第3話 再入院

 姉の容態がおかしくなることは、想像してはいたが、退院から二週間ほどした日のことだった。それが長いのか短いのかという判断はできないが、つかさとすれば、あっという間のことだったように思えてならなかった。

 その日の姉は、妹のつかさが見ている分には、朝から頭が痛そうにしていた。頭を抱えているように見えたからだ。

 それは母親もウスウス気付いていたのだろう。つかさは、最初に一度だけ、

「大丈夫?」

 と聞いたが、それ以上、気遣う言葉を敢えて掛けなかった。

 痛いであったり、苦しいと思う時、自分であれば、なるべく痛みに触れられたくないという思いからか、痛みを表に出さないようにしていた。

 特に足が攣った時などそうで、下手に気にされたりすると、余計に痛みが増してくるような気がするから、悟られないようにしている。

 苦しみながら、

――どうして私はこんな余計なことを考えなければいけないのか?

 という虚しさと、無意味さを感じさせられる。その思いを姉は今感じているのではないだろうか。

 そんな時が、先生のいう、

「危険な時期」

 だったのであろう。

 姉のそんな状態の中で、母は娘のことを分かっているのかいないのか、やたらと、

「大丈夫?」

 と聞くのだ。

 そのたびに、つかさは姉の顔を振り返る。最初の頃は表情にそれほど変化は見られなかったが、徐々に顔色が土色に変わってくる。

 それはまるで特撮映画で、人が別人に変わるあの瞬間を見ているようだった。

 自分が勝手に特撮のシーンから、姉が暴発する時にはどういう表情になるのではないかと想像したのか、それとも単純に、人の暴発は、映画のシーンがそのままだという結び付けを無意識にしていたからなのか、とにかく、

「危ない」

 と感じたのは間違いなかった。

「お姉さん、もう一度、散歩に行かない?」

 と誘いかけたが、もはや姉の耳に妹の声は入ってこないようだった。

 妹の顔を振り返ることなどまったくせずに、姉は一人顔色を変化させていた。それはまるで、沸騰してしまった真っ赤な顔を相手に悟られないようにするために、わざとモノクローム映像にしているかのようで、違和感があった。

――これは、もうダメだ――

 と思うと、姉は、暴れ始めた。

 そのあたりにあるものを投げまくるのだ。手が付けられない様子に、母は動くことができない。つかさも自分の身体が動かないことを自覚していたが、思ってよりも、冷静に見ているようだった。

――お姉さんは暴れてはいるけど、それなりにちゃんと危険のないように暴れているようだ。決してガラスに向かって何かを投げるようなことはぜに、無意識なのか、意識してなのか、危険のないように行動しているのである。

 だが、手が付けられないことには変わりなく、どうしていいのか分からなくなった時、暴れ憑かれたのか、精神が極限状態にまで上り詰めたのか、一瞬身体に電流が走ったかのように、直立不動になったかと思うと、完全に気絶してしまった。

 普通なら、

「大丈夫?」

 と言って、意識を取り戻させようとする母だったが、恐ろしくて、身体を動かすことすらできない様子だった。

 つかさも似たようなものだったが。まだ幾分か冷静で、すぐに救急車と呼んで、K大学の研究室をしていして、運んでもらうことにした。

 研究所に連絡すると、袴田先生が出てきてくれて、

「大至急、搬送してくれたまえ」

 と救急車でやってきた救急救命士に伝えたのだった。

 つかさが乗り込んで病院までやってきたが、半分は放心状態の母親を残していくのも怖いという面もあったので、しょうがないので、親戚の人に連絡を取って、来てもらうことにした。母は姉のことを親戚には隠しておきたかったようだが、もうこうなってしまっては、隠しきれるものではないということを宣告されたも同然である。

 病院に搬送されると、そこでは袴田教授と安藤氏が待っていた。

 さすがに、こんな形で安藤さんと再会することになるとは思ってもいなかったので、一瞬顔を見た時は戸惑いがあったが、今はそれどころではなかった。後から考えて、こんな緊急時でも乙女の気持ちが表に出るというのはどういう感覚なのだろうと、つかさは感じたが、それも無理もないことであったのだ。

