第5話 里穂の恋愛感情

 最近の里穂は悩んでいた。前述のように、よくまりえのところに現れるのは、確かにまりえが心配だという気持ちがあるのも事実であった。しかし、それだけが理由というわけではない。どちらかというと、裏に潜んでいる気持ちの方が強いのだ。

 その気持ちがあるから悩みにもなるのだし、今までの里穂であれば、

「こっちの世界に生まれてきてよかった」

 と思っていた。

 いや、里穂に限らず、里穂の世界に住んでいる人間は、そのほとんどが同じ気持ちでいたに違いない。

 何しろ他の世界にはない万能性を持っていて、千里眼のごとく、他の世界のもう一人の自分を見ることができるからだ。

 だが、それが却って疑心暗鬼に繋がる。それが里穂の世界で新興宗教が流行っている現認でもあるのだが、里穂にはそれが嫌だったのだ。

 自分では、

「思った通りに生きることができるのは、この世界だけ」

 という思いはあるが、だからと言って満足しているというわけではない。

 下手な感情を持つことがないので、人に気を遣うことも遣われることもない。つまりは余計なことを考えずに済むわけだ。

 里穂の他の世界では、他人を意識しないと生きていけないという。特に気を遣うというのはどこの世界にもあって、それを忖度と呼んだりするようだ。

 特に、おばさんと呼ばれる連中の忖度は酷いもので、例えば簡単な例であるが、喫茶店などに寄ってから、最後の会計の時、

「今日は私がお払いしますわ」

 と言って、強引に伝票を持ってレジにいくとすると、その後ろからすかさず他のおばさんが、

「いいえ、ここは私が」

 などと言って、そこでひと悶着があったりする。

 レジでは店員が困っているし、おばさんたちの後ろでは、レジ待ちのお客さんがいたりする。

 それでも、このおばさんたちは見て見ぬふりをしているのか、まったく感知していないかのように振る舞っている。あくまでも自分の言い分を通そうと必死なのだ。

 そのうちに、譲り合えばいいのだが。少しでもこじれると、喧嘩にまで発展したりする。それをまわりは冷めた目で見ているのに、おばさんたちは、まるで自分が舞台の主役であるかのごとく、我が者顔だ。

「おばさん、早くしろよ」

 と客もいい台だろうし、レジの人も、

「お早く願います」

 と言いたいのだろうが、ここまで来てしまうと、火に油を注いでしまうことは歴然であった。

 下手に注意などすれば、相手は図に乗って、

「あなたたちには関係のないことです」

 と言って、却って意固地になってしまうことだろう。

 それは避けなければいけなかった。他の客側も店側も静観するしかなく、騒ぎが収まるのを待つしかない。

 そんな人に気を遣うという言葉、皆が感じているはずなのに、それが自分のことになると、やはり同じことをしてしまうだろう。

 レジの店員も。自分が他の人と一緒に別の喫茶店に行った時、同じことをするかも知れない。その時にはおばさんたちの様子に冷めた目で見ていたという自分の立場をすっかり忘れてしまっているのか、それとも、

「私だったら、あのおばさんたちとは違う」

 と、自分を特別視しているのか、それともおばさんたちを別の意味で特別視しているのか、要するに、

「自分に都合よくしか考えていあい」

 ということになるのだろうか?

 そんな状況を、里穂は思い浮かべていた。里穂の世界の人間からは想像できないことであり、里穂も最初にその光景を見た時は、

「本当にこんなことって存在するんだ」

 と驚愕したくらいであった。

 さらに政治家の世界でもそうだ。ドラマなどでよく見られることとして、贈収賄事件に政治家が絡んでくると(見えないだけで、ほとんど絡んでいるのだろう)、政治家じゃ国家気で、

「記憶にない」

 と逃げまくるか。

「それが真実ならば、私は国会議員を辞める」

 などと言って、どうせ証拠が出てこないという意識を持っての言動なのか、逆切れ風に答弁をしている。

 しかし、実際に蓋を開けてみれば、関係者が自殺をするなどという最悪の結果で幕切れしてしまうことも少なくない。

 政治家にとっては自分に火の粉が降りかかる前に、

「証拠の方がいなくなってくれたのだから、もっけもんだ」

 とでも思って、心の中で下を出しているのかも知れないが、そんな政治家がまともに生きていられるはずもない。

「体調不良で入院」

 などと言って政治をほっほらあして逃げてしまうのだから、それこそ病院も都合よくつかわれたものだ。

 だが、体調不良は本当のことなのかも知れない。

 今までの悪事が自分にブーメランとなって跳ね返ってきただけだと考えると、何かがその政治家にはついているのかも知れない。

 しかも、一度だけではなく、二度までもである。

 そんな世界だってこれだけ無限に存在するパラレルワールドなのだろうから、複数はあることだろう。

「それにしても、よくできたドラマだった穴」

 というウワサを耳にすると、案の定、その年のいくつかのテレビドラマ対象を総なめにしていた。

 その世界は、実際の事件を口にするのはなかなかご法度であるが、言論、出版の自由は他のどの世界に比べてもゆるく、本当は限りなくグレーに近いウワサもドラマにしてしまえば問題ない世界であった。

