうな」

 と思ったが、きっと、自分が不器用だと思った原因である左右でそれぞれのことができないということが、中途半端という言葉に繋がっているのを、自覚していたのかも知れない。

 どうして父がそこまで見透かしていたのか分からないが、その言葉だけは、父親の言葉の中で、戒めとして聞こえることだった。

 だが、父親を毛嫌いしている手前、戒めを受けているなどと感じると、せっかくの怒りや不満が半減してしまう。それが嫌だったのだろう。

 それを想うと、父の言葉、

「常識」

 という言葉が強すぎて、他にはいいところもあったはずなのに、それを感じさせないほどに、父の言葉は強烈だったに違いない。

 父を許せないという気持ちは今でもずっと持っていて、

「俺はあんな大人には絶対にならない」

 という思いを抱いてはいるのだが。大学を卒業してからの自分は、次第に父親の近づいてきているかのように思えて恐ろしかった。

 父親と自分の関係が、近づいてきているようで、本当はいいことなのかも知れないが、自分には我慢できないことが多いとして、無理やりにでも遠ざけようと考えるのは、やはり少し強引なのだろうか?

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