 つかさは、中学時代からずっと、自分が、

「夢見る乙女」

 であることは意識していた。

 本来なら小学生の頃からなのだろうが、その頃は皆がそうだっただろうと思うので、

「人と同じでは嫌だ」

 という感覚が何に対してよりも優先する考えだと思っていたので、皆がそうだったと思われる小学生時代を、

「夢見る少女」

 だとは思いたくなかった。

 中学、高校生になってまで、夢見る少女もないものだと思っていたのだが、それは夢見ることを、どちらかというと妄想だと思い、心の底ではあまりいいことだと思っていない証拠であろう。

 それを思うと、つかさは余計に、自分が夢見る少女だったと思うのだ。

 それは、今までの後悔のその理由を、いつも探しているからではないだろうか。その理由を居つけられなかった時は、夢見る少女だからという理由で、勝手に自分を納得させようと思っているからに違いない。

 その思いがどこまで自分の中での納得のいく思いなのかは分からないが。夢見ることで、本当は自分をよく理解できているとも思っている。

 だが、逆に理解できすぎるというのも怖いものがあって、その怖さがどこに繋がるかという思いを、姉が証明してくれるのではないかという思いから、つかさは姉をできるだけ面倒みようと思っていたのだった。

 実際に学校を卒業したで、就職先もなく、本当に社会人と言えるのかどうかを模索している自分にどこまでできるか分からないが、逆に会社勤めをしていない分、姉の面倒を見る時間ができたというのは、よかったのではないかという複雑な思いが、自分の心にジレンマとしての景を落としているのではないかと感じるのだった。

 姉は結局再入院となるようだ。

 期間は正直分からないと言っている。そのあたりの相談は母と直接するということだったので、その時にはつかさも立ち会うつもりでいた。

 姉がどれくらいの期間入院することになるかというのは、今のつかさにとっても切実なもので、とりあえず、母が精神的に落ち着くまでは自分が姉についていようと思っていた。

 そんな時、

「つかささん、少しお話があります」

 と言って。袴田先生に呼ばれた。

@はい、何でしょう?」

 と、医局ではなく、袴田先生の研究室に呼ばれた。

 ここの教授は、医局とは別に自分の研究室を独自に持っている。

――そういえば、この病院はインターンなどの他の病院から先生を派遣してもらうなどということはしていないようだ――

 というのは、前に誰かに聞いたような気がしたが、それが誰だったのか、正直思い出せないでいた。

「お姉さんの件ですが、いろいろ調査をしてみると、どうやら、記憶喪失になってからのお姉さんの感情として、最初よりも今の方が、感情が深い気がするんです」

 と言われた。

「どういうことですか?」

 と聞き返すと、

「お姉さんは、記憶を失っていることを、心の中で意識しています。そして、その記憶をなるべくなら取り戻した宇内という思いが働いているんですね」

「どうしてですか?」

「理由は分かりませんが、そういう意識を持っているうちは、思い出すことは難しいでしょうね。お姉さんがもう少し自然体で自分の意識を持つことができると、我々としても打つ手はあると思うんです。何か付け込む隙があるとでもいいましょうか。お姉さんの天岩戸をこじ開けるという感じですね」