 それだけに、ドラマ関係を製作しようとする職業に人気が集中していて、一番の花形商売だった。

 さらに、出版も許されるので、作家やマンガ家もたくさんいて、特に政治ネタや警察ネタを扱った作品もどれも多い。

 それだけに、実際に口にすることがなくとも、事実を本に書かれたりドラマにされたりして人気が出ると、その作品のリアルさから、

「ほぼ事実に違いない」

 ということで、そこから特捜が本格的な捜査に乗り出すなどという他の世界とは順序が違う世界だって存在している。

 その世界は基本的に忖度を許さないというのが基本であり。政治家も警察関係も、絶えず出版関係やドラマ関係に目を光らせている。

 法律で認められているだけに、何も言えない政治家、警察官は。独自に出版関係に目を光らせている。

 それすらドラマにされて、政治家や警察の思惑が暴露されると、政治家も警察も開き直って、さらに保身に走ろうとする。そんな歪んだ世界も実際にはあり、どの世界がまともなのか、ほとんどの世界を知っている里穂の世界の人間が、いくら万能な力を持っているとはいえ、自分たちに対して疑心暗鬼になるというのも無理もないことだった。

 そういう意味で、里穂がまりえに興味を持って。この世界にばかり来るようになったのも無理もないことで、まりえには。

「この時代のまりえのような人生を歩んでみたい」

 と思うようになった。

 以前、恋愛の話において。

「私はいかなる時も相手は一人を大切にする」

 と言っていて、そのことへの懸念を示した里穂であったが、里穂はそんなまりえのことが本当は羨ましかったのだ。

 感情をまったく無視して、身体だけの欲求に生きていることに疑問を感じてきた。

 まったく感情を無視したというのは少し大げさだが、里穂はまりえに憧れていた。

 確かに血の繋がりに関して変に深い思い入れのあることには違和感があるが、一人の男性を好きになるということは今までの自分の中の感情にはなかったことだ。それがいかなることなのかを考えてみたいという思いから、まりえに近づいたのだが。まさか前述のような本心でもないことが口から出てくるとは自分でも思っていなかったのだ。

 ただ、その思いはある意味憧れのようなもので、もちろん、こちらの世界のまりえのような人生はこちらの世界でしか味わえない。自分の世界に馴染めないことは分かっているので、すべてというわけではない。むしろ一点に絞って考えていることで、実はそれが一番の自分の性格の中でネックになっていることであった。

 それは一人の男性を好きになるということである。

 一人の男性を好きになるということは、完全に今までの自分の考えを改めるということである。自分の世界の理想である、

「相手を好きになるという感情ではなく、精神と肉体とは別で、好きになることはあっても、相手にセックスを求めることなく、セックスはやりたい時にやる」

 という考えだった。

 だから、お互いに好き合っていなければ、なかなかセックスをすることもない。しかも一つの考え方として、

「いつも同じ人とセックスをしていても、いずれ飽きるだけだ」

 という思いがあるからだ。

 実際に、里穂もたくさんの相手がいるから飽きることもなく、楽しめているのだし。そもそも、セックスをする相手が嫌いなわけはないのだ。

「一緒にいるその一日だけは、燃え上がるような恋ができるんだ」

 と思うからで、その日一日を最高のデートにしようという思いは、どの世界のデートにも負けないつもりだった。

 相手だって同じである。お互いに独占欲がない分、相手に必要以上のものを求めないことで、ふとしたことに感動を覚え、毎回が初デートのような新鮮さがある。

 こちらの世界だって、好きな人と毎日一緒にいないと我慢できないという人もいるが、デートはお互いの休みの日で、普段は自分のことで精いっぱいというカップルもたくさんいる。そういうカップルの方が結構うまくいくもので、お互いの気持ちが通じ合えるのではないだろうか。

 セックスというものも、一つの愛情表現なのだ。里穂の他の世界ではほとんどが、

「欲望の果てにある犯罪」

 というものが憚っていることもあってか、あまりいいイメージではない。

 言葉に出すことすらタブーとされ、恥ずかしいことのように言われているではないか。里穂はそこに大きな矛盾を感じるのだった。

「子孫を残して、家計を繋いでいくことを、まるで人間が生まれてきた意義のように言っているくせに、その子孫繁栄のために必要不可欠なセックスを、どうしてタブー視しなければいけないのだ?」