 と、袴田教授はうまいことをいうのだった。

「天岩戸をこじ開けるという言い方は少々乱暴に聞こえるんですが、そういう乱暴なやり方でないと姉の記憶は戻らないということでしょうか?」

 というつかさに対して、

「記憶喪失というのは、いくつかの原因があります。実際に事故やトラウマという心的外傷、つまり、何かのショックを受けることで、それを衝撃として受け取り、長い間そのことに捉われることです。そのためにストレス障害になる人もいて心的外傷後ストレス障害というものになる人がいます。それが一番の原因だと思いますが、その原因として、表に見えるもの、例えば苛めや、迫害などがありますが、それ以外で、他の人なら感じないと思うようなことでもその人にとってはストレスを感じるということがあります。たとえな、親友がいたとして、その人と偶然好きになった人が一緒だとしますよね。でも、友達に配慮してか、自分も同じ人を好きだとはいえない。親友と好きな人との板挟みで、どっちを選んでも自分の中で悔いが残る。それをどのように選ぶかによって、ショックの度合いも違ってくるのでしょうが、表面上は一番いい選択、つまり、体裁を繕ったことで、結局は自分を傷つけることになった。性格的に自虐を受け入れて、それを時間が経てば笑い話にできる人であれば、まだ救いがありますが、そうでなければ、普通であれば、その選択がトラウマになることでしょう。しかも、その選択をしたのは自分、自己嫌悪もかなりのものですよね。そこから引き起こされるのは鬱病、そうなってしまうと、自分で自分を抑え込もうとする意識が強くなり、記憶を封印してしまうという副作用をもたらすことになるでしょうね。だから、そういう場合は、まず本人の意識を好転させることが一番で、固く閉ざされた扉の鍵を開けさせるくらいのところまで持ってこないと、強引にやっても無駄です。我々はその扉がどこにあるかすら見つけることができないでしょうね。少しずつ心を開かせて、そして彼女が少し扉を開けて表を見ようとしたところを、一気に怪力の猛者である天手力男神のような男が岩戸をこじ開けるというわけです。まさに天岩戸のようなものですよね」

 と言って教授は笑った。

「なるほど」

「まあ、そこまで大げさなものではないのかも知れませんが、もし、表に出てきていないが心的外傷があるのであれば、そこには、必ず何かとのジレンマ、つまり板挟みのようなものが絡んでいるはずです。私はそれを突き止める必要があると思うんですよ。まずは、お姉さんの症状の中に鬱状態があるかどうかを見極める必要があるかと思います。ただ、これは記憶喪失になっている人で、鬱状態なのか、そうではないのかというのを見極めるのは至難の業ではないかと思うんです。鬱状態であるならば、鬱病としての診療から、その記憶を失う原因になっているものを探すこともできます。催眠療法などが役に立つのではないかと思われますが、実際にただ記憶総つぃつだというだけで、安易に催眠療法を使うことを私はあまり推奨しません。催眠を掛けてしまうと、本人の意思を薄めることになり、元来、記憶をいずれは元に戻すという意識でいる人にとっては、阻害でしかありませんからね。だから、私はあまり催眠療法を推奨してこなかったでしょう? あくまでも催眠療法は最後の手段くらいに思っておかれた方がいいかと思います。要するに、心理的な障害や、本人の意志などによって起こされた記憶喪失には、特効薬なるものはないということです。抗生剤のように、ひどくならないようにしたり、他の病気を誘発しないようにしたりはできると思います。記憶喪失状態から中には鬱状態に陥る人もいたりしますからね。それだけに。今投与している薬は、抗生剤と同じです。だから、入院は必要なんですよ」

「じゃあ、今の姉に起こっているあの反抗期みたいな症状は何なのでしょう?」

 とつかさが訊くと、

「理由はいろいろ考えられますが、一番考えられるのは、記憶喪失にある何段階かの階層の切れ目のようなものに嵌りこんでいるのではないかと考えられることです。お姉さんは、たぶん、自分の中でジレンマと葛藤しているのではないかと思いますが、それは普通の人でも同じです。皆さんは夢を見るでしょう? 夢というものにもいろいろ種類があって、現実と理想のジレンマから葛藤の場所を夢の世界に求めて、そこで妄想しているというパターンですね。だから夢には覚えているものもあれば忘れているものもある。人によっては、睡眠では必ず夢は伴うものであり、見ていないのではなく、忘れているだけなんだと言っている学者もいます。私もその意見には半分賛成で、半分は反対なのですが、根本的には賛成ですね。反対だと言ったのは、その理論をそれだけ生かして考えられるかどうかということです。それさえ分かれば、もっといろいろなことが解明できると思うんです。夢というのは、ある意味、記憶の封印された場所から、溢れたものだという人もいます。これには私も賛成で、たぶん、納得される方も多いのではないでしょうか? でも学説としてはまだまだ弱いのは、夢と記憶喪失の因果関係が証明されていないからではないでしょうかね」

 と教授は言った。

 つかさも何度も頷きながら聞いていたが、その意見には賛成だ。きっと自分の中でも思っていたことを代弁してくれたという意識が強いのかも知れない。

 その話を訊きながら、安藤も納得していた。つかさは、教授の話を頭の隅に置きながら、それでも、何かあった時には真っ先に思い出すような体勢を取るつもりで、姉に接しようと思った。

 つかさとすれば、ただでさえ病院といういかにも相手を病気だという意識で追い詰めていることに違和感を覚えていた。なるべく自分は姉のことを、

「この人は病気なのではない。少し悩みを内に篭めているだけだ」

 と思っていたが、それが、どれほど自己中心的な考えであるかということを自分で理解していなかった。

 どこか上から目線のような発想は、つかさにとって自分ではよく分かっていないが、見る人がみれば、違和感があるのだろう。

 女性によくありがちば、

「あざとさ」

 に似ているのではないだろうか。

 姉がそんなつかさをどう感じているかということである。

 介護をする人というのは、身内であれば余計に上から目線という意識が強い。中には、

「どうして自分が面倒みなければいけないの?」

 という意識を表に出したくない一心で、

「私が、この人の面倒を見ているのよ。何か文句ある?」

 という虚勢を張っているかのごとくに見せている人もいるだろう。

 そんな思いと一番受け止めているのは、実際に身近で介護を受けているその人に他ならないだろう。介護を施しているつもりで精神的に相手を追い詰めているという例も少なくはないだろう。

 征服欲のようなものがその人にはあるのかも知れない。自分がいないと何もできないことで、その人のすべてを自分が征服したかのような勘違い。確かに介護を受けている人はその人がいないと生存することができない状態にあるのかも知れないが、その人間の尊厳までも征服できるわけではない。そのことを勘違いしてしまうと、介護を施している人以外に対しても、同じような征服欲を抱いてしまっているかも知れない。

 何かの集会に参加した時でも、自分だけが輪の中心にいて、まわりを牽引しているかのような誤解は、征服欲から繋がっているのかも知れない。団地などでの集団では、その中の一人くらいは介護をしなければいけない立場の人もいるだろう。事情を知っている人は、それなりに対処法も分かるだろうが、まったく何も知らない赤の他人であれば、上から目線で見られると、まずその人に心を開くことはない。亀裂しかないだろう。

 つかさもそんな予備軍にいることを自分で分かっていなかった。今感じていることは、

「私が姉の記憶を何とか取り戻させたい」」

 という思いであり、その奥に、

「それができるのは私だけだ」

 という思いも併用しているはずだが、気付いているのかいないのか、誰にも分からなかった。

「お姉さん、何か思い出した?」

 と聞いても、姉は何も言わない。

 それどころか、悲しそうな顔をすることが多かったのだが。それはあくまでも、姉が自分の記憶を思い出せないことに悲しいというよりも、つかさの中に見える征服欲を感じて悲しんでいるのではないだろうか。もし、姉が自分の記憶が戻らないことに対して感じていることがあるとすれば、苛立ちではないだろうか。だとすると悲しい顔というよりも、歯ぎしりをしているかのような悔しいと思うような感覚の顔になるのではないだろうか。

 教授ならそれくらいのことは分かるだろうが、つかさには分かっていなかった。悲しそうな顔はあくまでも、思い出せないことを自分で悲しんでいるという意識でしかなく、それこそ上から目線だと言ってもいいだろう。なぜなら、悔しい顔になるであろうことは、つかさが相手の身になって考えればおのずと分かってくることではないだろうか。それが分からないということは、つかさが、自分のこよりも姉のことを考えているということであり、自分のことを棚に上げて相手を見ると、どうしても高いところからの目線になってしまう。なぜなら、自分は棚に上がっているからである。

 上から見られるのを、今の姉は嫌だとは思っていないだろう。却って気が楽だと思っているのかも知れない。

 記憶を失ったことで過去と隔絶したと思っているので、相手が上から目線で見ている相手は自分ではないという意識でいるのかも知れない。

 そんな姉にとって、つかさは妹ではあるが、

「記憶を失ってから。最初にできた友達」

 という感覚の方が強い。

 それが、姉妹という意識になるのか、弥生は自分の毎日を今までと違って、時計が時刻を刻むのと同じ感覚で、毎日を過ごしている。それだけ感情がマヒしているということであろう。