 という思いである。

 そのせいで、世界によっては、セックス禁止令などが出て、セックス産業は死滅し、子孫繁栄のために、行うことは、そのすべてが代理出産なるものとなった。要するに、セックスという行為だけを、

「悪である」

 ということにしてしまい、子孫繁栄のためにセックスによらない妊娠を行うための技術が開発された。

 代理出産という言葉を使ったが、最近開発されたばかりで、やっと実用化を行う法案が可決されようとしているところなので、正式名称がついていない段階だった。

 その裏には、まったく減らない性犯罪への政府としての最後の手段であった。

 性犯罪に対してまったく無力な警察に対しての国民の怒りは頂点に達し、政府と警察は苦肉の策として打ち出したのが、この政策だった。

 政府や警察としても、

「そもそも、市民生活の中で鬱積した歪んだ精神を持った人間が増えたのは、皆個人個人のせいではないか」

 という思いだったのだ。

 個人個人の抑えきれない欲求が爆発して、弱者に向けた犯罪が横行し始めた。確かに政府のいうことにも一理ある。

 しかし、ただすべてを個人に押し付けてもいいのだろうか? 国民の考えとしても、

「政府が体たらくな方針しか政策として打ち出さず、社会が歪んでしまったのは、こんな社会というものを作り出した政治観のせいではないか」

 と言いたいのだろう。

 要するに、責任のなすりつけ合いが起こした一種の、

「悪法」

 と言っていいだろう。

 さすがにそんな時代がくればどうなるか、見当もつかない。性犯罪への懲罰は、信じられないほどひどいものになった。

 今では書類送検で済んでいる事件でも、実刑で五年くらいが妥当とされ、執行猶予がつく事件は、五年以上の実刑、もちろん、執行猶予などない。そもそも執行猶予がつくのは実刑で三年以下だからだ。

 そして、強姦ともなると、無期懲役、強姦殺人ともなると、よほどの情状酌量でもなければ一発死刑であった。

 性犯罪は上告が許されず、最初に出された判決がそのまま結審される。そんな信じられないような法改正となっていた。

「そんなに厳しい法改正をしたんだから、セックスに対してそこまで神経質になる必要はないのでは?」

 という国民の意見や専門家の意見であったが、政府や警察は、

「自分たちの立場を揺るがすようなことがあれば、これくらいの思い切ったことをするんだ」

 という思いを持って、まるで見せしめであるかのような狂気に満ちた、常軌を逸した発想になっていたのだ。

 実はこのような状況は非常に危険で、国家や警察が国民生活に大きく、さらに深く介入するということであり、かつて存在した社会主義なるものの復活を予見するものでもあった。

 社会主義というのは、そもそも民主主義の限界を考えて生まれてきたものだということは前述の通りであるが。それは、国家による国民への過剰な関与である。

 元々民主主義というのは、多数決であったり、自由競争によって、発展ばかりを目指したものであるため、その弊害である、

「貧富の差」

 であったり、

「少数派意見の黙殺」

 であることから、社会問題が絶えない世界であった。

 だが、車K市主義が台頭してくると、政府が強く社会に介入することで、政府による独裁であったり、産業の国有化が進んで、その結果、政府に逆らう勢力は粛清されてきて、産業は競争がないので、停滞してしまうという状態になり、発展はまったく見えなくなるのだ。

 だからと言って、貧富の差はなくなるわけでも、少数派意見の黙殺がなくなるわけでもない。却ってひどい状況になる。

「貧富の差はないかも知れないが、全体的に富んでいるわけではなく、全体的にじり貧なのだ。政府が暴利をむさぼることで、政府に非協力的な団体は迫害され、潰される運命にある。少数派意見に関しては、粛清という言葉で抹殺されることで、表に出ることはない」

 それが、実情であった。

 そんな社会にならないようにどうすればいいのか考えなければいけないのだが、社会主義の世界が実際に存在し、二大巨頭として世界に君臨していた時代がどういう時代であったかということを考えると、本当は進んではいけない道であり、切ってはいけないカードでもあることは歴史が証明しているのだ。

 だがいかんせん、そんな時代の悲惨さを知っている人が、すでに現役ではなくなってしまった。すべての事実は、歴史の教科書にしか出てこないほどになってしまい、

「あの時代を繰り返してはいけない」

 ということを声を大にしていう人がいなくなっていたのだ。

 そんな時代を誰がこれからの時代に予想するというのか、歴史学者や社会科学者くらいでしか考えられないようになった。

 実に危険な状態にあると言ってもいいだろう。

 話は横に大きく逸れてしまったが、里穂としては、今までの自分が実に理想に叶ったような毎日を送っているので、何も文句もないはずであった。里穂の社会では実に優等生のような生活をしているのだが、まりえの世界では、そんな生活は堕落という烙印を押されてしまうような人間性である。