 弥生とすれば、ツバメなどの鳥が生まれた時最初に見たものを親と思うというような感覚で妹を見たのかも知れない。なるほど、姉は生まれたての赤ちゃんも同然であった、元々あった記憶をどう処分したのかは別にして、今ある意識には、

「自分には記憶がない」

 という思いしかないからだ。

 記憶が消えているわけではなくどこかにあるとしても、今から先に蓄積されていく記憶には少なくとも過去との関連性はないのだ。

――それが記憶を失う意識の一つになったのかも知れない――

 と、つかさは素人であったがそんなことも考えた。

 過去に持っていた記憶と、これから生まれてくる記憶とがどこかで関係性を持ったら、という恐れを考えたのかも知れない。

 それが何かの因果関係であり、思い出したくない。あるいは、思い出すことで、自分に何か危険が及ぶかも知れないという意識が働いたとすれば、姉は天才的な感性を持っていると言ってもいいだろう。

 だが、普通に考えてそんなことがありえるだろうか? 将来に起こることを予知でもしなければ、記憶を失うというリスクを負ってまで、過去との関連性を切ろうとするだろうか?

――いや、天才的な感性が人間には元々備わっているのだとすれば、その理屈も分からなくもない。一度、この意見を袴田先生にぶつけてみたい――

 とつかさは感じた。

 きっとこの考えは、一つの大きな考えの中から、いろいろな派生した発想があり、それぞれの各論の中の一つのようなものだと考えれば、先生が自分に話さなかった理由も分からなくもない。そのうちに姉の記憶喪失のメカニズムが分かってくると、そのうちの各論を話そうかと思っていたのかも知れない。そういう意味では妹が一緒にいて感じたことを話してあげるのも、先生が姉を見る目に何らかの役に立てばそれでいいと感じたのだ。

 姉は散歩しながら、何かを呟いているように感じた。まったく聞きとることのできないほどの小さな声なので、姉の表情を絶えず見つめていないと、そのことに気づくことはなかっただろう。

 つかさは、最初は見て見ぬふりをしていたが、次第に気になって、

「お姉ちゃん、何をいおうとしているの?」

 と軽い気持ちで聴いてみた。

 すると姉は、今までにないほどの怯えた表情を見せ、唇が震えているようだった。ただ、怯えているように見えたのは、今までの姉の表情を想像した恐怖に怯える表情であり。今の本当の心境は分からなかった。

 だが、

「せっかく気持ちよさそうな顔をしていた姉に対して、こんな顔をさせてしまったのは、私に原因がある」

 として、つかさは、

「ごめんごめん、もう聞かないよ」

 としか言えなかったのだ。

 姉の恐怖に震えるその表情を見てから、さっきの姉の口ずさんでいた顔を思い出すと、何かを口ずさんでいると思ったのは、

「歌を歌っていたのではないか?」

 と思ったのだ。

 今の姉の表情は、ずっと見つめているからなのかも知れないが、姉が記憶を失うまでと違って、何か表情が急変した時でも、その前の表情が思い出せるほどであった。以前であれば、絶対にそんなことはなかったのに、その思いがあることで、今の姉がずっと無表情だと思っていたのに、想像以上に表情が豊かであることに、その時初めて気づいた気がした。

「まあ、綺麗なお花だわ」

 と言って、病院の建物のすぐそばに咲いている花のそばにやってきた。

 そこは別に花壇として作られている場所ではなく、無造作に咲いている場所で、確かに作為的に作られた花壇ほど綺麗ではないが、無造作にしては綺麗に生えそろっている。

「ここにいると、私はお花畑の中にいるようだわ」

 と、姉が言った。

 姉が記憶を失ってから、つかさに対して自分の意見のようなことを初めて口にしたのが、この言葉だった。

「そうね。お花畑のようね」

 と、お花畑という言葉を拾い上げたかのようにしていうと、

「そうそう、お花畑なのよ」

 と、まるで自分が言いたかったことをつかさが分かってくれたと言いたいのか、必要以上な興奮を見せたのだった。

 お花畑というと、空想や妄想を抱くことで、批判・非難されているようなことをプラスに捉えすぎるということで、物事の本質を見抜けない場合の思考を差すことではないだろうか。

 それを考えると、姉は自分の記憶喪失に、何か自分に対しての批判や非難があったという意識だけはいまだに持っているということなのだろうか? それを記憶を封印することで排除したのだということを、

「お花畑」

 という言葉で表現したかったのかも知れない。

 そもそも、意識的に記憶を封印する場合。自分の感じている体感であるとか、記憶自身の中に表に出せない何か負の要素になるものを持っているからではないかと思っている。そんな感覚を姉は持っているのだと思うと、一緒に付き添っている自分まで気が滅入ってくるような気がする。

 付き添っている自分もよほどの覚悟がなければ、自分までおかしくなるのではないかと思っておかなければ、記憶喪失者と寄り添うのは難しいだろう。

 だが、今の段階では、袴田教授はつかさにそんなことはいわなかった。姉の記憶喪失が人を巻き込むほどの酷いものではないという意識を、袴田教授なりに持っているからであろうか?

 つかさは、そんなことを考えていると、花の匂いを嗅いでいた姉が。またふらりと立ち上がって、今度は、フラフラと建物の裏に向かっているのを感じた。

――それにしても、歪なルートだわ――

 と感じたが、姉はそのルートをごく自然に歩いている。

 きっとこれが姉のいつもの散歩コースなのだろう。姉につきそう看護婦の話では、

「お姉さんの散歩コースはいつも一定ですね」

 と言っていたが、先ほどの、

「お花畑」

 という表現も毎日のことなのだろうか?

 後で、看護婦さんに聞いてみることにした。

(ちなみに、看護婦という言葉は今では看護師というのが正当なのだろうが、作者は敢えて看護婦と呼ぶことにする)

 そういえば看護婦さんが言っていたような気がする。

「ここでは、まだ患者の中には、昔からのサナトリウムの感覚でいる人も多いようで、私たちも制服も昔のままなんですよ」

 と言っていた。

 なるほど、色も薄いグレーの服で、今はほとんど見られないナースキャップもかぶっている。

 今ではどこでも珍しくもないマスクも、少し大きめで、聞いてみると、

「ここでは勤務中のマスクは昔から必需品だったので、別に今に始まったことではないので、意識はないわ」

 と言っていた。

 確かにここの病棟は、昭和の匂いを感じさせる。薬品の臭いも違和感がないのは、病棟自体が昭和の雰囲気を醸し出しているからであろうか。姉もすっかり馴染んでいるようだった。

「お姉さんは、よくこの病室を入り口の前に立って全体を見渡すようにしながら、懐かしいと言って、実に嬉しそうな顔をよくするのよ。まるで昭和という時代を知っているかのようだわね」

 というのだった。

「まさかね。お姉さんの空っぽになったと思われる記憶の中には、実は誰か他の昭和の記憶が宿っていたりしてね」

 などと言ってみると、

「そうかも知れないわね」

 と、看護婦さんは否定するどころか、賛同してくれたのだった。

 確かにこのサナトリウム側では、あまり人の意見を否定することはないようだ。否定してはいけないのではなく、否定する要素がそこにはないからだった。患者も看護婦も職員も、さらには見舞いや付き添いの人皆含めたところで、誰も人から否定されるような言い方をしているわけではないようだった。

――それが、このサナトリウムの特徴なんだわ――

 と思わせた。

 姉の見舞いにちょっとした付き添いを済ませて、看護婦さんとも話ができたことで、この日は充実した一日だと思った。先ほど感じたことを教授に話そうかと思ったが。残念ながら教授はその日、出張ですでに病院内にはいなかった。教授と話せなかったのは残念だったが、しょうがない。そのまままた銀杏並木を通って歩き始めた。

 すでに散ってしまった銀杏だったが、風が吹くと寒さが沁みてくるのを思うと、

「もう冬なんだな」

 と季節を感じさせてくれるようだった。

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