 しかも、里穂は里穂でその世界の理想のような男女関係を結んでいて、まりえは自分の世界ではこれが理想だと思っている。しあし、まりえの方では里穂のような男女関係に対して、

「これが理想なんだろうな」

 と、話を訊けば聞くほどそう思うようになっていたのだが、実際の心境としては、

「私には決してできないこと。もし自分がそんな人間になったら、私は自分が嫌いになるに決まっている」

 と感じていたのだ。

 そのことを里穂は分かっていたが、どうしてそう思うのかが分からなかった。そもそも里穂がまりえに興味を持ったのは、どうしてそういう考えを持つかということを知りたかったからである。

 里穂がまりえと話をしての感覚でが、やはりすべてを理解するというのは難しいようだった。徐々に理解していくしかないように思うのだが、その理解の焦点がどこにあるのか、そのあたりをしっかりと見極めていかなければいけないと感じていた。

 ただ、里穂自身もどうして一人に絞るという付き合い方に憧れたのか、そのあたりがよく分かっていないようだった。まりえの世界では、里穂のようなやり方は通用しない、一歩間違えれば犯罪になってしまう。数人の男性と付き合うことは犯罪ではなく、禁止事項でもないが、倫理的にはアウトではないか。ただ、これが相手に配偶者があれば話はまったく変わってくる。不倫ということになり、刑法的には犯罪ではないが、社会的には許されることではなく、民事訴訟に発展することはあるであろう。

 民事訴訟に入れば、証拠があれば有無もなくであるが、物証がなくても、まわりの証言などから、有罪判決に導かれることもある。少なくとも離婚は免れないだろう。そうなると社会的制裁は絶対のものとなり、不倫は悪だという風潮に逆らうことはできないだろう。

 中には不倫を自分の売名行為に使うような輩もいるようだが、そういう連中は恋愛などというのは最初からなく、自分の名誉欲のために行っているだけである。名誉欲を求めるのは悪いことではないが、やり方を間違えると、その制裁は本人が思っているよりも場宇内になって帰ってくることになるだろう。

 里穂は、さすがに不倫までは考えていない。不倫するくらいなら、複数の相手と付き合っている方がマシだからである。なぜ一人に絞りたいのかというと、やはり。

「一人の相手を真剣に愛してみたい」

 という感情からであろう。

 一人の相手を真剣に愛するという感情は、正直今の自分からは感じられない。このままでいても、憧れだけで実行することが不可能なのは分かっている。

 なぜかというと、

「一人に絞ることができないからだ」

 と言えるのではないだろうか。

 一人に絞るということは、好きな相手を選んだ時点で、好きになっていなければならないということだ。今まで複数を同時に好きになることには長けていたが、一人が気になって、その瞬間に好きになるということができないと思っていたからだ。

 しかし、里穂は勘違いしていた。

 まりえの世界であっても、誰かを好きになるのは一瞬である必要はないのだ。それはあくまでも一目惚れであり、一目惚れだけが人を好きになる手段ではないのだ。むしろ一目惚れなど珍しく、知り合ってから、徐々に好きになることの方が多いのではないか。相手のいいところや、今まで気付かなかった自分に気づかせてくれるなどの理由があって、その人を好きになるのだ。

 つまり、いきなり好きになるよりも、好きになる理由があって好きになったその理由を自分で納得してからの方がよほど、理に撒かっているというのではないだろうか。

 だが、一目惚れというのは、そんな中でもセンセーショナルな感動を与えてくれる。なかなか一目惚れができる相手など、そう簡単には見つからないものだ。

「運命ではないか?」

 と思ったとしても、無理もないことだ。

 そんな世界において、一目惚れというのは、危険なものでもある。

 特に若い男女であれば、衝動の元に感情が先に突っ走ることで、失敗した時のことを一切考えない。下手をすると、騙されているとしても分からないだろう、相手が離れても、まわりがすべて騙されていると思ったとしても、本人だけは、一番分かっていないといけない本人だけが分からないという状況に陥るのだ。

 その状況だけが分かってしまうと、つまりまわりが分かっているのに、自分だけが分からないという構図が出来上がっているということに気づくと、本人は余計に意固地になって、

「私の目に狂いはない」

 と、自分の殻に閉じこもるという形になるのではないか。

 そんなことを里穂はまったく知らない。ただ一目惚れというものに憧れているのだ。恋愛という意味においては、まったくの素人だと言ってもいい里穂は、こちらの世の中でまりえを見ながら勉強しようと思うのだった。

 時折夢に出てきて話を訊いて、自分が感じたことが正しいかどうかの答え合わせをしているような感じである。

 ただ、まりえの方も里穂の世界や、他の世界に興味を持っているようで、それに答えながらになるので、なかなか思った通りに答えを引き出せないというのが本音であろうか。里穂は、そんなまりえの世界を、どのように感じているのだろうか?

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